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Vol.12 Jリーグ・パートナー事業部/古河裕次

  • 2020.01.15

    Vol.12 Jリーグ・パートナー事業部/古河裕次

サッカーのお仕事

ガンバ大阪を1年半で退団し、関西学院大学に入学した。卒業後は「サッカー界に貢献できる仕事をしたい」と広告代理店大手の電通に入社。13年の時を経て、念願のサッカー日本代表関連の仕事に携わったのち、17年からはJリーグに出向し、『サッカーへの恩返しを』との思いを胸に仕事にあたっている。プロを諦めたあの時、勇気を持って踏み出した『一歩』に誇りを持って。

ー現在の仕事に就かれるまでの経緯を教えてください。

古河 簡単に経歴をご説明させていただくと、ガンバ大阪退団後、99年に関西学院大学に入学し、卒業後の03年に株式会社電通に入社しました。もともと入社する時から「僕を育ててもらった『サッカー』への恩返しをするために、サッカー界に貢献できる仕事をしたい」と思っていましたが、最初から希望の部署に就けるはずもなく、新聞広告枠を売る仕事をメインとした新聞局で約10年、新規ビジネスを作り出すプラットフォームビジネス局で約2年働いたのち、念願のスポーツ局に異動となりました。その中で最初の1年は東京オリンピック・パラリンピックのイベントに関わる部署にいましたが、15年に念願のサッカー日本代表の仕事をする部署に異動することになりました。そこでは、日本代表のオフィシャルパートナーやサポーティングカンパニーをセールスするマーケティングの仕事や、放送局に日本代表の放映権をセールスする仕事などを中心に担当していました。その後、18年からJリーグに出向し、現在はパートナー事業部に所属しています。

ーJリーグへの出向のきっかっけは?

古河 開幕から20年に渡りJリーグをサポートされてこられた博報堂さんとの契約が終了し、電通が14年からマーケティングパートナー契約を締結させて頂くことになったことが背景にあります。そうした流れの中で、Jリーグの方から1名、出向者を希望したいという話があり、「もともとJリーグに所属していたのだからお前がいってこい」的な感じで僕に白羽の矢が立ちました(笑)

03年に入社した電通では様々な部署に所属し、
社会人としての経験を積み上げた。

ーJリーグのパートナー事業部ではどんなお仕事をされているのでしょうか。

古河 簡単に言うと「Jリーグに協賛しますよ」と言っていただけるパートナーを電通と一緒に見つけてきて、協賛いただいたパートナーのみなさまに協賛してよかったと思ってもらえるようにサポートする営業のような仕事です。例えば、パートナーがスタジアムにご来場されるとなれば、各クラブと調整してVIP席にご案内するとか、パートナーが「スタジアムでイベントをやりたい」と希望されれば、クラブと調整して実施に結び付けることも仕事の1つです。また、試合会場にてパートナーの看板などの露出物がしっかりと掲出されているかを確認したり、テレビCM、ポスター・チラシ、などのキャンペーン告知にJリーグのロゴマークや選手肖像などのプロパティが正しくご利用頂けているかなどの確認作業も行います。

ー仕事の面白さはどんなところに感じていますか?

古河 僕が電通に入社して、希望のサッカーの仕事をさせてもらえるようになるまでに、約13年かかりましたからね(笑)。純粋にサッカーに関わる仕事ができていること自体に喜びや面白さを感じています。1つ1つの作業に自分なりの意味を見出せるというか。「この作業も、サッカー界のためになっているんだな」「こうしたらもう少し利益が生まれ、各クラブに行き渡る予算も増えるかもな」「この仕事をきっちりとやることでパートナーが喜んでくださって、来年もスポンサー契約をしようということに繋がれば育成にまわる予算も増えるかもな」などと考えながら仕事に向き合えるのは、大きなやりがいに繋がっています。

1年半ながらJリーガーとしてプレーした経験は
人脈の広がりも含め、
現在の仕事にも活かされている。

ー少し話が遡りますが、ガンバ大阪には1年半在籍されたということですが、シーズン途中にご自身で引退を決められたということですか?

古河 いえ、そういうことではなく、単純に契約を継続してもらえなかっただけです(笑)。私が入団した97年は、同期のパトリック・エムボマ選手をはじめ、1つ上に宮本恒靖選手(ガンバ大阪監督)、1つ下に稲本潤一選手(SC相模原)、新井場徹選手ら、錚々たるメンバーが顔を揃えていた中で、次第に自信が持てなくなり、自分のサッカー選手としての可能性を感じられなくなってしまったのが一番の原因です。ガンバからは一生に一度の貴重なチャンスをいただけたのですが、クラブの期待に応えられるようなパフォーマンスを示せませんでした。今でも自分の技術的な足りなさや精神的な未熟さを後悔することがあります。

ーすぐに気持ちは切り替えられたのでしょうか。

古河 正直、ショックでした。ただ、サッカーを失ったときに自分に何も残っていないことに気づき、すぐに大学に行って自分を見つめな直さなければいけないと思いました。事実、ガンバを退団したその日のうちに、梅田の紀伊國屋書店に足を運び、貪るように大学の赤本を読んでいたくらいです (笑)。というのも、もともと僕はプロの道がなければ大学に進学するつもりだったんです。それもあって、高校時代から入りたいと思っていた関西学院大学の赤本を手に取ってみたら『社会人特別選抜入試』を行っている、と書かれてあって。社会人としての実績と高校時代の評定平均が3.8以上あれば小論文で受験できると知り、その足で母校に行き、当時の評定平均を調べたら、なんと、3.8だったんです。で、「これは、もってるわ!」と思い、翌日から国語の先生だった元担任に小論文の特訓をしてもらって、半年後には大学入学の内定をもらうことができました。

ー大学4年間は、どんな学生生活だったのでしょうか。

古河 学部は社会学部に所属し、マスコミを専攻していました。もちろん、サッカー部にも加入し、4年生の時にはキャプテンもさせてもらい、チームに貢献することを考えていましたが、腰のヘルニアで1年くらい動けない時期は、応援中心のキャプテンでした(笑)。ただ、その4年間の中でBチームに落ちたり、ライバルたちが活躍するのをスタンドでメガホンを持って応援することによって、監督や主務、応援にまわる試合に出ないメンバー、OBの方々、試合を調整する学連の方々、サッカー協会関係の方々など、選手は多くの人に支えられて成り立っていることに気づくことができました。また、『プロだった』というプライドを全部捨てて、まっさらな気持ちでサッカーに向き合えたことも大きな財産となりました。それによって『サッカー』をいろんな角度から見れるようになり、「ユニフォームについている胸の広告って何?」と興味を持つようになりました。そのチームや選手をサポートしてくれているスポンサー企業の広告への関心から、広告業界に興味を持つようになったことが、電通への入社に繋がったのだと思います。

ー今回は、このコーナー初の元Jリーガーにご登場いただいたので、Jリーガーのセカンドキャリアという視点でも少しお話を伺います。ご自身の経験や様々な元プロサッカー選手のセカンドキャリアを見てこられた中で、Jリーガーであるうちに準備をしておいたほうがいいと思うことがあれば教えてください。

古河 すごく難しい質問ですが、『肩書きづくり』をしていくのがいいのではないかと思います。これはガンバを退団する際、自分からサッカーという肩書がなくなったら他に何も肩書きがないことに気づいたという経験と、大学時代に就職活動をした際の経験によるものです。というのも、僕は就職活動の際、多くのの企業の入社試験を受けて不採用になったんです。就職氷河期だったとはいえ「こんなに落ちるの?」って驚くくらいに、です(苦笑)。しかも、就活するにあたって、したたかに『元Jリーガー』って肩書きが有利に働くかもな、と考えていたのですが、どの企業でもまったく面接官に響かず、「それがどうしたの?」って言われることが多かったんです。そのときに、サッカー界は自分が思っているよりも狭く、元Jリーガーの肩書は、サッカー界だけのものであって、社会に出れば大きな評価対象にならないということを実感し、プラスアルファの肩書を増やしていくのがいいでのはないか、と思うようになりました。プロサッカー選手であるうちはネットワークや発信力は絶大だからこそ、それをうまく活用して現役のうちに自分の新たな『肩書きづくり』に取り組むのもいいのではないかな、と。日々の生活では、明らかに自分のために使える時間も多いからこそ、尚更です。例えば、最近なら引退を発表された那須大亮さん(ヴィッセル神戸)が現役時代にユーチューバーとしても活動されていましたが、すごくいいことだと思うんです。サッカー以外のことをすることに賛否両論があるだろうけど、僕はただのJリーガーより『ユーチューバー・Jリーガー』の方が人としての値打ちが上がると思うから。セカンドキャリアを見越して好きでもないパソコンを習うとか、英語を勉強するくらいなら、自分の好きなこと、得意なことに時間を使って、Jリーガー、プラスアルファの価値を備えてはどうだろう、と。ゲーム好きならeスポーツのプロになって、ダブルでプロを狙うのもいいですしね。そんな風に自分の価値を示せる何かをプラスオンできれば、『プロサッカー選手』という肩書きがなくなっても自分に自信が持てるし、もう一つの肩書きから始まるセカンドキャリアもあるかもしれないなって思います。

パートナーの看板といった露出物の
確認などのために、スタジアムに足を運ぶことも。

ー話を戻します。古河さんは電通に入社後13年かかかって、念願の『サッカー』に関わる仕事にたどり着いたということですが、そもそも電通に入社するにはどんなスキルが必要だと思いますか。

古河 ストレス耐性ですかね(笑)。電通はモノを作っている会社ではなくて、サービスで人を幸せにする会社なので、人とのコミュニケーション能力が一番重要なスキルかと思います。今の時代、便利なコミュニケーションツールはたくさんありますが、僕はこれからの時代はメールや電話ではなく、実際にその人に会って会話するコミュニケーションが、もっと大切になってくると感じています。また、大きなプレゼンなどに臨む時、チームを形成し、チームで結果を求めることがよくあります。その際に必要なスキルは協調性と主張力です。このあたりは、サッカーと非常によく似ているなと思います。ですので、僕は文武に限らず、遊びでも何でも、やれることは全部やった方がいいと思うんです。今の時代、時間の使い方次第でやれることの可能性はいくらでも広がるからこそ、勉強だけ、サッカーだけに限らず、学生のうちにできる限りいろんなことにチャレンジすればいいと思います。あと、僕の周りにいる元プロサッカー選手や転職を経験した人を見ていて思うのは、自分がやりたいこと、目指すことに対して「一歩を踏みだす勇気」を持てるかもすごく大事なことだと思います。僕も先ほど、ガンバを退団したその日に紀伊國屋書店に行ったという話をしましたが、新しいキャリアを求めるのは決して負の出来事ではないし、その一歩が早いほど、たどり着きたい場所にも早く到着できる確率が上がるように感じます。

ー古河さんご自身の今後のビジョンについて聞かせてください。

古河 企業に属している以上、まずは会社の売り上げにどう貢献できるか、ということからはブレてはいけないと思っています。現在はJリーグの職員として働いていますので、Jリーグの価値を高めること、ファン・サポーターを増やすことにどう貢献できるかに愚直に向き合っていきたいな、と。ただ、そのことは常々、考えながらも頭の片隅では「サッカー界への恩返し」という思いをより明確に形にできないかと考え始めている自分もいます。特にJリーグの育成プロジェクトは、未来のサッカー界の価値を創っていく話だけに、そこに少しでも関わっていければ、と思っています。また、プロサッカー選手や社会人の経験を通して、一流選手や社会で活躍されている人たちって、物の考え方、マインドがすごく似ていると感じたんです。その人間的な部分がしっかりと備わっていればサッカー界でも社会でも活躍できるし、人生を豊かに過ごすことができるのではないかとも思います。であればこそ、サッカーを通した育成で、そういった人格形成の『ベース』の部分に刺激を与えるような働きかけをする活動をして、後の世代に自分が経験したことを伝えていくことも今後は考えていきたいと思っています。

text by Misa Takamura

Vol.36 ロアッソ熊本/GK野村政孝