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Vol.26 ハナスポーツクラブコーチ/花田亜衣子

  • 2021.12.15

    Vol.26 ハナスポーツクラブコーチ/花田亜衣子

PASSION 彼女たちのフィールド

なでしこリーガーとして走り続けた現役時代から数年が経ち、異国の地で再びボールを追いかける。郷土愛から英語の習得を目指してたどり着いたオーストラリアには、充実した生活が待っていた。異なる文化と多くの人々、そしてサッカーに囲まれた日々を送りながら、花田亜衣子氏はみんなの幸せを願う。明るい未来を見据え、今日も新たな挑戦に臨む。

―現在はオーストラリア在住とのことですが、以前はなでしこリーグでプレーされていたそうですね。

花田 福岡J・アンクラスというチームでプレーしていました。高校生のときから在籍し、チームも地域リーグからなでしこリーグまで上がっていきました。ただ、ヒザのケガが多くて、5回くらいオペをして……。「もう、痛くて無理だ」と思って、28歳のときに一度、選手を辞めました。

―ケガが原因での引退だったのですね。それでも、それから多彩な経歴を歩んできたと聞いています。

花田 そう言ってもらえて光栄です(笑)。オーストラリアでまず初めて働いたのがラーメン店でした。太麺、細麺、スープ作りなど経験させてもらえた元なでしこリーガーは、世界で私1人だと思います。太麺と細麺をどちらも打てるようになって、豚骨スープや餃子を作ることもできるようになりました。美味しいものを作るために、努力されるプロのお仕事を間近で見ることができて、本当にありがたかったです。

―職人ですね!福岡J・アンクラスでサッカー選手を辞めた直後は、まず何の仕事に就いたのですか?

花田 引退してからの2年間は生まれ故郷の高知県で公立高校の教員を務めました。中高の教員免許を持っていたので保健体育の先生として採用してもらい、「コラァ!」とか言いながら生徒指導もやっていました (笑)。

―なるほど(笑)。教員としてもサッカーと関わっていたのでしょうか?

花田 勤務していた高校には女子サッカー部があったので、その顧問を任せてもらいました。生徒の子たちがすごくいい子ばかりで!

―どのような生徒たちだったのでしょうか?

花田 ほとんどの部員がサッカー初心者だったのですが、みんなは朝4時の始発電車に乗ったりして学校に来て、朝練を始めるんですよ。私から「朝練をしなさい」なんて言ったことないのに! むしろ、私はいつも遅刻して学校に行っていたような生徒でしたからね(笑)。もう、「すごいな、みんな!」って思って。暗いときは照明もないなかで、携帯のライトでボールを照らしながらずっとボールを蹴っている子もいる。生徒たちのそういう姿を見て、「本当にサッカーが好きなんだろうなあ」って。それで、私もちゃんと指導者ライセンスも取得しなければ、と考えるようになったんです。それまでは、そんなこと微塵も思ったことなかったのに。

―それから本格的にサッカー指導の勉強を始めたのですね。

花田 サッカーはもちろん勝ち負けも大事だけれど、そういうひたむきな姿勢も素敵だと、すごく感じましたから。本当にあの子たちのおかげですよね。それで、B級ライセンスを取りにいったときにもいろんな人に出会うことができました。ちょうどそのとき、たまたま高知県でサッカーカンファレンスみたいな催し物があり、世界中から1000人ぐらい指導者が集まったんです。そのカンファレンスではワールドカップやEUROの分析のこととか、なかにはエムバペ選手(フランス代表)を育てたという指導者もいて、そういった人たちの話を聞ける機会もありました。すごくおもしろくて、ますますサッカーが好きになっていきました。

―ただ、教員はわずか2年間で辞めてしまうのですね。

花田 教員としては2年間だけ働こうと、もともと決めていたんです。実は、引退してからは地元の高知県の魅力を世界に発信するために観光業をやりたいという思いがあって、英語を勉強するために留学をしようと思っていたんです。引退した当初は留学資金がまったくなくて資金調達のために働かなければならなくて、それならば「地元への恩返しの思いも込めて教員としてサッカーを教えよう」と。いろんな縁もあり、それで教員となって「ああ、やっぱりサッカーが好きだな」って生徒たちに思わせてもらえました。すごく、ありがたかったです。でも、心のなかでは「絶対に2年間しか働きません」と決めていたんです。留学する日も早くから先に決めていて、いわば計画的に作戦を練っていました(笑)。

―留学先はどちらへ?

花田 フィリピンのセブ島です。本当はハワイに留学したかったのですが、「資金がめちゃくちゃ高い」と聞いて、あきらめました(笑)。そしたら友達から「セブ島ではマンツーマンで英語を教えてくれるような、いい語学学校がたくさんあるよ」と教えてもらったので、セブ島の語学学校に3カ月間通って、英語をみっちり勉強しました。

―その後、オーストラリアへと渡るのですか?

花田 はい。大学時代から仲のいい子がオーストラリアのゴールドコーストに住んでいて、「ワーキングホリデーで来てみたら」と言ってくれて。その言葉がきっかけとなり、オーストラリアへ行くことにしました。当初は1年間だけ滞在して日本に帰ろうと考えていたんですが、かれこれもう滞在2年目に突入しました。こちらでも英語を学べるし、「ワーキングホリデー」ということで、お客さんと一緒にいろんなところを回ったりする観光ガイドの仕事も半年くらいできました。現在は新型コロナウイルス感染症拡大の影響でオーストラリアへの入国が難しく、現地ガイドの仕事もストップしてしまったけれど、「今、日本に帰ってもなあ」と思うのでオーストラリアでの生活を続けています。

―現在はオーストラリアでどのような活動をされているのでしょうか?

花田 現在はゴールドコーストの5カ所で、4歳から12歳までの子どもたちを対象に「ハナスポーツクラブ」という名前のサッカー教室を開いています。もともと「オーストラリアでもサッカーを教えることができたらいいなあ」と思っていたので、もう最高に幸せですね。あと、個人向けのパーソナルトレーニングも行っています。それは、サッカーに特化しているわけではなく、いろんな子どもからのニーズに応えて、その子に合ったトレーニングを実施しています。

―ハナスポーツクラブのサッカー教室では何人くらいの生徒にサッカーを指導しているのですか?

花田 5カ所を合わせると、今は70人くらいの子どもたちが在籍しています。

―大人数ですね。どのようにサッカー教室の規模を拡大していったのでしょうか?

花田 まず、オーストラリアで知り合った人から「2人の息子たちにサッカーを教えてほしい」という連絡があって、その子たちにサッカーを教えることから始まりました。その家族の住んでいる場所と私の自宅が自転車で20分くらいの距離だったこともあって。そしたら、その子たちのつながりから、あれよあれよと人数がどんどん増えていって…(笑)。こちらのママさんネットワークがすごいので口コミで周知され、みなさんのお子さんを預けてもらうことになりました。日本でサッカースクールの運営に関わっていたこともあったので、その経験を生かすこともできています。

―英語を駆使してサッカーを指導されているのですか?

花田 私、実はオーストラリアにいながらあまり英語をしゃべれないので、ほとんど日本語で教えています……。オーストラリア人の子たちには、チームにいる日本人の子に「英語で伝えて!」って通訳してもらっていて(笑)。

―セブ島での留学経験もありながら、英語をしゃべれないんですか!?(笑)

花田 はい、私、しゃべれないです。簡単な日常会話くらいしか……。もう、行くところ行くところに日本人が多いから、どうしても日本語で話してしまうんですよねえ。実はこちらで選手としてもプレーしているのですが、試合中も日本人のチームメートを頼って、すべて日本語で発言しているので(笑)。もっと勉強します!

―選手としてプレーしているということは、オーストラリアで現役復帰されたのですか?

花田 そうなんですよ。もうシーズンは終わったのですが、今年はオーストラリアの2部リーグで選手としてプレーしていました。

―どのような経緯でチームに入ったのですか?

花田 きっかけは、日本語を教えるためのボランティア活動に参加したときに、そこで「サッカー教室をしてほしい」とお願いをされたことでした。そのときに3部リーグでプレーしている女の子も来ていて「ぜひ試合を見に来てください」と誘ってもらえたので、試合を見に行ったのですが、そのチームの人に「次の試合は出場してください」って言われて(笑)。最初は戸惑いましたが、それから選手としてプレーするようになったら、昨年は2部リーグのチームからわざわざ私なんかにオファーをいただけたんです。それで今年のシーズンはそのチームに移籍し、2部リーグでプレーしました。

―オーストラリアで、もうすでに2チームに所属した経験があるのですね。

花田 シーズン途中にまた別のチームの練習にも参加したので、そこも含めると3チームを経験しました。なんか試合の展開がすごく速くて、おもしろいです!

―日本での現役時代に負ったケガはもう大丈夫なのですか?

花田 こちらではトレーニングの頻度も週に3回くらいで、日本のときと比べたらそんなにハードではないから、全然大丈夫です! 芝生の上でいつも練習できるし、サッカーの環境がすごくいい。それに少しお金ももらえるので、「ラッキー!」って感じです(笑)。

―オーストラリアの女子サッカーリーグに所属する選手はプロなのですか?

花田 トップリーグ(1部リーグ)はプロ選手ばかりです。なかには他に仕事をしている選手もいるみたいですが、「プロリーグ」と呼ばれていて、オーストラリア代表とかアメリカ人の選手もいます。その下の、私がプレーした2部リーグはセミプロです。だから、お金もちょっとはもらえるんです。看護師や学校の先生の仕事をしながらプレーしている選手もいました。2部リーグもアメリカ人やブラジル人がいて、日本人の選手も結構いますよ。私ももっと若いときに、早くからこっちでサッカーすることを考えていればよかったと、今になって思っているくらいです。

―一度はサッカーから離れながらも、オーストラリアの地でまたサッカーに囲まれた日々を送っているのですね。

花田 やっぱり「サッカーが好きなんだなあ」って思います。選手と指導者という両方の立場をこの年齢で経験していることで、物事の見え方も変わってきました。やりたいことを自由にやろうと思ってサッカーを辞めたはずが、結局はその「やりたいこと」というのがサッカーだったという(笑)。フィリピンに行ったり、こうしてオーストラリアに来たり、こちらでもいろんなことをやって、いろんな人と出会ったりしましたが、世界一周をした人の話を聞いていると、「もう自由だなあ」なんて思ったり。でも、「私は結局、サッカーと関わることが幸せなのかなあ」って。

―他にもゴールドコーストで活動されていることはありますか?

花田 週に3日くらいはカフェで働いています。「コーヒーを淹れてみたいなあ」と思ったことがきっかけで(笑)。朝の早い時間から、午後3時くらいまで。そうだ!仕事ではありませんが、学校にも通っているんです。それが週に2日くらい。

―学校では何を勉強しているのですか?

花田 今はメディアなどのクリエイティブな業界について学んでいます。最初に「SNSでのマーケティングや動画編集について勉強できます」と聞いて、「おもしろそうだなあ」と思って通い始めました。そしたら、アドビのプレミアプロといったような本格的なソフトを使って「動画を作ってください」みたいな感じで始まって、「あ、間違えた……」と思いました(笑)。今は必死に頑張っていますが……。

―もちろん、英語で授業が行われるのですよね?大変ではないですか?

花田 英語でワーッと説明されるので……。もうGoogle翻訳を使いながら、やっています(笑)。そのコースに通い始めてから2、3カ月くらい経つのですが、その動画編集の授業は1カ月くらいで終わって、今はまた違うことを勉強しています。1カ月に1つ、課題に取り掛かる感じで。

―動画編集技術はサッカーの指導においても活用できそうですね。

花田 本当ですか?そうだといいです。

―この先の人生では、また新たにやってみたいことはありますか?

花田 今、考えているのは、引き続きサッカー教室をやることと、エージェントのお仕事をすることです。そんな構想を練っています。

―エージェントというと、選手の代理人ということですか?

花田 女子サッカー選手の代理人をやってみたいですね。たとえば、海外でプレーしたい子たちとオーストラリアのチームをつなげられるような。必ずしもプロ選手としてではなく、留学しながらプレーするのでもいいと思います。男子では、Jリーグに行けなかった日本人の大学生がこちらに挑戦したり、そういうケースも結構多いので、女の子にもそういったチャンスを与える役割になれればと思っています。

―花田さんのように、サッカーを教えながらプレーするケースもありではないでしょうか?

花田 そうですね。私もこちらで生活していて、ジャパニーズレストランとかで働きながらサッカーをしている日本人選手たちを見ると、正直もったいないなと思ってしまいます。サッカーをするためにオーストラリアに来ているのだから、そういう選手たちがこちらの子どもたちにサッカーを教えられたら素晴らしいし、教えてもらった子どもたちにとってもすごくうれしいことでしょう。教えてくれた選手の試合があるときには、子どもたちが応援に駆けつけたり。私が日本にいたときはそういう環境もあったから、それってお互いにとってすごくいいと思っていたけれど、こちらではそういう環境があまりありません。だから、将来的にはそういった形も実現させることができればと考えています。

―サッカーを通じて、日本とオーストラリアの架け橋になるような存在になることを目指しているのですね。

花田 みんながハッピーになれれば、それがベストです。ときにはビーチサッカーでもいろんな人をつなげたり、いろいろやりたいと思っています。ゆくゆくは、高知県で女子サッカーの国際大会みたいなものを開催したいですね(笑)。日本とオーストラリアの子どもたちが国際交流し、サッカーで対戦できる機会を作れれば、いろいろと楽しそう!そんなふうに、また新しい夢というか、やりたいことを見つけて、構想を練るのがおもしろいんです(笑)。不安なんてどうにかなるものですから。日本人がオーストラリアで頑張っているところも示していきたいです。

―オーストラリアのチームを呼んで、国際大会を開催できれば素晴らしいですね。その日が来ることを楽しみにしています。

花田 ありがとうございます!頑張ります!

<プロフィール>
花田 亜衣子(はなだ・あいこ)

1987年高知県出身。福岡J・アンクラスでは10番を背負うなど主力としてプレーし、なでしこリーグで戦った。また、「なでしこリーグオールスター2010」のメンバーにも選出される。ヒザの故障により現役を引退してからは高知市立高知商業高校の教員となり、2年間にわたって保健体育を教えた。その後、フィリピン・セブ島への短期留学を経て、オーストラリアのゴールドコーストへ。学生として勉強する傍ら、ハナスポーツクラブを立ち上げるなど活躍。ブログ「闘魂アイコの人生珍道中♪」では日常を綴っている。

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