10月28日、2回戦と同じヤンマースタジアム長居で行われた天皇杯3回戦・アルテリーヴォ和歌山戦は延長戦の末に2-3で敗れた。公式戦11試合目にして、今年のFC TIAMO枚方にとって、また監督としても初めての敗戦となった。
この試合が始まる前、相手のスターティングメンバーを見て違和感を感じていた。リーグでの対戦時には中心選手だった長身のFWが控えに回っていたからだ。実際、試合が始まってからも、ロングボールを多用していたリーグ戦とは大きく戦い方を変え、ロングボールに頼らないパスサッカーで挑んできた。
そんな風に、予想とは違う戦術を敷いてきた相手に、なかなかリズムを掴めずにいた中で33分には井上翔太がケガで交代を余儀なくされるというアクシデントが発生。不安が過ったが、前半終了間際に木田直樹のクロスをチョ・ヨンチョルが頭で合わせて先制すると、後半も開始早々の53分に木田が追加点を決めて2-0とリードを奪った。
ところが、交代カードを2枚切ったのを皮切りにアルテリーヴォの反撃が始まる。その中で68分に自陣でのミスからオウンゴールで1点差に詰め寄られると、それに動揺したのか、更に2分後にも失点し同点に追いつかれてしまう。なんとか勝ち越そうと選手交代などで変化を与えたがゴールは奪えず、同点のまま延長戦へ。その延長後半に勝ち越し点を奪われて試合が終わった。結果、チームの目標の一つだった「天皇杯でJクラブを倒す」という目標は達成できなかった。
監督としての初めての敗戦は、単に悔しいというだけではなく、サッカーというスポーツの難しさを改めて学ぶ試合にもなった。2-0になって、油断したわけでは決してない。リーグ戦では5-0で勝っていた相手だから、この日も勝てると思っていたわけでもない。ただ、どこかに隙があり、その隙から勝利はこぼれ落ちていった。試合後のロッカーで選手には、「この敗戦から何かを学ばなければいけない。全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL)では同じ過ちを繰り返してはいけない」と伝えたが、それは自分自身に言い聞かせた言葉でもあった。
そして迎えた地域CL。レギュレーションは前回のコラムで書いた通りで、まずは11月6、7、8日の3日連続で1次ラウンドが行われた。4チーム中の1位しか決勝ラウンドには進めないため、初戦での敗戦は自力突破の消滅を意味する。とはいえ、同時に3連戦という超過密日程を勝ち抜かなければいけないこともあり、スタメン選びにはかなり悩んだ。
初戦の福井ユナイテッドFC戦は、どちらに転んでもおかしくない一進一退の展開になったことから試合終盤はリスクを犯さない戦い方を選んだ。もちろんその中で勝てれば理想的だったが、相手の守備も堅く0-0の引き分けに終わった。
2戦目の相手は初戦J.FC MIYAZAKIに勝利しているFC徳島だった。この試合の前に行われた福井ユナイテッドFC対J.FC MIYAZAKIの試合が0-0の引き分けに終わったため、FC TIAMO枚方は残りの2試合で連勝すれば決勝ラウンドへの進出が決まることになっていた。それをチーム全体で共有して臨んだ結果、苦しみながらも後半のヨンチョルのゴールにより1-0で勝利することができた。そして、勝てば文句なしで首位突破が決まるJ.FC MIYAZAKIとの3戦目。開始早々に先制点を奪うと42分にも追加点をあげ、2-0で前半を折り返す。まさに冒頭に書いた、天皇杯と同じ展開だ。それもあってハーフタイムのロッカーでは、監督の僕が言わずとも、選手同士で「あの失敗を繰り返さないようにしよう」という会話が生まれ、後半に向かった。結果的に追加点こそ奪えなかったが、最後まで集中力を切らさず、2-0で勝ち切れたFC TIAMO枚方は、2勝1分の1位で決勝ラウンド進出を決めた。
思えば、今シーズンは、誰が出てもチームとして高いパフォーマンスを発揮できるように公式戦の全試合でスタメンを変更しながら戦ってきた。この地域CL・1次ラウンドの3試合もスタメンはそれぞれ違うメンバーで戦った。全てはこの地域CLを勝ち抜くためのチャレンジだ。選手もその考えを理解してくれて、かつ、シーズン終盤におけるこの超過酷な日程を、最後まで気持ちの入った素晴らしいプレーで戦い抜き、FC TIAMO枚方としては地域CLへの3回目の挑戦にして初めての決勝ラウンド進出を決めることができた。
とはいえ、僕たちはまだ何も成し遂げてはいない。最大の目標であるJFL昇格まで、泣いても笑っても残り3試合。必ずJFL昇格を掴み取ってみせる。
小川 佳純Yoshizumi Ogawa
1984年8月25日生まれ。
東京都出身。
07年に明治大学より名古屋グランパスに加入。
08年に新監督に就任したドラガン・ストイコビッチにより中盤の右サイドのレギュラーに抜擢され、11得点11アシストを記録。Jリーグベストイレブンと新人王を獲得した。09年には、かつてストイコビッチも背負った背番号『10』を背負い、2010年のリーグ優勝に貢献。17年にはサガン鳥栖に、同年夏にアルビレックス新潟に移籍し、J1通算300試合出場を達成した。
20年1月に現役引退とFC TIAMO枚方の監督就任を発表し、指導者としてのキャリアをスタートさせた。