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Vol.46 ラファーガフットボールクラブ代表/小松原学

  • 2022.07.20

    Vol.46 ラファーガフットボールクラブ代表/小松原学

指導者リレーコラム

1998年、(現)湘南ベルマーレでわずか17歳と9日でJリーグ最年少デビュー(当時)を果たし、FWとして世代別日本代表にも選出されていた小松原学さん。重なるけがの影響もあり、現役生活は7年という短さで終えることとなったが、引退後は指導者としてだけでなく、鍼灸整骨院を開院するなど、多岐にわたった挑戦を続けてきた。2014年に地元・群馬で設立した「ラファーガフットボールクラブ」の代表として子どもたちに向き合う小松原さんに、クラブができるまでの紆余曲折や地域の指導者になって直面したサッカー界の現状、今後への思いなどをうかがった。

―ジェフユナイテッド千葉・市原U-14監督の池田昇平さんからご紹介いただきました。お二人のご関係をお聞かせください。

小松原 昇平とは中学生か高校生の時から世代別日本代表やトレセンで一緒にやっていた仲でした。めぐりめぐって指導者になって、僕の先輩の和田雄三さんつながりで、清水エスパルスと練習試合をした時に再会した感じです。

―今でもやり取りをされることが多いのですね。

小松原 情報交換したり、指導者としてお互い悩みを相談することもあります。向こうはJクラブでこっちは街クラブなので、いい意味で刺激をもらっています。10代の時にはお互いに知らなかった自分たちがいて、それが40代になって社会を経験して指導者になってからの姿を見ると、変化も感じますよね。意外な一面や人間味も見えて面白いです。

―池田さんも変わったなと思う部分はありますか。

小松原 選手の時とやっぱり違うところは多いので、もちろん指導している時は怖さもあるんでしょうけど、写真とかで表情を見ても穏やかになったなというか(笑)。

―小松原さんは20代で現役を引退されて指導者の道へ入りました。指導者になるまでの経緯はどんなものだったのでしょうか。

小松原 元々指導者になる考えはまったく頭になかったんですよ。自分は17歳でJリーグデビューさせてもらって、人よりスタートは早かったけど、サッカーをやめた時も指導者は考えてなくて、別のことに挑戦したかった。サッカーしかないと思われるのも嫌だったし、新しい世界を見てみたい思いもありました。ただ、会う人会う人はサッカー関係者だった。「これ手伝ってよ」みたいな感じで少しずつサッカーに携わるようになって。自分でもそこまでどっぷりはまるつもりはなかったんですけどね。やっぱり地元に戻ってきた時に、地域の現状や指導内容、罵声がとんだりするレベルを目の当たりにしたことが大きかったです。どうにかしないといけないって責任感みたいなものも芽生えつつ、でも入ったら泥沼だよな、とも思いつつ(笑)。そんな時ザスパクサツ群馬のスクールを頼まれてやっていて、そのスクールが頓挫してしまって、子どもたちの行き先がなくなってしまった。その子たちを僕が引き受けることにしたんです。それがきっかけでした。やらなくても良かったのかもしれないけど、最初に携わった子たちに対して責任もあるし、ちゃんと送り出してあげたいって思いがありました。

―当時感じた地域の現状について、もう少し詳しく教えてください。

小松原 言ってしまえばいじめや、父兄間のお茶当番といった、街クラブ特有のいろんな難しい面も見えたので、併せて改善したいと思ってスクールを始めました。いじめられていた子たちが、いじめていた子たちと試合がしたいと言って奮起して、じゃあチームを作ろうと。ですが、いざチームを作ろうと言っても、地域でグラウンドを貸してくれないとか、2年間は苦労もありました。グラウンドを貸してくれないんだったら、自分たちで造ってやるよと僕も燃えましたね。2年間は地域の大会に出るための登録もさせてもらえなかったけど、父兄の方たちもついてきてくれて。今では地域でも優勝できるようなチームになってきました。ただ、それだけで満足するのではなく、もうちょっと外に出ていかないといけないし、地域のローカルルールだったり、そういう現状は変えないといけないと思っています。あとは僕がこの指導者リレーコラムで伝えたいことの一つとして、一般の父兄には指導者やチームを見極めてほしいということ。父兄の方々にはトレセンをブランディングしてしまっている人がたくさんいて、でも、実際に末端のトレセンはお金集めだったり、指導者の見栄によって行われてしまっていることも多い。本物の指導者を見極めてほしいとは思う。僕たちは100名規模の大所帯になってきたけど、もっと外に目を向けないといけない。それこそ(池田)昇平とかにもお願いして、Jクラブと練習試合をしながら鍛えてもらっている状況です。地域の現状として、トップのトップはいいのかもしれないけど、末端の子たちの力がないとトップも押し上がっていかない。底上げをすることによって、地域全体が上がっていく。そこはやっていきたいと思いながら指導しています。

―正直クラブができるまでの過程には驚きを隠せません。クラブが県大会などに出られない2年間、選手のモチベーションづくりはどのようにしていたのですか。

小松原 外から見ると、順調に強くなっていいなって思われるかもしれないけど、2年間は加盟させてもらえず、県大会にも出られない。それでも、勝ち上がっても上の大会に出ることはできなかったかもしれないけど、関係なしに外に出て行こうという意識はありました。違う大会にどんどん出て、子どもは大人の事情もそこまでわかっていなかったと思うし、親御さんにはちゃんと話をしましたけど、子どもはついてきてくれました。違う大会に出ながら違った経験を積むことができたと思っています。その2年間は絶対に忘れないし、良くない部分かもしれないけど、根底に加盟させてもらえなかった、純粋にサッカーができなかった2年間があるので、逆に今となってはパワーになっている。仮に素直にチームができて大会にもすんなり出られていたら、ただの楽しいチームになっていたかもしれない。でもあの絶対に2年間があったから、いつになっても悔しさをバネに、前にいた子たちの分まで結果だけでなくてクラブの価値を高めてあげたい思いはあります。この地域も子どもたちが減ってきているので、歴史にしがみつこうとするクラブは幅を利かせたり、極端に言ってしまえばチームを作らせないとか、どうしてもそういった考えが出てきてしまう。地域ならではの難しさがあるなと感じます。ただ、選手たちは頑張ってきたし、徐々に指導や育成も評価されて数も増えてきた。ただ強いだけじゃなくて子どもに限らず親御さんも楽しめるクラブにしたい気持ちは強いので、一緒に作り上げていきたいですね。

―そういった考えがクラブの方針にも表れているのでしょうか。

小松原 プロになるのは数%。なったとしてもどこまで上にいけるのか、どんな選手になれるかはわからない。A契約からC契約まであって、プロになった後も厳しい世界が待っていることは自分もよくわかっています。もちろん、みんながプロになれないわけではありません。ただ、多くのサッカー選手は指導者が教えたことしか頭にないから、結局それを繰り返してしまうだけ。もっと世界に目を向けていろんなことを体験させたい。サッカーだけでなくて、例えば地域の観光地に行くとか。ただサッカーだけで終わるのは嫌で、遊びって部分も取り入れたいなと。クラブが存続していくためにも、次世代の子たちの成長も考えないと、ローカルな街クラブとしての成長はないんじゃないかなと考えています。

―クラブの価値を高めるという意味で、小松原さんご自身のキャリアや様々な資格をお持ちでいることも大きなポイントですよね。

小松原 B級、C級といった資格を持っている指導者はいっぱいいて、その中で差をつけることは大事だと思っています。自分も勉強して、トレーナーの資格を取ったり。ただ、僕自身も子どもたちと一緒に楽しんでいる感覚のほうが大きいですけどね。

―資格の勉強はどのようにされたのですか。

小松原 専門学校に行って、国家資格を取りました。柔道整復師、鍼灸あん摩マッサージ指圧師、アスレチックトレーナーは実技が終わればもうすぐ取れるところまできています。あとは薬局なんかで働くことができる登録販売者や柔道二段。すべて引退してから取りました。

―すごい数ですね。クラブの他のコーチの方も資格をお持ちの方が多いですが、採用の際に何か条件などを課していたのですか。

小松原 たまたま資格保持者の方で、サッカーをやってた仲間がいたので、条件としているわけではありません。サッカーは還元というか、ビジネスとしてやっているわけではなく、みんなも他に専門的な職業を持って働いている中で、コーチとして手伝いにきてくれている。サッカーの話もできるし、メディカルな部分の話もできる。子どもがけがをした時も自分たちの中でレントゲンからリハビリ、現場に戻すことまですべてできるので、心強いですよね。自分は現役時代にけがで苦労もしたぶん、働きながらの人が多いですけど、メディカルの面でもうまくスタッフを配置できている実感はあります。

―無料で子どもをバスで送迎するなど、他にもクラブとしてのサポート体制が万全だと感じます。先ほどお話されていた、街クラブ特有の難しさを少しでも減らすための考えからでしょうか。

小松原 昔はよく、指導者が親御さんにお弁当をもらったりしていたじゃないですか。でも僕に言わせれば何様だって感じなんです。もちろん指導者は教える立場で上にあるのかもしれないけど、指導者より子どもが一番なので、そこに力をかけたい。送迎に関しては以前、僕がベンツに乗っていた時に、「あのチームは儲かってる」みたいなことを言われたんですよ。まだチームが加盟させてもらえない時に。チームを作る前からコツコツ貯めたお金で買って乗ってたのに、悔しくて。それで自分の車を売ってチームバスを買いました。子どももいっぱい乗せられるし、親御さんの都合で子どもをお互いに送り迎えしてたりするのもややこしいので。仕事とか、親御さんの都合関係なしに子どもがサッカーに打ち込めるチームにしたいなと思って、今はバスで送迎しながら回ってます。

―いろんなところで、本当に反骨心が原動力になっているんですね。ラファーガフットボールクラブでは、子どもの目的や年齢に応じてスクールとチームと、2つにカテゴリーを分けて指導を行っています。どちらにも通じて大切にしているお考えはどんなことでしょうか。

小松原 基本的に楽しむことが一番です。それは子どもたちもだけど、教える側も。楽しみを見つければ自分から行動に移せると思うので。指導者の中にはお金目的でやってる人も多くて、特にスクールは大会もなくて責任を問われにくいから一番開きやすい。実際に僕の同級生でもいました。そういう現状は増えていて、それは残念に思う。お金のために働くことは一つにあるかもしれないけど、そこが一番になってはいけない。Jリーグでも引退してサッカーやめた人間は大抵が指導者になる。でも一線で頑張ってる指導者と、末端でお金のためだけに頑張ってる指導者って指導者としては端から見れば一緒。だから親御さんにも、本物の指導者を見極めてほしい気持ちはすごくあります。

―本気で指導者という仕事に向き合うような環境が広がればもっと良いですよね。

小松原 子どもの将来を預かる責任は一人一人が持たないといけないですね。お金がないからとりあえず指導者やるって考えでスクールは増えてほしくない。指導のうんぬんとか以前に、熱意のある指導者が今後は生きていけるのではないかなと感じます。セカンドキャリアや指導者の質は今後絶対に問題になっていくと思う。コロナ禍でそれはより顕著になった気がします。僕もオンラインで親御さんを交えてエクササイズしたり、パワーポイントで資料作ったり、工夫はしていました。子どもたちには、スクールももちろんいいですが、試合の経験を積んでほしい。試合はその日のコンディションや対戦相手、緊張感の中で戦う経験ができる。場数を踏んで、蓄積としてほしいです。

―小松原さんの経歴を拝見させていただくと、以前はモンゴルの少年たちにサッカーを教えるプロジェクトにも参加されていました。どういった学びがあって、今の指導にどんなふうに生きていますか。

小松原 モンゴルフットサル選手権に出て欲しいと打診があって、柔道整復師の資格を取り終わった後で指導者を少しやっていた時期でした。ただ選手として行くだけだとつまらないので、指導者として何ができるか考えたんです。日本からボールや服を持っていって、モンゴル全土でフットサルをやって、言葉も通じない中でどうボールを使って楽しさや動きを伝えられるか挑戦したいと思いました。そしたら、たまたまそれを評価してくださって、モンゴルのテレビ局が来て取り上げてくださって。言葉が通じなくても伝え方次第ではボール一つでみんなと楽しめることが感じられた瞬間でした。あの期間は自分の指導の幅も広がったと思います。

―指導の中で大事にされている「楽しむ」はそうした経験からもある考えなんですね。純粋に疑問なのですが、今もクラブ代表の他に鍼灸整骨院院長などたくさんの肩書きをお持ちの小松原さんですが、パンクしそうになることはありませんか?

小松原 たくさんの肩書きはありがたいことに持っていますが、パンクはないですね。アイドルグループのツアー帯同がこれから始まったり、11月にはスペインに行く予定もあって、自分のチームの活動もあって。ずっとスケジュールはパツパツですけど(笑)。変な言い方をすれば全部中途半端かもしれないですが、仕事としてあまり気負いすぎずに楽しむことができている。だからサッカーもあまり仕事として思わずに子どもたちと全力で楽しみながら向き合えていることが、プラスとして作用しているんだと思います。

―最後に、これからクラブをどう発展させていきたいか、ご自身の将来像もあわせてお聞かせください。

小松原 僕たち指導者のことから言うと、60歳、70歳になっても僕たちがグラウンドに出て教えているのではなくて、教え子たちが戻ってきて指導できるようなサイクルを作ってあげたい。僕たちは年取ったら横でコーヒー飲んで見守りながらバスの送迎するくらいでいいと思うんです(笑)。現場にずっとい続けるのではなくて、指導者としても若い子たちを育てたい。地域の現状を見ても年齢を重ねた指導者がどうしても多い。フランクに若い子たちに経験の場を与えたい。僕が苦労した分、そういう環境だったり、道を作ってあげたいなと。育成年代はもちろん勝ち負けも大事ですけど、地域としての課題にも向き合いつつチームとして成長していきたいです。

―貴重なお話をありがとうございます。それでは、次の指導者の方をご紹介いただけますでしょうか。

小松原 早稲田大学ア式蹴球部で監督をされている外池大亮さんです。湘南ベルマーレで一緒だった大先輩です。

<プロフィール>
小松原学(こまつばら・まなぶ)

1981年4月2日生まれ。群馬・邑楽町出身。ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)ユースを経て、トップチーム昇格。98年4月に当時のJリーグ出場最年少記録を樹立。その後は甲府など3クラブを渡り、2004年に現役引退。引退後は柔道整復師などの資格を取得し、トレーナーとしてアーティストのイベントにも同行。地元ではザスパクサツ群馬アカデミーにて指導に携わる。12年、Pass鍼灸整骨院開院。14年にラファーガフットボールクラブを設立。

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