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Vol.5 ガンバ大阪①

  • 2020.06.09

    Vol.5 ガンバ大阪①

発源力

5月25日に練習が再開し、Jリーグの再開日程も発表されました。しばらくは無観客試合になりそうですが、映像を通してでも、ファンの皆さんにしっかりとパワーを届けられるように準備していこうと思っていますし、チーム内でのポジション争いにしっかり加わっていくことで1日も早くガンバデビューを迎えたいと思っています。せっかくいろんなことが動き出した今だからこそ、再び活動自粛になることがないように、引き続きいろんなことに気をつけながら頑張っていきます!
さて、ガンバファンの皆さん、お待たせしました! ようやくガンバの話にたどり着きました(笑)。
ガンバにはジュニアユース時代の3年間、お世話になりましたが、正直、加入してすぐくらいの段階でプロサッカー選手になることは諦めていました。当時の僕は攻撃の選手で、同じポジションを競っていたのは貴史(宇佐美)や晃太郎(大森/ジュビロ磐田)でしたからね! 「どれだけ練習してもこいつらと一生、差が縮まることはないやろ」と思っていたので、プロという夢を見ることすらしませんでした。おかげでトップの試合を観に行っても、アラウージョやマグノ・アウベスには「すっげ〜!」と目が釘づけになりながらも「いつか俺も、あのユニフォームを着てピッチに立ってやる!」なんて野望はさらさらありませんでした(苦笑)。当時のことで印象に残っているのも、練習場ですれ違った加地(亮)さんの首がめっちゃ太かったことくらい(笑)。しかもその太い首に磁気ネックレスを2本も巻いていて、子ども心に「あんなに太い首に、なんでキツそうなのを2本も巻いているんや?」って不思議に思ったのを覚えています(笑)。
そんな3年間だったことが、前回に書いた「古巣というのもおこがましいくらい」という言葉に繋がるんですが、実は今回のガンバへの加入にあたって、自分の中では不思議な縁を感じる出来事が2つありました。
というのも、コラム③に書いた、昨年末の12月に治療のため2週間だけ一時帰国していた時のこと。家族と帰国した僕は、地元には戻らず、品川のホテルに滞在して、そこからJISS(国立スポーツ科学センター)に通っていたんです。とにかくケガを治したい一心だったので、ホテルとJISSを往復する毎日でした。その2週間で不思議な出来事が起きました。
1つは、ある日、ホテル内の店で昼食をとるために中庭を歩いていた時のこと。偶然にも松波さん(正信/強化部長)とツネさん(宮本恒靖監督)を見かけたんです。たまたま帰国した2週間で、しかも関西ではなく関東で! といっても、お二人以外にもう一人いらっしゃって、込み入った話をしているように見えたので声をかけるのは遠慮したんですが「こんなところで関西のクラブ関係者に会うなんて…」と密かに驚いていました。
そしてもう1つは、僕がJISSでリハビリに行っている間に、嫁が買い物に行くと聞いたので、ポーチを買ってきてほしいと頼んだんです。ブランドだけを指定して「色や形は任せるわ」と。そしたら、嫁はなぜか僕には縁のなかった色、青のポーチを買ってきたんです。他にもオレンジや白、黄色などがあったのに「青の色がきれいでパッと目に飛び込んできた」と。その時は、自分にとってあまりに意外すぎる色だったこともあり、正直、あまり喜んでいなかった記憶があります(笑)。
もちろん、この2つのことが起きた時はまだJリーグに復帰することを想像すらしていなかったですからね。嫁との間でもガンバのガの字も出ていなかったんですけど、今になって思えば、その時からガンバに導かれていたというか…。それこそ、今、そのポーチを持ってクラブハウスに行っても全く違和感がないどころか、完全にフィットしていることに驚いています(笑)。
とはいえ、フィットしているのはポーチだけで、僕自身はまだまだ自分に違和感あるというのも正直なところです。ガンバのユニフォームを着て公式戦を戦っていないからだと思いますが、先日、久しぶりに練習場のグラウンドに立った際にも、そこにいる自分を不思議に感じるような感覚に陥ったりもしました。それに、練習場の自販機でジュースを買っていた時にも偶然通りかかった小学生に「うわ、ホンマに昌子がおる!」と驚かれ…(笑)。きっとサポーターの皆さんも、まだまだ僕がガンバの選手だと受け止めきれていないんじゃないかとも思います。
であればこそ、早くガンバのユニフォームを着て、パナソニックスタジアム吹田のピッチに立ちたい! Jリーグ再開が決まった今は、よりその思いが強くなっています。(つづく)

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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