©KASHIMA ANTLERS
5月25日にアンドレス・イニエスタのヴィッセル神戸退団が発表されました。彼のプレーヤーとしての素晴らしさは今更説明するまでもない…というか、僕ごとぎが説明するのもおこがましい限りですが、今回は、彼が日本という国、日本のサッカー界、Jリーグに与えてくれた数々の偉大な功績へのリスペクトを込めて、僕なりに感じたことを書いてみようと思います。
18年夏の移籍ウインドウが開くのを前に『イニエスタがヴィッセル神戸に加入するかも!』的なニュースが流れたときは「流石に、それはないやろ!」と心の中でツッコんだのを覚えています。それまでにもヴィッセルがルーカス・ポドルスキを獲得するなどの流れはあったとはいえ、です。FCバルセロナの中心選手として何度もリーガ・エスパニョーラで頂点に立ち、UEFAチャンピオンズリーグでも優勝に導く輝きを魅せ、2010年のワールドカップ決勝でも自らゴールを決めてスペイン代表を優勝に導いたあの、イニエスタです。老若男女を問わずにサッカーファンであれば、いや、サッカーファンじゃなくても知っているような、世界的プレーヤーがまさか日本で、Jリーグでプレーするなんて信じ難いというのが正直な気持ちでした。
ですが、そんな夢のような話が現実になり、彼は日本に来てくれました。しかも、偉大過ぎるキャリアを忘れそうになるくらい、謙虚でフレンドリーな人間性を引っ提げて、です。幸せなことに、僕自身も彼とは試合で顔を合わせた時に、あるいはキックオフカンファレンスなどで一緒になった時などに何度かコミュニケーションをとらせてもらいました。今シーズン、カシマスタジアムで戦ったJ1リーグ第8節・ヴィッセル戦のハーフタイムにロッカー前でバッタリ顔をあわせた時も、スペイン語で声を掛けたら気さくに応じてくれて…。その場に居合わせた通訳さんも挟んでしばし会話をさせてもらったのもいい思い出です。ピッチの内外で誰に対しても分け隔てなく、リスペクトを持って接してくれる彼の姿は選手である以前に人として素晴らしく、それを直に感じられたことは、僕自身にとってもかけがえのない財産、学びになりました。
おそらく、僕に限らず似たようなことを感じたJリーガーも多かったはずで…来日から4年が経ち、最近はどことなく彼がJリーグにいる風景に慣れてしまっていましたが、改めて彼がいるJリーグを共に戦ったり、コミュニケーションをとることで『世界レベル』を体感できた僕たち選手も、彼がJリーグで戦う姿を「当たり前の光景」として楽しめたサッカーファンも、途轍もなく幸せだったと感じています。…ということを対戦相手でも感じたのに、チームメイトとしてイニエスタという存在をピッチの内外で体感してきたヴィッセルの選手はどれほど多くの学びを得たのかを想像すると、心から羨ましいです(笑)。実際、彼がいたからヴィッセルへの加入を決めた選手もいたはずだし、ヴィッセルが獲得した天皇杯での初タイトルも…奇しくも決勝の相手は鹿島アントラーズでしたが、イニエスタの存在なくして語れなかったんじゃないかとも思います。
もちろん、プレーでもたくさんの衝撃を与えてくれました。パッと思い浮かぶところでは、初先発となった18年のJ1リーグ第21節・ジュビロ磐田戦でのポドルスキのスルーパスに反応したえげつないターンからのゴールも衝撃でしたし、19年のJ1リーグ第24節・サガン鳥栖戦で60メートルくらいのロングパスを古橋亨梧(セルティックFC)に出し、ゴールの起点になったシーンも驚きしかなかったです。それ以外にも、何気ないトラップ、何気ないパスが鬼の精度で繰り出され、僕も含めた多くのディフェンダーが、彼の重心が低くてぬるぬるっとしたドリブルに翻弄されました。サッカーはどんなスーパースターが在籍しようとも、その一人だけの力では結果を得られないスポーツですが、イニエスタに関してはパス一本で、0%だったゴールの可能性を50%まで一気に引き上げられる、場合によっては0%を100%にすることも可能な選手だったと感じています。
そして何よりサッカーを『魅せる』ことができる選手でした。過去に僕が対戦したことのある名だたる選手たち…メッシ、ネイマール、エムバペ(パリ・サンジェルマンFC)をはじめクリス ティアーノ・ロナウド(アル・ナスルFC)、ベンゼマやアザール(レアル・マドリード)、ベイル(ロサンゼルスFC)らも、命をかけてしのぎを削り、ファイトして、デュエルをして、というようにトップ・オブ・ザ・トップのパフォーマンスを示す一方でエンターテイナーとしての遊び心を忘れない『魅せる』選手でしたが、イニエスタも間違いなくその一人でした。Jリーグでもボールをトラップするだけで、パスを出すだけで自然とため息が漏れたり、感嘆の声が上がるシーンを何度も見ましたし、そんな彼のプレー見たさに、初めてJリーグに足を運んだ、サッカーを観戦した、という人もたくさんいたはずです。Jリーグ30年の歴史では、過去にもいろんなクラブに偉大な外国籍選手が在籍してきましたが、イニエスタはその方たちを遥かに超える影響力で何万人、何十万人の足をJリーグに向けてくれたんじゃないかとも思います。
また、先に書いた通り、彼が在籍しているからという理由でヴィッセルに興味を持った選手やJリーグでのプレーを決断した外国籍選手も多かったはずです。事実、近年はヨーロッパの選手、スタッフが増えました。オフシーズンには名だたる欧州のビッグクラブが日本で親善マッチ等を開催することも多くなった気がします。もちろん各クラブやJリーグ、日本サッカー協会の尽力もあってのことだと思いますが、イニエスタが在籍するリーグ、プレーする国への興味や、彼が定期的にSNSなどを通してJリーグや日本の良さを発信し続けてくれたことも影響したんじゃないかと思っています。
そんなふうに彼が4年もの月日を通して伝えてくれたサッカーの魅力は、繋いでくれた世界との縁は、間違いなくJリーグにとっての大きな財産です。それを無駄にしないためにも、イニエスタと同じピッチに立つ幸運を得た僕たち選手は、彼を通して世界に発信されたJリーグの存在、価値をしっかりと受け継ぎながら、サッカーの面白さを伝えていかなければいけません。と同時に、クラブ同士が互いに切磋琢磨しながらJリーグのレベルアップを目指すだけではなく、AFCチャンピオンズリーグやクラブワールドカップを当たり前のように勝ち抜く姿を示せるようになることでJリーグを世界に発信し続けなければいけないとも思っています。
昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。