COLUMN

REIBOLA TOP > コラム > Vol.49 名古屋FC EAST/中尾友也

Vol.49 名古屋FC EAST/中尾友也

  • 2022.09.14

    Vol.49 名古屋FC EAST/中尾友也

指導者リレーコラム

2002年日韓W杯の熱気に気圧され、強くなった「サッカーに携わりたい」想い―。市役所勤務から一転、指導者としてのキャリアをスタートさせた名古屋FC EASTの中尾友也さん。自己分析、相手分析、ロジカルにサッカーIQを高めていくことに重きを置きながら、選手の個性を大事に伸ばしていく。責任感ややりがいを持ちながら、「サッカーを通じて子どもたちの成長していく過程を一緒に見たい」と育成年代に向き合い続ける生き様を見た。

―本日はどうぞよろしくお願いします。夏休みが終わったばかりですが、7~8月にかけては遠征祭りでしたか?

中尾 そうですね。怒とうの夏でした(笑)。チームは7月終わりに青森山田中のフェスに参加して、8月は2週目くらいからずっと大阪のJグリーン堺にいました。3年ぶりに行動制限がなくてすべての遠征が行えたので、選手にとっても貴重な機会でしたし、楽しかったです。コロナで現場は大変でしたけど、幸いうちのチームは最後まで辞退することなく戦うことができて。すごく有意義な夏休みでした。

―今回、大豆戸FCの末本亮太さんからご紹介いただきました。ご関係を教えてください。

中尾 初めてお会いしたのは10年くらい前に僕がジュニアの年代を教えていた時です。今はなくなってしまいましたが、優勝するとヨーロッパに行けるワールドチャレンジの先駆けのようなダノンカップという大会がありまして。子どもたちはヨーグルト食べ放題の。その東海地区の大会で出会いました。大豆戸FCがなぜか横浜のチームなのに関東の大会に出場せず東海地区の方に参加するという暴挙に出ていて(笑)。大豆戸さんが前泊していて、試合を組むことになりました。共通の知り合いが多かったこともあってその時から意気投合して、その年の夏にはこちらが横浜にお邪魔するという交流を持たせてもらいました。子どもたちも指導者も濃い交流ができて、そこから毎年名古屋と横浜をお互い行き来する関係を築いています。

―1回試合をした中でそこまで意気投合するのも珍しいのでは。

中尾 かなりレアだと僕も思っています。試合した時に、僕のほうから彼のチームに惹かれました。サッカー人生で衝撃を受けたことが2回あるうちの1回が大豆戸さんなんですけど。やってるサッカーが似ていて、目指すイメージに近かった。末本さんの試合中のコーチングを聞いても面白くて、シンプルに好きだなという感情が湧いて。おはなし好きな末本さんなので、試合が終わった後に話をさせていただいてから、大会当日も休憩時間にサッカーの熱い話をさせてもらいました。僕の方からクッと入っていった感じですね。

―具体的にサッカーで似たところとは。

中尾 今でこそスタンダードかもしれないですが、十数年前はコーチングをする時に相手チームのことを言われる方は少なかったんです、僕の印象として。相手がこうだからこうしたほうがいいという話をする指導者は少なくて、どちらかと言うと自チームの選手に対して言うことが多かった。もちろんバランスは大事ですが。初めてやる相手でこっちも相手がわからない、向こうもこっちがわからないという中で、向こうはこちらの分析をちゃんとしてきたんですね。僕の印象としてはしっかり丸裸にされた、やられたなと。僕もどちらかと言えば相手の分析にも力を入れた指導の仕方をしていたので。当時は珍しいなという感覚でした。

―そうだったんですね。改めて、指導者になられた経緯やこれまでのキャリアについてお聞かせいただけますか。

中尾 ちょっとへんてこりんかもしれないですが(笑)。始めは大学を卒業して、地元の岐阜に帰って市役所で働いていました。漠然と僕らの時って安定の公務員ブームがあって。ただその年が2002年で、ちょうど日韓W杯があったんですね。W杯は特に小学生の時から大好きだったので、ここぞとばかりに大分県にもW杯を見に行った。やっぱり当時は日本中が盛り上がって、公務員に漠然となったけど、サッカーに携わりたいと単純に思い始めました。就職1年目のくせに、公務員が自分にあまり向いていなかったのも感じたんでしょうね。そしたら、当時付き合っていた彼女が今の奥さんなのですが、転職雑誌みたいなものを見せてくれて、そこに「サッカー指導者募集」と載っていた。最初はサッカーライターとかも考えていたのですが、コーチという仕事の門をたたきました。愛知県の東海スポーツという体操とサッカーをメインにしている大きなクラブに入って、とにかくサッカーに関わりたいというのが入り口でした。未就園児から中学生まであるクラブで、僕は最初に小学校5年生の選抜チームを見させてもらいました。

―それは奥様に感謝ですね(笑)。初めて指導した時の感覚は覚えていますか。

中尾 やっぱり難しかったですね。でも24歳で体がよく動く年齢だったので、一緒にやりながらいろいろつかんで。上手な選手も多かったので、「今の子はこんなにサッカー上手なんだ」と驚きの目もありました。

―そこからEAST立ち上げに至るまでは。

中尾 2年間東海スポーツでその子たちを見て、退職をしました。翌年に今の名古屋FCにお世話になって、名古屋FC EASTを東海スポーツで一緒だった橋詰誠さんと立ちあげました。橋詰さんは2019年にWESTを立ち上げ今はそちらで指導しています。2人で一からクラブを作ろうと思っていたのですが、当時は計画性もお金もなくて。縁あって名古屋FC代表の小崎峰利さんと知り合って、「名古屋FCのグループチームをもう一つ立ちあげたらどうだ」と言ってくださいました。最初にかかる資金などもありがたいことに出していただいて、それが2005年のことでした。

―簡単に出資してくれることではないと思うのですが、お二人の熱意を感じ取ってもらえたのでしょうか。

中尾 東海スポーツを退職した一つの理由としては、「やりたいサッカーをしたい」と思ったからでした。もちろん子どもたちを集めないといけませんでしたが、そのノウハウは東海スポーツさんで学ばせていただいたので自信はありました。1年後~3年後の会員獲得の目標推移や低年齢からのスクール展開など僕と橋詰がイメージを伝えた。選手が入会するところからのビジネスのビジョンを描いて、熱意はもちろんお伝えさせていただいて、認めていただくことができました。

―教える年代はやはり小中学生にこだわったのですか。

中尾 小中学生のいわゆる育成年代と言われるところですね。高校生も育成年代ではあるんですけど、どちらかと言うと選手権の勝負とか、そっちのイメージが強くなってしまう。街クラブとしてはプロを育てたいとかではなく、「サッカーを通じて子どもたちの成長していく過程を一緒に見たい」というか、そこに面白みや魅力を感じています。一貫して中学生まで見ていくとこうなるんだなと、これまでの経験でも学んでいますし、いろんな変化がいいも悪いも見やすく、「指導者の働きかけ次第で変わる年代」。責任も感じつつ、魅力ある仕事だと思っています。

―2005年にクラブを立ちあげてから、積み上げとしてはどう感じていますか。

中尾 最初は愛知県の長久手市という、今建設中のジブリパークとかで有名な地域を本拠地にしたのですが、当時は少年団がまだまだたくさんあって、少し田舎の地域だったこともあって最初は反発も多かったです。協会の登録はできませんくらいの感じのことを言われて。ただ地域の人たちとコミュニケーションを取っていく段階で、こういう考えでサッカーをしたいって思いを伝えたり、僕たち自身の人柄を見てもらって、少しずつ地域に根ざしてきた。ジュニアユースに上がる段階では、各少年団の監督さんが「中尾くんのチームだったら選手行かせよう」って言ってもらえることも増えてきて。地域の皆さんに特にジュニアユースは大きくしてもらった印象があります。

―その中で指導者としての考え方や指導のあり方に変化は。

中尾 逆に変わらないもので言うと、「選手の個性を伸ばしていくこと」は大事にしている部分。僕らが受けてきた指導は頭ごなしというか、指示をすることが多かった。ですが指導者ライセンスも取り始めて、ロジカルにサッカーを選手に伝えることが大事だと思いました。わりと僕もロジカルに物事を考えたり、先ほども分析のお話をしましたが、考えて動くサッカーが好きなので、自分たちのチームの子たちには「考えてプレーできる選手」になってほしい。サッカーIQを持つ、それが小中学校を卒業した時に、ちゃんと次のステージでも活躍できる選手につながっていくと思う。サッカー以外の部分ももちろんですが、「自立している選手を育てたい」というのが僕の一番の考えです。

―分析はプロや育成年代問わず近年どのカテゴリーでも力を入れていて、サッカーにおけるポイントの一つになっていると感じます。

中尾 僕の考えですが、ゲームで勝つために相手分析をして試合に生かすことはもちろんあります。ですが育成年代ではそれより自分たちの分析をしていくことに重きを置きたい。例えば中学生だったら、LINEグループを作って、スタッフにその日のうちに試合の映像を編集してもらってグループに載せる。「〇分の〇〇くんのプレーどう思う?」と投げかけて、それに対して意見がリアルタイムで飛び交う。「もう少しこうしたら良かったです」とか、「いや僕はこう考えていたとか」。一番うれしいのは、一学年40人くらいのチームなんですけど、試合に絡んでいない選手がたくさん客観的な意見をくれること。分析したことをみんなで共有して、ゲームに出ていなくてもEASTのサッカーってこういうものを目指しているというプレーモデルを共有できている。そういう意味での分析をすごく大切にしています。

―街クラブの中学生でその日のうちに試合の振り返りをするチームはそう多くないと思います。

中尾 スタッフは本当に大変だと思うんですけど、できるだけ情報が熱いうちにやりたくて。この前も大阪の全国大会に出た時は、試合後の1時間後くらいにはみんなでスクリーンで映像を見ることをやっていました。大会期間中は毎日やって、選手たち自身が考えていけるような環境は作っています。自分たちの映像を観ながら話すことでサッカーへの理解度を高め、味方がどんな考えを持っていたか知る。今の時代ならではの取り組みだとは思いますが、濃い時間になっています。

―いつくらいからその取り組みはやっているのでしょうか。

中尾 LINEが今ほど当たり前でない頃は、僕が好きなバルセロナの試合を映像で取っておいて、雨で練習できない日に、映像を見せて解説することはしていました。小学生の監督をしている時は、「メッシのシュートすごい!」とか言ってたんですけど、少し年代が上がると、2つ前のプレー、視点を考えていくようにしています。「メッシこの時こういう準備してるよね」とか、「ネイマールマーク外すために周りよく見てるよね」みたいな。視点をそろえるために、昔からそういう映像を見せる取り組みはしていました。

―中尾さんはスペインサッカーをよく見られるんですね。

中尾 いや、最近はプレミアですかね(笑)。ただ今の選手も海外サッカーをよく見ているから、同じものを見ることで共有しやすい。こないだもSNSでその日の練習でやったことの流れから得点を取るシーンの映像を見つけて、中学3年生の子に伝えました。選手たちもイメージしやすくなると感じています。

―長い目で見てポジティブなことが増えていきそうですね。中学年代は進路指導も大切な一つの要素ですが、今はまさにいろいろなことを考える時期だと思います。

中尾 まさにその時期ですが、うちの強みは進路だと思っています。Jユースに昨年は2人行かせてもらいました。基本的には選手のキャラクター、希望をベースに、Jユースなのか、高体連なのか。愛知県の中学からは毎年300人くらい県外に出ています。県外に行きたがる選手がうちのクラブにも多くて、でも県外に行くには親元を16歳で離れて、いろいろ大変なこともある。県内だったらサッカーと勉強だと思うけど、県外に行けばサッカー、勉強、生活の面で自立する要素が求められるので、選手の生活面をチェックしないといけない。軽い気持ちで行ってうまくいかなかった選手も見てきたから、親御さんともじっくりお話をさせてもらって。個人の性格やキャラクターを見ながらアドバイスをしていく。なるべく選手が行きたいって言えば、代表の小崎もほぼ日本全国に人脈は強みとして持つので、お願いをしています。だけどいろんな情報を入れながら、サッカー以外の確認はすごくしますね。

―実際に県外に行かせるのが難しい子もいるのかと思います。どういったアドバイスをするのでしょうか。

中尾 うちのコンセプトの一つに、「リーダーシップ」があります。ふわっとした抽象的な言葉ではあるんですけど、個人個人がそのリーダーシップを考えて、具体的に行動してみようと伝えている。声をめちゃくちゃ出す選手、オフザピッチのシーンでチームの仕事をすごく一生懸命やる選手、誰かが困っていたら声をかける、練習終わりのボール探しを後輩に声かけながら率先して動く、そういう選手は大丈夫だと自分は考えています。自立していると思うので、自発的に行動を起こせる選手。ただチームでそういった行動をまったく起こせていないけど、卒業したら県外に行きたいという選手には問いかけて、「自分の普段の行動ってどう?」「チームのためにやれてることある?」みたいな自己分析をさせていく。本人もそこではっと気づくんです。愛知県から県外に行くことは助っ人と一緒だから、行った先でリーダーシップを取れるような人材じゃないと欲しがってもらえない。勘のいい子は気づいて、もっとやらないといけないって行動に移すことができています。気づける子は可能性のある子だから、やっぱり後押ししてあげたい。今の時期は忙しいですが、ただそれは預かっている側の責任でもあるし、我々のクラブとしても、他のクラブから選手を預かって次のステージにつなげていくリレーションの関係性だと思います。

―ここから少しでも多くの選手が納得のいく道に進めることを願います。最後に、クラブとしての今後について考えていることを教えてください。

中尾 クラブとしては、U-13、U-15が東海リーグという最高峰のリーグにいるんですけど、なるべくその水準を保っていきたい。まだまだ新参者なので、チャレンジャーとして旋風を起こしたいです。あとはどこまでいっても個人を育てていますので、クラブからたくさんサッカーも、サッカー以外でも魅力的な選手、いろんな高校の先生方やJのスカウトの方が欲しがるような選手を育成していきたい。それがチームの目標でもあり、僕の目標でもあります。

―ありがとうございました。次の方の紹介をお願い致します。

中尾 山梨にあるアメージングアカデミー代表理事の小川健一さんです。スペイン人の監督がいて、中学生が寮生活をしてサッカーを教えるチームです。小川さんは英語が話せるので、通訳もしながら働かれています。

<プロフィール>
中尾友也(なかお・ともや)

1979年7月5日生まれ。岐阜・飛騨市出身。斐太高校、愛知学院大卒業後は地元の市役所勤務。就職2年目で東海スポーツに転職し、2年務めた後に退社。2005年に名古屋FC EASTを設立し、U-12監督からスタート。U-15監督就任3年目。U-15チームは21年に東海リーグ昇格を成し遂げた。

  • アカウント登録

  • 新規会員登録の際は「プライバシーポリシー」を必ずお読みいただき、ご同意の上本登録へお進みください。

ガンバ大阪・半田陸が戦列復帰へ。
「強化した肉体とプレーがどんなふうにリンクするのか、すごく楽しみ」