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Vol.23 広州恒大淘宝足球倶楽部 U-17監督/高畠勉

  • 2020.08.20

    Vol.23 広州恒大淘宝足球倶楽部 U-17監督/高畠勉

指導者リレーコラム

かつて川崎フロンターレの監督を務めるなど、日本での高い指導実績を持ちながら、2016年に中国に渡り、中国のトップリーグに所属する河北華夏幸福足球倶楽部のU-17チームの監督に就任。同クラブで4年間指導して契約満了を迎えた今、再び中国に渡って育成年代の指導に携わろうとしている高畠勉さんに、中国と日本の若手選手の能力の違いや、中国で指導することの意味、そこでの苦労話などをお聞きしました。

ー「伊賀FCくノ一三重」の大嶽直人監督からのご紹介ですが、どういうご関係でしょうか?

高畠 彼はエリート街道を進んでプロ選手になった人で、私の方はプロには進めず、大学卒業後はアマチュアの富士通サッカークラブに所属。学生時代に試合をしたことはありましたが、交流するようになったのはお互いが指導者になってからです。S級指導者ライセンス取得の時に一緒に勉強した仲間で、その頃から連絡を取り合うようになりました。ただ、今年に入って世の中がこういう状況にあり、連絡を取っていなかったので、大嶽は私がまだ中国の河北華夏幸福倶楽部で若手を指導していると思っていたようですね。私は昨年末に河北華夏との契約が満了して日本に帰ってきて、次の仕事に備えていろいろと動いているところでした。
 
ー2016年から中国に渡って指導されるようになった経緯を教えてください。

高畠 2014年から始まったJ3リーグに参戦したJリーグU-22選抜チームの監督を務めていて、3年目となる16年も継続する予定でしたが、FC東京U-23とガンバ大阪U-23、セレッソ大阪U-23の3チームがJ3リーグに参戦することが決まったので、私が指揮を執っていた選抜チームがなくなったのです。それが15年年末のことで、仕事がなくなり次の行き先を探していたところ、“ピクシー”ことストイコビッチさんが監督となった中国の超級リーグ所属の広州富力足球倶楽部のコーチとなっていた喜熨斗勝史(きのし・かつひと)さんが、新たに超級リーグに昇格することになった河北華夏幸福足球倶楽部がアカデミー組織をつくらなくてはいけない状況で、そこの指導者を日本人で固めたくて探しているという話をピクシーの代理人を務める中国人エージェントから聞いて、私にその話をつないでくれたのです。

ーすごいタイミングですね。

高畠 そうですね、でも急でしょ。まずU-17とU-15の2チームを立ち上げると。私はその統括をしてほしいということだったんですけど、とりあえずは私がU-17の監督を務めて、U-15の監督として、大分トリニータのトップチームの監督としての契約が終わったばかりの柳田伸明(現・アビスパ福岡強化部長)、彼は富士通サッカー部時代の私の後輩にあたるのですが、彼を誘って中国に来てもらったんです。それとキーパーコーチの古島清人(現・山梨学院大学)とフィジカルコーチの矢野玲(現・FC琉球)の計4人でまったく事情がつかめない中で指導をスタートさせたんです。

河北華夏幸福足球倶楽部時代

ー当時の練習環境はどうでしたか?

高畠 当時はまだアカデミー組織をつくろうと動き始めたばかりなので専用のグラウンドはなかったのですが、国が運営する立派な総合スポーツ施設があって、ちょうど、Jヴィレッジのようなイメージですが、そこのグラウンドを間借りして、そこの施設で選手とスタッフが寝起きするという形だったので、間借りではありましたが、十分な環境でしたね。

ー組織の立ち上げを異国でやるというのも大変でしたね。

高畠 はい、15年末に話があって、翌年に始まるリーグ戦の参戦を決める大会があるからすぐに来てくれ、と言われたのですが、急には無理ですから、16年の年明けに行ったんです。そうしたら、柳田に任せる予定だったU-15のチームには選手が5人しかいなった! 僕が指揮を執ることになるU-17のチームは、河北省のサッカー協会が持つチームで、これは4年に一度行われる全国運動会という、日本で言えば国体に近いようなスポーツ総合大会に出場するために日ごろから鍛錬を重ねているチームなのですが、そこの選手と別の省やクラブからスカウトしてきた選手を合体させて、新たなチームとしてスタートさせたんです。もちろん、柳田に任せたU-15チームは選手が足りないので、リーグ参戦を決める予備大会には出場できませんでした。

ー育成に対する考え方や、スポーツを取り巻く環境が日本と違いすぎて、話を聞いているだけで頭が混乱してしまいます(笑)。U-17のチームということですから、日本でいう高校生の年代ですよね。選手は学校の方はどうしていたのでしょうか?

高畠 中国の一つの問題点として、文武両道ではなくどちらかに偏っていること。運動神経が良いからスポーツ、勉強ができる子は勉強。子どもにとって将来性があるのかを親が判断して、早い段階で勉強かスポーツか、その選択をはっきりさせているように思います。中国のトップリーグに所属しているクラブはとても裕福なので、自前の施設の規模がすごい。サッカーコートが十数面あるとか、寄宿舎も備わっていて、子どもたちは親元を離れてそこで生活しています。当時は家庭教師のような方がいて勉強の時間も取るのですが、どちらかというとサッカー優先の生活ですね。いまは施設の場所が移動しましたし、下部組織自体が充実してきたので、近くの小学校や中学校にバスで送り届けて、帰ってきたら練習をするという感じです。でも、一般の子どもたちとは授業の進み具合に違いがあるので、日本の高校のスポーツ科みたいな感じで、特別にクラスを用意してくれていました。ちなみに、今の河北華夏の下部組織は、U-11、U-12、U-13、U-14、U-15、U-16 U-17、U-18、U-19の9カテゴリーにまで拡大しました。そして私たち指導者は持ち上がりなので、初年度はU-17の監督でしたが、翌年U-18、一昨年はU-19、そして昨年は20歳以上の選手で構成される「予備隊」といって、日本でいうサテライトチームの監督を務めていました。

ー河北華夏のクラブ側としては高畠さんをはじめとする日本人指導者に何を期待していたのでしょうか?

高畠 クラブ側が日本人指導者を希望したのは、クリエイティブなサッカーだけでなく、日本のチームから感じる、あるいは日本人選手に備わる規律正しさを備える中国人選手を育成したい、というのが理由でした。先ほども言いましたが、スポーツと勉強を分ける傾向があるので、クラブにいた下部組織の選手たちは論理的な思考、創意工夫することが苦手な子が多いという印象です。そういうところも課題である、と中国の方々も分かっているから、懇切丁寧にサッカーだけでなく、サッカーを通して人間教育ができる日本人指導者に任せたい、ということだったみたいです。

河北華夏幸福足球倶楽部時代

ー下部組織の統括責任者は中国の方だということですが、彼らは高畠さんたちの指導に関して何かリクエストをすることがあったのでしょうか?

高畠 ほぼありませんでした。私が監督に就任してすぐの春遠征の行く先も私に任せてもらったので、日本を選びました。私のマッチメイクも悪かったのですが、高体連の強豪校やJクラブのユースチームと練習試合をして全敗、10点、20点も取られるような悲惨な出来でした。さすがにダイレクターから「なぜこういう結果になったんだ」と詰め寄られましたが、「それだけ差があるんだ」ということを説明しまして……。でも夏の遠征で、今度もまた日本に来たのですが、夏のサッカーフェスティバルとしては日本最大級と言われる石川県での「和倉ユースサッカー大会」に特別に参加させてもらいました。引き分けが1試合くらいあっただけでほかは負けたのですが、失点数が10点以内に収まるようになりました。一方で中国国内での試合は、前期は勝ったり負けたりの形で中位くらい。夏以降はほぼ負けなくなって、上位チームに対しても競り、時には勝てるようになりました。2年目からは優勝争いに絡めるようになったんです。

ーチームが短期間で良くなっていった要因は?

高畠 私が就任した当初の選手たちは、基本的なところ、サッカーの原理原則をまったく理解できていなくて、ただボールを蹴っているような状態でした。それがどういう現象につながるかというと、皆さん、日本のJクラブがACLで中国のチームと対戦した時に、中国側の選手がコンタクトのところでやけに激しく来るな、と感じたことがあるでしょう? あれは、日本へのライバル心や、日本がフィジカルコンタクトに弱い、という認識があるからあえて激しさを前面に出しているんだと私は理解していたのですが、あれはサッカーの原理原則が十分に学べていない、うまく判断ができない育成年代の子どもたちに、とりあえず激しくプレーすること要求してきたことが元にあるんだと分かりました。要するに球際のジャストのところでガシャンと行くのが良いプレーという考え方、むしろそこでしかパワーを使えない、ほかの部分、それが判断のところでもあるのですが、そこでエネルギー使う術を知らないから、あるいはそこを重視しないから、ガシャンと行くしかない、という状況にあるんだと理解しました。でも、不思議とケガはしないんですよね(笑)。

ーそういう状況を理解した高畠さんは中国での指導方針が決まったということでしょうか?

高畠 そうですね、もう日本で言ったら高校生年代にあたる選手たちですが、止める、蹴る、運ぶ、外す、奪う、という判断を伴う5つの技術、スキルを徹底的に指導するようになりました。あと空間認知能力も低くて、空中戦でかぶることなんてしょっちゅうだったので、ヘディングも基本的なところから指導しました。こういう地道で根気が必要な指導を、通訳を介して行うので、余計に難しかったですね。通訳が私の大阪弁が分からなくて「ナンテ?」としょっちゅう聞き返すので、私も「もう、エエわ!」と、お笑いやっているような感じにもなりましたね。

ーセオリーの理解不足や判断力の欠如などの課題があることを理解しながら、でも日本の子どもたちにはない中国の子どもだからこその特徴、強みのようなものは発見できましたか?

高畠 身体能力で言うと、日本はもちろん、韓国よりも上だと感じます。大陸的と言いますか、キーパー、センターフォワード、センターバックなどは身長が高い子どもがたくさんいますし、デカくて、強くて、速い選手が多く、中にはボールテクニックの柔らかい選手もいます。それと素直な子どもが多いので、吸収力も早い。

ー中国で指導する上で自分のやり方を変えた部分はありますか?

高畠 感情を意識的にコントロールして指導するようになりました。そもそも感情を表に出す、出やすい国民性ですから、こちらが少しくらい怒った程度では耳に届かないので、きつめにしかるとか。もちろん優しく接することもありますし、そのあたりのメリハリをつけるようにしましたね。どちらかというと、指示命令待ちの子どもたちが多かったのも感情にメリハリをつけた理由の一つでした。ただ、年々時間の経過とともに、子どもたちも自分たちで考える、判断してプレーできるようになったので、私がしかる、怒る場面は徐々に減っていきましたね。

河北華夏幸福足球倶楽部時代

ーサッカーの技術やスキル以外での指導は?

高畠 サッカーを通しての人間教育です。ただ、クラブ側は目に見える結果を重視するので、日本式指導を求めるなら、まずは人間教育が必要だと話しました。中国代表に入って、そこから世界を目指すような選手を育成したいのなら、人間教育は不可欠だと。それこそ、物の食べ方やゴミの扱い方とか、良い意味で、周囲の目を気にしなさい、と。それで他人のために行動するという意識が芽生えて、それが人間としての品格につながるんだ、と。もともと利己主義が強い国民性で、他人のために、という意識が薄いと思うんですよね。でも、サッカーってチームスポーツですから、そこの意識はある意味重要ですし、それが試合結果にもつながってくるわけですからね。まあ、そのあたり、4年間の指導でしたが、こちらが変わったなと思えるくらいに彼らは成長、変化したと思います。

ー結果を重視する国民性ですが、高畠さんの指導を通して、過程の重要性にも気づいたのでは?

高畠 そこはかなり理解してくれたと思います。ただ、本当に変わるにはまだまだ時間はかかると思います。根柢の部分まで変わったとは私も思っていません。

ーだからまた中国での指導を続けると?

高畠 そういうわけではないのですが、新型コロナウイルスの影響もあって、日本でなかなか仕事が見つからない状況の中で、中国の広州恒大淘宝足球倶楽部のU-17監督のオファーをいただいたんです。アビスパ福岡で監督を務めたこともある前田浩二が去年途中から下部組織の指導に携わっていて今年になってU-18の監督をしています。とても裕福でしっかりとしたクラブですし、私の前の監督はスペイン人監督でしっかりとした指導をしていたとも聞いていますので、前回よりは不安はない、という感じです。8月12日に中国に飛んで、約2週間の隔離期間を経て仕事にとりかかることになると思います。

河北華夏幸福足球倶楽部時代

ーそれは楽しみですね。前回にも増した活躍を期待しています。それでは次回の指導者の方をご紹介ください。

高畠 富士通サッカー部時代の先輩で、川崎フロンターレ創設時に一緒にコーチとなった岩渕弘幹(いわぶち・ひろもと)さんです。現在は山梨学院大学サッカー部の監督を務めていらっしゃいます。優しい、後輩思いの先輩で、現役時代から可愛がってもらい、よくご飯をご一緒させていただきサッカー談義に花を咲かせています。

<プロフィール>
高畠勉(たかはた・つとむ)
1968年6月16日生まれ。
大阪府出身。北陽高―大体大―富士通(現川崎フロンターレ。当時日本リーグ2部)でMFとしてプレー。1995年に現役引退。96年から富士通川崎FCのコーチとして指導者の道に。川崎フロンターレの育成部コーチ、トップチームのコーチを経て、08年4月、関塚隆監督が健康上の理由で辞任した後を受けて監督に就任。09年関塚監督復帰に伴い同コーチに復帰。10年から再度、監督就任。11年から川崎Fのアカデミーダイレクター就任、12年から同育成・普及部長に。13年からU-17日本代表コーチ兼U-18日本代表アシスタントコーチに就任。14年からJリーグU-22選抜の監督、その後U-21日本代表コーチも兼任。16年、中国のトップリーグに参戦している河北華夏幸福足球倶楽部のU-17チームの監督に就任。19年末まで同クラブのアカデミーで指導。20年8月から中国超級リーグ(プロ1部リーグ)で過去8度優勝を誇る広州恒大淘宝足球倶楽部のU-17監督に就任。

text by Toru Shimada

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