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Vol.11 大阪体育大学/松尾元太監督

  • 2019.12.04

    Vol.11 大阪体育大学/松尾元太監督

指導者リレーコラム

今年の関西学生リーグ1部で優勝した大阪体育大学サッカー部。伝統的に『守備』力を誇るチームとあって、昨年に続きリーグ最少の16失点で全日本大学サッカー選手権大会への出場を決めた。同大学を率いるのは、かつては名古屋グランパスや京都サンガFCでもプレーした元Jリーガー、松尾元太監督。就任3年目を迎える若き指揮官の熱に触れた。

(取材日/2019.10.25)

ー明日は公式戦ですが、前日練習でも結構、ハードですね。

松尾 プロチームの前日練習に比べると強度の高さに驚かれると思いますが、うちは前日でも1時間半から2時間は練習を行います。ただ、Aチームのフィールドの選手は27人と多めで、どうしても練習のテンポが遅くなるため、120分の練習でも個人が動いている時間はトータルで75〜90分くらいだと思います。大学生といってもプロサッカー選手に比べたらまだまだ足りていないことも多いし、プロとは違って大学チームには1〜4年生までが在籍していて、毎年、1学年ずつ入れ替わっていく状況がありますから。それを見据えて選手個々の能力を引き上げ、タフさを身に付けさせながら成長させようと思えば、前日をのんびりやっている場合じゃないな、と。また、たとえハードにトレーニングを行なっても大学生くらいになると、選手は自分でうまく力を配分できますしね。そこは僕自身も、前監督の坂本康博先生や、10年にわたって体大のコーチをしている福島充から学んだことです。

ーチームづくりにあたり、選手の皆さんに絶対的に求めていることを教えて下さい。

松尾 守備ですね。僕が学生の頃から体大は伝統的に守備ができなければ試合に出られないし、どれだけ巧くてもタフに戦えない選手は評価されません。それが芯として備わっていることで練習をこだわっていく上でも、選手を同じ方向に向かわせる上でも、いろんなことを落とし込みやすいし、簡単に失点しないことは結果にもつながる大事な要素だと考えています。

監督はAチームを中心に指導にあたるが、
所属する全選手のプレースタイルや出身校等は
把握しているそうだ。

ーそのサッカー感はご自身の理想とするサッカーとイコールですか?

松尾 僕ももともと守備の選手だったので、失点したくないという考えはベースにありました。またプロの世界を経験した中でも、失点をなくすためのポジショニングや予測して動くことの必要性を改めて実感し、大学生の段階で守備への意識を徹底することは次のキャリアにもつながる大事な要素だと感じてます。ただ、体大の場合、単にがむしゃらに頑張るだけではなく、1つ1つの技術にもすごくこだわっているので。これも僕が学生時代から伝統として備わっていることですが、近年は当時よりさらに進化して、運動科学を意識した走り方、止まり方、接触の仕方、蹴り方、など細部の技術を求めた上での『守備』なので、今の学生はより大変だと思います(笑)。

ー選手育成において大学の4年間で経験させたいと思っていることはありますか。

松尾 一番重視しているのは、レベルの高い試合をどれだけ数多く経験させられるか、です。日本一になるチームは限られていますが、そこを目指して全員がハイレベルな試合にチャレンジすることは、どの大学にも許されていることだし、『日本一』を目指せばこそ見えてくることも必ずあるからです。事実、高いところを意識するほど、練習の質や組織の結束力は明らかに変わってきます。また、大学卒業後は全員がプロになるわけではないですが、どんな職業に就くにせよ、そういった高い意識を持って何かに取り組む力を備えることは、すごく大事なことだとも思います。事実、これまで僕が関わった選手を見ても、大学2年の夏くらいまでにそういったマインドを備えられるようになった選手は、残りの2年間の行動が見違えるように変化するし、それはプレーにも直結していきます。また、そうしたマインドを持った選手が増え、影響力を与えられる存在になってくると、総勢230名在籍している部員全体も活性化します。であればこそ、そういった選手をいかに育てていくかも僕たち指導者に問われているところだと思っています。

33歳の若き指揮官とあって、
グラウンドに立っていると選手と見間違うほど。
だがその胸には大きな責任と覚悟を備える。

ー指導にあたる上で、ご自身のプロサッカー選手としての経験がヒントになることもありますか。

松尾 プロとしての経験を選手に話すことはほぼないですが、僕の中では監督として、あるいは教員として、選手や生徒に言葉を発する上で、当時の経験が活かされているなと感じることはたくさんあります。というのも少し話が遡りますが、実は大学卒業にあたっては、自分の能力を冷静に受け止めてプロからの誘いを断って教員になることも考えたんです。でも、迷っている時に教員になった自分を想像し、生徒はどっちの先生に教えてもらいたいかを考えてみたんです。プロになれるチャンスがあるのにビビってそれを選ばなかった先生か、仮に失敗したとしてもチャレンジして学びを得た先生か、です。その上で後者を選び、『今後も人生の岐路に立たされた時には、難しい方の人生を選択しよう』と腹をくくって08年にプロ生活をスタートしました。その中では10年にJ1リーグ優勝を経験できた一方で、個人的には11年に名古屋で、12年に加入した京都サンガFCで2度、『ゼロ提示』を受けるといった厳しい現実も突きつけられましたが、それを肌身で感じられたのは純粋に良かったな、と。実際、かつて学生時代に教育実習に行った際、生徒に向かって『夢を持ち続ける限り可能性はある』と言っていた僕が、今では『努力をしたからと言って結果が出るとは限らない。でも努力をしたという自分の積み重ねは残る』と言うようになったのも、プロとしての経験があったからだと思っています。というのも、プロのレベルで戦っている選手って誰もがものすごい努力をしているんです。個人差はあるとはいえ練習や体のケアの徹底ぶりも凄まじい。でも、だからと言って、その努力がいつも報われるわけではなく、試合に出れるとも限らないし、思う道を進めないこともある。そういったプロの選手の姿を間近で見て学べたのは、僕にとってはすごくポジティブなことでした。なぜなら、そのことってサッカー選手に限らず、誰の人生にも当てはまるからです。自分の取り組んでいることがいつも結果につながるわけじゃないけど、でもそこに向かう過程での『積み重ね』が形を変えて、いつか人生に影響を与えることはきっとある。…と偉そうに語っていますけど、なんだかんだいって、僕はまだ前任の坂本先生のように、一言で選手を納得させられるような言葉もカリスマ性もないから、そうやって自分がしてきた経験を少しでも自分の力にしようとしているんですけど(笑)。

伝統である『守備』は、
チームを作る上での基盤となっている。

ー今、名前が出た坂本前監督は大阪体育大学の歴史を作ってこられた名将ですが、その後を引き継ぐプレッシャーはあったのでしょうか。

松尾 めちゃめちゃありましたし、今年で監督就任3年目ですが、監督業の難しさや責任の重みは日々、感じています。いくら僕が体大OBでも、チームが弱くなってしまったら他のOBの皆さんも悲しみますしね。実際、坂本先生もOB総会の席で言っておられました。『歴史というのは勝者のものだ』と。この言葉はどれだけいいサッカーをしていても、結果を残せなければ評価はされないということだと受け止めていますし、僕もそこは同感なので。負けから学んで成長することもあるけど、勝負の世界である以上、高いレベルの中で何が足りなかったのかを感じることによって得られる成長をできるだけたくさん経験させたいと思っています。

ー伝統を受け継ぎつつ、そこにご自身の『色』を備えたいという考えもありますか。

松尾 正直、今はまだ僕のサッカー哲学はこうだ、と言えるものはありません。監督としての経験値も浅く、正直、自分がこうだと思っても、違う方が良かった、ってこともたくさんありますしね(苦笑)。それに、そもそも、これをしようと決めてやるのも悪くはないですが、それに縛られるのは面白くないからこそ、人は変わるし、考え方も変わる、でいいのかな、と。もちろん、最初に話した通り、体大の伝統であるハードワークをする、毎回全力を出し切る、勝つ、230名の部員を代表してピッチに立つ自覚を持つ、などのベースは絶対に変えません。でも、例えばシステムは絶対に3バックじゃないとダメだ、というようなこだわりはないです。実際、関西では3バックで戦って、全国では4バックで臨んだこともありますしね。選手って一度でも取り組んだことは戦術メモリーとして蓄積されていくし、そもそも、どんなシステムで臨むにせよ、その都度、自分のやるべきことや役割を判断できる選手の方が、将来的な可能性も絶対に広がるはずですから。であればこそ、僕もあまり自分の考えに縛られずに頭を柔らかくして指導にあたっていこうと思っています。

ー指導の難しさを感じるのは、どういったところですか?

松尾 頭で考えたこと、感覚として備えていることを言葉にすることです。このコーナーで僕を紹介してくださった平野さん(履正社高校)は、C級ライセンスを取得する際にもご一緒させていただいたのですが、ボキャブラリーもすごく多く、選手のモチベーションを下げずにチームとして目指すこと、やるべきことを織り交ぜて言葉にするのがすごく上手いんです。だからだと思うのですが、履正社からうちの大学にくる選手は頭が柔軟で、回転も早い。それを見ていても、僕ももっと言葉で伝えること、表現の仕方を学ばなければいけないなと。これはサッカーに限らず、いろんなスポーツの監督を見ていても感じることです。実際に指導者が感情表現を技術として備えられるようになれば…それこそ体罰だってなくなるはずだし、指導者としての幅も広がると思うので、そこは今すごく自分の中で模索しています。

所属選手には、来シーズンのコンサドーレ札幌への加入が内定している田中駿汰選手ら、
プロへの道を切り拓く選手も増えている。

ーチームとして、またご自身の今後の目標を聞かせてください。

松尾 今、行われている関西学生リーグでは昨年の勝ち点51を上回ること。守備では一桁で締めくくること…と思っていたら前節の試合で二桁になってしまいました(苦笑)。そうした『数字』に加えて、選手、チームには常に現状維持ではなく今の自分を超えていくことを求めたいと思っています。またうちは大学のチームで試合に絡む選手だけが結果を出せればそれでいいということは決してないので。結果を求めながらも、4年生が抜けた時のことを想定して、3年生をもうワンランク伸ばしたり、着々と光るものを見せつつある1年生を起用するタイミングなど、僕自身がチーム全体をもう少し俯瞰で見ながら、より高いレベルにチームを引き上げていきたい。最初にお話ししたように体大は『守備』がベースですが、この3年間ではプラスアルファとして変化していることも確実にあります。パスのつながる本数も増えたし、ボールを奪う位置も高くなったし、得点パターンも増えています。そこはポジティブな変化だと捉えつつ、僕も指導者としてもっともっと学ぶことで、40歳くらいになった時に自分の哲学はこれだ、というようなものを言葉にできるようになっていたらいいなと思います。

ー最後に次の監督を紹介していただけますか?

松尾 大学の偉大な先輩で、指導はもちろん、人を育てることにおいてもいろんなアドバイスをいただいている、摂津パルティーダの総監督、田中章博さんを紹介します。本田圭佑選手(SBVフィテッセ)を育てた方としても有名ですが、ジュニア、ジュニアユース世代の指導に長けているだけではなく、先日、仕事で一緒にボールを蹴ったら…実はめちゃめちゃサッカーが上手くて驚きました(笑)。すごく懐の大きい、魅力ある方なので、田中さんがどんな話をされるのか僕も楽しみにしています。

<プロフィール>
松尾元太(まつお・げんた)
1986年5月26日生まれ。
滋賀県近江八幡市出身。野洲高校、大阪体育大学を経て、09年に名古屋グランパスに加入。3年プレーしたのち、12年に京都サンガに移籍し、同シーズン限りで引退。13〜15年名古屋グランパスのチーム統括部育成グループに所属にU-18コーチを預かりながら、大阪体育大学大学院の博士前期課程を終了。修士(スポーツ科学)を持つ。16年に助教授として大阪体育大学に戻り、サッカー部コーチに。17年に同監督に就任した。

text by Misa Takamura

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