公益財団法人日本サッカー協会がサッカーやスポーツを通じて子どもの健全な成長を支える目的に行なわれている「JFAこころのプロジェクト」という活動をご存知だろうか。サッカーに限らず様々な競技のプロ選手やオリンピック選手、元アスリートが夢先生として子どもたちに自身の夢や経験を話し、子どもたちに「夢を持つことの大切さ」や「夢に向かって努力する大切さ」を伝えるプロジェクトである。
今回はこのこころのプロジェクトに携わる元なでしこジャパンでアテネオリンピック代表選手として活躍された小林弥生氏にお話を伺った。
ーまずはじめに、小林さんの活動についてお聞かせいただけますか。
小林 私は選手として2015年1月1日が最後の試合だったのですが、その直後から日本サッカー協会が社会貢献活動として行なっているJFAこころのプロジェクトの一環として全国の小中学校で行なう「夢の教室」という事業に携わらせていただいています。現在は小学校5年生と中学2年生が対象の教室なのですが、平日はこの事業に夢先生(講師)やアシスタントとして参加して、週末や祝日、学校の長期休暇中などにはお声掛けいただいた際にサッカー教室などで指導したり、試合中継の解説をさせていただいています。
こころのプロジェクトは2007年からスタートしたのですが、その頃は学校でのいじめや自殺が多く発生して問題になっていて、スポーツで何かできることはないかということで当時日本サッカー協会会長を務めておられた川淵三郎氏が発案されて、子どもたちに夢を持ってもらい夢に向かって努力するようになればいじめや自殺もなくなるだろうという思いから始まっています。日本サッカー協会が主となっている活動ですが、現在はサッカーだけでなく他の競技に携わる方も夢先生として登壇していただいています。引退した元選手だけでなく現役の選手はもちろん、スポーツの枠を超えて劇団四季やアナウンサーの方にも登壇していただいています。
こころのプロジェクトでは、小中学校へ夢先生の他にディレクターとアシスタントの3人で伺い、それぞれの役割で運営しています。2020年度は新型コロナウイルス感染症の影響でオンラインでの教室開催をしていますが、従来は授業のはじめに体育館で「ゲームの時間」というアイスブレイクの時間を設けていて、その進行がアシスタントの役割となります。
ー夢先生はどういったお話をされるのですか?
小林 夢先生として登壇していただく方はアスリートが多いのですが、夢を叶えたからすごいとか、先生と会えて嬉しいでしょ。ということではなく、夢先生がいつ夢をもったのか、小中学生の時にはどんな子どもだったのか、そこから夢に向かう途中でうまくいかなかったり落ち込んだときに、どのようにして乗り越えることができたか、そしていかに夢を叶えたかということを話していただいています。
ー夢の教室をオンラインで行なうことの難しさはありますか。
小林 オンライン授業は画面を通して見るので子どもたちの表情が見えにくかったり、雰囲気を肌で感じとれないので、緊張度合に合わせてどれくらい雰囲気を柔らかくしてあげるかが掴みにくいという難しさは感じています。他にも通信状態の影響で音が途切れてしまったり向こうの声が聞こえなかったりしてこちらが一方的に話すだけになってしまうというケースもあるので、いかに夢先生の話を聞いてもらうかという工夫もしていて、例えば画用紙や写真を画面に映して視覚からも情報を入れるようにしています。また、夢シートという自分の夢について書いてもらうシートがあるのですが、そのシートを書く時間を「トークの時間」の間に設けるなど、子どもの集中力をどう保たせるかが一番難しさを感じるところです。
ー夢シートはどういったことが書かれていたりするのですか?
小林 夢シートは子どもたち自身の夢とそのためにできることを書くようになっています。また、最後には登壇した夢先生への感想やメッセージも書いてもらい「夢の教室」の参加者全員の夢シートが夢先生に届くので、そのメッセージ1人ひとりに返事を書いていきます。
私の話を聞いて「夢はなかったけど先生の話を聞いて夢を持ちたいと思いました」とか「優しい人になりたい」「幸せになりたい」といったことを書いてくれているのは嬉しく思います。また私はいじめというテーマで話してはいませんが、その私でも子どもからのSOSが書かれている場合もあるので、夢シートをきっかけにそうした子どもを救うことができれば、こころのプロジェクトの元々の目的に応じた取り組みができているかとも思います。
ー小林さんは子どもたちにどういう話をされるのですか?
小林 私は小学生の頃にはとにかくサッカーがうまくなりたいと思って、大好きなサッカーを続けていたら夢につながったという経験を子どもたちに話しています。
そんな中、中学校の時に憧れの人ができ、その憧れている人がオリンピックに出ているのを見て私もオリンピックに出たいという夢ができて、その夢を叶えるためにどうしたらいいかを考えて行動してきたことが、当時は意識していませんでしたが引退して振り返るとあれが努力だったんだなと思いました。努力というと歯を食いしばってがんばることや人の2倍3倍練習すること、苦しいことや辛いことというイメージがあると思います。ですが私は結果が出なくて苦しいと思うことはありましたが、努力が辛く苦しいことではなくて楽しいから続けていたという実感があります。
サッカーを始めた頃からボールを蹴ることが好きで、リフティングや壁当てなど、どうすればうまく蹴られるか、うまく止められるかを常に考えて工夫してやっていたなと思いますし、それは辛いことや苦しいことではなくすごく楽しくやっていたことで小・中学生の間は上達することができました。
ですが高校生の時に読売西友ベレーザ(現、日テレ・東京ヴェルディベレーザ)に入ってからは体力不足を痛感しました。それまで長距離走が苦手だったのでやらずに避けてきていて、それでも小中学生の間は試合にも出ていたのでそこまで持久力の無さに直面することはなかったのですが、トップチームに入ってからは自分に体力が足りていないから試合に出られないんだなと思いました。これまで苦手だからと避けてきたことにも取り組まないとこの夢を叶えることはできないと気づくことができて、好きなことしかやってこなかった自主練習の時間に苦手なことにも取り組むようにして、チームの練習以外の時間に走ったりしたことが今思えば努力だったんだなと思います。
その後日本代表に選ばれて2000年のシドニーオリンピック予選に出場しましたが、負けてしまってすごく悔しい思いをしました。オリンピックに出場できないことがとても辛く悲しかったのですが、4年後には皆とオリンピック出場の夢を叶えたい、諦めたくないと思ったので自分が強くなるために海外へ行こうと決意して海外リーグにも挑戦しました。この経験もあり、4年後のアテネオリンピックでは出場権を獲得することができました。
その時の予選でも、当時アジアで強豪だった北朝鮮代表に勝つことはできないという声が多かったのですが、試合会場の国立競技場には3万人ものサポーターが応援に来てくださって、選手とサポーターが気持ち一つになって戦ったことで北朝鮮に勝つことができ、念願のオリンピック出場が決まりました。私自身夢を叶えられた実感がわいたのは、オリンピックの初戦の国歌斉唱をしているときでした。ただ、それ以上にこの夢は自分の努力だけでなくたくさんの支えてくれる人や応援してくれる人がいたから叶えることができた。一人では叶える事はできなかったなと思うと感謝の気持ちが溢れてきたので、そうした話を夢先生として話をしています。
ー他の方が夢先生としてお話される中で印象に残っているお話はありますか?
小林 他の方がお話される内容は素晴らしいお話ばかりで、いつも勉強させていただいています。例えば「努力する習慣」ということを伝える方がいらっしゃって、できないことにチャレンジすると少し出来るようになる。そうすると少し好きになる。それでまた少しチャレンジしてみる。これを続けると癖になり、「努力の習慣」になるということです。反対に途中でやめたり逃げ出したり投げ出したりすることも全部癖になります。楽だからです。ただ、これを癖にしてしまうと他の人ができるようになるのを見ると羨ましいと思って、愚痴や悪口を言ったり全部人のせいにしてしまうようになります。どっちの自分になりたいか、決めるのは自分。と伝えてくれた夢先生の話は印象に残っています。
また、その方は小学生時代に少し早く競技を始めたことで周囲の「すごいね」と言われ自信を付けていたが、全国大会で大きな壁にぶつかり、自信ややる気をなくした経験から「自分との約束」を守り続けることで芽生える自分の中での「俺はやってきた」という自信。それがなければダメなんだという学びから自分で身につける「自信」。自分自身の「身」が自信の「信」になり「自分自信」となること。それが身についたことが夢を叶えられた要因です。ということをおっしゃっている夢先生がいてすごいなと思いました。「自分自信」はとても共感し印象に残っています。
ー今このお仕事で小林さんが感じられているやりがいは何ですか?
小林 私自身、子どもが好きなので、まずは何か目標や夢を持ってほしいなと思っています。目標や夢があるから目標達成であったり夢を叶えるためにどうすればいいかということを考えて、それに向けて行動する。そうして目標や夢があればなりたい自分に近づいていく自分のことを好きになれる。夢や目標というのは、なりたい自分になれるためにあるのではないかと考えるようになりました。私自身もこんな大人になりたいなと思っていた夢がありましたが、サッカーでオリンピックに出ることによって自分に自信が持てたり自分のことを好きになれたということが今に繋がっていると思います。
私はサッカーをしていて悔しいとかこの世の終わりだと感じたこともありましたが、一人ではがんばれない分、仲間と出会わせてくれたのもサッカーや夢だったので、そうした全ての経験が私を成長させてくれたと思います。
このような、私が経験したことを子どもたちに直接会って伝えられる場があることを嬉しくも思いますし、少しでも伝わっていると感じられたときにやりがいと責任感を持てています。
ー小林さんが今後、仕事を通してやりたいことはありますか?
小林 川淵さんは「大人も夢を持て」とよくおっしゃっています。夢先生に対しても今の夢を伝えてほしいと話していて、大人が夢を持って叶えようとしている姿を子どもたちに見せることで、夢を持つって素晴らしいなと感じてもらうことが子どもに夢を持たせる一番のきっかけだったりします。
私が憧れている人は私の母なのですが、家族を支えてくれた母みたいな人になりたいという夢があるとずっと話していますので、その夢を叶えられるようにしたいとは思います。
また、今は、この「夢の教室」で1人でも多くの子どもと出会っていきたいですし、私の授業を受けてくれた子たちと再会できればとも思っています。
ー貴重なお話をありがとうございました。
<プロフィール>
小林 弥生(こばやし・やよい)
1981年東京都出身。
小学生の時に兄の影響でサッカーと出会い、1997年に読売西友ベレーザ(現、日テレ・東京ヴェルディベレーザ)に入団。2014年シーズンに引退するまでなでしこリーグ200試合以上に出場し多くのタイトルを獲得。また、海外リーグでのプレー経験もあり、なでしこジャパンとしてアテネオリンピックにも出場。現在は、JFAこころのプロジェクトにて、夢先生やアシスタントとして年間200クラスの「夢の教室」に携わっている。
text by Satoshi Yamamura