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Vol.40 松本山雅FC U-15監督/須藤 右介

  • 2021.08.26

    Vol.40 松本山雅FC U-15監督/須藤 右介

指導者リレーコラム

©松本山雅FC提供

本田圭佑さんに誘われ、Soltilo Chiba FCという新しい街クラブで、29歳にして指導者デビューした元Jリーガーの須藤右介さん。現在はかつて所属した松本山雅FCユースアカデミーで、地元の選手を中心に指導をしている。選手として、指導者として、社長として、営業マンとしていつか戻りたい―。松本山雅を選手たちにとって特別な「ロイヤリティのあるクラブ」にしていくため、指導者として模索する日々についてお話をうかがった。

―エスペランサSCのオルテガ・グスタボさんよりご紹介いただきました。まずはお二人の関係を教えてください。

須藤 グスとは12年くらい前に、僕が横浜FCで選手をしていた時に、共通の友人を介して、エスペランサSCの練習に行ったことがきっかけで知り合いました。今は会うことは少なくなってしまったけど、横浜にいたときは毎週のようにクラブに行ってました。午前中自分のトレーニングが終わってから。夕方にクラブに向かって子どもたちの練習に混ぜてもらって。あとは僕の試合映像を一緒に見てもらって、グスのお父さん(アルベルトさん)は元アルゼンチン代表の選手でしたし、2人にはたくさんご指導をいただきました。

―プレーに関するアドバイスをもらうと同時に、現役時代から子どもと一緒にサッカーをする機会があったんですね。


須藤 そうですね。自分の少年時代を思い出すこともありましたし、いい時間を過ごさせてもらいました。

―現役を引退されてからすぐ、名古屋グランパスで同期だった本田圭祐選手が創設したSoltilo Chiba FCで指導を始めました。

須藤 現役最後は当時J3の相模原でプレーをさせてもらっていました。J3ができてから2年くらいで、僕も年齢が29歳で、選手として継続していくか決断をしないといけない年齢だったのかなと振り返って思います。たまたまその時に本田から連絡がきて、「チームをつくるからユースの監督をやってくれないか」と。ああいう性格なので、彼は「お前が選手でやっていて未来あるのか」と言われて(笑)。悔しかったのも当時はありましたけど、でもたしかにそうだなとは思いましたし、「そこから選手としてどうなりたいのか」と言われて、チームでJ2に上がりたいとか話はしましたけど。「そのあとは?」ってつっこまれて。現役引退したら指導者という道は考えていたので、いいチャンスかなと思って飛び込みました。

―29歳の現役選手もたくさんいます。その決断に迷いはあまりなかったのでしょうか。

須藤 客観的な意見を言われたので。「たしかにそうだな」と自分でも納得せざるを得ない状況だったんです。そしたら、自分が30歳手前で指導者になったとき、もしかしたらもうちょっと上で活躍して5年後10年後に指導を始めるよりも指導歴が長くなって、早くから経験ができるかなとプラスに捉えられて。そんなに悩むことはなかったと思います。

―クラブも創設したばかりで、1からのスタートでした。

須藤 いろんな方が尽力されてクラブはできたと思いますし、見えないところでいろんな人が動いてくれました。登録関係やグラウンドの環境整備、こうやってクラブってできていくんだなって間近で感じることはできました。僕も含めてですけど、選手たちが歴史をつくるというか、チームとしての流れをつくっていかないといけない。モデルはなかったので、どういった方向にサッカーを通じてチームを構築するかは、スタッフと話し合いを重ねました。

―Soltilo Chiba FCでの3年間ではどんなことを得られましたか。

須藤 Soltilo Chiba FCは街クラブなので、入って来てくれた選手たちには、サッカーや人間的なところを通じてJクラブとは違ったアプローチの仕方は意識していました。例えば進学のところでも海外を選んだ子もいれば、大学進学した子もいる。3年間で成長してそれぞれの道に進んでいくんだなあと近くで見られたのは本当にいい経験だった。挑戦してみて良かったなと思います。サッカーで言えば、まだまだ上には及ばないことを感じています。クラブユースの関東大会には毎年出場できましたが、そこから全国に抜け出すことができない。1個目が勝てないんです。初戦では大抵Jクラブと当たる。僕の時は2回とも柏レイソルさんと当たって、非常にレベルの高い関東のフットボールに屈してしまった。選手も頑張ったのですが、その壁を越えられなかった悔しさは自分の中であります。

―そこは心残りなところですか。

須藤 サッカーの結果でいうと心残りでした。あとは、3年って期間は長いようで短い。選手の変化は見られたけど、もう少し自分に知識があって、それを選手にわかりやすく落としこんであげられていれば、子どもたちももっと伸びたかな、伸ばしてあげることができたかなと。反省というか先の課題としては持っていました。もう少しこのクラブでいろんなことを学ばないといけないし、残さないといけない。松本に来ることも正直かなり迷いました。

―その中で松本山雅でのスタートを切りました。Soltilo Chiba FCの3年間があったからこそ、今に生きていることもあると思います。

須藤 松本山雅は関東のJクラブとはまた違ったカラーのJクラブです。長野県の松本市で活動していて、首都圏のクラブと比べると人口もそんなに多くない街の中で選手を選抜しています。県外から来る選手もいるけど、基本的には地域の子どもたちで構成されています。自分は選手として3年間お世話になりましたが、今の小学生は僕のことを知りません。中学生でギリギリお父さんと見に行ったってくらい。過去のキャリアだけではもうこのクラブに来ても何もないので、全国のクラブに松本のチームとしてどういう戦いをしていけるか、知識を増やして、選手のストロングを出すために日々考えているところです。
経験を積んで知識を増やすのはSoltilo Chiba FCの時と変わりなくやっていることかと思います。

―とにかく勉強熱心ということが伝わります。

須藤 探究心はあります。エスペランサSCのグスタボさんの練習を見に行ったときは、台風の中をかいくぐって向かったこともありました。情熱だけはぶらさずにやっていきたい。

―勉強して知識を積み上げる中でも、一人の指導者としてどんなことをテーマに持っているのでしょうか。

須藤 試合に臨むにあたって、勝ってほしいという目標はあります。ただ、各年代で取り組まないといけないテーマはある。トップに入る手前の時期である15歳の選手たちに、個人を生かしながらチームとしてどう戦っていくかを考えています。昨年と一昨年はU-13を指導しましたが、小学生から中学生になって大きなコートになった時、小さな体でも戦うためにはどうすればいいか、自分も知識として増やさないといけない。あとはキックとコントロールの基本的なところですね。相手にボールを触らせないようにどうするか、コントロールも含めた細かなディテールをこだわって伝えるようにしています。

―Soltilo Chiba FC時代を振り返った時にも伝え方、落とし込み方というのは課題としてお話されていました。まだお若いので、一緒にボールを蹴りながら伝えるといった方法などもとることはあるのでしょうか。

須藤 コントロールパスくらいであれば、まだできます(笑)。スピードを上げて入って戻ってを繰り返すのはもう難しいと思いますが。実戦して教えられるのは、まだ自分の持つストロングなのかなと思います。あとはシチュエーション。どういう状況かを理解させたうえで、このコントロールを使ってほしいとか。パスとコントロールの練習でも、どこで止めてもどういうパスを出してもいいけど、「どうしてそれをやってるのか」「どういう状況を作り出してるのか」をイメージしながら選手にはやってほしい。「シチュエーション」を頭の中でイメージさせることは大事だと、常々選手には強く伝えるようにしています。

―先ほど、各年代で取り組むべきテーマがあるとお話をされていました。人間的成長もその一つかと思いますが、どのようなアプローチをされていますか。

須藤 ちょうど今、所属選手たちの学校訪問をやっています。グラウンドで見せる顔とまったく違う顔を見せる選手もいる。学業とサッカーの両立はクラブとしても大きく掲げています。テストの点数や内申は個人の能力もあるので非常に難しいところではありますが、サッカーでも結果を出したいのであれば、コツコツと準備をしなければいけない。それは学校でも同じです。時間通り学校に行って授業を受ける、机に向かって勉強することはサッカーの試合に向けた準備と同じだと思うので、そこは結びつけて選手たちにも重要性を伝えるようにしています。自分のできる限りのことをやったうえでできないのなら問題ないけど、サッカーも自分のできる限りのことをやらなかったらいい結果が出ることは絶対にないので。サッカーに結びつけてもなかなか学校でスイッチが入らない子もいるんですけどね(笑)

―サッカー以外の面での指導にはやはり難しさもあると思います。

須藤 年齢的にも難しい時期で、サッカーの中にも負けたくない思いが裏目に出てしまう時がある。例えば、ボール蹴ろうと思ったのが相手の足を蹴ってしまったり、思わず相手を引っ張ってしまったり。でもやってしまった悪いことに関してはきちんと声をかけなさいと。単純だけど、なかなかできずに素直になれないことが多々ある。誰がどう見ても間違ったことをやってしまった時は、サッカー選手というより人として引いたほうがいいんじゃないかと。基本のキこそ、徹底したいです。

―地域に根付くクラブだからこそ、学校とも密に連係を取りやすいのでしょうか。

須藤 自分が高校生のときは、都並敏史さん(現ブリオベッカ浦安監督)が監督で、学校訪問で先生と話をしてくださっていた。僕はそれを見ていて、子どもに必要なことだなと感じていたので、Soltilo Chiba FCでも、学校まで行けずともお電話で先生と話をしたり。
このクラブでも私が来る前から学校訪問を行っていたので、素晴らしい取り組みだなと続けています。選手を思って取り組むことで、学校側も社会体育に関する味方が変わると思う。学校、クラブ、家庭の三位一体は松本山雅としても掲げているので、そういったところで選手の成長を見守っていけたらと常に話をしています。

―U-15の監督をしていて、「どんな選手を育てたい」「どんなクラブにしたい」という理想はありますか。

須藤 Jリーグではホームグロウン制度(トップチームにクラブ育成組織出身の選手を規定人数以上登録しなければならない規則)ができて、育成チームから多くの人数が上がっていければそれだけの評価をされる。最優先事項で選手をユースやトップチームに輩出することは考えないといけません。ただ、現実的にはそこに到達できない選手も多くいます。監督個人としての思いは、最終的にサッカーで芽が出なかったとしても、ここの「クラブに戻ってきてくれる選手が一人でも増えてくれれば」いいなと。自分のように指導者という形でもいいし、あとは株式会社なので、営業や経理、総務の部署もある。
もしかしたらすごく勉強を頑張って社長になりたいって言って帰ってくる子もいるかもしれない。そういった面での育成もしていけると、「クラブとしてすごく価値はある」と思う。サッカーだけじゃなくて人間的にも育って帰ってきてくれるとうれしいですよね。今もスクールのスタッフとして働いている方はいますけど、「現場以外のところでもクラブに戻ってきてくれる人が増えること」が僕の中での理想です。

―違った立場でもつながり続けられることは指導者としてもうれしいですね。

須藤 例えば全国大会に出て、「こういったサポートをしてもらった覚えがあるから、今の中学生にもそういう思いをさせてあげたい」と営業職の人間として働いてくれるクラブ出身の選手が出てくるかもしれない。「昔はわからなかったけど、どれだけ大切なことかわかったので」と言われたらこちらとしても伝えてきて良かったと心から思える。
一人の営業マンとして、共鳴してもらえるような話は実体験で得てるぶんしやすいと思うし、実際にそういう人材が出るかは別として、クラブとしていい流れができる。松本山雅ってすごいクラブだなとまわりからも思われるようになったら。

―最後に、松本山雅というクラブの未来と、ご自身の目標を教えてください。

須藤 言葉を選ぶのは難しいですが、関東のビッグクラブと比べると、育成年代のアカデミーとしてはまだまだのクラブ。ですがいろんな意味ですごく可能性を秘めているクラブです。松本という小さな街ではあるけど、ロイヤリティをしっかりと持った選手が育って、「このクラブに戻ってきたい」「このクラブで戦いたい」と思ってもらえるような場を提供できるアカデミー環境があるんじゃないかと思います。松本はJクラブだけど、みんなロイヤリティ持って戦ってるよねって価値を見出せるようなクラブをつくっていきたい。松本に対しての思いを持ってる子に残ってほしいし、「練習面白い」「スタッフも能力高い人多い」、だから「ここで成長したい」と、選手たちが羽ばたけるクラブにしていきたいです。この街の子たちと一緒に、関東のクラブに一矢報いることができるような組織になれれば。1日1日を大切に、悔いのないようにやってもらいたいし、自分も悔いのないように彼らをサポートしたいと思います。

―ありがとうございます。それでは次の指導者の方のご紹介をお願いします。

須藤 東京大学サッカー部の監督をしている林陵平さん。僕の同期で、東京ヴェルディの育成組織で一緒に育ちました。たまに連絡は取りますが、彼が今どんなことをしているかは詳しくわからないので、どんなことをしているのか僕個人としても聞いてみたいです。

須藤 鹿児島ユナイテッドU-14のデビットソン・純・マーカスさんです。

<プロフィール>
須藤 右介(すどう・ゆうすけ)
1986年5月7日、東京・日野市生まれ。
東京ヴェルディ育成組織から、2005年に名古屋グランパス入団。08~09年横浜FC、10年~12年松本山雅FC所属。ブラジル・サルゲイロAC、トンベンセFC、FC岐阜を経て15年にSC相模原で現役引退。16年、本田圭佑のプロデュースしたSoltilo Chiba FC U-18監督に就任。19年から松本山雅U-15コーチを務め、今季はU-15監督。

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