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沖縄での二次キャンプが始まりました。驚くほど暖かい沖縄の気候にも助けられ、右足首はかなり順調に回復しています! 最初は別メニューから始まって、部分合流になり、数日前からはすでに対人練習にも入れるようになりました。また、練習後には1対1の間合いや感覚を取り戻すために、若手が自主トレでやっているシュート練習にも加えてもらったりもしています。というわけで、この先もどんどんコンディションとプレー感覚を上げていきながら、開幕を目指して自分を高めていこうと思っています。
さて今回も、前回に引き続き皆さんからいただいた質問にお答えしていきます!
■Q.ゼロックススーパーカップの戦いが近づいています! 昨シーズンの戦いを通して感じた川崎フロンターレとの差を教えてください。川崎を上回って勝つために必要なことは何ですか?
川崎との差は正直、すべての面で感じました。個々の選手の技術力ということではガンバが劣っているとは思っていませんが、組織力、戦術理解度など、チームとしての結果を求める上では不可欠な部分では明らかに川崎に上回られたと思います。
ただ、僕らも昨年から今年にかけて大きくメンバーが変わっていない中で積み上げているものは必ずあり、それは勝利に繋がるものだと思っています。あとは、スタートから『対川崎』ということにビビらずに戦えるか。昨年の対戦を踏まえて、試合前にはきっとメディアなどを通しても、昨年のリーグ戦での0-5の敗戦や天皇杯決勝での敗戦が取り上げられることもあるはずですが、過去の戦績とか周りの声に振り回されず、むしろ「来いよ、川崎」くらいのメンタルで試合に迎えられるかが大事だと思っています。また試合中も、仮にボールを回されまくったとしても「回させている」くらいのマインドで状況に向き合い、川崎対して終始「隙があったらもちろん食うぞ」という牙を剥き続けられるか。実はそう言ったメンタリティこそが川崎戦では一番、勝負を分けるんじゃないかと思っています。
■Q.3バックと4バックでセンターバックの仕事はどういう部分で変化しますか? 昌子選手はどちらのシステムが好きですか?
DFラインが3枚になるか4枚になるかで、もちろんセンターバックの仕事は大きく変わります。単純に守備の人数が減るし、ビルドアップや攻撃の組み立て方も変わってきます。じゃあ、どちらが好きか? 僕はこれまでのキャリアでは4バックでプレーしてきた時間の方が長いですが、最近は3バックにも面白さを感じています。昨年のガンバの戦いを振り返ると、正直、どことなく3バックの時の方がうまくいっていないとか、結果が出ていないという印象を持たれている方も多いかもしれませんが、あの時と、今とではチームメイトのプレーに対する理解の深さも違うし、それを基により組織としての強さを示せるんじゃないかとも思います。
DFラインは、個人の能力だけで安定した守備をできるわけではありません。DFラインで一緒に組む選手の特徴、マークの受け渡し、相手についていくのか行かないかの判断など、細かい連携やタイミングが合致して初めて、形になります。そう考えると、ツネさん(宮本恒靖監督)が常々言っているように、昨年と同様に両方のシステムをチームとして備えられるようになり、状況に応じて使い分けができるようになれば、チームとして結果を求める上でも大きな武器になると思っています。
■Q.またいつか海外でプレーしたいと思いますか?
正直、今のところ海外への再挑戦は考えていません。これは、僕がもともと『海外』に憧れを持っていたタイプではなかったというのも影響していると思います。また日本のサッカー界でも成長は求められるし、ガンバで成し遂げたい目標もあるし、まだまだ学びたいこともたくさんある…と考えれば、今はまず、そっちに集中しています。
■Q.選手にはどんな応援が活力の源になりますか? 『声』が届けられない今、例えばこんな応援があったら嬉しい!というのがあれば教えてください。
僕はまだガンバに加入してから、サポーターの皆さんの声援を受けて戦ったことがないので、早く皆さんの声がスタジアムに戻る日が待ち遠しい限りですが、『声』の応援が禁止されていた昨年も、皆さんの熱はしっかり伝わってきました。試合が始まれば試合に集中しているのでスタンドを見ることはないですが、ウォーミングアップの際や入場の際、またゲーム後は必ずスタンドに目をやっていて、試合前は特に掲げられたタオルマフラーやゲーフラからも力をもらっています。そういう意味では、どんな応援も活力の源にはなっていることに間違いないですが、例えば、選手入場の際に皆さんがタオルマフラーを掲げた光景がスタジアム全体に広がり、スタンド一帯がガンバ色に染まれば、かなりのパワーをもらえそうな気もします! 今は観客席も詰めて座ることができないと考えれば、逆に空席がある状況を生かして青と黒のコレオグラフィ的なものを作り出すのもアリかもしれません。ただ、忘れてはいけないのは、必ずルールを守ること。それもある意味、僕たちへの応援だと受け止めています。
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昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月に完全移籍が発表されたトゥールーズFCでもすぐさまレギュラーに定着したが、2シーズン目はケガに苦しみ、長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年2月にガンバ大阪に完全移籍。3シーズンを戦ったのち、22年12月8日に古巣・鹿島への移籍が発表された。
日本代表にも14年に初選出。18年のワールドカップ・ロシア大会でもレギュラーとして活躍した。