度重なるケガ、サッカーから逃げて向き合えず辞めようとも思った。そんな時、父からの言葉に救われた。その恩返し、そして、自分の夢のためにも必ずプロになりたい!
京都府長岡京市出身。父の勧めで年中から兄弟でサッカーを始め徐々に頭角を現し、セレッソ大阪のジュニアユースにスカウトされてそこでプレーする。Jリーグチームの下部組織からスカウトされる実力、小柄ながらもキレのあるドリブルからの左足、そのままユースに昇格する実力、自信はあった。しかし、度重なるケガでのスランプと向きあえず、サッカーから逃げている自分、伊達は辞める事さえ考えた。そんな時父からの「サッカーが好きでチャレンジできるのになぜチャレンジしない!簡単に諦めるな!」その言葉に救われた。
結局セレッソ大阪のユースチームには昇格できなかったが、親元を離れての寮生活で島根県の明誠高等学校に入学を決める。1年時からスタメンでプレーし、左足とドリブルに磨きをかけチームの中心を任されるまでに成長。
あの時の父の言葉を胸に「チームの中心だからこそ、ハードワークも惜しまず責任をもってプレーしたい。そして、得点も意識してチームの為にプレーしたい。」
自分の夢のためにも高校最後の選手権での活躍を誓う。
text by Hideo Tanaka