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Vol.10 履正社高校/平野直樹監督

  • 2019.11.04

    Vol.10 履正社高校/平野直樹監督

指導者リレーコラム

13、14年には激戦区の大阪府予選を勝ち抜いて全国高校サッカー選手権大会に出場。ベスト8進出を決めた履正社高校サッカー部。今年の同予選でもベスト8に駒を進めるなど、大阪府の強豪校の1つとして知られた存在だ。同サッカー部が創部した時から監督を預かり、指導に熱を注いできた平野直樹監督の育成理念に触れた。

ー京都橘高校の米澤一成監督からご紹介いただきました。この茨木グラウンドは、履正社高校サッカー部専用ですか?

平野 うちの高校と、履正社医療スポーツ専門学校が使用しています。11年にはサッカー専用人工芝グラウンドになるなど、環境としてはすごく恵まれています。ここのナイター設備はLEDライトですが、卒業生からプロサッカー選手が出るたびに、一灯ずつ増やしているんです(笑)。FIFA(国際サッカー連盟)の規約で育成クラブには連帯貢献金をもらえることになっていますが、せっかくなら目に見えた形でクラブに還元したほうがいいと考え「先輩が頑張ってくれたおかげで、後輩の未来も明るくなっているぞ」という思いを込めて購入させてもらいました。将来的には人工芝を張り替えたり、屋根をつけて全天候型にできるくらい、たくさんのプロサッカー選手が誕生したら嬉しいし、最近は指導者や学校の先生になる教え子も増えてきて、そのまた教え子がうちの高校に来てくれたりといった、いい循環も生まれているのでそれもまた喜びの1つになっています。

ー03年にサッカー部が創設されると同時に監督に就任されました。経緯を教えてください。

平野 もともと茨木グラウンドは一般企業の施設で、それを学校が買い取ったことからサッカー部を作ろうという話が持ち上がったんです。それが確定したのが01年で、僕もその年の終わりに監督就任の打診をいただき、02年に赴任しました。そこから、選手を獲得するために1年間かけて中学生を見て回り、03年に学校から決められていた1学年16人でスタートし、5年目くらいまでは毎年、各学年、そのくらいの人数でやってきました。でも今は1学年25人までOKになったので、総勢75名の部員が所属しています。ただし、うちの高校は他校のように学費免除などの特待制度があるわけではないので、僕自身の育成方針を理解していただいた上で『履正社でやりたい』と言ってくれる選手に集まってもらっています。

所属選手は1学年25名ずつ、計75名。
恵まれた環境でプレーを磨いている

ー平野監督が目指す『育成』とは?

平野 第一に一人前のサッカー選手に、男にするということです。僕もかつてはJクラブで仕事をしていた時期もあり、プロの世界の厳しさも重々理解していますが、その世界に食い込んでいける選手はほんの一握りしかいません。となればほとんどの選手が、将来的にはサッカーとは関わりの薄い人生を選択していくことになります。また、運良くプロになれた選手も、なれたことに満足せずにプロとして最低でも10年はしっかりと飯を食べていける選手になってもらいたい。そこから逆算して高校年代で備えるべきこと考えた時に、プレーヤーとしてのスキルはもちろん、選手の人間性を育てることも意識しなければいけないと思っています。しかも、人生って20歳までが『学び』におけるラストスパートの時期だと思うんです。そして、その『学び』を自分の財産にしていくには『人の話を聞く力』と『察する力』の両方が必要になる。先生だから、先輩だからというような年齢や立場に関係なく、自分の周りの人間に耳を傾けられるようにならなければサッカーでも、サッカー以外の場面でも本当の意味でのコミュニケーションを図ったり、信頼関係を築くことができないからです。いや…今の子たちって、いい子はすごく多いんです。こちらが「これをしよう」「これを手伝ってくれるか?」と投げ掛ければ、ほとんどの選手が気持ちよく行動に移してくれます。ただ、例えば、それを自ら気づくとか、行動に移せる力がすごく弱い。でもそれが今のうちから自然と備わるようになれば人としての幅にもつながっていくし、サッカー選手としても、周りを見て予測して動く『察知力』として備わり、連携面でより深まりを持てるようになる。そう考えても技術だけではなくメンタルの部分でもしっかり育てていきたいと考えています。

ーご自身の指導者としての考え方はどんな風に構築されてきたのでしょうか。

平野 まずは、自分自身が技術面で物足りない選手だったということがスタートです。つまり、サッカー感には自信があったけれど、それをプレーで表現する技術が足りず、気持ちや根性でカバーしようとしていました。いや、もちろん『思い』はすごく大事なんですよ。でも、気持ちだけでサッカーはできないし、上にはいけない。それを身を持って体感したからこそ、基礎技術は絶対に備えさせたい。もっと細かく言えば目標から逆算してどんな技術を備えればいいのか、何をすれば身につけられるのか。逆に、持っている技術を余すことなく表現するための決断力、判断力を備えるにはどうすればいいのか。つまり、ないからダメ、無理だな、で終わらせずに、不足しているなら足していこう、という考えが指導のベースにあります。

常に攻守両面で数的優位な状況を作り出すための『判断』をできる選手育成に力を注ぐ。

「ないからダメ、ではなく、足りないなら足していこう」が指導のベースだと平野監督。

ーその先に描くものは?

平野 少し大きな話になりますが、日本のサッカーを強くすることです。だからこそ、ジュニアやジュニアユースという下のカテゴリーから引き継いで来たバトンを落とさずに、さらに僕が見ているユース年代でさらに、サッカーを好きにさせて、次のキャリアの指導者に繋ぎたい。もちろん、それがプロサッカー選手や日本代表選手につながればいいし、そうならなくても、せっかくここまで育ててくれた人たちのバトンを無駄にしてしまうとか、選手の可能性の芽を摘んでしまうようなことは絶対にあってはならないと思っています。

ー週ごとの練習プランはだいたい決めていらっしゃいますか。

平野 そうですね。週末に試合があった時は翌週の月曜日がオフ、火曜日がコンディショニング、水曜日が守備、木曜日が今日のようなゲーム形式を行います。そこでの内容は前の週末のゲームで出た課題を反映し、守備的なゲームを求めるか、攻撃的なゲームを求めるか違ってきます。そして、金曜日はシュートやセットプレー、攻撃の部分を見直して週末のゲームに臨む、というのがだいたいのルーティンです。

ー火曜日に行うコンディショニングは、フィジカルトレーニングも含めて、ですか?

平野 そうですね。本来はゲームや実際の動きの中で鍛えればいい部分ですが、最近は週に1回、敢えて素走りを取り入れています。300メートル走を55秒以内にという制限を設けて10本。仮にそのタイム内に走れなかったら、別メニューで走ってもらいます。今の時代にはナンセンスだと思わないでもないというか、僕もそう思っていますが(笑)、苦しい時に頑張る力を備えておかないと、いざという場面で踏ん張りがきかないというか、諦めてしまうから。そうやって同じメニューを継続することで得られる達成感や鍛えられるメンタルは必ずあるはずなので、どちらかというとフィジカルを鍛えているようで、心の部分を鍛えているイメージです。

ー今日、木曜日は守備を意識したトレーニングからスタートしました。

平野 昨日、ハーフコートで守備についての導入部分のトレーニングをしたので今日はゲームの攻防の中で、『DFラインの4人がしっかりスライドをしながらいいボールの奪い方ができれば、必然的にいい攻撃に繋がるし、そのためにはいいポジショニングが必要だ』という意識づけを行いました。というのも、守備=守ることだと考えがちですが…もちろんそれも1つですが、それもあくまでサッカーの一番の目的であるゴールを奪い、勝つためというか。ゴールを目指したいがために前がかりになりすぎてバランスを崩すと失点をくらうことも起こりうるから攻撃を目指しながらも守備をしよう、と。しかも、日本人はヨーロッパ人のように体が大きくはないからこそ、攻撃、守備の両面で常に数的優位な状況を作り出すことを考えられる選手にならなければいけない。そのためには、運動量やチームへの献身性も必要ですしね。そういった守備の能力を植えつけるにはユース年代がラストスパートの時期だと考えればこそ、守備への意識は求めながら、それを実現するための『判断力』をしっかりと備えた選手にしたいと考えています。

ーその『判断力』を備えるためには、最初におっしゃった、普段からの気づき、察する力が必要になると。

平野 そういうことです。また『判断』においては、常に「何が得かを考えろ」と伝えています。「このゾーンで受けたら敵はいる? いないなら自分で運べるよね? 相手がプレッシャーにきたらどうする? ドリブルでかわす? パスを出す?」と。その都度、僕の方をみて「どうしよう?」ではなく、自分で判断をして『得』な選択をできる選手になってもらいたい。これはよく選手にも言うんですが、一般社会では赤信号を守りなさい、と言うけれど、サッカーではたとえ赤でも車が来なければ渡っていいと思うんです。信号の先に早く帰りたい『家(ゴール)』があるなら、信号が変わるのをぼっ〜と待つ必要はない。なぜなら、サッカーはゴールを取らなければ勝てないスポーツだからです。であればこそ、そこには自己責任による自己判断が必要だし、かといって自分だけでできること、できないことがあるから仲間と協力していかに達成するかを考えなければいけない、と。ひいては、その際に周りに助けてもらうために人の話を聞ける選手にならないといけない、という話につながっていくということです。

ー平野監督はJクラブでの指導者を経て、現在は高校サッカーで指導をされています。その中で高校サッカーだからこそできることはあると感じていますか?

平野 繰り返しますが、この年代は『人を育てる』ことも狙いの1つですからね。そこにはピッチ内に限らず、ピッチ外での選手の振る舞いや考え方も反映されるからこそ、高校サッカーではその『ピッチ外』のところを毎日、学校生活の中で確認できるのは利点なのかなと思います。実際、サンフレッチェ広島のユースチームが強くなった理由の1つに、地元の吉田高校と協力体制を敷くようになって『人を育てる』部分がうまくサッカーにリンクしていったことが挙げられると思いますが、それを踏まえても尚更です。そうやって学校を取り巻くたくさんの人たちの力を借りながら人間性を育み、それをサッカーに活かして選手を育てられることは、選手の将来を見据えてもすごく意味のあることだと思っています。

ーこの先、平野監督が育成を預かる上で目指すことを教えてください。

平野 今はどの学校もいろんな取り組みをしながら選手を育てている状況がありますからね。例えば、今回僕を紹介してくれた京都橘の米澤監督が広告代理店と組んでスポンサーを獲得したり、スカウティングスタッフを置くなど、様々な取り組みをしながらチームを強化しているのもすごくいいと思う。そんな風に、今の時代は部活動の枠を超えて、スポーツに力を注ぐ学校が増えている現状を踏まえても、クラブ全体のマネージメント能力はアマチュアの指導者にも問われ始めていると感じています。事実、最近は僕らが学生だった時代とは違い、施設はもちろん、移動バスや食事のサポートなど選手を取り巻く環境を充実させている学校も多い。ただ、それをするには部費だけではまかなえないから世の中を巻き込んだマネージメントが必要だな、と。あとは、指導者を育てることも1つです。いい指導者を一人育てて、その人が毎年10人のいい選手を育てれば、単純に10年後には100人、いい選手が育つ計算になりますからね。それは日本サッカーを強くするという目標ともリンクするだけに、僕ら世代の指導者は特に考えていかなければいけないと思っています。

日本のサッカーを強くするために「ジュニア、ジュニアユースとつないできたバトンを落とさずに、
次のキャリアにバトンをつなぎたい」と話す。

ー平野さんがお勧めする、次の指導者を紹介してください。

平野 大阪体育大学サッカー部の松尾元太監督を紹介します。彼はプロサッカー選手としての経験もありながら、今は指導者として純粋に「目の前の選手をどうにか一人前にしてやりたい」と指導に向き合っています。長きにわたって同大学を率いた坂本康博前監督の教え子でもあり、偉大な指導者の後を引き継ぐプレッシャーもありながら自分らしく戦っている彼ならではの話を是非、聞いてみてください。

<プロフィール>
平野直樹(ひらの・なおき)
1965年11月2日生まれ。
四日市中央工業高校、順天堂大学、松下電器でプレー。引退後、1993年にガンバ大阪ユースコーチとして指導者のキャリアをスタートし、94年からはジュニアユース監督を務めた。その後、ベガルタ仙台トップチームコーチなどを経て、03年から履正社高校サッカー部の監督就任。05年に初の全国大会出場を実現したのを皮切りに、これまで出場した『全国』の舞台では全てベスト8に進出している。18年のデュッセルドルフ国際ユースサッカー大会では日本高校選抜監督を率いて優勝した。

text by Misa Takamura

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