©VEGALTA SENDAI
クラブからのリリースにあった通り、8月24日に左足底腱膜炎の手術を受けた。左の足底腱膜がボロボロになっていた。足底腱膜はかかとから足の指につながっている腱で、損傷すると慢性的に痛みを抱えることになる。そのまま生活できる人もいるし、オレみたいに手術が必要になる人もいる。去年の5月に発症して、痛みを抱えながらずっとやってきていた。去年の終盤は試合後に歩けないぐらいの痛みがあっても、まだ我慢できるレベルだった。今年は試合中からかかとを着けないぐらいの痛みで全然踏ん張れなくなった。幸い左利きだし、遠藤康イコール左足というイメージでごまかしながら戦っていた。ちょっとした動きでかかとを着く瞬間とかのひどい痛みに悩まされていて、この際元凶を断ち切ってしまおうということで手術に踏み切った。痛みのない状態でサッカーをしたいとずっと思っていた。若いときに足底筋膜を痛めたときは我慢しながらサッカーしていたら自然と痛みが治った。だからそのうちよくなるだろうと思っていたら、今回はどんどん痛みがひどくなっていく一方で、これはやばいなと。もう若くないのを忘れていたよ。頑張って動けていたのは7月5日のホームの清水エスパルス戦が最後で、その後は練習に入っても満足に動けなかった。ジョグも痛い、歩くのも痛い、これだとサッカーにならないしチームにも迷惑かけちゃうと思ったので、いろいろな方に相談した結果、手術しかないという決断に至った。2カ月勝てていない中で心苦しかった。手術すれば長期離脱することになる。ただ、これ以上痛みを抱えながら中途半端にやっていたところでチームのために力になれるとは思えなかった。グラウンドで元気にサッカーをやってこそのプロ選手。そのためにはしっかりと治した方がいい。手術自体はうまくいったから、シーズン最終盤の数試合になんとか間に合わせたい。
これまでのキャリアで長期離脱したことはあった。鹿島時代の2016年、Jリーグが2期制でやっていたときに肉離れを繰り返した。あのときもチームが勝てなかった2ndシーズンは、ほとんど試合に出ていない。勝てなくてチームの雰囲気もよくなくて。当時の石井正忠監督には本当に申し訳ない気持ちがあった。焦っちゃって完治しないままグラウンドに戻り、結果として再び離脱してしまった。1回目のときにちゃんと治してパーフェクトにやれる状態に戻していればもっと力になれていたと思う。その経験があったからこそ、今回は100%で戻るのがチームのため、堀孝史監督のため、そして自分のためになると信じて苦しいリハビリにじっくり取り組んでいる。もちろん、痛みを抱えながらでもやれるならやらなきゃいけないときもあるし、だましだましできるときもある。今回はずっと痛みに耐えながら試行錯誤しても駄目だったから、すんなり手術に踏み切れた。初めての手術は不安だらけだった。全身麻酔だったし。全部が怖かったね、足がどうなるか分からない。手術が終わって2日ぐらいは歩けないし痛いしで、自分はどうなっちゃうんだろうと思っていた。
痛みがない状態でサッカーをやりたいという心境は昔と同じでも、不思議と焦りはなかった。若いときだったらめっちゃ焦っていただろう。焦ったところで何も変わらないから、早く復帰しようと無理するのは絶対に辞めようと思っている。せっかくクラブが手術にゴーサインを出してくれているのだから、しっかりと治したい。自分のパフォーマンスを100%出せない状態でチームに戻ると迷惑をかける。「急がば回れ」の心境。再離脱しちゃったら本当に意味がなくなる。それが最悪だから、治療やリハビリの専門家であるフィジオセラピストと話しながらやっている。今はまだ負荷をかけられないので、太ももや上半身など他の部分の筋力が落ちないようにトレーニングしている。
できることなら100%以上の状態にしてチームに戻りたい。リハビリは地味で嫌。まあ、好きな人なんかいないよね。本当にめちゃくちゃきついしさ。でも、暗くなってブーブー文句を言いながらやったところで、フィジオセラピストもいい気持ちしない。選手のためにリハビリのメニューを組み立ててくれているんだから、うちらはそれに完治という結果で応えないといけない。ベテランがしっかりリハビリしないと、若手もリハビリを頑張らなくなっちゃうじゃん。だから自分にプレッシャーかけ、地味に真面目にやっている。炎症がある部位には電気を当てたり、ふくらはぎの硬いところをとったりしている。バランスが崩れていた分いろいろなところに影響が出ている。歩き方自体もおかしくなっていたから変なところがはっていた。長崎戦の肉離れもそこから誘発したものかもしれないし。そういう恐れをなくすためにしっかり治したい。いま思うとよく無理してやっていたな。今年は絶対にベガルタをJ1に上げたいと思っていたし、途中からの出場でもチームの力に少なからずなれていたと思っていたから、ここで離脱したくないという一心だった。
怪我をしていてもチームのためにやれることはある。負けが込んでいた時はみんなの意見を聞いて回り、言いづらいことも吸い上げた。どんなストレスをためているのか、どんなことを考えてやっているのか、なんで調子が悪いのかを聞いた。そして林くん(ベガルタ仙台GK林彰洋)やリャンさん(ベガルタ仙台MF梁勇基)らベテランやコーチに相談していた。いわば橋渡し役な感じ。誰よりも客観的にチームのことを見ることができていたと思うから、いろいろな人の意見を聞いた。スカウティングする側の意図と選手の思っていることのずれとか。やりたいサッカーと選手が実際グラウンドで起きている問題とのすり合わせができたらと動いた。それがいい方向にいったかどうかは正直分からない。いま考えたらお節介だったかもしれない。でも、あの時は厳しいことを言えない状況だったり考え込んでいる選手がいたり、本当にみんながどうにかしたいっていう気持ちがすごく強かったから、オレもじっとしていられなかった。もう勝てるようになってきたからお節介はしない。勝てない時期を脱したからといっても、サッカーの内容がいいとは言い切れないとは思う。それでも、あのときと比べたら雰囲気もみんなの表情も良くなってきている。落ち込んだ状態だと2~3割しか本当の自分の力を出せない。今は徐々に思いきりのいいプレーが出始めている。だからもう口を出す必要はないと思って、最前線でチームを応援している。
遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。