横浜に希望を―。「日本の青少年の自殺率が高いことに心を痛め、スポーツを通して日本の子どもを助けたい」という願いから元アルゼンチン代表のオルテガ・ホルヘ・アルベルトさんを中心につくられたエスペランサSCは、創設19年目を迎える。創設当時から父であるアルベルトさんの下でコーチを務め、現在はクラブの代表、トップチームコーチ、U-13、U-15の指導も行うオルテガ・ホルヘ・グスタボさん。現在川崎フロンターレで活躍する脇坂泰斗選手も輩出したクラブで、指導において大切にする理念をうかがった。
―中国広州城足球倶楽部U-14監督の上村健一様よりご紹介いただきました。
グスタボ 上村さんがカマタマーレ讃岐で指導していたときにお会いしたことがきっかけです。一緒に食事させていただいたこともあり、サッカーの勉強もできました。
―まずは、お父様と始めて日本に来たときのことを教えてください。
グスタボ 初めて日本に来たのは12歳の時でした。行く前の日本のイメージは東京とか横浜、大阪の華やかなイメージ。ですが自分が最初に行ったのは鳥取県でした。鳥取は畑が多くて、それはイメージと少し違ったのですが(笑)。でも、すごく日本人の温かみを感じました。いろんな人にとても優しくしてもらって、親切さを感じました。
―どのようなところに親切さを感じたのでしょうか。
グスタボ 小学校にも数か月行ったのですが、でも当時の先生たちはもちろん日本語しか話せないし、自分はスペイン語だけ。その中でも自分は1対1でいろいろ教えてもらって、弟もいましたが、空いてる先生が時間を見つけながら一生懸命教えてくれました。自分は3か月である程度の日本語を話せるようになって。当時の先生たちには思いやりとか、コミュニケーションの大事さを教えてもらいました。その印象がすごくあります。
―そうだったんですね。一度はアルゼンチンに帰国されたとのことですが、再び日本に来たときはどのような思いで来日されましたか。
グスタボ 2002年、日韓ワールドカップをきっかけに父と日本に来て、エスペランサSCのお話をいただきました。私たちはクリスチャンなのですが、このエスペランサSCはもともとキリスト教の考えに基づいて始まったクラブです。日本は青少年自殺やいじめが多いということで、「スポーツを通して悪い考えを絶つ」という意味が込められて始まりました。「エスペランサ」はスペイン後で「希望」。横浜の街に希望を与えたいという思いからこの名前になりました。父と僕の2人でスタートして、最初は少年のためのクラブで、集まった選手は50人くらいでした。
―そのような意味が込められていたのですね。実際にクラブをつくった当初を振り返っていかがですか。
グスタボ 最初はもちろん難しいこともありましたが、クラブの選手たちがどんどん上手になっていき、私たちが与えるもの以上に選手たちから求められるものが大きくなっていったんです。初めは小学生チームだけだったものが、その先の成長機会を与えるために中学生チームをつくって。さらに、卒業してどこか別のチームで活躍するだろうなって思った選手が、その先の環境で伸び悩む姿も見てきたこともあり、ユースチームや社会人チームもつくろうと思いました。自分たちがハード(環境)の部分を整えてあげることで選手がもっと成長できるのなら、自分たちが頑張ろうと。社会人チームはコーチと選手のお父さんたちで組んで、神奈川県3部からのスタートでした。だんだんと勝ち上がって今は関東1部。Jリーグ参入という目標を掲げて、現在自分は会社を起こして、代表として運営をやらせてもらっています。社会人チームは今年、まずJFLを目指すために頑張っています。育成年代の選手たちにとっても、目の前に大人の選手やプロ選手がいますし、去年まで外国で代表チームにいた選手もいるので、すごくいい影響を受けていると思います。
―続々とカテゴリーを増やしたとのお話ですが、増やすことは決して簡単ではなかったと思います。
グスタボ そこらへんは逆に深く考えすぎなかったです。子どもたちが「サッカーやりたい」「うちでやってるとすごく楽しい」って話を聞いてると、じゃあつくろうって思う。つくるにあたって、サッカー協会とか自分たちの力だけじゃなくて人に頼っていかないといけない部分もある。物理的なことについて少し壁はありしましたが、ですが子どもたちや選手を見ると選手の思いをすごく大事にしてあげたい。なので難しさはそんなに感じませんでした。ただチームがいっぱいあると休みがないくらいかな(笑)。あとは責任。自分はチームの代表をやってるので、スポンサーさんに営業をしながらトップチームのコーチやスクールの指導もしています。結局自分も楽しくて、もっと良いチームにしたいと思ってどんどんのめり込んでいってしまうので、今年はU-13とU-15と社会人を見ています。自分で忙しくしちゃってますね(笑)。
―グスタボさんをそれほどまでに突き動かすやりがいはどんなところにありますか。
グスタボ できるけどやらない、結果を出さないが一番良くないと思っています。個人的に日本人は思いきりやることが少ないなと。こちらから見れば、「もっとできる」「絶対できる」って思う。選手にも同じことが言えます。本人は自信がないとか、出し切らないとかで結果を出す前に諦めてしまう。壁を目の前にした選手を見ていると、自分としてはもどかしいです。殻を破るためにはもちろん痛いこともある思う。それでも自分のやったことのない経験をするためには、コーチが後押しする必要があると感じています。だから私はどんどん子どもたちに挑戦することを伝えていきたいです。
―それはグスタボさんが指導するうえで意識していることですね。他にも育成年代の子どもを指導する立場として大事にしていることはありますか。
グスタボ 一つではありません。挨拶を大切にしてます、とかそんな単純なことではないと思うんです。子どもとの関係性はとにかく大切にします。挨拶はもちろんですし、コーチに対するリスペクト、仲間に対するリスペクトも。まずその子にとっての環境を整えてあげれば、いいものが生まれてくる。環境を整えないと子どもが出し切れない。あとはスポーツだとフィーリングの部分がとても大事なので、ほどよく見極めて指導者側も求めるし、どんどん選手も出し切る。意識すべき要素は一つではないです。あとは、結果を出した試合と出せなかった試合の違いですね。試合後の練習も負けたあとと勝ったあとではまた違うモノがある。同じ70分でボールを触る回数は、勝っても負けてもほとんど同じかもしれない。でもゴールに入った回数が違う。それだけでメンタリティが違う。同じようなことをやっても勝つ試合もあれば負ける試合もある。メンタルケアの部分はすごく大事にしています。
―試合後の指導はすごく大切ですよね。具体的にどういった話を選手にはするのですか。
グスタボ 当たり前ですが、悪いときは悪いというし、いいときはいいと言います。子どもは単純にやっていいことと悪いことがわかるようになるし、肌で感じるようになる。悪いときは「ドンマイ、大丈夫」ではなくて、ハッキリ言う。わからないと、感覚が麻痺しちゃうので。練習中でも良くないシュートをしたとき、「ドンマイ」ではなくて、その瞬間に集中してほしいし、そのシュート1本を大事にしてほしいんです。切り替えることが大事な部分もありますが、一つ一つを大切にしてほしいと思っています。最近、どんどん子どもたちが責任を取らない方向になってきていると感じているので、エスペランサSCではハッキリするところはハッキリするという方針で指導しています。現在川崎フロンターレで活躍している脇坂泰斗選手も、うちのクラブの出身です。彼は8歳から15歳までプレーしていました。
―なるほど。メリハリのついた指導ですね。ちなみに今お名前が出ましたが、脇坂選手はどんな選手だったのでしょうか。
グスタボ 小学生のときはスクールで、平日2、3回練習に来ていました。彼は負けず嫌いでした。本人の中でも2、3回辞めるって言ったときがあったみたいで、ユニホームをゴミ箱に捨てて(笑)。でも次の日ゴミ箱からユニホームを取って必ず練習に来ていました。うれしいときはものすごくいい表情で喜ぶし、気持ちの部分では感情あふれる子。人に当たってしまうようなときは、コーチが指導していました。
―精神的な部分でも成長は見られましたか。
グスタボ うちを抜けてからすごく成長したんじゃないかと思います。ずっと「走ろう」とか、「リーダーになってほしい」「いいお手本になってほしい」というのは伝えていて。フロンターレのユースでは2年目にキャプテンをやっていました。すごく守備のために走れる選手にも成長したな、と感じます。
―小学校の時から伝え続けたからこそ、それが結実したのかもしれませんね。
グスタボ それはもちろんありますね。子どもに例えると、親にこれやりなさいとずっと言われて、自分の家ではやらないけど他の家に行くとちゃんとできるみたいな。脇坂もそういうのと一緒なのかなとふと思いました。走れる選手、アグレッシブな選手としてプロになりたいのならば、もっと磨いていかないとっていうのは教え続けていました。フロンターレでも大事にしてくれてるのを見ると、自分としてはうれしくはなりますね。
―たくさんの選手を指導されていますが、どういう選手を育てたいかなど描く理想はありますか。
グスタボ 選手にはいろんなタイプがいますが、まずはとにかく人間形成。プロや代表になる選手はもちろんサッカーの能力が高いです。なにか一つ優れた武器を持っています。例えば足元の技術がうまくなくてもヘディングが強い、気持ちが強いとか。他の誰にも負けない優れてるものがあるから、そういう舞台にいける可能性が高いです。それ以外に大切なのが、日本のサッカー協会はもともとすごく大事にしていますが、リスペクト、人の話が聞けること。サッカーは自分だけでやっていくのは難しい。チームプレーなのでうまく人を頼って人に好かれて使ってもらうことも必要です。ちょうどこないだある選手と話をしていました。技術は持っている選手なのですが、コミュニケーションが足りない。話すことだけじゃなくて、練習前グラウンドに少し早くきて他のチームメートと交流するとか、アドバイスを送りました。サッカーの連係という面ではフィーリングもすごく大切なので、人間性の部分はしっかりつくってあげたいと思っています。こういうところは直さないといけないとか、話すときに目を見たほうがいいとか、なかなか言いにくいと思ってしまうようなことでも大事なことなので、うちのクラブでは徹底して伝えるようにしています。サッカー選手はボールを蹴ればある程度はできるようになるし、本人の努力が一番ものを言います。先ほど話に出た脇坂も、僕たちのクラブがサッカーを教えたとかはまったく言いません。もともと能力はある選手だったので、逆に「頑張る姿勢」を彼には強調しました。努力しなければ代表にいけないことは指導者側もわかっているので、それだけは伝え続けました。
―最後に、グスタボさんやクラブとしての今後の目標を教えてください。
グスタボ チームとしてはJリーグを目指してやってるので、今シーズンはJFLに入ってJリーグの資格を取りたいです。それが一つ大きな目標です。どうしてそういった目標を立てるかというのは、プロの世界でプレーしたいとかではなく、何より下の育成年代の選手たちに、希望や目標を与えられるからです。私自身、指導者としては「正しい判断ができるコーチ」でありたいです。人間的なところもだし、プレーの面でも。目の優れたコーチを目指そうと日々頑張っています。
―ありがとうございます。それでは、次の指導者の方のご紹介をお願いします。
グスタボ 松本山雅U-15監督 須藤右介さんを紹介いたします。
須藤さんが横浜FCに所属している時に仲間を連れて、エスペランサSCのグラウンドきてくれたのが初めての出会いでした。須藤さんは、アルゼンチンという国が好きで本人もアルゼンチンに行ったこともあり、また、出会った当時から指導に興味を持っており、エスペランサSCのグラウンドへ学びに来られたり、一緒に食事など交流している関係です。
<プロフィール>
オルテガ・ホルヘ・グスタボ
1982年2月26日生まれ。
アルゼンチン出身。1994年から5年間日本に住み、一度帰国して2002年までアルゼンチンのサテライトチームでプレー。03年に再び来日し、父と一緒にエスペランサSCを始め、選手兼コーチを務めた。06年にはツエーゲン金沢(現J2)に加入したが、父・アルベルトさんが体調を崩したこともあり退団。12年にエスペランサSCの社会人チームを創設し、21年は関東リーグ1部。クラブ代表、トップチームコーチ兼スクールコーチ。