「正直現役を終えるつもりはなくて…。」そんなタイミングで声をかけてもらった指導者への道。手探り状態からのスタートにも、どんどん指導の面白さにはまっていったのが横浜FCジュニアユースでコーチを務める和田拓三さんだ。川崎フロンターレ、横浜F・マリノスなど、Jリーグを代表する強豪クラブがひしめく神奈川の地で「横浜FCらしさ」を出そうと日々選手に向き合う。指導者歴10年目を迎える和田さんの考えに迫った。
―湘南ベルマーレU-15で監督をされる山口貴弘さんからご紹介いただきました。お二人のご関係を教えていただけますか。
和田 山口とはA級ライセンスを受講したときに一緒で、お互い選手上がりすぐってことで仲良くなって。湘南と横浜は近いので、試合終わりに話したりだとか、今も連絡取り合うような関係です。ライセンス受講はプレーする時間もあるのですが、サッカー観も合うなと感じていました。
―ちょうど今も同じ年代を指導されていますもんね。
和田 そこはチーム関係なくサッカーの話はするし、クラブでどういうことをやっているか情報交換します。隠すつもりもないし、ざっくばらんに話すことが多いです。試合後はゲームの狙いとかまで聞いたりしますね(笑)。
―日本サッカー界としても指導者の育成は一つの課題をして挙がっています。
和田 若い指導者も含めて、考えを持った指導者が増えていかないと。自分たちも入りこまないと日本サッカー界の成長はないと思っています。
―和田さんは現役時代どんなプレーヤーだったのでしょうか?
和田 本職はサイドバックでしたけど、センターバックとか守備全般やる選手でした。どちらかと言えばハードワークというか、とにかくアップダウンして運動量多く頑張るのが自分の武器。あとはスピードで相手を抜き去ってシンプルにクロスを上げる、という選手でした。おそらく見ている方には、「とにかく走って献身的なイメージ」を持たれることが多かったと思います。
―いくつかのクラブを回って、横浜FCで指導者としてスタートしました。その経緯は。
和田 福岡で現役を終えたのですが、正直終えるつもりもなくて。選手としてちょっとでもレベルが高いところでやりたいという気持ちで探していましたが、ご縁はありませんでした。ただ指導者ってところでいくつかのチームから誘っていただいて。自分がいたクラブなんかは特に熱心に誘ってくれました。たまたま僕が横浜FCにいた頃に仲良くしていたスタッフとよく連絡を取り合っていて、自分も選手には区切りをつけて指導者としての勉強を初めてみたいなと思って決意しました。
―まだ少し選手への気持ちも抱えながらのスタートだったのですね。
和田 正直そういう思いはあって、まったくやりきって指導者になったというよりは、まだ自分が選手としてやれるんじゃないかという気持ちもあった。でも、年齢も32歳だったけど、自分を必要としてくれるところが自分の望むレベルのクラブではなかった。もう少しカテゴリーを下げればあったのかもしれないけど、自分の中では上のレベルで現役を終えたい思いがあったので。そんな気持ちでいたにも関わらず誘ってくださるありがたいクラブがあった。横浜FCも熱心に誘ってくれて、前向きな気持ちになれました。
―それまでご自身が指導者になるというイメージを持ったことはありましたか。
和田 本当に片隅にあったかどうか、くらいですかね。指導者として生きていきたいという思いがあったかと言われれば正直ほとんどない状態でした。ただやっていく中で、「指導者の魅力にどんどんはまって、今では楽しくてしょうがない」ですね。
―どういった瞬間に魅力を感じてはまるのでしょうか。
和田 入った当初は小学生を教えることが多くて、子どもたちの日々変化する姿、成長する姿を目の前で見ることが楽しかった。自分が伝えていく言葉や指導によって変わっていくのはうれしいですし、自分のやりがいになっている。自分自身も成長させてもらっていると感じます。
―変化を見られるのがうれしい、と同時にその“変化”を難しく感じる時もあるのではないでしょうか。
和田 難しいというのが率直な感想で、自分がプレーヤーとしてやってきたことを言語化して伝えることの難しさはあります。小中学生は良くも悪くも素直に反応するので。つまんない練習だとつまんないって言われるし、すぐこちらにも伝わってくる。逆に、自分がしっかり伝えることができれば、子どもたちは素直に反応してくれるので、そこのやりがいは大きいです。
―2015年からは中学生の指導にあたられていますが、小学生と中学生ではまた大きく変わりますか。
和田 中学1年生はあまり変わらないけど、中学生も後半から思春期に入って、大人に変化していきます。付き合い方や接し方も変わってくるけど、根本的なところは変わらない。中学生くらいはそのまま自分に返ってくる。顔にも態度にも出ますし、そんなところが楽しかったりはするけど、最初のほうは、ああ、プレーヤーの時はわからなかったけどこんなに難しかったのかと。落ち込むこともありましたけど、一つ自分の成長を感じた時には喜びのほうが大きかったです。
―一番驚いた子どもの反応はどんなものですか。
和田 たくさんあるんですけど、自分でもわかるくらい雰囲気があまり楽しそうじゃないなと。小学生くらいだと好きなことじゃないと楽しくないっていうのは当たり前。楽しさは絶対に必要だと思っているので、雰囲気の作り方はすごく難しさを感じました。その日の気分によって、やりたくないのに親に連れてこられた、とか言う子もいなくはないので、そういう子を「どうやってサッカーに引きこむか」。常に考えながら教えています。だからその雰囲気を自分でも納得のするようなものがつくれて、選手たちが楽しそうにやっているところを見ると、「こんな顔してくれるんだ」と、発見があって自分の中でも充実感が広がりますね。
―和田さんが指導されている中で、特に意識するのはどんなことですか。
和田 自分は中学校1年生を長く見ていますが、小学生から中学生になる変わり目で、スクールの時間帯も変わったり、少し大人への道を進む時期。メンタル的な変化もすごくある学年です。ちょっとずつ大人との接し方も教えていかないといけない。ただ、選手にそれを強要するのではなくて、「選手をよく観察して、選手を知る」ってことはすごく大事にしていることです。どの学年でも大人でも変わらないけど、「一人一人と向き合う」。向き合う向き合うと言っても表面上ではなくて、「本気で向き合う」ことはすごく意識している。ちょっとした変化を、サッカーでもサッカー以外でも見逃したくない。サッカーであればやらないといけないプレーや、やってほしいプレーはもちろんあるので伝えます。ですがそれ以上にサッカー外のところ、ルールとかを含めて教える中で選手の変化に気づければ、というのは大事にしています。自分が最初気づかなかったところで選手がメンタル的に沈んでいて、早めに気づくことができて良かったという経験もありました。どうしてもサッカー外のこともサッカーに直結するので。大人と違ってプレーにもすぐ変化が表れるので、そこはすごく大事にしています。
―中学生は良くも悪くも言葉一つで方向が変わる、そんな多感な時期ですよね。
和田 ダメになっちゃったら自分のせいだと常に自分にプレッシャーをかけながらやっています。選手の反応や、もちろんサッカーの部分でも横浜FCのアカデミーだという自覚を持ってやらないといけない。プロを目指す子どもたち、それ以外の子どもでも夢に向かってサポートをしていくこと、今もよくスポーツ界で言われてますけど、社会に出ていく人間性の部分もサポートできるようにしたいです。
―和田さんご自身もお子さんを育てていると思います。今はおいくつなのでしょうか。
和田 小6の男の子と小3の女の子です。男の子はサッカーしていますね。長期休みの時は一緒にボール蹴ったりもします。たまにサッカーの話をすることはありますけど、普段は自分が学校の終わる時間から仕事で時間がなかなか合わないんです。
―子どもの頃からたくさんの指導者の方にお会いしてきたと思います。理想像などはあるのでしょうか。
和田 誰になりたいとか、誰かを目指すことはないです。自分の指導者スタイルを見つけながら手探りでやっている状態。今まで小学生の時から、プロに入ってから出会った方も、いろんな人を思い出しながら、こんなこと良かったなとかうまく取り入れていきながら、自分のストロングを生かしていきたいとは考えています。小中学校の頃自分は自由でありながらも多少の規律がある指導者の方に教えていただいていたので、そこの自由さもほどよくないと子どもはつまってしまうし、ただ自由だけだと、違った方向にいってしまう。規律が厳しかったコーチもいたので、自分の過去も踏まえて臨機応変に指導していければと。選手との距離は大事にしながらやっていけたらと思います。
―横浜FCは和田さんから見てどんなクラブですか。
和田 自分が現役だった頃は、アカデミーがまだ立ち上がったばかりで、アカデミーに関してはそんなに歴史が深いクラブではないです。ただ近年はアカデミーからトップに昇格する選手も出てきて。他のクラブの話を聞く中でも、本当に横浜FCはスタッフ同士がサッカーの話だとかジュニアユース、ユース、トップチームで連係した話し合いに時間を割いているクラブだと思う。最初にこういうクラブでやれたことは指導者として本当に大きい財産になったと感じていますし、クラブとしてもいい方向に向かっているのではないかと思う。自分のストロングもどんどん横浜FCに落とし込んでいきたいですね。
―ここ10年で記憶に残っていることはどんなことですか。
和田 戸塚のジュニアユースを立ちあげた時(15年)から自分が1期生を3年間指導させてもらって、そういう選手たちが県でNO1をとったり、大学でもサッカーを続けながらまたプロを目指している姿を見ると、どの選手も、やっぱり成長を見るのが一番面白い。もちろん、1試合1試合の勝利や、タイトルを獲る喜びもあります。
―神奈川県は川崎フロンターレ、横浜F・マリノスと強豪がひしめき合う地域です。神奈川の中でどう横浜FCらしく色を出していきたいと考えていますか。
和田 そこは自分も含めたスタッフでけっこう話します。どうしてもマリノスがあって、フロンターレがあって。強豪が近くにある中でどう選手を育てていくかと、最初のところでどう選手を呼び込んでいくかも含めてですね。横浜FCのスタイルで、アカデミーでは主導権を握るサッカーをやっている。ボールを大事にしながら技術を出していくとか。いろんな選手が集まってくれる中で、どうマリノスやフロンターレに勝っていくのか。これは大きなミッションとしてあります。自分たちのクラブでも中盤の選手が花開いてプロになったりとかはけっこうありますが、やはり全員のストロングを発揮させてあげられればいいなと思います。うちのアカデミー出身だと、斉藤光毅(ベルギー・ロンメル)なんかは小柄だけど、ザ・FWって選手ですよね。トップチームに上がる選手も中盤の選手がどうしても多いけど、課題であるFWとかDFラインのところも自分たちは育てていかないといけないと思っています。ただストロングのところは負けないようにしようといつも話しています。全部を追いかけても、現状ではトップチームも含めてマリノスやフロンターレに追いつくのは難しいところがあるので、少しずつ育っていければと思っています。ジュニアユースも、横浜FCの中盤の選手はすごく自信を持ってうまい子が多い。どうしても後ろや前の弱さってところがまだ少しあるので、そこをどう強くしていくか。だんだんアカデミーも良くなってはいるけど、足りないところはまだたくさんあるので、自分も微力ではあるけど力を注いでいきたいです。
―最後に、個人としての目標やクラブとして目指していることを教えてください。
和田 アカデミーとしてより多くの選手をトップに輩出する。年々増やしていきたい目標です。少しでも上のレベルで通用する選手を育てていかないといけないのは自分たちの使命なので。入り口のU-13はすごく大事な時期です。そこを自分はずっと任せてもらっていて、本当に決め手になると思う。もっと必要としてもらえるクラブにならないといけないし、自分の指導によってはトップに上がれる選手も増えてくると思っています。アカデミーとしてトップに選手を輩出して世界を目指してもらうことも掲げていますし、自分の目標もそういうところにあります。横浜FCらしさがもう少し前面に出せればいいですね。同じことやっていても神奈川ではなかなか勝てないので。個人としては、ゆくゆくはトップチームやユースの選手も見たいと考えています。常に向上心は持ちながら選手と向き合っていきたいです。
―ありがとうございました。それでは、次の指導者の方をご紹介していただけますか。
和田 ジェフユナイテッド市原・千葉U-14でコーチをしている池田昇平です。
和田 東京ヴェルディU-13のアカデミーコーチをしている佐伯直哉です。
2人ともジェフユナイテッド市原・千葉時代に一緒にプレーしました。指導者になっても交流があって、同じ年代を見ている共通点があります。
<プロフィール>
和田 拓三(わだ・たくみ)
1981年10月20日生まれ。
静岡県浜松市出身。浜松市立南部中―県立浜名高―日大に所属、DFとしてプレー。卒業後は清水エスパルスに加入。その後は横浜FC、東京ヴェルディ、ジェフユナイテッド市原・千葉、アビスパ福岡。2012年で現役を引退し、横浜FCスクールコーチ、15年~17年は横浜FC戸塚ジュニアユース監督を務め、現在は横浜FCジュニアユースコーチ。