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Vol.42 ツエーゲン金沢 ユース監督/辻田真輝

  • 2021.10.28

    Vol.42 ツエーゲン金沢 ユース監督/辻田真輝

指導者リレーコラム

クラブスタッフの熱意に心を揺さぶられ、選手としてツエーゲン金沢発足メンバーとなった辻田真輝さん。JFL昇格に貢献したものの、チームのあり方に疑問を感じ、それは25歳にして指導者の道に入るきっかけともなった。指導歴は10年を超え、ツエーゲン金沢U-18や石川県国体チームの監督として「石川の立ち位置」を上げるために尽力している。現役時代から1年間の社会人生活、そして指導者として貫き続ける考えに迫った。

―鹿児島ユナイテッドFCのデイビッドソン・純・マーカス様よりご紹介いただきました。お二人の関係から教えてください。

辻田 年齢は僕の一つ上で、大宮アルディージャ時代のチームメートでした。チームが変わって、引退した後も連絡取り合っている間柄です。私生活でも、彼が石川の方と結婚されたので、今年も長時間ではないですが会うことができました。

―まさか、ご結婚されたお相手は辻田さんのご紹介ですか?

辻田 それは残念ながら違うんですよ。本当にたまたまで。僕も聞いた時はすごく驚きました。寮生活も一緒にしていたので、大体のことは知っていますね(笑)

―改めて、現役時代の話もお聞かせください。ツエーゲン金沢が北信越リーグで立ち上がった時からプレーされていました。当時を振り返ってみていかがですか。

辻田 大宮アルディージャで契約満了になってから、練習参加とトライアウトを受けて、いくつかお話をいただいた中で、ツエーゲン金沢からもできたばかりのチームでJリーグを目指したいとお話をいただきました。まだ年齢は若いほうだったので、なるべく高いレベルでチャレンジしたい気持ちはあったのですが。当時GMだった中村篤次郎さんとトライアウトに行く途中お会いして話をして、「必要とされているんだ」、「育った地域で自分が活躍できるうちになにか還元できるのでは」という思いになりました。ハード面では、プロとはいえ仕事と掛け持ちの選手もたくさんいて、練習グラウンドも毎回確保できないことがありました。練習時間は当然夕方や夜7時から。ある程度イメージや覚悟はしてましたけど、実際始まってみてなかなか大変だったなあと、今でも覚えています。

―GMの中村さんからお話をいただいた時、具体的などのようなことに共感されたのでしょうか。

辻田 最初は正直どこか自分事ではなかったんです。ただ「こういうふうに石川県からJリーグクラブを生もうと思っている」「今はこうだけど最終的にはこういうクラブにしたい」と話を聞くうちに、熱意もあったし、僕が力を最大限に発揮できるのかなと感じたところが決め手です。

―発足から現役最後の09年シーズンにはJFL昇格も経験されました。やはり思い出深いですか?

辻田 Jクラブを増やす流れが各地域で起きていて、北信越も僕ら以外に松本山雅、長野パルセイロもいました。勝ち上がることが難しい中で、2年目からは監督専任の方に来ていただいて、少しずつ本当のクラブというか、上を目指す環境にはなったのかなと。ただ昇格した年の監督も、言い方が難しいですけど、まとまりがあって雰囲気も良くて、こういうチームなら上がれるっていう集団ではなかった。バラバラなところもあって、選手同士も話すけど、監督の言うことを信じてみんなでって雰囲気ではなかったんです。もちろん昇格してすごくうれしかったですけど、「あ、こういうチームでも上がるんだ」みたいな、そういう気持ちのほうが正直強くて。それでもたくさん苦しい思いをしたし、一つでもカテゴリーを上げることが簡単でないと思っていた中で昇格できたので、うれしかった。ただ、引退する一つのきっかけにはなりました。25歳でまだプレーはできるけど、違うかなって。カテゴリーを上げるまでは移籍せずに頑張ろうと思っていたのですが、昇格したことが次の道へ進むきっかけになったんだと思います。

―最後の1年のチームのあり方に少し疑問が残りながらの引退する感覚だったということでしょうか。

辻田 まさにそうですね。昇格するチームにはいろんなチームがあると思いますけど、すごく不思議でした。指導者への意欲は選手時代からありましたが、タイミングだけいつにしようかなと考えていたのもあります。最後の1年を含めて、「勝つチーム・強くなるチーム」になるプロセスへの意識は持ち始めた感じでした。

―そうだったんですね。引退されてからは1年間社会人としてのキャリアも積まれています。どのようなお仕事をしていたのですか。

辻田 ずっとサッカーしかやってこなかったので、地域リーグ時代にいろんなスポンサーさんのアルバイトはさせてもらっていました。選手をやめてから普通の社会人というか、正社員を経験してみたくなったので、同級生にいろいろ電話をして「一番やりたくない仕事って何?」と聞いたら「飛び込みの営業」って答えが多かったんです。じゃあやってみようと。求人から探して面接を受けて、働かせていただきました。

―あえて多くの人がやりたくない仕事を選んだのはどうしてですか?

辻田 自分が買ってほしいものをお客さんに伝えるために、言葉や人と人のラリーで大小関係なくどう販売が進んでいくのかはもともと興味がありました。飛び込みについては想像できませんでしたが。

―実際に挑戦してみてどうでしたか。

辻田 すーごくいい経験になりました。最終的に所長に辞めることを伝えた時、「1年じゃ何もわからないよ」と言われたのですが。自分がお客さんに話をして、この人興味持ってるのかな?買わないかな?と思ってた人に、先輩が途中で入って普通の会話を始めたら「じゃあ買います」って言ってもらってて。それが最初はどうしてだかわからなかった。最終的には「僕らが話すというより、僕らが聞いてあげて」、お客さんが求めていることや困っていることから提案をしていく流れを自然につくっていることに気がつきました。相手が思ってることを引き出して、そこに対するリアクションや言葉選びは、短い時間ながらも勉強になった。それが成績にも直結するわけで、しんどいって友達が言う気持ちも少しはわかりました。僕自身は指導者をやるまでに社会人を経験する感覚だったから楽しさのほうが大きくやれたわけで。一生の仕事となったらすごいなと、今でも思っています。

―言葉のやり取りは指導者の仕事にも生きていると思います。初めは石川・桜丘高外部コーチからのスタートでしたが、振り返っていかがですか。

辻田 難しさよりも楽しさのほうがありましたし、僕は星稜高校出身だったので当時の河崎(護)監督には報告した際に「なんでうちじゃないんや!」って言われました(笑)。僕はどちらかと言えば強い星稜を倒せたらいいなと、そういう気持ちもあったのですが。選手たちがすごく素直で、言ったことを一生懸命聞いてくれたので、僕らがうまく伝えられたら選手も変わっていくと感じていました。偶然ではありましたが、楽しく指導する環境をいただけたと思っています。

―その後はツエーゲン金沢でU-15の指導に当たりましたが、なにか変化はありましたか。

辻田 僕が見たのは2期生でしたが、当時JFLのU-15という組織で言えばセレクションこそあってもレベルは思っていたより低いところから始まりました。なのでまずは選手たちのレベルがどこにあって、どういったアプローチが必要なのかを考える必要があって。勝たないといけないけど、内容も大事という葛藤もありました。ただ少しでも早くU-15は強いって思わせないと選手も集まらないし、クラブの印象も変わっていかない。レベルを上げていくのは当たり前ですけど、難しさがありました。

―選手へも勝ちにこだわる意識付けは強くしていたのですか。

辻田 同時進行にはなりますけど、「みんなでやろうとしていることをやれるから勝つ確率が上がるんだよ」と伝えていましたね。今までは、これができなかったからピンチになったけど、今はできるようになったからピンチが減ったよ、とか。なるべく「具体的」に話すようにしていました。気持ちとか目に見えにくいことよりは、「目に見えるものや、選手が言われてイメージしやすい言葉と練習」を。今もその意識はあるので、U-15の2期生スタートってところは、自分の中でも基盤になっています。

―具体的に伝えることを大事にしていることの他に、指導するうえで辻田さんが貫いていることはありますか。

辻田 細かいことはいろいろありますが、「選手一人一人をちゃんと見る」というか。表情や仲間と話してる会話の仕方、練習に来るまでの様子はすごく見るようにしています。あとは単純にその選手にどういうアプローチが合っているのか。優しく褒めたほうが伸びるのか、それだと伸びないのか。チームの中での彼の存在がどういう立ち位置にあるのかも注意深く見るようにしています。選手に厳しくすることでチームが良くなるのか、盛り上げることで良くなるのか、全体と個人で気をつけながら見ています。

―10年ほどツエーゲン金沢にいますが、辻田さん自身から見て、今のツエーゲン金沢はどんなクラブだとお考えですか。

辻田 サッカーで言えば全国にも出始めて、少しずつ世代別の代表選手も出てきたり、トップチームに昇格する選手も出てきた。これから先、みんなが知っているような活躍する選手が現れてくれればなあとは思います。ただクラブの規模的にも「まだまだ可能性があるクラブ」だと思っているので、アカデミーはしっかりとした基盤を築いて、選手や保護者の方を含めた“ツエーゲンファミリー”として大きくなっていくきっかけのポジションでありたいと思っています。

―だんだんと手応えを得られているのですね。

辻田 少し前は全国に出ることが目標、今は全国で勝つことが目標になっている。U-15やU-18、トップチームのキャンプに練習参加する選手を見て、間違いなくいい方向に進んでいると思います。だからこそトップチームは今シーズン降格争いをしていますが、絶対に落ちてはいけない。

―辻田さんはJリーグのプログラムで16年のU-17W杯にも帯同されていました。今でも記憶に残っていることやクラブに還元していることはありますか。

辻田 運良く僕も帯同することができて、僕が見ているカテゴリーの同世代の日本代表選手がどういうプレーをするのかはもちろん、立ち振る舞いまで間近で見られたのは、今でも鮮明に覚えています。インドでの大会は気候もスコールが起こったり、グラウンドもぼこぼこ。相手もボールをつなぐとかではなく、ファウルでも止めにくるっていう勢いの国もありました。A代表もそうですが、相手や環境も含めてアジアを勝ち抜く厳しさを感じました。その中でも、久保建英選手は技術的なミスがほぼなかった。飛び級での選出で、当時はまだ運動量の課題があったかもしれませんが、体力のある状態では判断ミスもほぼなかったですし、グラウンドが悪くてもボール扱いにストレスがなかったのは彼だけ。帰ってすぐ選手にもその話はしました。ただどうして久保選手がうまくなるのかは、私たち指導する側が追求しないといけない。どれだけあいつはすごかったと伝えても、選手もわからない。僕たちがいいアプローチをしていくことが、ツエーゲン金沢だけでなく日本の育成につながると思います。

―まさに日本の育成というお言葉がありましたが、辻田さんは国体の監督もされています。地域全体を育てる意識についてはどうですか。

辻田 僕の考えでは、日本の中の「石川の立ち位置を、サッカーを通してもっと変えていかないといけない」。全国に出ることで、ツエーゲン金沢というチームがあるってこともそうですし、ツエーゲン金沢にはこういう選手がいるよと。それと同じ感覚で国体も引き受けさせていただきました。石川県も少年選抜だと全国では勝てない、厳しい状況であることは感じています。ただ、やればできるというか、「やらないとできない」というか。チャレンジというよりはやれることをやったうえで、結果を出したいよねと。たまたま監督をした時には全国で準優勝できて、その時に石川県がすごい盛り上がったんです。5日間の大会期間中は試合をして、次の対戦相手を見ての繰り返しで、大会期間中は実感がわかなかったですけど、試合が終わって次の日の新聞を見て、びっくり。たくさん電話が鳴ったり、みなさん連絡をくださって。石川県がサッカーでまとまって喜んでくれたことが印象的だった。最終的に優勝はできなかったけど、すごいことなんだよって多くの方が言ってくださって。その時出場していた選手たちは中学年代で全国に出られなかった子たちがほとんどの年で、なんとか全国を経験させてあげたい、というのが最初のミッションでした。ですが大会が始まってからは伸び伸びとサッカーしてくれましたし、短時間でも成長していくことを実感した大会でした。今年自分はS級ライセンス取得を目指していて、そこでも「日本を変えないといけない」と常々言われている。できることをやるしかない思いですね。ツエーゲン金沢はもちろんですが、石川県、そして日本がよくなっていく手助けができればいいなと。

―地元への、サッカーへの思いを感じました。先ほどS級にも挑戦しているとのことでしたが、最後にどういった指導者でありたいかご自身の目標を教えてください。

辻田 サッカーに関しては、僕が監督をやると決まった時に、聞いた人たちが「どういうサッカーをするのかわかる監督」になりたい。攻撃的でも守備的でもいいんですけど、あの監督だったらこういうサッカーをしてくれるねって思われるサッカーをしたいですね。指導者という面では、育成やゆくゆくはトップを見ていくことになると思うのですが、スタンスはおそらく変わらない。あくまでも「一人一人を成長させるために」、グループやチームを強くして、クラブの発展につなげられるような指導を心がけていきたいです。

―ありがとうございました。それでは、次の指導者の方の紹介をお願い致します。

辻田 湘南ベルマーレU-15の山口貴弘さんです。

<プロフィール>
辻田真輝(つじた・まさてる)

1984年8月3日、石川・金沢市生まれ。星稜高3年時には全国高校選手権優秀選手にも選出された。卒業後は大宮アルディージャに加入。3年で退団した後、トライアウトなどを経てツエーゲン金沢に入団。発足メンバーとして09年シーズンのJFL昇格まで在籍。現役引退後は社会人経験も積みながら金沢・桜丘高外部コーチ、ツエーゲン金沢津幡U-15 2期生コーチ。16年はU-15監督。17年はU-18コーチを務め、18年から監督となり、現在に至る。17年以降は石川県少年国体コーチ、監督も務めている。

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