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Vol.9 京都橘高校/米澤一成監督

  • 2019.10.04

    Vol.9 京都橘高校/米澤一成監督

指導者リレーコラム

近年、岩崎悠人(コンサドーレ札幌)や仙頭啓矢・小屋松知哉(京都サンガ)など、Jリーガーを多数輩出している京都橘高校サッカー部。今夏に開催された、2019インターハイ高校サッカー男子でも、準決勝に進出し3位の成績をおさめた。同校を全国区のチームへと育てた就任19年目の米澤一成監督に話を聞いた。

ーFC長岡京・永尾健次監督にご紹介いただいて取材に伺いました。今日のトレーニングで使用されていた伏見桃山城運動公園多目的グラウンドが通常の練習場ですか?

米澤 学校のグラウンドを使用することもありますが、見ての通り、基本的に校庭はサッカーコート半面も取れないくらい狭いんです。そこで、80名弱の選手を全員稼働させようと思うと、トラック脇の通路を使ってドリブル練習をしたり、フィジカルトレーニングをしなければいけない。他の部活動も使用しますしね。それもあって、桃山城グラウンドも週に2〜3回、使用しています。ちょうど学校の裏手にあるので、練習前に坂道を走って登ってこさせればウォーミングアップにもなります。環境としては決して恵まれているわけではないからこそ、使える環境は目一杯、使用していますし、それはトレーニングの工夫にも言えることです。

ー8月のインターハイでは、全国3位になられました。『結果』を求める上で大事にされていることを教えてください。

米澤 大きな括りでは、偏って何かに取り組むというより、きちんと『サッカー』を教えて、選手それぞれの次のキャリアにつなげることが第一だと思っています。将来的に全員がプロになれるわけではないし、進路は様々ですが、いずれにせよ高校3年間を、次のキャリアでの『伸び代』に繋げたい。であればこそ、しっかり体が動くように技術、戦術はできるだけいろんな経験をさせたいと思っていますし、そのための取り組みとしてピッチ外でも食育やピラティスなどを取り入れています。一方で、高校年代が全てではないとはいえ『結果』を出さなければ次のキャリアにも繋がらないし「勝ちたい」という思いが選手を次の目標に向かわせるはずなので、「勝たなきゃいけない」ということは常々、求めています。

ー今日は、守備の意識づけのトレーニングが多かったように思います。狙いを聞かせてください。

米澤 今日は週の最初のトレーニングだったので、選手にもあらかじめ「ディフェンスをテーマにやるぞ」と伝えていました。というのも、先日の試合で、前からプレッシャーに行って蹴られて、セカンドボールを拾われるという展開が本当に多かったから。それを踏まえて、闇雲に全部、前からプレッシャーにいくのではなく、お互いの距離を保ってしっかりとオーガナイズしながら試合を進めるという部分を見直したかった。また秋口に入ってきて、全国高校サッカー選手権大会を見越した時に、選手には攻撃だけではなく『守備』も求めなければいけないと思っているのもあります。インターハイでは、夏の暑さや大会レギュレーションを考慮して、ボールを握らなければ勝てないと思っていたので、前から執拗にボールを奪いに行くことを求めましたが、選手権は正直、ボールを握っているだけでは難しいと思うんです。気候も涼しくなって、体も動く時期だからこそ、もっと効果的にプレーすることも学ばなければ上にはいけない。であればこそ『守備から攻撃』の精度をもう少し高めたいと思っています。

この日は守備をメインにしたトレーニングを実施。
スモールコートから徐々に大きさを広げ『距離感』などを確認した。

ーインターハイと同じ戦い方では選手権は勝ち抜けない、と。

米澤 今のところはそう考えています。実際、うちは4バックがベースですが、今のチームが新人戦を戦った時は3-6-1システムで「後ろの3枚は繋いでいいけど、後の7枚はとにかくポジションチェンジをしながら走りまくって勝とう」とスタートしたんです。その形でインターハイまで戦ってきて…正確には京都のインターハイ予選は3-6-1で、本大会はほぼ4-2-3-1で戦い、準決勝の桐光学園高校戦は3-6-1で臨みました。その過程があった上での今の4バックなので、選手も「先に攻撃を意識した布陣でチームを作っていたのか」という認識で取り組んでいるはずですし、臨機応変に形を変えることも出来るようになっています。それに、システムって状況に応じて変化してしかるべきですから。4-2-3-1で入っても、試合の中で攻撃に掛かった際は、3-6-1になることもある。そんな風に、いろんな形に対応できるようになれば、将来、どんなシステムで戦おうと、すんなり取り組めるはずですしね。もっと言えば、ポジションも1年の時はサイドバックで、2年はボランチで、3年はまたサイドバックだったという選手も珍しくありません。むしろ1つのポジションしかしていない選手はほぼいないです。フェスティバルの時などは相手の監督さんにもお断りしてGKにもサイドバックをやらせることもありますしね。遠征中、ずっとゴールマウスに立って守っているだけではコンディションを落としてしまうし、GKだからってGK目線でしかサッカーを見れないようでは、仮に将来、指導者になった時に困ると思うから。そんな風にいろんな考え方ができる、柔軟な選手に育てれば、この先どこに行っても、選手として、一人の人間として重宝されるんじゃないかと思っています。

ー選手の運動量、走力も目を引きました。そこはどうやって高めているのでしょうか。

米澤 昔はそこに特化したトレーニングをしていた時期もありましたが、最近は全然やっていなかったんです。でも今年のチームは敢えて素走りもさせています。なぜなら…僕の経験からくる直感で「この学年は走らせた方がいいな」と思ったから。もっと言えば、リフティングの練習もやらせています。そんなことがうまくできなくてもサッカーはできる、と分かっていながらも、10種目を10回連続で、などと決まりを作って(笑)。というのも、今の3年生は性格的に「俺は好きなことだけしかしない」的な、オフェンス気質の選手が多かったんです。なので、ボールを触っているのは好きだから、それを求めればずっとやれるけど、規制がかかったことや守備など、楽しいと思えないことには根気よく取り組めない。その特徴を考えた時に、嫌なことにも取り組める、無駄だと思うことにも全力で臨める選手に育てないと、のちのちチームづくりを進めていく中で、ディフェンスをしなくなっていく予感がした。それもあって、毎週火曜日に走らせていたら、不思議なもので、キレも出てきたし、何よりつまらないこと、苦手なことにも根気よくトライするようになってきました。

ーそういったことがなければ、普段はボールを使ったフィジカル強化しかしていない、と。

米澤 そうです。プラス、最初に言ったピラティスくらいです。

ーそのピラティスは、可動域や体幹、柔軟性を意識した内容が多いなと感じました。

米澤 指導をお願いしている和泉彰宏くんは、もともと理学療法士からピラティスのインストラクターになったので、トレーナーとしてもベンチに入ってもらっていますが、彼に最初にオーダーした時の狙いは『可動域を広げて、イメージした通りに体を動かせられるようにしてほしい』ということでした。それがちょうど岩崎悠人(コンサドーレ札幌)らが1年生の時なので、今年で6年目ですが、和泉曰く、めちゃめちゃ可動域は広がったそうです。正直、僕は専門ではないので、その成果がつぶさにわかるわけではないですが(笑)、ただ、僕の目にも明らかなところではケガ人が減りました。これはおそらく、ピラティスによって柔軟性がついて体がうまく使えるようになり、こけ方がうまくなったからだと思っています。

ピラティスに励む選手たち。
柔軟性、体幹、可動域を広げることが主な目的。

ー米澤監督はもともと指導者を志していたのですか?

米澤 日体大に進学した93年にJリーグが開幕したこともあり、頭の片隅ではプロになりたいという思いもありましたが、大学時代はAチームには入れたものの、試合にはほぼ出られなかったので現実的ではないな、と。それもあって『指導者』を考えるようにもなりました。ただ、教員になるなら転勤のある公立ではなく、私学の学校に赴任したいと思っていたんです。チーム強化を進めている最中に、急に転勤になるのは嫌だから…と思っていたら、大学のサッカー部の部長さんのご縁で学校法人世田谷学園への赴任が決まり、中学と高校のサッカー部の監督になったんです。そこから始まって、近畿大学工業高等専門学校での監督業を経て、01年に京都橘の監督になりました。同校が00年に男女共学になった流れでサッカー部を作ることになり、声をかけていただきました。それもあって最初は「小学生の時以来、サッカーをやったことがない」「サッカーは未経験」という選手7人でのスタートでした(笑)。

ーそこから始まって6年目にはインターハイで初めての全国大会に出場し、翌年には選手権でも全国出場を果たしました。以来、京都屈指の強豪校となられましたが、ご自身の指導論はどうやって構築されてきたのでしょうか。

米澤 東稜高校時代の恩師、由里広一先生からは考え方や物事のとらえ方を学びました。「自分で考えろ。自分で判断しろ」と求められてきました。私生活でもサッカーでもです。自由と自己責任が求められていると感じていました。また、日体大時代のアーリー・スカンス監督のトレーニングは、いつも体以上に『頭が疲れる』という内容が多く、彼にも大きな刺激を受けました。サッカーは自分で決断して、選択することを求められる競技だからこそ、指導者になった今もすごく大事にしています。また、アーリーはオランダサッカー協会の指導者ライセンスのインストラクターでもありました。大学4年の時に日本でアーリーがライセンス取得の講習会を開いてくれて、そのライセンスと取得させてもらったのが指導者としての始まりです。のちにアーリーのオランダの家にホームステイさせてもらいながらアーリーと一緒にアヤックスを始めとする様々なオランダのトップチームや育成年代のチームのトレーニングを見学させていただいたりもしました。その経験も自分に大きな影響を与えてくれましたし、指導論にもつながったとすごく感じています。

ー監督として、どこに指導の面白さを感じていらっしゃいますか。

米澤 一番は、選手が巧くなること、その変化を見るのが一番面白いです。また、監督って、トレーニングの指導に限らず、いろんなことに目を配って、触りにいかなくちゃいけないと思っているので、そのチームオーガナイズにも面白さを感じています。実際、うちの高校には今、コーチやピラティスコーチなどを置いていて、何かに特化した指導はそういったコーチでもできますが、監督は全体を見渡して、必要なところに必要なことを取り入れていく役目も担わなければいけない。またチームのイメージをいかに創りあげるか、企業で言う『ブランディング』ですね。創部以来「京都橘高校サッカー部が世間にどういう映り方をするのか」は、常に意識してきたことの1つです。それもあって、高校サッカーながらユニフォームにスポンサー企業名を入れたのも日本で最初でしたし、ユニフォームの色も固定していません。『我々はこの色でずっとやります』ではなく、「こんなこともできますよ」「こんな付加価値をつけられますよ」という方が、企業とのコラボなどもしやすいからです。と言ってもこれは、うちの高校には先代の監督さんがいないからできることで…実際、例えば伝統のある他校さんがいきなりユニフォームの色を変えられるかと言えば絶対にできないはずですが、うちはそうではない。それに時代、選手にあったブランディングをしていかなければ、これだけの学校、チームがある中で、支持されないんじゃないかとも思っています。

京都府は芝、人工芝のグラウンドが少ないため、
練習で使用するのはほぼ土のグラウンドだ。

ー創部19年目を迎え、理想のブランディングには近づいてきていますか。

米澤 やりたいことは具現化できるようになってきました。と言っても、チームオーガナイズのところは、まだまだトライしたいと思っていることや、長い時間をかけて取り組んできたこともありますが、少しずつ形にはなってきたのかな、と。ただし、一番大事なのは、やっぱり『サッカー』の本質の部分なので。実際、今年のインターハイも3位に終わり…今回も全国制覇はできなかったと考えれば「まだ足らんぞ」と言われた気もしています。そこは僕も、選手ももうワンランク上のステージにあがらなければいけない。とはいえ、何でもかんでも手を出して、どれも中途半端になるのは嫌なので、基本的には選手の個性を踏まえて、うちのチームがもっているもの、やってきたことの精度に磨きをかけていきたいな、と。もちろん、それをしたところで頂点に届くかは分からないですが、今はそう思っています。

ー今の時代、高校サッカー、クラブチームの垣根もなくなってきましたが、敢えて監督が考える『高校サッカーだからできること』を教えてください。

米澤 僕はチームを背負うことだと思っています。あくまで我々は学校体育の中でのクラブ活動です。学校としての日常の中それぞれのクラブが存在します。また他のクラブとのクラブワークも必要です。当然、他の部活動とグラウンドを調整する必要もあり、共存を目指さなければいけない。しかも膨大な数の選手が在籍する中で試合に出られるのはたった11人ですから。それ以外は応援やサポートに回ってくれるという状況の中で、仲間の思いを背負って戦う、学校を代表して戦うという意識を持つことが、彼らの将来に生きることは必ずあると思っています。

練習後はグラウンドに向かって全員で一礼し、
締めくくられた。

ー次の指導者をご紹介いただけますか。

米澤 履正社高校の平野直樹監督を紹介します。直樹さんとは一昨年も日本高校サッカー選抜でも監督とコーチという立場で仕事をさせていただいて、すごくいろんなことを勉強させていただきました。また高校サッカーとクラブチームの違いというところでも、その両方を経験しておられる直樹さんなら、きっと僕以上に説得力のある意見が聞けるはずですしね。僕自身も、ずっと高校サッカーで指導をしてきただけに、実際のところはどうなんだろう、というところをぜひ聞いてみたいです。

<プロフィール>
米澤一成(よねざわ・かずなり)
1974年4月30日生まれ、京都府出身。
京都府立東稜高校、日本体育大学を卒業後、世田谷学園で指導者のキャリアをスタートさせる。その後、近畿大学工業高等専門学校のサッカー部監督を経て01年。京都橘高校にサッカー部が創部されると同時に監督に就任。日本高校サッカー選抜のコーチ経験も。現在プロで活躍する岩崎悠人(コンサドーレ札幌)や仙頭啓矢・小屋松知哉・中野克哉(ともに京都サンガ)らを擁した12年には初の決勝に進出し、準優勝。また今年のインターハイでも準決勝に進出し3位になるなど、京都橘を全国でも名の知れた強豪校に育て上げた。

text by Misa Takamura

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