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Vol.11 ホームゲーム

  • 2020.09.10

    Vol.11 ホームゲーム

BRAIN〜ズミの思考〜

例年、関西サッカーリーグはホーム&アウェーの14試合で行われるが、今年は7試合で優勝を決めるレギュレーションになり、そのうち5試合がホーム、枚方市立陸上競技場で行われる。今回のコラムは、そのホームゲームの準備や運営など、裏側について書こうと思う。
Vol.3で書いたように、FC TIAMO枚方の社員、スタッフは代表、ゼネラルマネージャー(GM)、広報兼マネージャー、監督、コーチ2人、GKコーチ2人(土日と平日を分担制)、トレーナー3人(分担制)の11人しかいない。だからこそ、みんなでできる限り協力し合いながら、ホームゲーム運営の準備を行なっている。
例えば、試合2日前の競技場のライン引き。GMに手伝ってもらうこともあるが、基本的には監督とコーチの仕事だ。予め打ってもらっているポイントとポイントをロープで結び、それをたどってラインを引いていく。
今の時代、高校や大学のサッカー部は人工芝のグラウンドが増えてきているので、ライン引きをやったことのない子たちもいるのではないかと思う。だから、サッカーコートの大きさが105m×68m(競技場によって異なり、枚方市立陸上競技場は95m×62m)ということや、ゴールエリアがゴールポストから5.5m、ペナルティエリアが16.5mであること。センターサークルの半径が9.15m、ペナルティアークはPKマークから9.15mであることなどを知らない子がいても不思議ではない。
ペナルティアークのライン引きをしていると高校時代を思い出す。急いで引いてクネクネ曲がったラインになってしまったり、長さを間違え、ペナルティアークを10.15mで書いてしまっていたのは高校1年生の時だ。練習場に現れた布啓一郎監督(現松本山雅FC監督)がそれに気づき、3年生まで全員が連帯責任として罰走を課せられた。それ以降、サイズを間違えることも曲がったラインを引くこともなくなった。まさか、土のグラウンドに毎日ラインを引いていた高校時代の経験が、ここで活きるとは想像したこともなかったが、そのおかげなのか、コーチが驚くほど真っ直ぐなラインを引ける能力が今の自分にはある(笑)。

話を戻そう。試合前日までにクラブとして行う準備は代表やGMが中心となり、枚方市スポーツ振興課や枚方市スポーツ協会の方々に助けていただいたり、スポンサーの皆様にもお力添えをいただきながら行っている。新型コロナウイルス感染症の影響で入場規制がかかっている今は、スタンドの座席にシールを貼る作業や当日の入場者の把握など、例年にはなかった準備も多い。
14時キックオフの試合当日は、僕も代表、GM、コーチ、トレーナー、マネージャーと共に10時までには会場に入り、運営本部、審判控室、両チームのロッカールームやベンチの設営をする。11時になるとメンバー外の選手とアカデミー生が集合し、ゴールやバックスタンド側のバナー、得点板の設置など、会場づくりを手伝ってもらう。監督としての仕事は12時半から。ミーティングのあと、12時45分からマッチミーティングに出席してから試合に臨む。
16時頃に試合が終わると、すぐにメンバー外の選手たちを中心に片づけが始まり、撤収作業に取り掛かる。試合に出ていた選手もクールダウン後には片付けに参加し、17時過ぎには全ての作業を終えて帰路に着く。

思えば、プロサッカー選手だった時代は、バスに乗ってスタジアムに行き、試合を終えればまたバスに乗って帰るという繰り返しだった。もちろん、当時も試合運営に携わっているクラブの社員やボランティアスタッフの存在は知っていたし感謝していたが、本当の意味でのありがたみは、こうして今、実際に運営や準備に携わるようになってより感じられるようになった。また、選手・スタッフの全員でホームゲームを作り上げ、勝利を目指して戦うことで更にチームとしての結束を強めて1つになれている実感もある。これは、このカテゴリーを戦っているからこそ感じられたことで、個人的にもこの先のサッカー人生における大きな糧になると確信している。と同時に、たくさんの人に支えられて試合を戦えていることに感謝すればこそ、目の前の試合に対する勝利への欲も、より強くなっている。

  • 小川 佳純Yoshizumi Ogawa
  • Yoshizumi Ogawa

    1984年8月25日生まれ。
    東京都出身。
    07年に明治大学より名古屋グランパスに加入。
    08年に新監督に就任したドラガン・ストイコビッチにより中盤の右サイドのレギュラーに抜擢され、11得点11アシストを記録。Jリーグベストイレブンと新人王を獲得した。09年には、かつてストイコビッチも背負った背番号『10』を背負い、2010年のリーグ優勝に貢献。17年にはサガン鳥栖に、同年夏にアルビレックス新潟に移籍し、J1通算300試合出場を達成した。
    20年1月に現役引退とFC TIAMO枚方の監督就任を発表し、指導者としてのキャリアをスタートさせた。

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