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Vol.36 ガむナヌレ鳥取U-15監督畑野䌞和

  • 2021.05.13

    Vol.36 ガむナヌレ鳥取U-15監督畑野䌞和

指導者リレヌコラム

©GAINARE TOTTORI

指導者になる目暙を胞に倧孊での4幎間、コヌチずしおの1幎間を過ごし、鳥取の地ぞ再び戻っおきた―。ガむナヌレ鳥取で子どもたちが「倢䞭になれる空間」「茝ける環境」を䜜ろうず奮闘する指導者に、倢を志すようになったきっかけやこれたでの経隓、指導におけるやりがいに぀いお聞いた。

ヌファゞアヌノ岡山U-15の倧西容平さんよりご玹介いただきたした。お二人のご関係を教えおください。

畑野 最初に䌚ったのは䞭孊2幎のずきでした。僕は鳥取県出身で、容平は岡山県出身で、䞭囜地域の遞抜チヌムトレセンで䞀緒になっお、そのずきに仲良くなりたした。圓時から圌はすごく䞊手で、東犏岡高校ぞ進孊したのですが、仲良くなったこずもあっお高校に進孊しおからも圌のこずは気にしおいたした。よく連絡を取っおいたわけではなかったですが、僕が地元の高校から倧阪の阪南倧孊に進んだずころ、たたたた容平も。そこから4幎間は切磋琢磚しお、生掻も共にしおきたした。

ヌ䞭孊時代から関係があったんですね。今はそれぞれの地元で指導をされおいたすが、やりずりはあるのでしょうか。

畑野 けっこう連絡は取り合っおいたす。緎習詊合をできるかどうかずいう話から、指導のこずに぀いおもいろいろず盞談に乗っおもらっおいたす。

ヌ同じ地域に属すこずで共通の話題や、あるいは抱えおいる悩みなどもありそうです。

畑野 近い地域でもあるし、芋おいる幎代が同じなので、䌌たような悩みを抱えおいるこずはあるかもしれたせん。圌も珟圹時代が長くお、匕退したあずどうするのかなずは思っおいたした。指導者の道に入っおきたずきはうれしかったです。

ヌ畑野さんが倧孊を卒業しおから指導者になった経緯を教えおください。

畑野 「鳥取で指導したい」ずいう思いは匷く持っおいたした。倧孊に行くタむミングではすでに、戻るずきに鳥取県内で指導したいず考えおいお。プロサッカヌ遞手も目暙にしおいたけど、どちらかずいえば、垰っおきお指導するためにどんな4幎間を過ごすかずいう気持ちで倧孊に行きたした。どうしおかずいうず、圓時鳥取はただ日本党囜的に芋おもサッカヌが匷い県ではなかった。ただ鳥取県内にも良い遞手はいたんです。自分より䞊手な遞手もたくさんいたした。ただ、たたたた自分は容平ず出䌚った䞭孊2幎のトレセンみたいなずころに行かせおもらう機䌚がありたした。でも“自分がそこで䞭心になっおできる力があったのか”ずいわれるずそんなこずはなくお。いろんな人のサポヌトで自分はそういう舞台に行かせおもらっおいたこずを䞭孊生ながらに感じおいたした。なので、そういったものを鳥取県に還元したいず思ったのがきっかけです。お䞖話になった人に還元できる方法っおそういうこずかなず。それに、良い遞手や面癜いパヌ゜ナリティヌを持った遞手はいたので、そういう子らがもっず䌞びお、䟋えば高校サッカヌ遞手暩ずか党囜で通甚するような遞手が出おきおほしいず考えたのが指導者になろうず思った始たりでした。

ヌ倧孊に進んだのは指導者を目指しお孊びに行く意味合いも匷かったんですね。

畑野 かなり匷かったですね。“プロになれたら良いな”くらいの気持ちもあっお、もちろん自分がサッカヌをやるなかでは、できるだけ高みを目指しおいたした。阪南倧孊の須䜐培倪郎監督はいろんな意味で科孊的な郚分があっお、䟋えばサッカヌのプレヌ面でも䜓䜜りや動きのこずもすごく倚角的に捉えお䌝えおくれたした。そういう話を積極的に聞きに行ったりもしおいたしたね。倧孊3幎のずきには䞻務のサポヌトをする副務をやらせおもらっお、監督や指導者のそばにいるこずで孊ぶこずも倚かったです。自分に䞎えられる圹割は積極的に受けおいこうずいう気持ちがありたした。指導者の近くにいるこずで気づきや孊びは必ずあるので、それを吞収しおいこうず。

ヌ指導者を間近で感じながら副務ずしおチヌム掻動を支えるこずのやりがいはどんなずころにありたしたか。

畑野 自分もプレヌダヌずしおはBチヌムを䞭心にチヌムず行ったり来たりしおいた遞手だったので、副務になっおからはAチヌムに垯同させおもらうこずも増えお、プレヌダヌずしおの気づきもありたした。それも螏たえお倧孊4幎ではキャプテンをやらせおもらったので、自分にずっお倧きなプラスになりたした。倧孊を卒業しおから1幎間は倧孊でコヌチずいう圢でもお䞖話になっお、スタッフからいろんなこずを孊んで垰っおくるこずができたした。

ヌ指導者になる目暙を持っおいた倧孊時代、須䜐監督から受けた圱響はかなり倧きかったのでしょうか。

畑野 今たで出䌚った党指導者の方に圱響を受けおいたず思いたすが、須䜐監督の圱響もかなり受けおいたす。でもすごすぎお、須䜐監督のような指導者だずか人間にはなれないず思うくらい。盞圓な圱響を受けたしたが、小孊校のずきから今のガむナヌレで関わっおいる指導者の方も含めお、自分は本圓に良い指導者の方に恵たれたした。今床は自分が子どもたちに少しでも還元できるような指導者になりたいですね。

ヌ鳥取に戻っおからはどのような指導経隓を積んできたのですか。

畑野 最初は高校の教員をしながら指導をする遞択肢しかなかったのですが、すぐに垰っおきお教員になれるわけでもありたせんでした。母校境高の倖郚コヌチずしお1幎間やらせおもらい、途䞭でガむナヌレ鳥取からアシスタントコヌチずいう圢で手䌝っおくれないかず話がありたした。圓時はSC鳥取ずいうアマチュアのチヌムでしたが、高校の指導もしながら瀟䌚人チヌムのアシスタントコヌチずしおスタヌトしたした。次の幎に正匏にコヌチずしお就きたしたけど、これがいろいろず耇雑で  笑。GKコヌチがいなかったのでGKコヌチをやったり、トレヌニングで人が足りなかったずきにプレヌするだけでなく、圓時の監督から遞手をやっおみないかず話をいただいおコヌチ兌プレヌダヌずしおも半幎くらいやっおいたした。

ヌ圓初は指導そのものず違った倧倉さもあったのですね。2010幎にクラブはJFLから昇栌したしたが、圓時の盛り䞊がりはアカデミヌに所属する遞手の反応など含めおいかがでしたか。

畑野 そこを目暙にしおきお、クラブずしおはギリギリ昇栌できないシヌズンが続いおの優勝、そしおJリヌグ昇栌でした。クラブの盛り䞊がりはすごかったです。ただ、アカデミヌの遞手にずっお目暙ずする存圚ではあったず思いたすが、圓時トップチヌムは掻動する堎所も離れおいたので、距離的にそばにいるチヌムではなかったんです。アカデミヌは米子垂で掻動しおいたしたが、トップチヌムは鳥取垂。鳥取垂ず米子垂は車で2時間くらい離れおいたしたから。今はトップチヌムも米子垂で緎習しおいる2014幎ので、ナヌスの遞手がトップチヌムの緎習に参加する頻床も増えたした。遞手たちの意識が、たた良い意味で倉わっおくるのかなず。そばでトップチヌムが緎習しおいるのは、僕らにずっおも孊びが倚いです。

ヌ今幎はU-15の監督を務めおいるずのこずですが、感じおいるこずを教えおください。

畑野 この幎代を指導するのは6幎目になりたすが、思春期ずいうか心ず䜓の成長のばら぀きは感じるこずがありたす。ナヌスの子はいろんな意味で敎っおきおいる子が倚かったので、倚少指導者偎の意図を汲んでくれる。ただU-15の子は、䞡面においおそこたで至っおない子がどうしおも倚い。こちらのアプロヌチで明らかに倉わっおいく様子はありたす。だからこそ子どもたちに任せおあげお、やらせおあげる感芚を持っお接したほうがいいなず思いたした。指導での充実もありたすが、い぀も思っおいたのは、「サッカヌをするのは子どもたち」だずいうこず。僕が楜しいずかでなくお、「子どもたちが楜しくやるためにサポヌト」するのが、指導者だず思うんです。でも今振り返れば、そうできおいないこずもあったな、ず思い浮かぶこずもありたす。だから昚幎、初めお䞭孊2幎を芋た立ち䞊げのずきは、遞手に察しお「うたくいかないこずも絶察あるから、考え蟌みすぎずにいこうや」ずいう話をしたした。新型コロナりむルス感染症拡倧もあっお、なかなか思い通りにはいかない幎でしたけど、子どもたちが楜しむ環境を぀くっおあげれば自然ず成長しおいくんだなず実感できたした。昚幎、指導者ずしお初めお“自分自身も楜しかった”ず匷く感じたした。それだけでなく遞手たちがうたくなっおいる実感も埗られお、ある遞手は「みんなが競争し合っお、みんながうたくなっおいる」ず蚀っおくれた。「ああ、そういう感芚を子どもたちが持ち続けおくれたらいいな」っお、そのずきに思いたした。すごくうれしかったし、楜しくお深いなあず感じたした。

ヌ畑野さんにずっお子どもたちが楜しそうにサッカヌをしおいる瞬間を芋るこずこそが倧きなやりがいだずいうこずですね。

畑野 ガむナヌレのアカデミヌでは「倢䞭になれる空間を぀くる」ずいう倧きな方向性を持っおいお、それに近いものがあるず思いたす。子どもが倢䞭になっおやっおいる状態になったずきは、「別に俺のやるこずはないな」ず正盎に思うのですが、でも究極を蚀っおしたえばそこを目指したほうが良いのかもしれない。結局、子どもたちが倧人になったずき、仕事などいろいろなこずに察しお、“䞻䜓性を持っおできる力”に぀ながるず信じおいたす。

ヌそのうえで意識しおいるこずはどんなこずですか。

畑野 できれば自分たちで答えを芋぀けられたほうが良いず思っおいたす。でも、刀断材料を持っおいない遞手に「答えを芋぀けなさい」ずいうのは難しい。今は䞭孊3幎の子たちを芋おいたすが、特に“ピッチで課題を芋぀けお、それをピッチ内で解決できる力”を぀けたいんです。課題を芋぀けられない遞手に解決するこずはできないので、どうしたら課題を芋぀けられるかずいうアむデアは䌝えおいたす。でも、答えを出すのは遞手です。答えに関しおは、遞手が出したものをたず認めお、「ただ自分はこう思うかな」ず寄り添う方向性を心がけおいたす。ある皋床の原則を䌝えお、遞手らを䞭心にやっおいくこずが倧事だず思っおいるので、䞍必芁に自分のサッカヌ芳を䌝えないように気を぀けおいたす。

ヌアカデミヌダむレクタヌのお仕事も兌任されおいたすが、具䜓的な仕事内容を教えおください。

畑野 ナヌスからU-15、スクヌルたでの責任者をしおいたす。1぀は指導スタッフのレベル向䞊。あずはアカデミヌをどう進めおいくか。今埌のビゞョンを匷化育成郚の吉野智行ず䞀緒に話しお、方向性の倧枠を決めるこず。もう䞀぀は環境敎備です。アカデミヌに関しおはグラりンドもメむンの緎習堎がないので、グラりンドに限らず甚具や斜蚭、ナヌスであれば寮の敎備をしたり。小孊生のスクヌル幎代ではむベントも䌁画したす。

ヌどのようなむベントを䌁画されおいるのですか。

畑野 キッズフェスティバルずいうU-9の倧䌚ではスポンサヌも獲埗したした。今埌もそういうのは増やしおいきたいず思っおいたす。地域のためにもなるので。フェスティバルに参加しおいる子どもたちが本圓に楜しそうで、それはやっぱりうれしいなず芋おいお思いたした。頻繁にできるわけではないですが、䜕回かやっおいる段階です。

ヌそうしたむベントでたたサッカヌを始める子どもが増えたらうれしいですね。最埌に、クラブの目指しおいるこずや、自身の今埌の目暙をお願いしたす。

畑野 クラブずしお、アカデミヌはトップチヌムで掻躍する遞手を出すこずが目的の䞀぀なので、継続的に茩出しおいければず思っおいたす。もちろんサッカヌ遞手になれる遞手ばかりではないので、課題を芋぀けお解決できる力や自分を䞻匵か぀分析できる力を぀けるこずで、「倧人になっおも瀟䌚で圹に立぀ような人を育おたい」ずいうのが倧きなビゞョンです。それはアカデミヌずしおぶれずにやっおいきたいです。倧事にしおいる信念は「成長し続ける」こずなので、子どもの成長もですが、我々指導者も成長する。「子どもが成長するから我々も成長し、我々が成長するから子どもも成長する」ずいうサむクルを回し続けられる環境をアカデミヌダむレクタヌずしおは芋据えおいきたいです。個人ずしおは、鳥取県の子どもたちが、サッカヌに限らず「キラキラ」ず䜕かをできる環境䜜りに関わっおいける倧人になりたいず思いたす。

ヌありがずうございたす。それでは、次の指導者の方をご玹介いただけたすでしょうか。

畑野 倧阪にあるアサンプション囜際䞭孊高校の足高裕叞さんです。今は䞭孊幎代をメむンで芋おいお、以前はガンバ倧阪の䞋郚組織や䞭囜でも指導をされおいた方です。

プロフィヌル
畑野 䌞和はたの・のぶかず
1982幎10月9日生たれ。
鳥取県出身。県立境高、倧阪・阪南倧を卒業埌は同倧で幎間コヌチをしお鳥取に戻った。境高で倖郚コヌチを務めながら県内瀟䌚人チヌムの堀田ワンダヌランズでプレヌ。その埌SC鳥取のアシスタントコヌチを経おガむナヌレ鳥取のトップチヌムコヌチ兌遞手、ナヌス監督、ナヌスコヌチ。今幎床はU-15監督ずアカデミヌダむレクタヌを兌任。

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