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Vol.15 トライフットボールスクールコーチ/泉美幸

  • 2021.06.09

    Vol.15 トライフットボールスクールコーチ/泉美幸

PASSION 彼女たちのフィールド

小学生のときに出会ったサッカーという競技の魅力に取りつかれ、オリンピックの舞台にも立ったほどの華々しい経歴を持つ泉美幸氏は今、子どもたちにサッカーの魅力を伝えることで幸福感に満ちている。ひたすらにボールを追いかけながらまい進してきた人生を振り返り、サッカーと関わる上での大切なことについて、その考えを明かしてくれた。

―泉さんは中学生にして、日本女子サッカーリーグ(JLSL)の新光精工FCクレールで大人とともにプレーしていたんですね。中学生のときから大人と一緒にサッカーをやっていていかがでしたか?

泉 大人の選手といる時間が長かったので、礼儀などいろいろと教えてもらいました。サッカー以外にもいろいろな面で成長できたと思っています。それに、今の中学生だったら、なかなか大人に混じって試合に出るのは難しいことですよね。だから、中学生の時から大人と一緒に試合に出られたという経験は、すごくありがたいことだと今では感じます。

―最初はどのようなきっかけでサッカーを始めたのですか?

泉 小さい頃から男の子と遊ぶことが多くて、友達もみんな、サッカーをやっていたんです。放課後もサッカーで遊んでいて、自分は負けず嫌いだったので、男の子と一緒にサッカーをしたいという思いがありました。

―では、小学生のときは、男子チームでプレーしていたのですか?

泉 女子のチームがなかったので、小学4年生のときに男子チームに入れてもらいました。初めは「女子はちょっと…」と断られたのですが、「どうしてもサッカーをしたい」という話をして、入れてもらいました。その後、女子チームをつくった実績のある先生が杉並から転任してきて、小学5年生のときに「女子チームを立ち上げるよ」って言ってくれたんです。

―それで中学からは女子チームに所属するのですね。

泉 中学生になってもサッカーをやりたいと思っていて、FC小平というチームに所属しました。中学生のときは月謝を払っていましたが、その後はスポンサーがついてくれたので、サポートしてもらえていたと思います。火曜から土曜までの週5日、学校が終わったら即行、家に帰って、練習場へ行って、という感じでした。日曜は試合が行なわれていて、月曜だけが休みという感じです。だから、サッカー漬けの日々でしたね。友達からも「忙しいよね」と言われたりしていたので、遊ぶことはほとんどなかったです。

―FC小平はどのくらいの選手数だったのですか?

泉 何人くらいいたんだろう……。中学1年生のときに一緒に入ったのが、自分を入れて4、5人くらい。その後、下の世代も2人くらいずつは入ってきましたが、辞めていく人もいたり、選手の入れ替わりもありました。だから全部で20人くらいでしょうか。今のように、アンダー13、アンダー14といった年代別のチームはなかったので、高校生や大学生、大人の選手たちと一緒にプレーしていました。ただ今思えばですが、いきなり大人と一緒にやるよりも、段階を踏んでいく方がいいのかなとも思います。大人の選手とは体の大きさも違うし、スピードやボールを蹴る技術にも差がありました。小学校から中学校に上がったばかりのときなんかは、大人と一緒にサッカーをするとなるとボールの大きさも違うから、やっぱり力がないのでうまく蹴れなかったりもしました。高校生になれば体格の差もなくなっていったのでよかったのですが。

―中学・高校の時期は成長期ですからね。体格のハンデをカバーするために工夫したことや努力したことはありますか?

泉 自分はフォワードで得点に絡む役目だったので、シュート練習を結構やっていました。

―そういった努力もあって、日本代表にまで上り詰めるのですね。

泉 やっぱりサッカーが好きだったし、負けず嫌いだったので。同じ年代の選手にもそうですが、年上の選手にも負けたくない思いが強かったんです。また、中学でそのチームに入った時点で、日本代表になりたいという思いもありました。実際に今井(旧姓長峯)かおりさんや高萩陽子さんといった日本代表の選手が近くにいることも大きくて、その人たちの背中を見ながらプレーしていました。だから、日本代表はすごく近い存在でもあったんです。

―実際にアトランタオリンピック代表に選ばれたときはどのような思いでしたか?

泉 (鈴与に)移籍してからすぐに代表候補合宿に参加させてもらい、最初に40人くらいのオリンピック代表候補に入ったときはビックリしました。それから人数が絞られていくのですが、なんかトントン拍子で残れていって。日本代表になりたいという思いはありましたが、さすがに女子サッカーが正式種目になったばかりのオリンピックのメンバーに入れるとは思っていなかったので、自分でも本当に驚きました。

―日本代表として世界の強豪国と戦ったときはどうでしたか?

泉 それまでは日本代表として戦うことがなかったので、まず海外の選手たちの体格に驚きました。今では日本の選手もあまり差はないように見えますが、当時の日本人選手は小さい人が多かったので。また、国の代表として来ているから、「負けてはダメ」という闘争心もすごかった。もちろん自分も代表に入って、負けないように頑張っているけれど、プレーしている中で簡単に吹き飛ばされてしまいます。体格も、走る速さもまったく違うので負けっぱなし。いろいろな面ですごく差を感じました。

―1996年から所属する鈴与清水FCラブリーレディースでもスウェーデン代表選手と一緒にプレーします。

泉 鈴与にいたスウェーデン代表のフォワードの選手は、体調が悪いときでも試合に出たら点を取るんです。それで、自分の仕事を果たしたから「交代してよ」みたいに自分から言うんですよ。しっかり結果を出してから、後につなげる。外国籍選手はそういったところが違いますよね。自分だったら、もうちょっと試合に出たいとか思っちゃうけれど。

―ちなみに、鈴与清水FCラブリーレディースに移籍した経緯についても教えてもらえますか?

泉 中学生のときに入ったFC小平が日本女子サッカーリーグに参入するということで「新光精工FCクレール」というチーム名に変わり、その4年後には「TOKYO SHiDAX LSC」というチーム名にまた変わったのですが、95年に廃部になってしまいました。チームがなくなってしまうことになったとき、チーム探しは大変でしたが他のチームからもオファーをいただいて、すごく迷っていました。そんな中、Lリーグ選抜と大学選抜の試合に10分間くらい出場させてもらって、ハットトリックしちゃったんです。そしたら鈴与からもオファーをもらって。それまでのチームで一緒にプレーしていた選手も2人、鈴与に移籍することになっていたので、自分も一緒にやりたいと思って鈴与への移籍を決めました。

―鈴与清水FCラブリーレディースでは1998年に18試合出場21得点という記録も残しています。

泉 鈴与では外国籍選手や周りの選手のおかげで活躍できました。そのスウェーデン代表選手もいたから、本当にすごい選手たちと一緒にプレーしていたんです。

―そんな選手時代の貴重な経験から、現在はどのようなことを大切にしながら指導をしているのでしょうか?

泉 もちろん勝つことも大切だと思います。ただ、自分の中でサッカーはそれだけではないという思いがあって、スクールで選手個々の技術力を上げたり、サッカーを楽しんでもらうことに重きを置いて指導を続けています。やっぱり、楽しくなかったらサッカーを続けたくないでしょうし、その「楽しい」という思いから始まって、勝負の厳しい世界に入っていくとも思うので、まずはサッカーを楽しむことが一番にあるべきだと考えています。

―指導者になった経緯を教えてください。

泉 2006年に現役を引退したとき、自分がやってきたサッカーの楽しさを子どもたちに伝えられたらいいなと思って、最初は世田谷にあるMIPスポーツ・プロジェクトで3年くらい少年チームを指導しました。それから、C級ライセンスの講習を一緒に受けた指導者仲間に紹介してもらい、今のトライフットボールスクールでスクールコーチを始めました。

―現在はトライフットボールスクール以外にも何か活動をしていますか?

泉 今は指導もしながら、東京都リーグに所属するチームでプレーもしています。この年齢でも「まだやっているの?」って言われたりもするのですが、サッカーをやめられないんですよね(笑)。本当にサッカーしかやってきませんでしたから、サッカーしかできないっていうのもあります。他は高校などで辞めてしまう選手が多かった中で、ずっとやり続けているのは自分くらいです。今の子はどうなんでしょう。おそらくセカンドキャリアでも、それぞれがいろいろなことをやっていますよね。自分にはサッカーしかなかったから、サッカーで何かできればいいなっていう思いでした。今はサッカーをプレーすることと、指導すること。なんか、どちらもやりたいんです。

―指導する上で大事にしていることはありますか?

泉 「簡単にあきらめてはダメだよ」ということを伝えたいです。今は幼稚園の年少さんのカテゴリーを指導しているのですが、最初からあきらめちゃう子もいるんですよね。「これをやってみよう」と言うと、すぐに「できない」と。これは年少さんに限らず、小学生年代の子でもいるのですが、やることが恥ずかしいのか、できないことが恥ずかしくてやらないのか、「無理、できない」って。自分はもともと負けず嫌いな性格なのもありますが、簡単にはあきらめてほしくないんです。

―逆に、サッカーが伸びる子の特徴は何か感じますか?

泉 もう見よう見まねでボールを触って、それからずっとボールを蹴っていたりする子は、やっぱり伸びると思います。スクールの時間だけではなくて、終わってからも公園などでボールを蹴っていたり、ずっとボールに触っている子は将来がすごく楽しみです。

―指導者としてのやりがいを感じることは何でしょうか?

泉 以前に指導していた子たちが今でも頑張ってサッカーをやっていることを知ると、すごくうれしいです。自分が幼稚園児の指導を担当してからもう10年くらい経つので、最初に見ていた子たちは今、中学3年生くらい。練習に遊びに来てくれる卒業生もいます。顔つきも体格もまったく変わっているから名前を聞かないと誰だか分からないんですけれど(笑)、「あのとき楽しかったから今も続けています」って言ってもらえたらうれしいです。その子たちとまた一緒にボールを蹴れたりしたらいいですよね。

―10年間の指導期間の中で、泉さん自身に変化はありますか?

泉 指導をやり始めた頃は、実は小さい子どもと接することがちょっと苦手なところもありました。でも、やり続けていると徐々に慣れていって、今だったら年少の子たちがすごくかわいいです。その子たちが年中に上がったらまた違うコーチが担当するので、1年をかけてその子たちをどれだけ成長させられるか、次の段階に持っていけるか、ということを長い目で見ながら指導しています。(子どもたちは)経験もないのだから最初はできないことが多いかもしれないけれど、練習していけば徐々にできるようになりますので。

―子どもたちの成長を見られる楽しみもありますね。

泉 4月から始まって次の年の3月まで、1年間でこんなにも違うんだね、っていうくらいの子どもの成長を見られることも楽しみの一つです。その段階においても成長度合いはまったく違いますので。最初はあまりできなかったり、ハチャメチャに遊んでいたのに、終わりの方になったらちゃんとサッカーができるようになっている。子どもはすごいな、1年間でこんなにも変われるんだって、いつも実感しています。

―今後の目標や展望はありますか?

泉 今、携わっている幼稚園年代の子たちにも、サッカーを楽しむことから始めてもらって、そして長くサッカーを続けてもらえたらいいなって思います。

―泉さんのように、サッカー界で働くことを目指す女性へのメッセージも聞かせてください。

泉 サッカーは楽しいので、一度サッカーに関わった人には、もっともっと長く携わってほしいです。自分がプレーをするのでもいいし、指導するのでもいいし。

―近年では女子サッカーの発展は目覚ましいので、女子サッカーの将来が楽しみですね。

泉 自分たちの現役の頃と比べると大きく発展しましたよね。でも、特に中学生年代は学校に女子サッカー部がないことも多いと聞きます。その年代のクラブチームはだいぶ増えてきたのでしょうが、小学校まではサッカーをやっていたのに、中学校ではやめてバスケを始めるとか、そういった話も聞いたりします。個人的には「もったいないな」と思ってしまいますね。「どこかでサッカーできたらいいのに」って。だから、スクールに来ている小学生の女の子から、中学校に上がるときに「どこかにクラブチームはありますか?」って聞かれると、近くのチームを紹介したりもしています。
2011年に女子ワールドカップで優勝したときはすごく盛り上がったし、今年9月からWEリーグが始めることでまた注目をされることでしょう。WEリーグに参加する選手たちには期待したいし、今までサッカーに携わってきている自分も何かサポートできたらいいなと思います。

<プロフィール>
泉 美幸(いずみ・みゆき)
1975年東京都出身。
中学生のときに女子サッカーチームのFC小平に加わり、のちに新光精工FCクレールにチーム名が改称して1989年に第1回日本女子サッカーリーグに参加。チームの中心選手として活躍した。その後、チームはTOKYO SHiDAX LSCに再び改称するも廃部となり、1996年に鈴与清水FCラブリーレディースへ移籍。アトランタオリンピックにも出場し、NTVベレーザでもプレーして2006年に現役引退。現在はトライフットボールスクールでコーチを務める。

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