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緊急事態宣言、まん延防止措置が解除されて、約1か月が過ぎ、少しずつ世の中がかつての日常を取り戻しつつあります。長く上限5000人で開催されていたパナソニックスタジアム吹田でのホームゲームも10月2日の北海道コンサドーレ札幌戦から1万人が上限となりました。11月唯一のホームゲームとなる11月20日の名古屋グランパス戦からは『ワクチン・検査パッケージ』を適用したチケットが販売されることに伴い入場者数は上限2万人に引き上げられるそうです。天皇杯・準々決勝に続き、アウェイサポーターも来場できるようになると聞きました。
5000人が倍になり、アウェイサポーターが入るだけで「全然、スタジアムの雰囲気が変わった!」と感じていたのに、それがさらに倍になると考えただけでワクワクします!と言っても僕はまだ戦列に戻れていませんが、スタンドから試合を観ているだけでそんな気持ちになったのに、ピッチに戻ったらそれ以上のことを感じられるんだろうなと考えるだけでウズウズします(笑)。そういう思いも、戦列復帰へのスピードを上げていると信じて、引き続き頑張ります。
もっとも、いろんなことが少しずつ緩和されたり、入場者数の上限が増えたとしても、大きな観戦ルールに変わりはなく、座席によっては隣同士での観戦は出来ないし、声を出した応援は禁止されたままです。人数が増えるほど、よりスタジアムに漂う熱気は大きくなり、「声を出してしまいそうになる!」とか「目の前のプレーに、体が勝手に反応して、つい声が漏れてしまった!」ということもあるかもしれません。入場者数が増えるほど、声を出せない我慢が難しくなるという矛盾も、わからなくもないです。
ですが、ここにたどり着くまで、長い時間をかけて、たくさんの我慢を重ねて、サッカーを愛する人たちみんなで一歩ずつ取り戻してきた『スタジアムの日常』です。この先、より本来の姿に近づけていくためにも、引き続きルールをしっかり守った上でご来場いただき、応援してもらえたらと思っています。皆さんの手拍子に込めた声援は、僕たち選手にもしっかり届いています。そのことを信じて、皆さんにも引き続き『拍手』に熱と想いを込めて応援してもらえたら嬉しいです。
緊急事態宣言の解除によって、チームにかけられていた規制も少しずつですが、変化してきました。長らく複数人数での外食も禁止されていましたが、今は家族とならOKになりました。もっとも、そうは言っても、まだ完全に日常が戻ったわけではないからこそ、僕たちも自主的に衛生面に気を配るとか、大勢の人で賑わう場所は避けて行動する、できるだけ外出時間を短くするといったことを心がけて行動しています。というか、外食がOKになってからも、ほとんどの選手が家で食事をしているのが現状だと思います。
それは我が家も然りですが、ただ月に1〜2回は外食をしようとも思っています。これは気分転換というのもありますが、何より、奥さんの食事の準備の負担を少しでも減らすためです。他のチームメイトの奥さん方も同じだと思いますが、プロアスリートの食事となれば、明らかに食べる量も、種類も一般の方より多くなります。栄養のバランス、体のことを考えると、宅配の料理だけでは賄えないことも多いため、必然的に奥さんの料理の負担は大きくなってしまいます。緊急事態宣言下は以前のように、スーパーに一緒に食料品を買い出しに行くこともできなかったと考えれば、作る以前のところでもたくさんの負担をかけていたはずだし、毎日毎食、栄養のバランスを考えて献立を考えるのも大変だったと思います。特に僕のようにケガがあった選手は余計に気を遣ってもらっていたはずです。
ということを、緊急事態宣言下でずっと感じていたからこそ、外食がOKになった今は、家族サービスの思いから「たまには外食で息抜きしよう」ということも再開しました。実際、10月にも2回ほど外食をし、うち1回はホテルの部屋を借りて、ルームサービスで息子の誕生日会を楽しみました。
それ以外にも、以前は一人しか付き添えなかった息子の幼稚園への送り迎えを一緒にできるようになったり、運動会にも夫婦揃って参加できたのも嬉しい出来事でした。子供にとっても運動会が開催されたのは嬉しかったはずですが、これは親も同じです。今の年齢の子供の行事に参加できるのは今しかできないことだからこそ、その時間をすごくありがたく感じたし、こんな風に子供とのたくさんの思い出を共有するためにも、このまま本当の日常に戻っていけたらいいなと改めて思いました。
だからこそ残りシーズンも気を抜かず、コロナ禍によって痛感したサッカーができる幸せを今一度しっかり胸において、僕自身も皆さんと一緒に『スタジアムの日常』を取り戻すための努力を続けていこうと思っています。
昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。