日本と世界をつなぐ架け橋へ―。スペイン人監督の下、中学生が寮生活をしながらサッカーに打ち込む「アメージングアカデミー」で代表理事を務める小川健一さん。奈良YMCAで指導者としてのノウハウを培い、そして幼少期に育った外国での経験を生かして新たな挑戦をするために関西の地を飛び出した。スペイン人監督の指導、考え、文化、中学年代から親元を離れて自立する意義…。これまでの日本にはない価値観を指導者として理解し、そして広げるべく、山梨の地から発信を続けていく。
―名古屋FC EASTの中尾友也さんからご紹介いただきました。お二人の出会いはいつ頃だったのでしょうか。
小川 僕が奈良YMCAの少年チームを担当していた時に大会でお会いしました。中尾くんが言うには、最初の対戦でうちが大量得点で勝ったために、「どうしたらこんなサッカーができるんだ」と、興味を持っていただいた。そこから練習試合もよく組んでもらって、関係は十数年続いています。
―サッカーについてかなり熱い議論をされるとか。
小川 僕らはちょうど少年サッカーが11人制から8人制に変わったタイミングを経験した世代だったので、8人制について議論することは多いです。あとは、まだ今は普及してないですが、リトリートライン(GKからのボールに味方が触るまで、相手チームの選手はピッチを横に3分割したラインを越えてはいけない)がヨーロッパの育成年代ではスタンダード。それを11歳の大会に適用するべきか、といった議論はしています。
―ルールの有無についてもお話をされるんですね。ヨーロッパの話は後ほどじっくりと…。小川さんが指導者になるまでのことも教えていただきたいです。
小川 自分はサッカーの競技的に成功したとかは全然なくて、大学もサークルでサッカーをやっていた感じ。大学時代に奈良YMCAがサッカー指導者のボランティアを募集していて、そこで大学生の時から指導をしていました。
―ご出身も関西ですか。
小川 生まれは東大阪なんですけど、そこから東京に行って、4歳半でイギリスのロンドンへ5年、次は香港で3年。香港で小学校を卒業してベルギーのブリュッセルに半年、そして日本へ帰ってきました。
―想像を超える生活環境でした。サッカーは海外にいた頃からやっていたのでしょうか。
小川 サッカーはロンドンで始めました。ロンドンは家に芝生の庭があって、家の裏は大きい公園で、サッカーの面がざーっと広がっている。ゴールもネットがかかってなくて木の枠だけあるんです。いつでもサッカーできる環境が目の前にありました。
―指導者の応募に興味を示したきっかけは。
小川 どちらかと言うと、サッカーの指導者をやりたいというより子どもが好きだったことが入り口でした。本当に子どもが好きで、子どもと「サッカーというツール」を使って関わりたいと思いました。
―子どもと触れあえることが楽しいという感覚がやはり一番でしたか。
小川 そうですね。小学生の高学年を教えるよりは幼稚園生とか、小学校の低学年、いわゆるキッズといわれる年代と一緒に、サッカーボールを使ってボール遊びする感覚のほうが大きかった気がします。
―メニューを考えるのも楽しそうですね。
小川 楽しいですね。これはタイプが分かれると思うのですが、練習メニューを考えた時にその通りにできなかったら嫌だって指導者も多くて。ただ僕はかっちり決めるというよりはその場で何が面白いかを大事にする。例えば子どもたちがすごく気に入ってくれたメニューがあったら、予定では10分で終わらせるところを10分伸ばしたり。結局そこに来た子どもたちが満足するような練習作りは意識しています。
―17年には奈良YMCAを離れてエコノメソッドスクールに移られました。どのような経緯があったのでしょう。
小川 U-15もU-13も関西リーグにいる強豪の奈良YMCAで指導経験を積んで、本当に自分の中でもバリエーションが増えた。日本代表でも今のアタッカーは関西で育った選手が多いように、特に個を大事にする関西特有の色がある中で、奈良はドリブルを徹底的にやり込む県。おかげさまでいい子どもたちに巡り会えて、それなりのレベルで何が通用して何が通用しないか見させていただく機会も多かった。ただ、奈良YMCAで長く監督をやる中で、本当にこのままでいいのかなと。サッカーの指導者としても、人生を考えても。自分は帰国子女で英語も話すことができて、海外のサッカーもすごく気になっていた。このまま奈良で続けるより、新たなことを吸収したいという気持ちが強まったからです。
―エコノメソッドに着目したのはやはり海外サッカーとつながりを持った仕事ができるから?
小川 親会社がU-12ジュニアサッカーワールドチャレンジという大会を開いていて、奈良YMCAにいた時に申し込んだのですが、抽選で外れて行けなかったんです(笑い)。それが知ったキッカケ。毎年バルセロナやアーセナル、ユベントス、いろんなチームが海外から来てるところで話題性があり、海外との接点を持っているところで働くことも魅力的だなと。親会社であるAmazing Sports Lab Japanという会社の浜田満社長に面接をしてもらい、大阪にエコノメソッドスクールをつくるということで、事務所の責任者に呼んでもらいました。
―事務所の責任者ということは仕事の幅も広いですよね。
小川 現場にはもちろん行きますが、スクール自体はスペイン人コーチが派遣されている形。基本的にはそのコーチが指導して、通訳して、もう一人のコーチがアシスタントや保護者対応をする。当時関東ではあったかもしれないですけど、関西はなかったことなので、なかなか物珍しそうに見られました。
―たしかに中学生くらいまでだと馴染みのない感覚ですよね。小川さんご自身はどんなことに衝撃を受けましたか。
小川 スペイン遠征に行った時のことですね。9歳、11歳、13歳までのカテゴリーとそれぞれの大会にエントリーして。9歳までのカテゴリーは圧倒的に日本人の技術が上なんですよ。圧倒的にうまい。だけど気持ちの部分で負けちゃう。スペインの選手は試合前とかもぷんぷんしたり泣いてしまったり、日本でいう小学校1,2年生みたいな、絶対に負けたくないって気持ちがすごい。11歳くらいでちょうどいい勝負の感じ。ただ13歳になると圧倒的に向こうが強い。何も通じない。これはなんでだろうってすごい衝撃に捉えて帰りましたね。先ほどもお話したリトリートラインなんだと思う。向こうは7人制でやっていて、リトリートラインがある。何のためにそれをやっているのかと言えば、要するに育成のためにそのラインがある。ハーフラインからゴールラインはオフサイドにならないで、リトリートラインからゴールサイドがオフサイドになる。コートを広く使ってボールを奪われないようにできるんです。コンパクトになりすぎたらボールを持てないから、どうしてもボールを蹴ってしまうことが増える。そうでなくて、しっかりとコートを広く使って、プレッシャーがある程度厳しい中でボールを持つってことを考える。育成のためにそうしたことを取り入れてることがわかった時、日本は相当まずいなと感じました。8人制もだし、そのままのオフサイドのルールでやってることに自分は疑問を持っています。だから中尾くんがリトリートラインの話をしてきた時、絶対やったほうがいいと反応しましたね。
―興味深い。11歳くらいが分かれ目の年齢だったということですね。スペイン人スタッフの振る舞いでも感じることはたくさんあると思います。
小川 守備の指導一つでも違います。DFのトレーニングでも、腕の使い方を教える。日本だと腕を使ったらダメだよってなることすらありますが、手じゃなくて腕だよと。腕が使えないからボールが奪えないと、説得力を持たせている。あとはサポートの種類ですね。スペインだとドリブルが2種類あるとよく言われますがサポートにも種類がある。ボール保持者の状況によってどういうサポートをしないといけないか。ただ「助けてやれ」ってコーチングをしがちだけど、そこを細分化して状況に応じてどう動くのかを伝えている。それが全部つながると、ゲーム理解になっていく。スペインの子たちはゲーム理解ができて、サッカーをわかっているから、技術が高くなくてもいいプレーが多いのだと感じます。あとはマルク・シウランス監督(アメージングアカデミー)の言ったこと。結果と内容、もちろんどちらも手に入れられた時はいいけど「すべてを手にすることはできない」とハッキリ放たれた言葉はすごく刺さりましたね。自分より十何歳も年下の監督ですけど、平然とそうしたことを言うので、勉強の必要性をいつも痛感させられます。
―アメージングアカデミーの活動理念にもある「賢い選手」を育てる重要性がつまったお話ですね。
小川 結局「賢い」のベースにあるのは「人」の部分です。僕が重要視しているのは子どもたちが主体的に行動を起こすこと。あくまでヒントをあげるような言い方で、あとは方法を紹介した中で、決断するのは自分たちということを考えると、生活から自分たちが主体的に動くことが重要。今山梨で関わっているプロジェクトはそういう意味では非常に面白いのではないかと感じています。
―中学生のうちから寮生活はなかなか珍しい。課題と捉えることも多いのでは。
小川 義務教育の中学生がいきなり自立しようってなるわけです、洗濯から整理整頓まで。本当に最初は大変です。基本人間は楽なほうに流されるので、やり続けることが難しい。ルールや禁止事項を増やすことが僕はすごく嫌いで、基本的に罰は与えない方針でやっています。「これができなかったらルールがついてくる。どっちにする?」というふうに投げかけて。自分たちがその時やらないと決めて行動すれば、ルールの必要性もない。言われたことをやらない人間ではなくて、なぜそれがダメなのかをしっかり理解してやらないような子どもに成長してほしいと考えています。
―入寮してくる選手は、まだ小学生だと親御さんの意向や本人の意志などバランスの難しい選手もいると思います。
小川 仰る通りです。ですが最初の説明会でずばっと言います。「自分の意志なく、人に言われて来てるようでは無理だ」と。保護者にもそれはきちんとお伝えしています。保護者もつらいと思うんですよ。自分も子どもがいますけど、中学年代で離れていくって。やっぱりすごい覚悟を決めて送り出しているんだなと、リスペクトしかない。その気持ちもすごいわかりつつ、子どもたちにも覚悟を持って、サッカーに打ち込んで、自分の山梨に来た目的を常に持ち続けてほしい。最初はみんな当然持っていますが、見えなくなる時がどうしてもきてしまう。それが見えにくくなってきた時に、自問自答しなさいと。
―地域にも育ててもらう意味で、学校との関係性も非常に大切かと。
小川 月に1度連絡交換会があって、教育委員会と中学校、我々の三者が情報を交換しています。生徒の3分の1をアカデミーの寮生が占めているので、けっこう地元の方にも理解されるのが難しい時はある。元気なので、単純にうるさいわけですよ。おとなしく授業を受けたい子からしたら邪魔してほしくないとか。それでも、3年生になればみんな落ち着いて、人間的にも成長して先生からの評判も良い子がほとんどです。中心で率先してやれる子が増えるから、こないだの体育祭も先頭に立ってアカデミーの子たちがだいぶ盛り上げてましたからね。そういった姿を地元の方にも真摯に見ていただいて、少しずつ理解してもらえたら、という気持ちはあります。各学年で色は違いますけど、一度お預かりした以上、胸を張って子どもたちをサッカー選手としても人間としても送り出したいです。
―選手は普段どのようなスケジュールで過ごしているのですか。
小川 基本的に練習と学校以外は自由です。土曜日に試合をして日曜オフの時は関東近郊の子どもだと実家に帰っています。北は北海道から西は鳥取までいますが、なかなか頻繁に帰れる距離ではないので、夏休みと冬休みは10日~2週間くらいしっかり取る。スペインって休みが1か月くらいあるので、監督たちも母国に帰るんですよ(笑い)。サッカーから頭を離して、家族との時間を過ごしたり、しっかり楽しんでリフレッシュして帰ってこいと言うんです。でもこれはものすごい大事で、日本にいたら絶対にわからない感覚でした。自分の気持ちとか、考えていることを全部リセットして、すごいスッキリして帰ってくるのって理にかなっていると思います。なかなか日本社会ではすごくリスクを感じますけど、意外となんとかなると思っています。
―中学年代からサッカーだけでなくそうした外国の考えや文化に触れることはとても大きな意味を持つと思います。
小川 めちゃめちゃ実感しますね。うちの指導者も自分たちでサッカーを海外に勉強しに行ったり動いてきたスタッフが多いので、行動力がある。考え方が海外向きの人が多いから、触発されて子どもたちもオープンで、和気あいあいとしてます。先輩後輩の上下関係とかもいい意味であまりないので、指導者との間柄もフラットで近い。その中でも目上の方への礼儀を合わせて教える難しさはあります。
―今の日本社会ではどうしてもフラットな関係性が良しとされない傾向もある。
小川 ちょうど僕らの少し下までの世代がギリギリ理不尽の中で育ってきたというか、どうしたら理不尽な社会で生きていけるか創意工夫しながら戦ってきた世代だと思う。だからフラットな関係性もこの先重要だと思うし、だけどどこかで理不尽さも理解させておかないといけないことも強く感じる。今の日本社会はまだそれが残っているから、社会に出た時に困るんじゃないか、とはすごく悩んだりしますね。例えば進路でも、僕たちみたいなやり方をしていると、高体連へ送り込むことは少し不安。監督が言うことが絶対、先輩後輩の上下関係が厳しい、そういう空気感が残っているチームはたくさんある。主体的にやりたいことを行動として起こせるように育ててますけど、それが本人と周りとの関係を壊すことになりかねない。出口はすごく重要だと考えています。
―日本と外国の文化のギャップを埋めるのは相当難しいですね。
小川 そういう思いはありますけど、でも仕方ない。スペインではこうだからと言っても、やっぱり日本はこういう文化だからと言われればそれまで。監督に説明するのも自分の役目なので、納得がいかないなりにも、スペイン人スタッフに納得してもらわないといけないこともあります。夏休みも日本は暑い中で遠征や合宿をやるけど、スペイン人からすれば「こんな時に大会をやるのか意味がわからない」「子どものこと考えたらやらなくていいじゃん」と。でも日本ではそれをやらないと鍛えられないと言われる。そこのすりあわせは指導者でもあるし、文化的な側面を理解している自分だからこそ、溝を埋めにいく役割が大きくなっている気がします。最近はそれが自分のやりがいというか、楽しいなと思えるようにもなってきています。
―アカデミーの内側だけでなく外に向けても発信したいということですね。
小川 ここ20年でサッカーもだいぶ変わって、科学的に、理論的になってきている。それをしっかり理解している指導者の台頭も必要だと思います。そこに自分がなれるかっていうとそこには届かないのかなと。だけどそうした変化を間近に見て、指導者として理解できることを発信していけるように、間を取り持つことが今後の自分の役割なのかなと。指導者として突き抜けていくというよりは、いろんなことを出会わせることが役目だと感じるようになっています。
―3年ほどアカデミーの代表を務めてきて、やってきて良かったと感じた瞬間はどんな時でしたか。
小川 自分は実はアカデミーが立ち上がって3か月後に入ったんです。立ち上げのスタッフたちの相互理解の欠如があって、それをつなぎ合わせるハブみたいな役割で。だから代表になるとは思ってもいなかった。今FC東京でアルベルト監督の通訳をしている村松(尚登)さんが当時ダイレクターをしていて、僕からしたら村松さんは自分でバルセロナまで行って、海外のサッカーを学んできたパイオニアでありレジェンドだったので、その方と仕事ができるならぜひ行きたいと。村松さんが設立1年の時にアルビレックス新潟で通訳の仕事をすることになったので、代表を引き受けました。最初はいろんなことが整えられてなくて、でもFCバルセロナのスクールをやってたりする会社なので、理想ばかりあった。実態は何もないところから初めて、いろんなことをやっていくうちに目に見えて変わっていった。保護者や選手にも理解してもらうことが大変でつらい時もありましたが、立ち上げの代の子たちが卒団する時に、「最初はホームシックになってつらい時期もあったけど、ここに来て3年間頑張ってきて良かった」と胸を張って言ってくれた時は、心の底からやってきて良かったなと感じましたね。
―指導者の枠を越えた関係ですよね。
小川 本当に家族みたいになってしまうので、今は56人の父親みたいな。いろんな相談事も受けるし、一サッカー指導者って関係には収まらない。アットホームな雰囲気だけど、それぞれサッカーで海外に行きたい、Jリーガーになりたいって夢を追いかけていきている子どもなので、その夢を実現するためのお手伝いをどこまでできるか。僕自身も突き詰めていきたいです。
―ここからますます大きくなっていくクラブだと思います。今後はどんな将来を描いていますか。
小川 サッカーで海外の色を取り入れていますけど、今はJFLの奈良クラブといい提携ができています。奈良クラブの監督もユースの監督もエコノメソッドから派遣されているので。僕らの一つの方法としては、奈良クラブのユースへ行ってもらって、トップへ上がって、そこがゴールでなく、そこを経由してさらに上のカテゴリーや海外にステップアップしてもらう。なかなかこうした取り組みはJのアカデミーでない街クラブでは珍しいと思っているので、楽しみしかないですね。昨年の卒業生は奈良クラブのユースに6人、他にもヴァンフォーレ甲府のユースや昌平高校(埼玉)や山梨学院に行く子もいました。どこに行ってもその先にプロになれる道がある、可能性をおおいに持っている選手がたくさんいる。その答え合わせをするのは3年後ないしは7年後になると思いますが、その時の彼らに山梨での3年間がどうだったか聞いてみたい。土台になったのだということが聞けるのであれば、自分のやってきたことがまた自信になる。プロでなくてもいろんな海外の文化を取り入れてきた彼らが指導者になれば、若い指導者も増えている今、日本の指導も少しずつ変わってくると思う。本当に楽しみしかないですね。
―貴重なお話をありがとうございます。次の指導者のご紹介をお願い致します。
小川 奈良クラブのユースで監督をしているダリオ・ロドリゲスさんです。エコノメソッドから派遣されているコーチで、僕とは大阪で1年、山梨で2年一緒に仕事をしていました。日本にも5年いて、小学生から高校生まで幅広い年代を見ているので、日本の育成年代への提言とかしてもらえるのではないかと思います。
<プロフィール>
小川健一
1977年9月9日生まれ。大阪・東大阪市出身。
幼少期はロンドン、香港、ベルギーで過ごし、日本に帰国後、同志社国際中学、同志社国際高校、同志社大卒。大学時代からボランティア活動に参加していた奈良YMCAで中学年代までを指導。17年からサッカーサービス・エコノメソッド関西に入所。19年8月~アメージングアカデミーの代表理事に就任。