©KASHIMA ANTLERS
7月12日の天皇杯3回戦はヴァンフォーレ甲府にPK戦の末に敗れました。一言で言って、情けない。それに尽きます。結果もさることながら、自分が何のために鹿島に戻ってきたのか。それを改めて考えさられたし、今は申し訳ない気持ちしかないです。
今シーズンを迎えるにあたり、僕はこのクラブにもう一度タイトルをもたらすという決意を胸に、復帰を決めました。その中でJリーグの戦いに力になれていない現状がある今だからこそ、天皇杯こそは、という決意で臨みましたし、こういう難しい試合でこそ、自分の価値を示さなければいけないと考えていましたが、個人のパフォーマンスとしても、チームとしての戦いとしても、反省しか残りませんでした。
毎年、天皇杯が始まると『ジャイアントキリング』という言葉を耳にします。ですが、僕は以前から、一発勝負のトーナメント戦に、ましてや同じJクラブ同士の対戦に、ジャイアントキリングは存在しないと受け止めています。大樹さん(岩政監督)も初戦の前に仰っていましたが、1年をかけて戦うリーグ戦とは違い、一発勝負の試合に上位争いや下位争いはなく、基本的にはその1試合が同じ条件で行われると考えているからです。もちろん、資金力の違いはカテゴリーごとにあることは理解しています。ですが、16年のFIFAクラブワールドカップで「決勝は南米チャンピオンと、ヨーロッパチャンピオンの対戦になるだろう」といった大方の予想を覆し、鹿島がアトレティコナシオナルを倒して決勝に駒を進めたように、一発勝負の戦いでは何が起きるかわかりません。だからこそ、今回のヴァンフォーレ甲府戦もその意識で臨んだし、ましてや昨年の同大会で鹿島は甲府に敗れているからこそ、チーム全体に油断などなかったと思っています。
ただ、蓋を開けてみれば、試合の入りを含めた前半は明らかに甲府に上回られました。「残り45分は前半とは全く違う鹿島の姿を見せるぞ」と仕切り直した後半も、セットプレーから先制点を許した後は、鹿島が流れを取り戻したとはいえ、勝ち越しゴールも奪えなかったし、それは延長戦に入ってからも同じでした。リーグ戦もそうであるように、今シーズンの鹿島は、先制された流れを逆転に持っていけていない現状がありますが、その悪い流れを天皇杯でも変えることができず、トーナメント戦では何より必要な、結果を掴むことはできませんでした。
個人的にもいろんな反省が残りました。基本的に僕は、試合が終わってから「ああすればよかった」などと考えないタイプですが、甲府戦に関しては久しぶりに自分のプレーを思い返すことも多かったし、ミスしたシーンしか浮かんでこないというのも初めてに近い経験でした。その中で改めて思ったのはやっぱり、サッカー選手は試合に出続けなければいけないということ、試合に勝る経験はないということです。であればこそ、改めてそのことも自分自身に突きつけながら、だけど終わった試合は悔やんでも取り返せないからこそ、しっかり切り替えて、前を向きたいと思っています。
天皇杯の翌日、ツネ(常本桂吾)のスイス1部リーグ、セルヴェットFCへの移籍が発表されました。先に期限付き移籍が発表されていたミンテ(キム)、ソメ(染野唯月)に続き、今夏の移籍ウインドウでは3人目で、寂しさもありますし、チームとしても大きな戦力を失ったと感じています。素直に彼らと一緒にタイトルを獲りたかったとも思います。
ただ、ミンテやソメについては、思うように試合に出場できていない状況や、それぞれに自分の武器を持った素晴らしい選手だということを考えても、彼らはプロサッカー選手として当たり前の決断をしたとも思っています。VOL.78で、「今の自分なら、青木さんがプロサッカー選手として純粋に試合に出たいという選択をしたのも理解できる」と書きましたが、それは彼らにも当てはまります。だからこそ、彼らが決断をした今は、純粋に仲間として彼らの新しいキャリアを応援したいと思っています。
また、ツネについても…実は彼がセルヴェットにオファーをもらったときから相談を受けていました。と言っても、僕が彼にアドバイスしたことはそう多くはなかったですが、少なからず僕自身も『海外移籍』を経験してきただけに、海外のオファーはタイミングもあるし、2度目のオファーがあるとは限らないということも理解した上で「お前が掴んだチャンスやから、迷いがないなら行ってこい。ただ、迷うくらいなら鹿島でタイトルを獲ってからでも遅くないんじゃないか? お前ならまたチャンスがあると思うよ」と伝えました。
ですが、結果的に彼からは「迷いはないです。年齢的なこと、以前から夢だったヨーロッパでのオファーだと考えてもこのチャンスを逃したくない。行きます」という言葉が返ってきました。であればこそ「思い切って行ってこい」と送り出しました。もちろん、国内移籍とは違う難しさも経験するだろうし、目には見えない苦労もたくさんするとは思います。でも、行って何を感じるのか…すごいと思うのか、大したことはなかったなと感じるのかも、チャレンジした人間にしかわからないことだし、それはきっとツネの財産になります。だからこそ、今はそれが彼のどんな変化につながるのかがすごく楽しみです。
昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。