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Vol.12 ピッチ上での『言い合い』が生む結束。すべては勝つために。

  • 2020.09.15

    Vol.12 ピッチ上での『言い合い』が生む結束。すべては勝つために。

発源力

©GAMBA OSAKA

8月の戦いを1勝2分2敗で終え、9月の戦いが始まりました。個人的には8月の2試合目、横浜FC戦からJ1リーグに復帰していた中で、まだまだミスも多かったし、周りとの連携面ももっと成熟させなければいけないと感じました。またチームとしても思うような戦いを出来ない試合も多く、結果、サポーターの皆さんに1つしか勝利を届けられなかったのは不甲斐なさしかなかったです。それを受けて、ツネさん(宮本恒靖監督)から発信された「9月は8月とは違う月にしよう」という言葉のもとに9月をスタートし、自分自身も「チームのために何ができるか」という役割を見つめ直して臨んだ中で、最初のベガルタ仙台戦に4-1と勝利することができました。

実はこの試合は、ピッチ上でたくさんの「言い合い」がありました。これは主にチームの『連携』に関するものです。言うまでもなく、サッカーは誰かが入ったから急にチームが良くなるとか、1〜2日で連携が深まるというスポーツではありません。世界中のどんなビッグクラブでも新加入選手を含めて個々の選手がフィットし『結果』につながるまで時間を要するのは当然のことだと思います。特に新しいシーズン、戦術に取り組むにあたってチームが後退と前進を繰り返すのも珍しくありません。相手チームの戦術や対応によっても変わってくることも多く、前の試合ではうまくいっていたことが、次の試合では全くうまくいかなくなることも多々あります。また『チームは生き物』と言いますが、まさにその通りで、チームも、選手も毎試合どころか毎日、いろんな表情を見せます。選手によっては練習と試合で見せる顔が違うこともあり、それらを踏まえて『個性』をすり合わせる作業は決して簡単ではなく、その中では互いにストレスを抱えることがあっても不思議ではないと思います。であればこそ、その過程で自分の考えを仲間に伝え、それぞれの考え方をすり合わせ、うまく試合を進められるポイントを探るための『言葉』が必要なんじゃないかと思っています。

その『言葉』が仙台戦のピッチでは数多く聞こえました…というか、ほぼ、僕と秋くん(倉田)が言い合っていました(笑)。「言い合い」というとイメージが悪いですが、要するに意見をぶつけ合ったということです。試合展開としては、早々に失点しながらも早いうちに追いつき、逆転できていたとはいえ、内容としては決してうまくはいってなかった中で、秋くんが後ろの僕たちに向かって「ラインが低すぎる! もっと上げてこい!」と言えば、僕が「前のプレスが中途半端になっているからラインを上げきれへんのやろ」と言い返す、みたいに。それが伝播したのか、ハーフタイムには「俺はこうしたい」「俺はこうした方がスムーズにいくんじゃないかと思う」という声があちこちから聞かれ、その中で自分たちの展開に持ち込むにはどうしたらいいのか、ということを考えながら試合を進めることができました。僕がガンバに加入してから、秋くんがここまで試合中にチームに何かを言い続けていた試合は初めてでしたが、それだけ秋くんの「勝ちたい」という思いが伝わってきたし、僕もそこにしっかり反応したいと思っていました。それはきっとみんな同じで、8月の状況を受けて「なんとかしなければいけない」という気持ちも重なって、あの試合の言葉数の多さに繋がったんだと思います。だからこそ、秋くんが決めてくれた3点目のゴールがすごく嬉しかった。基本僕は誰かのゴールに対してあそこまで喜びを露わにすることはないタイプですが(笑)、その「言い合い」の過程があったからこそ、一緒に喜びたかったし「こうやってチームがまとまっていけばいい」と思える瞬間でした。

といっても、仙台戦も内容は決して良くはなかったし、そのあとも、僕を含めて選手が何よりも欲している結果が続かずに悔しい限りですが、さっきも言ったように、チャレンジの過程では浮き沈みがあるのも珍しいことではありません。大事なのは、その事実に消沈してしまうのではなく、課題はしっかりと受け止めた上で、せっかくチーム内のあちこちで聞こえ始めた『言葉』を増やしていくことだと思います。例え、その意見が食い違ったとしても、思っていること、感じていることを伝えあうことを諦めないことが、チームとしての結束をより強め、ひいては結果に繋がっていくと信じています。

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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