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Vol.4 大和シルフィード GKコーチ/小野寺志保

  • 2020.12.16

    Vol.4 大和シルフィード GKコーチ/小野寺志保

PASSION 彼女たちのフィールド

神奈川県のほぼ中央に位置する大和市に所縁のある女子サッカー選手は多く、2011年女子ワールドカップで優勝したなでしこジャパンのメンバーにも3名もの選手が選出され活躍した。そんな「女子サッカーのまち」を掲げる大和市のホームタウンチーム、大和シルフィードでGKコーチを務める小野寺志保氏はクラブでの選手指導だけでなく、日中は大和市職員として地域のスポーツ活性に携わっている。今回は、女子サッカーと地域の活性に尽力されている小野寺氏の仕事について、お話を伺った。

ーはじめに小野寺さんの経歴についてお聞かせいただけますか?

小野寺 私は高校1年生の春に読売サッカークラブ女子・ベレーザ(現日テレ・東京ベルディベレーザ)に入団し、20年間GKとしてプレーさせていただきました。36歳で引退をした後、私の地元である大和市で市の職員として働きながら大和シルフィードU-15のコーチとして週1、2回指導していました。大和シルフィードは大和市で活動するU-15の女子サッカーチームだったのですが、トップチームも作ろうということで2014年にトップチームが創設されてGKコーチに就任しました。ところがトップチームが始動して間もなくGKの選手が移籍したこともあり、私が選手として復帰することになりました。引退してから5年経っていましたし、仕事を優先したかったのでベレーザにいた時のようなサッカーへの時間のかけ方もパフォーマンスもできませんでしたが、3年間チャレンジリーグでプレーさせてもらいました。特に意識したことはありませんでしたが、もしかするとリーグ最年長選手だったかもしれません。2度目の引退後、GKコーチとなって今に至ります。
 ベレーザ在籍中にもC級ライセンスは取得していて、引退後にGKコーチのライセンスも取得していたのですが、その時は指導者を本格的にすると思っていませんでした。地元でクラブができるというところで声をかけていただいたこともあり、GKコーチを務めさせていただいています。今はまだコーチとして確立したものがないので、どうしても選手時代の目線で見ていることが多いとは思うのですが、その分選手の心境やモチベーションといったところを感じとるように接することを意識しています。長年プレーしてきた経験と、多くの選手と一緒にプレーしてきた分、多くの選手を見てきているので、現役時代に培ってきたものを活かしてコーチングできれば、今の選手の役に立てると考えています。

ー1日のスケジュールを教えてください。

小野寺 朝は5時前に起きて5時から犬の散歩に行きます。その後6から8kmほどの距離をゆっくりジョギングするのが朝の日課です。8時に出勤して日中に仕事をし、17時30分に一度帰宅して準備をしてから19時から21時までチームの練習に参加します。その後帰宅して22時から23時くらいに就寝するというのが1日のスケジュールです。
普段は市役所の職員として仕事をしています。2011年に入庁して、1年目は税金を扱う部署に配属されていました。その年の8月に女子ワールドカップでなでしこジャパンが優勝したのですが、その時のメンバーに大和市に所縁のある川澄奈穂美選手、上尾野辺めぐみ選手、大野忍氏の3名が在籍していたこともあって大和市を「女子サッカーのまち」として全国に発信していくこととなり、市役所のスポーツ課の中に地域スポーツ・女子サッカー支援担当という部署が発足しました。元女子サッカー選手ということもあったのでしょうか、入庁2年目にこの担当に異動となり女子サッカーを基軸として地域のスポーツを盛り上げていくという役割を担い、現在に至ります。
主な仕事としては、女子サッカーイベントの企画や運営といったことをさせていただいていますが、当然ずっとサッカーのことだけをしているということではなく、デスクワークも多くありますし、サッカー以外の競技についても教室の企画や運営等を行っています。大和シルフィードのチームとしての活動は日中の仕事とは切り離して考えていますが、シルフィードが強くなって昇格していけば、女子サッカーで地域を盛り上げるということに繋がっていくので、仕事の活動とも密接にリンクしています。いずれにしてもやりがいがあって幸せな環境で仕事をさせていただいています。

ーやりがいというお言葉がありましたが、仕事の中で特にやりがいを感じたできごとはありますか?

小野寺 女子サッカーにまつわるイベントを企画運営することができていて、参加者から「楽しかった」といった声を聞けたり喜んでいる顔を見られるということにやりがいを感じますし、私も企画をしながら指導に当たったり一緒に楽しんでいたりするので、そういう時に幸せだなと思います。
そういったイベントで出会った子どもたちが今度はシルフィードの応援に来てくれたりしてスタンドで再会できると、シルフィードが地域にも根付いているし自分自身も役に立てているのかなと思えるので、そういった時にやりがいや幸せを感じます。
これまでいろいろな企画を立てて実施してきましたが、特によくできたなと思うのが「なでしこレジェンドが大和にやってくる!」という企画です。サッカー日本代表のOB、OG会というものがあって私はその幹事もさせていただいているのですが、基本的にはOBの方が多くてOGはまだ少なく、また人数だけでなく活動自体も男性OBに比べて女性OGは少なくて組織の知名度も低いということを聞き、これはOGの1人として何か役割を果たせないかと考えてスポーツ課の上司に企画書を提出しました。日本代表OGをたくさん大和市に招いて地域の子どもたちにサッカーを教えてもらうのはどうかということを提案したところ、ぜひやってみようということで採用してもらい実現に至った企画です。日本代表に選ばれたことのある全てのOGに手紙をお送りして参加を依頼しました。私自身が長く代表に絡むことができていたので一緒にプレーした選手も多く、そこで築いた絆や人との繋がりが私の強みでもあります。そこを活かして日本一の女子サッカーOGイベントが開催でき、地域のサッカー少女だけでなく多くのレジェンドからも喜んでもらえているということが自分の中でとても嬉しいことです。
それとはまた別のイベントですが「大和なでしこカップ」というU-12とU-15の大会をそれぞれ年1回ずつ開催しています。過去の大会に出場した選手が今では日本代表で活躍してくれているのですが、当時からこの子はすごいなというプレーをしていたのを今でも覚えていますし、今の参加者は未来の日本代表を夢見て大会に参加してくれています。この大会の特徴は、大和市に所縁のある大野氏、川澄選手、上尾野辺選手の3名からそれぞれ賞をいただいていることです。その賞は3名からそれぞれどういった選手に表彰するか選考基準をもらっています。たとえば大野氏だったら「ドリブルをたくさんする選手」に賞をいただけますし、川澄選手からは「声を出して周りを引っ張っている元気な選手」に賞を与えるというように、それぞれの基準をクリアして選ばれた選手を表彰しています。受賞者には各選手から直筆サイン入りスパイクをプレゼントしてもらっていて、受賞した選手にとっては一生の宝物になっているのではないでしょうか。受賞した選手は次のステージでも活躍している選手が多いので、これも嬉しいことですしこのような大会をこれからも続けていきたいと思っています。

指導中の小野寺監督

ー反対に、大変に感じるところはありますか?

小野寺 地域スポーツ全体を発展させることが役割なので、女子サッカーだけでなく他の競技も盛り上げていくことが求められています。サッカー関係の方は私のキャラクターをある程度理解してくださっているのですが、他競技の方々ともうまくコミュニケーションをとり「なんでサッカーばかりなの?」と言われないように気を配りながら取り組んでいます。サッカーばかりに注力してしまうと反対に応援してもらえなくなってしまうことも考えられるので、いろいろなスポーツに携わる方々にも理解や協力をいただくためにコミュニケーションをとり、良い関係性を築くことが大切でがんばりどころだと思っています。女子サッカーで地域を盛り上げるためには地域の方に応援してもらわないと成り立たないので、バランスが重要ですし特に意識しているポイントです。

ーサッカーに関わる仕事の魅力はどういったところにありますか?

小野寺 私は将来指導者になると考えていたわけではありませんでした。現役の時はセカンドキャリアのことは一切考えず、どうやったらシュートを止められるかということだけを考えていました。中学3年生の終わりから36歳までそればかりだったので、引退してから本当に困りました。引退してからやることとしては2つだけ決めていたことがあって、今まで自分を育ててくれたサッカーに恩返しすることと、地元の地域に恩返しをしたいということでした。地域にはオリンピックに出場する時などたくさん応援してもらっていたのに、自分が選手の時には仕事をしてから練習をして時間がないこともあって、「子どもたちに教えに来てよ」と言われてもなかなか行くことができませんでした。ずっと応援してもらっていたのに、現役の間に何も恩を返せていないという思いが強くて、引退後の人生はこの2つは必ず恩返ししたいということだけは明確でした。ただ、それがどういう形になるか、どうすれば実現できるかも考えられていなかったのですが、引退してから2年後に、大和市役所の職員の方に出会って今の仕事のきっかけが生まれました。その方は私がベレーザでプレーしていた時にアルバイトしていたサッカースクールの生徒のお父さんで、大和市で行われたベレーザの試合のスタンドでたまたま再会したのです。その時にサッカーと地域に恩返しをしたいという私の思いをお伝えしたところ、大和市役所を受けてみたらどうかと言ってくださって。そのことがきっかけで市職員の採用試験を受けたのですが、オリンピック出場経験があるからといって優遇されることはないと聞かされていたので、猛勉強しました。それでも1年目は落ちてしまったのですが、不合格によってますます合格したいという気持ちが強くなったので更に勉強して、2度目の挑戦で無事に合格することができました。先述のように1年目は税金関係の部署にいて、2年目から今の部署で働かせていただいているのですが、サッカーと地域に恩返しができる環境にいられることに感謝しています。
セカンドキャリアを考えながらサッカーをするのはなかなか難しいことだと思います。私もそうでしたが、今の若い選手たちに「この後どうするの?」と聞いてもあまり考えられていなかったりする。なので1つでも多くの道を先輩たちが作っていくことで、今後生まれてくるプロ選手もいつか引退する日が来るので、私もその道標の1つになれたらという思いがあります。

ー今後の夢についてお聞かせください。

小野寺 引退する時に思い描いたことを今実現できていると思っているのですが、この先を考えた時にスポーツの力で社会をより良くしたいという思いがあります。そのためにはまずはスポーツ界をより良いものにする必要があると考えています。以前に川淵三郎キャプテンがある取材の中で「本当のスポーツマンシップを教えられる人間が少な過ぎる」とお答えになっていて、私もそう思うところがあります。私自身が決して大層な人間ではないですが、女子サッカーの小さな世界の中でもパワハラやセクハラといった悲しい話題が私の耳にも入ってくることがあって、そういうのは絶対に許したくないと思うのです。そういったことが無いようなスポーツ界にし、そしてスポーツ界が社会を変えていくために私には何ができるかなと考え始めたところで、今はその目標の実現のためにJFAとWEリーグが主催する女性リーダーシッププログラムを受講し、勉強を始めました。今はまだはっきりとこれですと言えるものが無いのですが、大人と言われる人間たちが誠実に選手や子どもたちの思いにきちんと寄り添える人間であるべき、という当たり前のことができる世の中になっていって欲しい。そしてスポーツによって幸せな人が増えていく、今感じているそういったことを広めて実現していくことが新しい使命かなと考えています。

ーありがとうございました。

<プロフィール>
小野寺 志保(おのでら・しほ)
1973年神奈川県大和市出身。
高校進学時に読売サッカークラブ女子・ベレーザ(現日テレ・東京ベルディベレーザ)に入団。ゴールキーパーとして20年に渡り活躍し、女子日本代表としても長年プレーする。2008年シーズン限りで引退した後、2011年に大和市役所に入庁。公務員業務の傍ら、2014年大和シルフィードで現役復帰を果たし3シーズンプレーする。2016年に引退後は、GKコーチとしてクラブを支えながら、地域スポーツと女子サッカーの振興のために尽力している。

text by Satoshi Yamamura

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