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武井択也×DF鎌田次郎(柏レイソル)<前編>

  • 2019.11.15

    武井択也×DF鎌田次郎(柏レイソル)<前編>

REIBOLAスペシャル対談

現役サッカー選手と元サッカー選手によるREIBOLAスペシャル対談。
第5回目のゲストは柏レイソルの鎌田次郎選手と、17年限りで引退した武井択也さんの同級生コンビ。
同じ寮に住んでいた流通経済大学サッカー部時代の話から、『ベテラン』と呼ばれる年齢に達したからこその苦労話まで、気心の知れたかつての仲間が思いをぶつけ合いました。

(取材日/2019.10.29)

鎌田 会うのはいつぶりだっけ?
武井 毎年、年末にやっている大学の同期会以来じゃない? 同じベガルタ仙台に在籍していた2年間は、お互いのファミリーを連れてよく一緒に飯に行ったり、ディズニーランドに行ったりしたけどな。1つ下の晋伍(富田/仙台)ファミリーも一緒に…。
鎌田 晋伍と一緒にサッカースクールをやっているんだって?
武井 そう。お互いの地元である栃木でね。あいつはまだ現役選手だからやれることに限界があるけど、スクールの中身や運営については二人でいろいろと考えながらやってるよ。
鎌田 仲介人もやっているんでしょ? 
武井 そう。
鎌田 武井が仲介人をするとは想像していなかったな。っていうか、俺の中では引退したこともまだしっくりきていないからね。ってか、発表もしなかったでしょ? 
武井 うん、していない。俺としては移籍リストから名前が消えた=引退でいいかなと。去年の春くらいに仲介人登録が終わった時点で削除してもらったんだけど。
鎌田 チームを探していたけどなかったってこと?
武井 いや、松本山雅FCでの2年目、17年の夏くらいから自分の代理人には引退するつもりだということを伝えて「移籍先も探してもらわなくていいです」って伝えてあったから、そのシーズンで終わりという感覚ではいたかな。
鎌田 そうなんだ。自分がまだ現役でプレーしているだけに、同級生が引退するのって不思議っていうか…なんか考えるものがあるわ。体力的なことで言えば、大学時代から同期の中では武井が一番、走れる選手だったし、プロになってからもフィジカルが売りで、走れなくなったというイメージもなかったし…。
武井 むしろ、松本山雅FCでも一番、二番を争うくらい、走っていたけどね(笑)。つまり体は全然、動けていたからいろんな人に「なんで引退するの?」って言われたよ。
鎌田 そうだよ。なんで引退したの?
武井 なんだろうな。説明が難しいけど、ガンバ大阪でプロサッカー人生をスタートして、AFCチャンピオンズリーグ優勝に始まって6年間、いい経験もいい思いもたくさんさせてもらって。そのあとは、仙台で2年、16年からはJ2リーグの山雅に移籍して2年プレーしたけど、正直、自分のサッカー人生曲線が明らかに下降しているのは自覚していたんだよね。そういう現状と向き合った時に、正直、この先に踏み込んだら、サッカーに対する気持ちもなくなっていくんじゃないかって思ったから引退を決めたって感じかな。山雅時代も試合に出場していた時期、していない時期があり…それは他の2クラブでもそうなんだけど、正直、試合に出ていない状況で1年間を戦うのってしんどいでしょ?

武井択也

鎌田 しんどいね。出られない1年と、出ている1年では疲労度が全然違う。体というより、気持ちの部分で、だけど。
武井 だよね。それを山雅での2年間で痛感したというか。例えばガンバ時代は、ミョウさん(明神智和/AC長野パルセイロ)や智さん(山口智/ガンバコーチ)ら偉大な先輩方と一緒にプレーさせてもらって、30歳を過ぎた選手が例え試合に絡めなくても腐らずにやっている姿を見てきたから「俺もそうでなきゃいけない」と思っていたし、腐っているような態度はとっちゃいけないと自分に言い聞かせて松本での2年間を過ごしてきたけど、正直、その時間がめちゃめちゃしんどくて。仮に次の1年もそういう状況になったら自分は頑張れるかを考えた時に、体より、気持ちが耐えきれないなと思った。
鎌田 実際に引退して、またサッカーがしたいなとか、現役に未練を感じるようなことはなかった?
武井 引退して約2年だけど、現役には一度も未練を覚えたことはないね。っていうか自分の中に引退を決める時に、やりたくてもやれない選手もたくさんいる中で、俺は自分で引退を決めたんだから絶対に後悔しないように次の人生を生きようと思っていたしさ。
鎌田 それは今の仕事が充実しているからでもある?
武井 それもある。当たり前のことながら社会で働くのは大変だけど、自分の知らないことを学んで、新しいことにチャレンジしていく時間はすごく充実しているよ。
鎌田 その充実が体型に表れてる。さっきタニくん(大谷秀和/柏レイソル)も「武井、太っただろ? わかんなかったよ」って言ってたよ。
武井 サッカースクールで指導もしているし、移動も多いからそれなりには動いているつもりだけど、現役時代に比べたら動いているうちに入らないくらいの消費だからな。お腹周りが中年に近づいてきた(笑)。
鎌田 こうして話していたら、話す中身もノリも大学時代のまんまなのにね。改めて34歳という年齢を確認すると震えるよ(笑)。俺、そんなにジジイか?って。
武井 次郎はある意味、ようやく年相応になってきたよね。年齢に顔が追いついてきた(笑)。
鎌田 確かに、大学3年の時に特別指定選手として柏レイソルの試合に出ていた時も、南雄太さん(横浜FC)や藏川洋平さんに「お前、年は? 40歳くらいか?」っていつもイジられていたもん(笑)。でも、最近は逆にいろんな人から「あれ? なんか若くなった?」って言われる。
武井 年齢がいくほど若く見られるパターンね。俺はこの先、シワが増えてきて「老けましたね」って言われることばっかりだと思うけど、最初から老けていた次郎は「変わらないね」って言われるはず。うらやましいわ。
鎌田 なんか得した気分だな(笑)。
武井 でも老けもするよな。出会った時は10代だったのに、大学を卒業してもう10年以上も過ぎたんだよ。まぁ、お前は出会った頃の俺のことなんて覚えてもいないだろうけど…。
鎌田 覚えていない…っていうか、知らない(笑)。寮も5人部屋だったけど、一度も同じ部屋になったことがないし。
武井 かたやFC東京ユースからきたエリートで、かたや栃木の田舎から出てきた、か弱い無名選手だからな。大学の練習に初めて参加した日から、その差は痛烈に感じてた。実際、次郎らエリート軍団は早い段階でチームに合流していたからか、同じ学年とはいえ「俺らはもう入学しているから」的な雰囲気を出しまくりで。食事会場でも、4年生を中心としたトップチームの選手が座っていた一番奥に近いところに次郎もいて…。俺は栃木の田舎者で次郎のことも知らなかったから、先輩だと思って「こんにちは」って挨拶をしたらまさかの同級生だったってオチ。しかも、お前も「いや、同級生だよ」くらいに言ってくれたら可愛いのに「おお」って、俺の挨拶を普通に受け流したからな!

鎌田次郎

鎌田 (笑)。席順って決まってたんだ。
武井 決まってたわ! 入口から見て一番奥からトップチーム組、ユース出身もしくは年代別代表に入ったことのある選手組、関東選抜組ときて…あとは県選抜組、秋田商業高校、俺の出身校の國學院栃木高校の順や! それも仕方がないけどな。俺らの学年は70〜80人くらいいたのに、次郎は群を抜いて巧くて、唯一1年の時から1軍スタートだったしさ。
鎌田 俺らの学年はやたらと多かったよな。1学年で70〜80人って1チーム分くらいの人数だもん。って考えると、知らない選手、話さない選手がいても仕方がない…それが、お前(笑)。
武井 でも、次郎は覚えていないだろうけど、1年の時、俺はお前と同じ授業をとっていて、「練習があるから代返しといて」って頼まれたこともあるから! 汚れのない素直な田舎者の俺は快く引き受け、授業ではいつも「鎌田くん!」って呼ばれるたびに声色を変えて「はい!」って返事をしてた。
鎌田 (笑)。代返を頼んだってことは1年から同じサッカー部であることを自覚していたってことか…。
武井 でも俺の名前は知らずに「自分の代わりに返事してくれる人」って覚えていたはず。
鎌田 ありがとう! 卒業できてよかった!
武井 今更か! でも当時の俺はプロなんて微塵も考えていなかったし、俺らの学年はなぜかみんな仲が良かったから試合の時にスタンドで応援するのも全く苦じゃなくて。「鎌田くん、頑張れ」って心から思ってた(笑)。ただ…高校3年生の時の国体で、栃木県と東京都が対戦したことがあって。東京都には次郎やチュンソン(李忠成/横浜F・マリノス)、関口訓充(ベガルタ仙台)らがいたのに前評判を覆して栃木県が勝ったからね。これ、俺の唯一の高校時代の自慢!
鎌田 いつもそれを言う (笑)。
武井 それしか自慢がないんだもん。
鎌田 正直、俺らは負けるとは思っていなかった(笑)。
武井 だろうな。そのくらい、東京都はものすごいメンバーだったから。ってか、今さらだけど聞いていい? この前ふと思ったんだけど、次郎の実家って等々力陸上競技場に近いって言ってたよね?
鎌田 そう。子供の頃はよく自転車で試合を観に行ってた。
武井 なのに、なんで川崎フロンターレではなくFC東京のアカデミーに入ったの? 
鎌田 今更それを聞く?! いや、小学生の時に仲の良かった友達が東京ガスのスクールに行っていたから、俺も一緒に行くようになり…その流れで中学生になるにあたってFC東京U-15のセレクションを受けたんだよ。確か、川崎のセレクションも受けて合格したはずだけど。
武井 で、ユースには昇格できたけど、トップチームには昇格できなかったから流経大にきたってこと?
鎌田 そう。梶山陽平やチュンソンは昇格したのに、俺だけ無理だと言われ、大学の4年間でもう一回プロを目指そうと思って流経大に行った。と言っても、常にひたすらプロだけを目指して志高く過ごしていたわけではなかったかも。ただ俺が1年生の時に、4年生だったクリさん(栗澤僚一/柏レイソルコーチ)がFC東京の強化指定選手で…。そのクリさんと一緒に試合にも出ていたから「ここで頑張って俺も4年後にはFC東京に戻れたら」とは思っていたかな。あとは、3年生の時に柏レイソルの特別指定選手になったことで、プロの選手との差を感じたところもたくさんあって、自然と意識が引き上げられたところはあった気がする。武井はどうなの? 大学に入ってからプロを考えるようになった瞬間はあったの?
武井 あるわけがない。むしろ親には大学2年の終わりに「サッカーはもういいから、卒業したら美容師か服飾関係の仕事に就く」って話もしていたから。だって、栃木の田舎でサッカーをしていた時は周りのレベルも低いから「自分って結構、ボールをさばけるんじゃない?」って思っていたけど、大学に行ってみたら次郎を含めて超がつくくらい巧い選手ばかりだったからさ。お前は知らないだろうけど、当時の流経大はトップチーム、JFLでプレーしているチーム、ドラゴンズという社会人チームがあり、その下に4年生、3年生、2年生チームがあり、1年生チームは人数が多いから二つあったからね。俺はその一番下のチームからスタートして、そこから少しずつ上がって行って、2年の終わりにはたま〜に、JFLチームに駆り出されるくらいにはなっていたけど、自分のチームに戻るとなぜか本職のボランチではなく、センターバックをさせられていて…それで心が折れた。
鎌田 そうなの?! 知らなかった!
武井 しかも当時の流経大のセンターバックって、次郎みたいなカバーリングのスペシャリストと、ヘディングの強い選手を組ませるのが伝統で、俺はどちらかと言うと、フィジカルや身体能力しか武器がなかったから、明らかに鎌田次郎タイプだったのね。ってなると、無理だなと。ライバルが次郎なら、絶対にトップチームには上がれない、と自覚し、2年の終わりに「サッカーはもういいや」みたいな感じになっちゃって。でもおかげで、妙に気持ちが割り切れて、スッキリしたと言うか。「それなら、俺は巧い選手のために何ができるかを考えよう」って思うようになり、走ることに特化して、地上戦でひたすらセカンドボールを拾って、献身的にプレーしていたら、なぜかそこから2〜3ヶ月で一気にトップチームまで上がって定着した。それでも「卒業後は美容師」って思っていたから暇さえあれば、せっせと東京に出掛けていたけど(笑)。
鎌田 週末になるといつもオシャレして寮から抜け出していたもんな。俺なんか、ほぼ寮にいたのに。
武井 それまではただのサッカー大好き少年だったのが「大学でサッカーは終わり!」って決めた途端にサッカーの試合も一切見なくなって。でもトップチームに上がったら周りがみんな巧いから、それはそれでプレーするのが楽しいし、遊びも楽しいし、ある意味3〜4年生は大学生活で一番充実していたかも。
鎌田 流経大名物の『たつのこ山ダッシュ』の時も、俺はスピードや走力は全くなかったけど、武井はダントツで速くて…それが3年生になってようやく日の目を見たってことか。で、4年になって、一緒にレイソルのキャンプにも参加して…ある意味、ミラクルだな。

武井 そうだよ。FC東京にも一緒に行ったはず。
鎌田 そのくらいになってきたらプロも意識するようになっていたの?
武井 意識していたというほどではないよ。Jクラブに練習参加をしてみて自分の身の丈を知り、「プロに行ったところでやっていけるのか?」とも思っていたから。
鎌田 ガンバのスカウトの方があんなに熱心に大学まで足を運んでくれていたのに? 毎週のように来ていたスカウトは当時、ガンバだけだったんじゃない? 
武井 確かにそうだよなぁ。でも結局それも、きっかけは次郎だと思うよ。チームに一人、次郎みたいな、3年生でレイソルの特別指定選手になって、J2リーグにバンバン出ていたような奴がいると、否が応でもいろんなクラブのスカウトの方が流経大に集まってくるから。次郎はレイソルオンリーで考えていただろうけど。
鎌田 そうだね。ってか、逆に3年生の時にあれだけお世話になったのに他を選びにくいでしょ。それに俺自身も、レイソルの雰囲気がすごく溶け込みやすくて好きだったし。
武井 確かに、次郎とキャンプに参加した時も、ベテランも若手も壁がなく、食事のテーブルも毎回、ごちゃまぜだったし、谷澤(達也)さんや南雄太さんが俺らのことも超イジってくれて、すごく溶け込みやすかった。アットホームないいチームだなって思ったのを覚えてるよ。
鎌田 なのに、レイソルを選ばなかったっていうね。自分から「一緒にレイソルにいこうな」って言っておきながら、まさかの展開。
武井 (笑)。4年になってプロでやってみようかと思うようにはなっていたものの、超不安だったから次郎にそう頼んだんだよな。なのに、最終局面でぶった切った (笑)。というのも、ガンバの練習に参加した時に、俺はサブ組の方に入っていたからそれこそヤットさん(遠藤保仁/ガンバ大阪)やミョウさん、ハシさん(橋本英郎/今治FC)とは一緒にやっていないんだけど、サブ組の選手でさえレベルがめちゃくちゃ高くて。ノリさん(實好礼忠/京都サンガコーチ)と一緒に練習試合に出してもらった時も後ろから的確にコーチングをしてくれて、すごくわかりやすかったし、試合後にはその理由もフィードバックしてくれて…。「こんなすごい人がサブなんだ」と思ったし、トップに昇格してきたばかりの秋(倉田/ガンバ大阪)やチン(寺田紳一/栃木SC)もめちゃめちゃ巧くて、この環境でプレーしたらめっちゃサッカーが巧くなるんだろうなって思ったら、そっちに惹かれてしまった。
鎌田 当時のスカウトだったシモさん(下平隆宏/現横浜FC監督)は悲しんでいたけどね。
武井 シモさんには当時もよく食事に連れて行ってもらったし、「自分に似たボランチは初めてだ」って言ってもらい、当時のブログには「初めて自分と似たプレースタイルのボランチに出会えたけど初恋は失恋に終わりました」的なことを書いてもらって…。しかも4年生の夏にレイソルの公式戦に招待されて観に行ったら、たぶん強化の人が俺らが観に来るのを伝えてくれていたのか、ハーフタイムにレイソルサポーターから「鎌田、オレ!」みたいなコールが上がってさ。
鎌田 あった! あった!
武井 お前はそれに、格好つけて手を上げて応えて…。
鎌田 そんな感じの悪いタイプではないから(笑)! きっと初々しくお辞儀をしたはず。
武井 そういうことにしておくか…。で、そのあと、まさかの「武井、オレ!」ときて…いやいや、俺ごとにきにそれはやめてください、と思って、冷や汗かいてペコペコして受け止めて…。
鎌田 受け止めたけど?
武井 ガンバを選んだ(笑)。でもそれは、人生を左右する選択で、僕なりに色々と考えた結果だから仕方がない! それに俺はやっぱりあのタイミングでガンバを選択してよかったというか。自分と同じボランチのヤットさん、ミョウさん、ハシさんら素晴らしい選手から学んだことの大きさは絶大だったから。あの人たちと一緒にサッカーをしたからこそ得られたサッカー観は間違いなくあったからね。それは本当に良かったと思う。
鎌田 俺は大正解だったと思うよ。だって武井はガンバに行って明らかにサッカーが巧くなったもん。それまではただ走れるとか、フィジカルが強い選手だったけど、そこに巧さが備わった。しかも最初の年にACLに優勝でしょ? そういう経験も誰にでもできるものじゃないから。もちろん選手である以上、試合にたくさん出る経験も大事だけど、アジア制覇を始め『タイトル』の経験を積めたのも選手としてはすごく大きな財産になったと思う。

後編に続く

<PROFILE>
武井択也(たけい・たくや)
1986年1月25日生まれ。栃木県出身。國學院栃木高校高校卒業後に流通経済大学へ進学。大学3年生頃から圧巻のフィジカルと献身性が評価されてトップの試合に絡むことが増え、レギュラーに定着した。卒業後はガンバ大阪でプロキャリアをスタートし、1年目のJ1リーグ開幕戦からベンチ入りを実現。その後は先発出場こそなかったものの控えに名をつらねることは多く、それは同年、チームがアジア制覇を実現したAFCチャンピオンズリーグやクラブワールドカップでも然りだった。その後も試合のクローサーとして、また3年目あたりからは先発のピッチに立つことも増え、本職のボランチに限らずサイドバックやサイドハーフとしてもマルチな才能を発揮。13年にベガルタ仙台に、15年には松本山雅FCに移籍したが、17年限りでの引退を決めた。現在は仲介人をしながら地元・栃木県で TSA栃木サッカーアカデミー(http://www.t-socceracademy.com)を主宰している。

<PROFILE>
鎌田次郎(かまた・じろう)
1985年7月28日生まれ。東京都出身。下丸子シューターズFCでサッカーを始め、中学生の時に東京ガスFCジュニアスールに加入。高校生になるにあたっては、地元に近い川崎フロンターレユースのセレクションも受け合格したものの中学生からの流れもありFC東京U-18でプレーした。当時の同期には、梶山陽平、李忠成(横浜F・マリノス)がいて、彼らはトップチームに昇格したものの、鎌田は叶わず、流通経済大学へ進学。1年生の時から頭角を表しレギュラーに定着すると、大学3年生の時には柏レイソルの特別指定選手に。大学生ながらJ2リーグ15試合に出場し注目を集めた。卒業後の08年にはその柏でプロのキャリアをスタート。10年にはベガルタ仙台に移籍し、レギュラーの座に定着して6シーズンを戦った後、16年に柏に復帰した。

text & photo by Misa Takamura

取材協力/一魂

Vol.7 ジュビロ磐田/FW大久保嘉人