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Vol.35 ツエーゲン金沢 広報/山本茜

  • 2022.09.27

    Vol.35 ツエーゲン金沢 広報/山本茜

PASSION 彼女たちのフィールド

緑のピッチでボールを追いかける選手、そのプレーに一喜一憂する観客、スタジアムが生み出す一体感。そんな幼少期に見たJリーグの光景が、大人になった今でも脳裏に焼き付いている。成長するにつれて、胸のなかで大きくなっていったJリーグへの憧れ。そして自身の夢を実現させた山本茜氏は、金沢の地で好きなサッカーと向き合いながら奮闘する。

―まず、現在の仕事について教えてください。

山本 今はツエーゲン金沢の広報を務めています。入社してから2年目ですが、ホームページや、有料コンテンツの運用、YouTubeのライブ配信だったり、SNSの運用も担当させていただいています。また、広告関連では、新聞広告とかCMのことも担っています。

―現在、ツエーゲン金沢の広報担当者は何人いるのですか?

山本 現在は2人です。私は練習グラウンドにはあまり行くことがなく、クラブ広報というような感じの役割です。今年から週に1回程度、会員向けの有料コンテンツとして、選手のインタビュー取材や写真撮影をするために練習グラウンドに行くようにはなりましたが、基本的には事務所にいます。もう1人の広報担当者が現場でチームに帯同し、いつも選手の写真を撮影したりしています。

―一日の勤務スケジュールはどのような感じでしょうか?

山本 私は朝9時から事務所での仕事になります。基本的にはメールのやり取りだったり、事務作業が中心です。一応、定時として18時までの勤務時間になっています。

―現在の仕事のやりがいはどのように感じていますか?

山本 やはり、ホームゲームでたくさんの方と関わっている時、もちろん勝って喜びを分かち合えることは嬉しいです。あとは、SNSの運用を通じてファン・サポーターの方々と接する機会が多いところにもやりがいを感じています。最近では“炎上”といったことも起こり得るので、気を使って投稿するようにしていますが、その時々に自分が思ったことや感じたことを率直に投稿したほうが皆さ
んからも良い反応をいただける実感があるので、タイムリーに皆さんに向けて発信することも心がけています。

―これまでに受けた反響で印象的なものは?

山本 昨シーズン、ツエーゲン金沢から移籍する選手の退団リリースに対して、プレー集や写真を投稿した時の反応は大きかったかなと思います。ツエーゲン金沢にとってはいなくなってしまう選手なので、「どんなときも一緒に戦ってくれてありがとう」という感謝の言葉を添えて投稿しました。一方で、移籍先のクラブのファン・サポーターに向けても「こういう選手です」といったような紹介映像になったのだと思います。ツエーゲン金沢のファン・サポーターもそうですが、移籍先のチームのファン・サポーターからの反響も予想以上に大きくて、印象に残っています。

―一方でSNSでの失敗談はありますか?

山本 うーん、そこまで大きな“やらかしエピソード”は、まだないかなと自分では思っています(笑)。でも、何回か誤字のままで投稿をしてしまったことはあるので、誤字脱字にはいつも気を付けています……。

―Jリーグのクラブスタッフを志望した動機はどんなことでしたか?

山本 私はもともと、Jリーグをはじめサッカーを見るのが好きだったんです。私自身はサッカーはできませんが、弟がサッカーをしていたこともあって、幼少期から家族でJリーグの試合を見に行っていました。愛媛県が地元なので、愛媛FCとか、あとサンフレッチェ広島の試合をよく見ていましたね。そこから大学でマネージャーを経験して、ピッチでプレーする選手を、観客の皆さんがスタンドで見て、サッカーを楽しむ。その環境だったり、サッカーを楽しむ空間を一緒に作っていく役割を担う仕事に魅力を感じていて、クラブスタッフという職業に就きたいと思うようになりました。

―Jリーグのクラブスタッフになるために、どのような道を歩んできたのでしょうか?

山本 クラブスタッフになるために、という目的ではなかったのですが、高校を卒業してから京都の立命館大学に進学し、そこで体育会のサッカー部のマネージャーをしました。サッカーが好きだから、サッカーに一番近くで関われるマネージャーをやりたいという思いで大学から急に始めたのですが、100人くらいいる部員たちと一緒に活動をしていくなかで、試合で1点を取ってみんなで喜んだり、逆に負けてしまったらみんなで悔しがったり、そういった感情をスポーツで共有できること、その環境を一緒に創ることができることがすごく素敵だなと思うようにもなったんです。すると、大学3年生のときに天皇杯で横浜F・マリノスと対戦する機会が訪れました。試合には負けてしまったけれど、試合前のワクワク感、試合が終わったあとの横浜F・マリノスのファン・サポーターの温かい反応を間近で見て、やっぱり私もこういう環境を一緒に作っていきたいと強く思い、将来はJリーグのクラブスタッフになろうと改めて決意しました。

―立命館大学サッカー部のマネージャーを務めたことで、Jリーグのクラブで仕事をしたい思いがより強くなったのですね。

山本 はい、そこでの経験が大きかったです。最初はマネージャーの仕事をしながら練習を見て、「今のプレー、うまいなあ~」ってただ楽しんでいるだけの人でしたが(笑)、選手たちと話す機会も増えたりして、サッカーに関わり続けたい思いがより強くなっていきました。

―その後、就職活動をすることになると思いますが、どのような感じでしたか?

山本 やはり第一志望はJリーグのクラブスタッフになることでしたが、実際にクラブスタッフになれたらどうしていきたいのか、何がしたいのか、といったところを探るために、3年生の終わりから4年生の初めまでは他の就活生と一緒に自己分析などをやっていました。そんなとき、大学サッカー部の遠征時に関わってくれた企業の方や、大会を運営されている企業の方から「一緒に働きませんか?」ってお声がけをいただいたんです。Jリーグのクラブスタッフになりたい思いがありながらも、マネージャーをやっている私に声をかけてくれたことがすごくありがたくて、実際に、それらの企業にお話を聞きに行って、面接をしていただく機会もいただきました。でも、コロナ禍の時期でもあったので、その年の新卒採用自体がなくなってしまった会社もあり、自分の中でも何がしたいのか。と立ち止まって改めて考えた時期がありました。

―一時は就職先として考えていた道が閉ざされ、それからはどのように就職活動を進めていったのですか?

山本 マネージャーとしてサッカー部に関わり続けたことが“就活”にもなったと思っています。チームが出場した大会でJリーグのクラブ関係者と知り合うことができましたし、サッカー部の監督も、選手をスカウトしに来たクラブスタッフの方々に「選手もいいけれど、スタッフもいらない?」って一緒にお願いしてくれたりしました。すると、福島ユナイテッドFCからインターンシップのお話をいただいたんです。

―福島ユナイテッドFCでのインターンシップはどんなものでしたか?

山本 期間は1週間でしたが、ホームゲームの運営をはじめ、いろいろな担当の人のお話を聞きながら、多くの経験を積ませていただきました。クラブの事務所でも仕事をしたり、また、練習グラウンドにも行かせていただき、チームのマネージャーとお話させていただいたりもしました。Jリーグのクラブ全体としての雰囲気を体感させてもらった感じです。

―実際にJリーグのクラブスタッフとして働くイメージも湧きましたか?

山本 そうですね。福島ユナイテッドFCはクラブスタッフの人数も少ないなかで、実際にホームゲームで試合を運営するためにどのような人たちが関わっているか、といったような、そういうリアルな部分が見られたのはすごくいい経験になりました。また、そこでは自分がどれだけやれるか次第で働き方が変わるだろうと、ひしひしと感じましたね。自分一人の力も、クラブにとってはすごく大事なものになるんだなって。だから、新卒でJリーグのクラブスタッフを目指すべきなのか、そうではないのか、って自分でも考えました。社会経験のない自分がクラブスタッフとして何ができるのか、というのは、どうしても考えなければいけないことだと思いましたので。

―実際にJリーグクラブの現場を目の当たりにしたことで葛藤も芽生えたなかで、ツエーゲン金沢のクラブスタッフになった経緯はどのようなものでしたか?

山本 福島ユナイテッドFCのクラブ関係者で、ツエーゲン金沢とも関係のある方がいらっしゃったのですが、その方が私とツエーゲン金沢を繋げてくれました。ツエーゲン金沢のスタッフの方に連絡をすると「インターンシップに来てください。」と言われ、1カ月間、金沢へ行くことになりました。他へ就職する道もあった中で、ずっとなりたいと思っていたクラブスタッフになれるかもしれないチャンスがあるなら、挑戦したいと思ったのが決め手です。

―大学生活も終盤だと思いますが、金沢へ行った時期はいつでしたか?

山本 大学4年生の2月から1カ月間です。インターンシップとして働かせていただくことになりました。その時期は、Jリーグの開幕前なので忙しい時期でもありましたね。いろいろな担当の方々のお手伝いをさせていただきました。

―例えば、どんな業務を経験しましたか?

山本 いろいろなお仕事を経験させていただきましたが、ツエーゲン金沢はアパレルブランドも持っているので、そのアパレルブランドのショップ店員のお仕事もしました。そうして1カ月間を過ごし、最後にGMと面接をして、2月末に内定をいただいてツエーゲン金沢で働くことになりました。

―Jリーグ開幕前の時期に、晴れて就職先が決まったのですね。

山本 はい、前任の広報の方が退職されたタイミングでもあったので、私としてはJリーグ開幕前の忙しい時期にインターンシップできるなど、タイミングも良かったと思っています(笑)。

―ツエーゲン金沢への就職が決まったときのご両親の反応は?

山本 正直、すごく心配されましたね……。「金沢?愛媛から遠くない?」って(苦笑)。それまで、私のやりたいことに対しては「頑張ってやりや」っていう感じで、すごく応援してくれる家族なのですが、就職となるとどうしても心配もあったのかもしれません。でも、私が楽しんで仕事をできているので、そこは理解してくれています。それに、私が愛媛に帰省するのは年末くらいなのですが、逆に両親は金沢にも遊びに来てくれます(笑)。

―すばらしい金沢の街をご両親も満喫されているのではないでしょうか?

山本 そうですね。私もインターンシップのときに初めて来ましたが、とても過ごしやすい、いい街です。いろんな人からよく「地元でもないのに、なぜ金沢で就職したの?」って聞かれるんですけれど、私には自分のやりたい仕事があって、それができる場所ならばどこでも行きますっていう感じでした。今は私もたくさんの方に支えていただきながら金沢での生活を楽しんでいます。

―ここまで1年間、ツエーゲン金沢のスタッフとして仕事を経験し、これからはどのようなことを目指していきますか?

山本 SNSでもメディアでも、ツエーゲン金沢に触れるきっかけを増やしていきたいです。サッカーを通して、というところはもちろんですが、サッカーの試合以外にもホームタウン活動など街の皆さんと関わることができる機会はたくさんあると思うので、興味を持っていただけるように発信していきたいです。サッカークラブのスタッフ、広報として、選手の価値を上げていくことも私たちの仕事としてあると思います。そのために、もっと選手をSNSなどで出せていけたらいいし……、いや、そこはどうしても出さないといけないところですよね。選手の人となりを見て、さらにサッカーに引き込まれていくファン・サポーターも多いはずだし、そのように選手を知ってもらうきっかけになればと思います。私自身もサッカーが好きだからこそ、ファン・サポーターと同じ目線であり続けたいです。せっかく好きなサッカーを仕事にできているので、そのファン・サポーターの目線であったり、サッカー好きの視点でもっと発信していければと思っています。

―山本さん個人として、今後に楽しみにしていることは何かありますか?

山本 大学の話になってしまいますが、実は私の同級生が4人、プロ選手になって活躍しているので、試合で会えることが楽しみです。彼らとはリーグが違うので実はまだ会えておらず……(苦笑)。彼らとは「お互いにみんなで頑張ろう」って定期的に連絡を取り合っています。大学のときからずっと、彼らが頑張っているから私自身も頑張れるというところはあるので、お互いに頑張り合いながら、彼らとの再会をとても楽しみにしています!

<プロフィール>
山本 茜(やまもと・あかね)

1998年愛媛県出身。幼少期から地元の愛媛FCやサンフレッチェ広島の試合を観戦するなどJリーグに触れ、大学時代は立命館大学でサッカー部のマネージャーを務める。立命館大学在学中に福島ユナイテッドFCで1週間、インターンシップ生として働き、その後はツエーゲン金沢でも1カ月にわたりインターンシップを経験。インターンシップ後そのままツエーゲン金沢に就職し、志望していたJリーグのクラブスタッフとなる。現在はクラブの広報としてホームページやSNSの運用などの業務を担当している。

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