©KASHIMA ANTLERS
プロサッカー選手になってから、僕は基本的にサッカーとプライベートを切り離して過ごしてきました。日々のトレーニングの後も、オフも、自然とサッカーのことは忘れて気持ちをリフレッシュできていました。もちろん、時に試合結果を受けて時に家に帰っても気持ちが晴れない、みたいなことはありました。でも妻や子供から元気をもらうことで気持ちを上書きできていたし、それがオフ明けの練習にフレッシュな気持ちで入ることにもつながっていました。
ただ、最近の自分は、寝ても覚めてもサッカーのことを考えて過ごしている気がします。不思議なもので、リーグ戦に先発で絡めない時間が長くなるほど、サッカーのことが頭から離れなくなり、気がついたら、ずっとその日の練習や自分のパフォーマンス、サッカーついて、もっといえば将来のキャリアについてまで考えてしまっています。プロ13年目に突入した中で、一番、サッカーのことを考えているシーズンになっています。特に公式戦を戦うコンディショニングについては、思うことも多いです。
言うまでもなく、普段の練習と試合の強度は全く違います。どれだけ練習で、公式戦を意識した強度を自分に求めても、実際の公式戦で積み上げられるそれには到底、及びません。考えたら、試合は前後半45分ずつで行われ、基本的には45分間、ほぼノンストップで試合が進みますが、練習では、45分間、同じメニューをノンストップでやり続けることはまずありません。1つのメニューはだいたい、10〜15分くらいで、メニューの間には飲水などのレストがあったり、監督からの説明を受けながら進んでいきます。さらに言えば、練習には、公式戦のスタジアムに感じる独特の緊張感、あれだけたくさんの方に応援してもらうことへの責任、スタンドの雰囲気、目の前の試合に人生を賭けて臨んでくる相手選手の本気度もないだけに、アドレナリンの出方も全然違います。
もちろん、公式戦に似た強度を自分に体感させるためにチーム練習以外の自主トレで、スプリントや筋トレなどのメニューを増やすといった工夫はしていますが、正直、公式戦と同じ強度を求めることはまず不可能です。なんなら疲労感が増して、翌日のチームトレーニングに影響が出てしまい、パフォーマンスが悪くなってしまうという悪循環にも陥ったりします。これは20代前半の時と同じ体ではないということも影響しているかもしれませんが、いずれにせよ、試合に出ない中で90分間の公式戦を戦う強度を自分に求めること、コンディションを上げることの難しさは日々感じ取っています。
というか、フル出場した5月24日のルヴァンカップ・柏レイソル戦や6月7日の天皇杯2回戦・Honda FCで改めてそう感じました。これほど試合経験を重ねてきても、普段、自分が試合を想定して意図的に備えてきた強度と、実際の公式戦は…特にルヴァンカップで感じた強度はやっぱり違うし、ましてや公式戦は自分のパフォーマンスを高めることより、チームの結果を求めることが最大のミッションです。そして、そのチームの勝利を最優先に考えてプレーすることで感じるもの、自分に求めるものも大きく変わってきます。
ということを実感すればこそ、やはりプロサッカー選手というのは、試合に出続けながら公式戦を戦い抜くコンディションを維持し、かつチームの勝利を求めてプレーすることで自身を高めなければいけないんだと思い知らされました。
そんなことを考えている時に、決まって頭に思い浮かぶのは、僕が以前に鹿島に在籍していた時代のチームメイトで、リスペクトしてやまなかった青木剛さんです。僕がプロになった時から活躍していた青木さんは、もともとはボランチながらセンターバックやサイドバックなどでもプレーしためちゃめちゃ能力の高い選手で、センターバックとしての悩みもいろいろ聞いてもらったしたくさんのことを教わりました。鹿島を愛し、サポーターにも愛された選手で、だからこそ勝手ながら、僕の中では鹿島のバンディエラとして引退するんだろうなと思っていました。いなくなることなんて想像もつかなかったというのが正直なところです。
だから、16年夏にサガン鳥栖に移籍されると聞いた時はめちゃめちゃ驚いたし、「なんで?!」という思いしかなかったのを覚えています。当時、24歳だった若造の僕には考えが及ばないことの方が多く、青木さんのプレーヤーとしての能力が高いレベルにあることは理解しながらも「青木さんが鹿島以外のユニフォームを着るなんて信じられない!」と思っていました。
でも、今こうして自分が30代に突入し、試合に出られなくなって初めて青木さんの当時の選択を理解できた気がしています。直接、聞いたわけではないのであくまで想像ですが、鹿島愛だとか、このチームのユニフォームを着る幸せとは別に、青木さんはプロサッカー選手として純粋に試合に出たいという至極当然の選択をしたんだなと感じています。数々のタイトル獲得に貢献して、自分が試合に出て試合に勝つ喜び、シャーレを掲げる喜びを実感してきたからこそ、愛する鹿島に在籍さえしていればOKとはならなかったんだな、と。もしかしたらそこには、今の僕が感じている、年齢が上がるほど、試合に出続けないとパフォーマンスを維持するのが難しくなるんじゃないか、というような思いもあったのかもしれません。
なんてことを、あれやこれやと考えている毎日ですが、結果、いつも『試合に出たい』『出られないなら、出られるようにやり続けるしかない』ということに着地します。プロサッカー選手としての価値は、それでしか示せないからこそ。
昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。