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Vol.38 中国広州城U-14監督/上村健一

  • 2021.06.24

    Vol.38 中国広州城U-14監督/上村健一

指導者リレーコラム

現役時代はサンフレッチェ広島などでセンターバックとしてプレーし、引退後はロアッソ熊本のアカデミーコーチなどを経てカマタマーレ讃岐のトップチーム監督も経験。現在は中国の広州城(前年まで広州富力)で中学年代を教える上村健一さんにお話をうかがった。成功体験のみならず、苦い経験も糧に、新しい環境での指導に挑戦中の上村さん。中国でのサッカー文化、そこでの指導が日本サッカー界に与える影響、そして自身の中にあり続ける選手への向き合い方とはどういったものなのか―。

―現在大阪・アサンプション国際中学高校で指導にあたる足高裕司さんからご紹介いただきました。足高さんとのご関係を教えてください。

上村 A級ライセンス受講で出会いました。それまでもロアッソ熊本で育成年代にいたとき、ジュニアユースの遠征にもついて行ったりしたので会ったことはありましたが、その受講を機に仲良くなりました。去年1年間は中国でも一緒のチームでお世話になりました。そもそも僕が中国に行くきっかけも彼がつくってくれて、中国への橋渡しをしてくれたのも彼なんです。僕は日本でずっと指導をしてきたけど、指導は人に物を伝える仕事だと思っています。それは自分のサッカーのコンセプトや選手がやりたいプレーに対しての策を伝えること。その伝えるにあたって、「言葉」ってツールが多くを占めてます。だから言葉ってツールを失った中で指導するのは難しい。「だからこそ勉強になります」って話を彼がしてくれました。僕自身、海外で仕事をすることに興味があったので、チャレンジしたわけです。

―今はU-14の監督をされていますが、中学年代を担当されるのは初めてですか?

上村 熊本でユースの監督をやっていた時に、中1から高3までの6カテゴリーすべてをみんなで担当しようって思いでやっていたので、ジュニアユースの遠征にも行ったりしていて。担当になったのは初めてですが、雰囲気はなんとなくつかんでいた感じです。

―日本人スタッフは何人くらいいらっしゃるのですか。

上村 昨年までは13人いましたが、今年は7人です。家族と離れて生活してる人が多いので、帰国を選んだ人もいました。

―中国に来て実際指導してみての印象はいかがですか。

上村 一番は、このチームをはじめ中国の選手が持ってるポテンシャルに本当に驚いてます。身体的なポテンシャルもだし、技術的にも高い。指導者がもっと変われば、中国はかなり強い国になると思います。僕が抱えるカテゴリーの中でも、明らかにプロになるんだろうなって選手が僕のチームだけでも5人(22人クラス)くらいいます。

―やはりプロを志望する選手がほとんどですか。

上村 僕が今担当してる子でも8割の選手はプロになりたいって思いを持っていて、そういう話をしています。自分は経験論を話すことはあまり好きじゃなくて。ただ、もし話をするならばってことで子どもたちに言うことがあります。僕自身能力的に高くなかった選手ですし、小中高と無名のところでプレーをしていました。その部分で言えば、「誰でも可能性はある」と信じてる。本当にプロになりたいって強い思いがあって、そのために必要なことをやり続けられるかが、一番のプロへの近道だと思って彼らには話をする。全員なってもおかしくないくらい、可能性はあると思ってます。それは日本の子も一緒で、何かにかけて一生懸命やっていれば、「なれるってことは絶対ではないけど、近づくことはできる」。最後の最後まで「自分の可能性を信じて」プレーし続けられるかだと思います。やめてしまった時点でそれは終わりなので。

―経験はあまり話さないとのことですが、それでもご自身の学生時代の経験は今に生かされる部分がありますか。

上村 環境もまったく整ってないところでサッカーをしてたので、あまり比べる感じではないです。ただ、今まで見てきた選手がたくさんいるので、そういった選手を参考に、「こういうことはできたほうがいいんじゃないの?」とか「こういった思いは持たないといけないんじゃないのかな?」って話をしながら指導しています。

―気持ちの面については中国の選手をどう見ていますか。

上村 家庭環境的にも、中国は大家族で住んでいる選手が多い。家に親御さんが6人いるみたいな選手もいます。すべてのこと、ある程度のことはみんながやってくれる環境。逆に言えば、6人があれこれやりなさいとすべて指示するので、子どもが能動的に考えることが苦手だなと感じています。日本の子どもよりも指示待ちは多い。何をやればいいのかわからずにいる子どもが多い。サッカーは常に状況が変わって、どんどん判断して行動に移さないといけない、「認識して判断して行動する」っていうスポーツなはずなのに。だからそれぞれの状況に合った基準を提示し教え込んだ後、選手の戦術行動を待つ時間を多くしています。自分で判断してみようって。もちろん「右いきなさい、左いきなさい」って言えば簡単なんですけど(笑)。彼らが自分で「これは右なんだろうか、左なんだろうか」って悩んで悩んで何か行動を起こして、それに対しての成果を得られれば良いと思うんです。それは成功でも失敗でも両方とも大事なので。それをやることで彼らは少しずつ変わってくると思うので、時間はかかると思いますが、根気強くやってます。

―初めて中国に行った頃からの変化は見受けられますか。

上村 最初はU-13を見ていて、今年からU-14を見ることになりました。昨年度は1年間見てた子たちは、かなり変わったと思います。最初は本当に10メートルもボールを蹴れない子もいて、でも今はその子たちがシステム的な話までできるようになった。例えば4-1-4-1と4-2-3-1をやるって言った時に、「どういうスペースができて」「どこにフリーマンができやすくて」守備で言えば「どこにボールを奪いやすいポイントがあるか」ってところを見たら自分たちで把握して。練習中に、相手の話をさーっとしたときに、「相手はこうなってこうなってました」って返答がくる。かなり変わって自分もすごく驚いてます。1年間やって変わったところもあるし、今年も約4か月やって変わってきてる部分も大きい。

―仰るようにポテンシャルの高さも感じますね。

上村 もともとこのカテゴリーの選手たちは中国でもかなり高いレベルにある選手だと思ってました。特にフィジカル的に長けてるチームなので縦に速いフットボールをやったときは、すごく強い。だけど、どこのチームもフィジカル的に少し追いついてきたので、今はその中で少し苦労している段階です。フィジカル的な優位性を持てなくなったときに、持っておくべき武器が必要だよねって話をしてます。最初は少し過剰になるかもしれないし、パニックになるかもしれないけど、少しずつでいいから入れていこうって話をして、段階を踏んで教えてるところです。

―パワーアップしていくチームが楽しみです。指導される中で難しく感じることはどんなことですか。

上村 日本では所属してるチームは大抵の選手が一つです。例えばクラブ連盟や高体連ですが中国では各中学校の部活にも所属して、地区の選抜にも所属して、そのうえ区のチームにも所属してる。日常行ってることの共有も難しいです。規定についてもかなり複雑です。小6から11人制で5号球を使ってゲームは80分。かと思えば中学校の部活は4号球で8人制、20分ハーフ。それが中3まで続きます。いろんなところでまちまち変わってくるので、何のためにそうなってるかは明確ではありませんが、日本とは違って苦労するところかなと思います。

―それは選手も大変ですね。中国で部活に入るのは絶対なのでしょうか。

上村 クラブが提携してる中学校が4つくらいあって、その学校にお世話になってるという状態です。なので部活には必ず所属して、学校でも成果を出さなければいけない。クラブの選手として活動することもあるけど、学校のために活動することも大事になってきます。

―練習の兼ね合いはどのような感じですか。

上村 それはすごく難しいです。基本的にはクラブのほうで練習とかは行いますが、大会の前の日とか、前の週は部活に行くことになります。とにかく僕が大事にしないといけないのは選手のコンディション。選手のためになってるのかは大事なことなので。こちらでリハビリさせてるのに、学校ではプレーしてたみたいなことも過去には起こったりしました。クラブが学校側とやりとりして、選手がけがをして苦労する、大変な思いをするのをどうにか大人が頑張って避けないといけないと思っています。その辺は今までやってきたことやずっと根付いてる部分もあると思うので、一気には変えられないけど、ただ良いものは良いで残して、悪いものは悪いで少しずつでもいいから変わっていったほうが良いのかなと。ゆっくり話をしながら「クラブと学校と地域と」良いものをつくっていければいいですね。

―広州恒大などが強いと言われる中、広州城もかなり中国で勢いをつけているチームだと聞いています。そのあたりの手応えはいかがですか。

上村 07年代はトップなので、ターゲットにされてるチームです。このチームに入りたいという練習生もくるので、一番目標にされてるチームではあるなと感じます。中国でトップチームを持ってるクラブはほぼ学校法人を持っています。学校に所属して、学校内ですべてトレーニングを行う、勉強も行う。広州恒大さんもそうです。その点広州城だけは通い型のアカデミーで、日本と近い形です。ですが中国では異質と捉えられます。その中で成果を出してるのはかなりすごいことだと思います。

―やはり仕組みにも国によって違いがあるんですね。上村さんはどういう選手を育てたいとお考えですか。

上村 自分が育てたいとかはおこがましいですが、「エンブレムを背負う意味」はすごく大切だと思うので、その話は常々しています。クラブを代表する選手になってほしいので。それはサッカーだけでなくて、いろんな人から必要とされる、愛されるような選手になってほしいということ。僕が彼らに一番言うのは、君らがプロになろうがなるまいが、結局「社会に出て行くよね」と。社会に出て行った時に、それがたまたまサッカーの社会かもしれないし、サッカー以外の社会かもしれない。どこであっても社会に必要とされる人間であってほしいとは伝えてます。なのでプレーどうこうよりも、愛される人間でいてほしい、願わくばそんなプロであってほしいなと。お世話になったクラブに恩返しをする意味では、トップチームに上がって活躍することと、このクラブに収益をもたらすことだと思います。そんな存在になってほしいです。

―これまで長い間指導者として経験を積まれてきました。描く指導者像はどんなものですか。

上村 僕は「選手が何を考えてたか、したかったか」を逃さない監督でありたいなと思います。当然それだけを成就させることが監督ではありません。監督としてのコンセプトもあるので。ただ自身のコンセプトを押しつけるだけじゃなく、選手が何を考えていたかを逃したくないというのは常に思っています。自分の考えていることや状況にあった最善だと思われる選択肢を選ぶことはもちろん継承します。プラス、選手が考えていることを成就させるために何が必要か提案していくことをやりたいって気持ちは自分の中にずーっとあります。自分がS級ライセンスを取ったとき、インストラクターの方にも「そのスタンスはよく伝わるし、選手をリスペクトしているのも外からわかる。すごく良い心がけだとは思う。ただ、苦労すると思うよ」って話をいただいた。実際苦労しましたね、これからです。

―苦労した経験というのをお聞かせいただけますか。

上村 いわゆる失敗だと思いますが、成果を上げられなかった、結果をもたらせなかったカマタマーレ讃岐の監督をしたときです。あのとき自分のコンセプトを強く出し続ければ結果は違ったのかもしれないって気持ちもありますが、迷いもありすごく難しかったです。ですがまた監督をやらせてもらう機会があったときに、違うやり方にするかなって考えたら一緒だなと思ってます。なので、自分のコンセプトの落とし込み方を変えたり、そういった工夫は以前監督をやってたときより変えないといけない。変化を持って自分も成長しないといけないと思ってます。

―カテゴリーは変わりましたが、再び監督としてのチャレンジを。今後の目標を教えてください。

上村 まず僕自身はこのクラブに所属させてもらってるので、このクラブに対してどういった有益なものをもたらせることができるか。子どもたちが少しでも成長できればと思うし、個人の成果とチームの成果を得られるように、日々のトレーニングをやっていきたいです。個人で言えば、中国のサッカーに何か尽力できればいいなと思います。中国のレベルが上がっていくことで、アジアのレベルも上がると思う。それが「ゆくゆくは日本代表の強化にもつながる」と僕は思っています。中国で今は子どもたちを指導しながら、遠回しではあるけど「日本サッカーの発展」に自分なりに寄与していけたらと考えています。

―ありがとうございます。それでは、次の指導者の方をご紹介いただけますか。

上村 オルテガ・ホルヘ・グスタボさんを紹介いたします。
初めて会ったのは、選手(弟)を連れてカマタマーレ讃岐に練習参加に来た時に出会い、一昨年グスタボさんがガンバ大阪で通訳の仕事をしていた時に、香川に食事にわざわざ大阪から来てくれて、その時たくさんサッカー談義し関係が深くなりました。

<プロフィール>
上村 健一(うえむら・けんいち)
1974年4月22日生まれ。
熊本県八代市出身。広島県立松永高を経て1993年にサンフレッチェ広島入団。10年在籍した広島では251試合出場23得点。2001年にはA代表デビューし、国際Aマッチ4試合出場。セレッソ大阪、東京ヴェルディ、Y.S.C.C横浜でもプレー。2008年シーズン終了とともにロアッソ熊本で現役引退。その後はロアッソ熊本コーチ、アカデミーコーチを経て2013年よりカマタマーレ讃岐に移籍しトップチームヘッドコーチ。2019年はトップチーム監督を務めた。2020年から広州富力(現・広州城)で指導。今シーズンはU-14監督。

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