©KASHIMA ANTLERS
約3週間のJ1リーグ中断による3日間のオフは、家族と共に温泉つきの宿泊施設で心と体をリフレッシュする時間に充てました。僕の場合、シーズンオフなど長い期間のオフではいろんな治療院に出かけて、体のメンテナンスをすることもありますが、今回のような短いオフでは基本的にサッカーから離れて過ごすことがほとんどです。考えてみれば、若い時からずっとそんなふうにオンとオフのメリハリをつけて過ごしてきた気がします。
これは、単純に『サッカー』をオフの時間に持ち込みたくないのもあるし、逆にサッカーに関するオンのことは職場で、つまりはクラブハウスやグラウンドでやりきって終わりたいという考えもあってのことです。とはいえ、僕らは「体」が仕事道具のため、例えば買い物に出掛けた先に、懇意にしている治療院があれば「ちょっと立ち寄って体を診てもらおうかな」ということはありますし、チームメイトに「○○さんに体のメンテナンスに来てもらうけど、源くんも一緒にどうですか?」と誘われたら、お願いすることはあります。家でも風呂上がりには自然とストレッチをしていることを思えば、全く切り離すことはできていないかもしれません。
ただし、チームの練習とは別にパーソナルトレーナーをつけてトレーニングをするとか、オフを体のメンテナンスに費やすことはまずなく…。それでも、これまで体を診てもらったいろんな方に「すごくしなやかで、柔らかい、いい筋肉をしている」と褒められてきたことを思えば、健康な肉体に生んでくれた両親に感謝しかないです。ってか、父親にはいつも「お前の運動能力や筋肉の質の良さは、全部オカン譲りやからお母さんに感謝しなさい」と言われます。実際、父に限らず、母も実業団でもスポーツをしていたほどのアスリートで、結婚後も、体操教室のインストラクターなどもしながらいろんなスポーツをやっていたとか。そんな話を聞くと、あながち父親の言うことも間違いじゃないな、と思ったりもします。
ただし、僕も今年で31歳。自分では感じていなくても消耗は間違いなくしているはずなので「オンのところ」での準備は徹底しています。特に…今だから明かしますが、ガンバ大阪時代の21年に一時期、酷めのグロインペイン(恥骨結合炎)を患った経験から、練習前の準備は念入りにするようになりました。
思えば、21年は本当に過酷なシーズンでした。AFCチャンピオンズリーグを含めた夏場の公式戦21連戦の後、日本代表に追加招集されてカタールに移動。試合を戦って帰国したらコロナ禍による2週間の個人隔離(バブル)…。食事の時ですら部屋を出られず、散歩もできず、部屋で一人、時間が来たら弁当を食べ、起きている時間のほとんどをベッドか椅子の上で過ごすという、今思い返してもゾッとするくらいの状況に置かれました。
その直後に突然、グロインペインを発症したことを思えば、どう考えても体に負担がかかっていたのは否めず…。基本、僕はケガなどについて話すのは自分の弱みを見せるような気がして嫌なので、当時はメディア等に公表することなく治療を続けましたが、ある朝、突然痛みで立つことすらままならないという状況は恐怖でしかありませんでした。
その時に、ガンバの桝井周トレーナーをはじめとするメディカルスタッフの方や外部の治療院などをさんざん頼りまくり「あーでもない、こうでもない」といろんなことを試しまくった結果、痛みを感じていた恥骨の前部付近を鍛えるのではなく、体をノンストレスの状態にしてから、腰や背中、お尻などを鍛えた方が痛みが出ない、という結論にたどり着きました。
以来、毎朝練習前に、①トレーナーに練習前の状態でまず体のバランスをチェックしてもらいながら、マッサージをしてもらって恥骨周辺の筋肉や内転筋など、硬さが残っている部分をすべてほぐして、体をノンストレスの状態にする②その状態で、一気に背部の筋肉を締めるトレーニングをして練習に向かう、というルーティーンに取り組むようになりました。結果、戦列復帰後も、翌シーズンも一度もグロインペインを発症しなかったことから、今年、鹿島に移籍してからも、同じことをはっちゃんこと、橋本敏広トレーナーにもお願いして続けています。
そのため、毎日クラブハウスに来るのはチームで1〜2番の速さですが、おかげで、今シーズンも、雨のグラウンドに足を取られて内側側副靱帯を痛めるアクシデントから復帰後は、一度も休まずにサッカーと向き合えていますし、いいコンディションでプレーできています。そう考えると…両親に限らず、僕の体に関わってくれた全てのメディカルスタッフにも感謝しかありません。
30歳を過ぎると、よく筋肉系のケガが増えるとか、「体の疲れが抜けにくくなった」「回復に時間がかかる」という話を聞きます。ですが、今のところはまだ、自分に思い当たる節はありません。本音を言えば、多少打撲した部分の青タンが消えるのに時間がかかるというか…若い時なら打撲したことも忘れるくらいの勢いで消えていましたが、今は「まだ、跡が残ってる!」ということはあるし、腿カンを食らった時の痛みの抜け方も多少違います(笑)。ただ、プレーする上では30代に突入した今も、体の変化は感じていません。
とはいえ、佑都くん(長友)、森重(真人)くんら、今もJ1リーグで活躍を続けている35歳オーバーのベテラン選手がよく口にしている「年齢はただの数字だから」という言葉は、徹底したコンディション管理はもちろんのこと、それと並行して、トップステージで試合に出続けているからこそ口にできる言葉でもあると思うので、今後もそのことを逐一、自分に投げ掛けながら、30代半ば、後半に向かっていこうと思っています。
昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。