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Vol.9 MIOびわこ滋賀レディースU-15アシスタントコーチ/大谷未央

  • 2021.03.03

    Vol.9 MIOびわこ滋賀レディースU-15アシスタントコーチ/大谷未央

PASSION 彼女たちのフィールド

大谷未央さんは、一児のママ。週末はMIOびわこ滋賀レディースU-15のアシスタントコーチ、平日はMIOびわこ滋賀の事務の仕事をしている。現役時代に、なでしこリーグ180試合出場150得点を記録した、かつての名ストライカーが、出身地の滋賀県で「育成年代の指導という仕事」を選択したのはなぜなのだろう。そして、育児と仕事をどのように両立しているのだろう。所属チームの休部からは始まった大谷未央さんのセカンドキャリアについて聞いてみた。

大谷 MIOびわこ滋賀は2018年にレディースU-15を立ち上げました。「プレーしたくてもチームがない」「最寄りのチームが遠くて通えない」「チームがあっても女性指導者がいない」……育成年代のプレー環境が整わないのが滋賀県の現状です。私たちの世代もプレー環境で苦労したので、今の世代の子たちには、身近なスポーツとしてサッカーをできる環境を作ってあげたいです。

ー「直線距離は近いけれど、チームがあるのは琵琶湖の反対側」だから送り迎えがないと通えないとかありそうですね。

大谷 現状、あると思います(笑)。

ー大谷さんは「3年連続を含む4度のなでしこリーグ得点王」「6度のなでしこリーグベストイレブン」「なでしこリーグ史上最速100ゴール達成(114試合)」といった、ものすごい記録を打ち立ててこられましたが、ずっとストライカーだったのですか?

大谷 サッカーを始めたときから「大事なところで点を取れることが大切だ」という、信念を持っていました。ゴールすることで、周りのみんなも喜んでくれる。自覚というか、自分にそう言い聞かせてプレーしていました。TASAKIペルーレFCに加入して右サイドハーフのポジションで練習していました。同じポジションの選手が開幕前に膝前十字靭帯を断裂してしまい、私が抜擢されました。私は加入の年のリーグ開幕戦でゴールして自信を持てました。チームの中で一番得点を取りたいという想いがさらに強くなりました。開幕戦では、気負うことなく、思い切りチャレンジできたことを覚えています。
結果が出ると迷うことなく、思い切ったプレーをできました。ミドルシュートが多かったです。ドリブルはタイミングで剥がすというか、相手の逆を取ったりボールタッチのリズムの変化で抜いたりしていました。駆け引きは日本女子代表で身に付いていきましたね。海外の相手にはスピードもパワーもかなわないので、駆け引きやポジショニングで経験を積み重ねて熟練していきました。駆け引き勝負はやればやるほど身に付いたと思います。

ーFIFA女子ワールドカップ2003米国大会のアルゼンチン女子代表戦でハットトリックを達成されています。A代表のワールドカップでのハットトリックは男女を通じて唯一なのでは?

大谷 澤穂希さんがFIFA女子ワールドカップ2011ドイツ大会で達成していますね。そのときテレビ番組で「過去にハットトリックを達成した選手」として私の名前が画面にポンって出ました(笑)。澤穂希さんのハットトリックによって私の名前が注目されることになりましたね。

ーそれまでは大谷さんが唯一だったのですね。当時の日本女子代表は(男子は本大会出場なしの時代ですが)ワールドカップ、オリンピックに出場するのが当たり前で本大会でどこまで勝ち進むことができるかを目標としていました。大谷さんは自分自身の目標を国際レベルの高いところに置いていらしたのではないですか?

大谷 当時は日本女子代表に入って世界で活躍することを目標にしていました。TASAKIペルーレFCで3年目の2000年に、私は初めて日本女子代表で試合に出場しました。対戦相手はオーストラリア女子代表でした。何もできませんでした。私は、国内で当たり前にできたプレーが国際試合ではできないということで壁に当たってしまいました。だから、目標にするところは身近な国内ではなく、国際試合を想定していたと思います。特に、代表デビューした3年目は国内では調子が悪かった年です。でも日本女子代表に選ばれてフォワードで起用されました。調子が悪い上に「自分にできないプレー」が露骨に現れました。そこで、自分のできないことを整理してどうすべきか考えました。

ー目標の定め方や課題の把握は大切ですね。

大谷 自分自身で課題に気づかないと、練習が実にならないと思っています。

ーTASAKIペルーレFCでプレーされているときは田崎真珠の社員でいらっしゃいました。どのようなお仕事をされていたのですか?

大谷 指輪や宝飾品の型枠をとった後の隙間に入った膜を取り除く、ホントに細かな指先が震えるような仕事をしていました。集中力が必要な仕事です。

ー引退後のキャリア選択はどのようにされたのでしょうか?

大谷 引退はチームが休部するタイミングだったので、リセットして第二の人生を考えようとしていました。「サッカーはもういいかな」と思いました。チームが休部することが決まる前から「そろそろ(引退)かな」と思っていました。2008年シーズンはコンディンが整わず、もう一年、先を見てプレーすることができなかったです。

ーでも、最後の2008年は13得点していますね。

大谷 それはシーズン前に「最後に150得点を記録したい」という目標があったからですね。150得点すれば現役生活を納得できるだろうという気持ちでプレーしました。この年のリーグ戦の最後の試合で150得点を決めました。それで心がすっきりとしました。

ー引退された後はどうされたのですか?

大谷 調理師免許を取得する方法を調べたりしたのですが、そのタイミングで女性指導者だけが対象のC級コーチ養成講習会が滋賀県内で開催されることを教えてもらいました。指導者になりたいわけではなかったのですが、身体を動かしたいので軽い気持ちで行ってみたら、そこに本気で来ている女性指導者候補が何名もいました。今泉守正さん(現・日本女子代表コーチ)と吉田弘さん(現・尚美学園大学女子サッカー部総監督)がインストラクターでした。私に「これだけ相手に伝えられるものを持っているならやれよ!」と言われました。一緒に受講していたかつての仲間も「そんな簡単にやってきたこと捨てちゃうようなことはしないで」「未来の女子サッカーのために続けて」などの声をかけて頂き「じゃあやろうかな〜」と思っていたら、越智健一郎監督が指導されている京都精華女子中・高のサッカー部がコーチを探している話が来ました。

ー京都精華女子中・高で初めて経験した育成年代の指導はいかがでしたか? なぜ指導を始めたのですか?

大谷 私は計画を立ててストイックに選手をやっていました。今の中学生年代、高校年生年代を見ると「やりたいときにやればよい」「やりたくないわけではないけれど、今は別のことを楽しむ」といった、私が苦手だったONとOFFがあります。ピッチで「やるときはやる」というメリハリがあって、私がこれまで思ってきた指導とは逆かもしれないけれど視野が広がると思って指導をさせてもらいました。

ーご自身のやろうとした指導とは違う指導方法を受け入れることから始まったのですね。

大谷 そうですね。指導者としては真っさらから始めました。どのような指導をすれば良いのか興味がありました。越智健一郎監督の指導方針を知って「自分の考えを伝えるというよりも、プレーする子どもたちの考えをより引き出す方が、子どもたちはサッカーを楽しめるのではないか」と考えました。プレーするのは私ではないので、私の選手時代と同じ指導をするのはやめようと思いましたね。

ー京都精華女子中・高での、指導の成果をどのように捉えていますか?

大谷 ただ楽しむだけではなく「本気の中で楽しむ」ことを伝えられたと思います。全日本高等学校女子サッカー選手権大会に初めて出場してくれました。「楽しむ中身」の違いを伝えることができて、私の自信になりました。

ー本気でやることで得られる楽しみがあるのですね。理解いただくのに時間がかかりましたか?

大谷 時間がかかりました。毎日、全体練習後の自主練時間を10分ほど設けます。全体練習が終わると帰る子が多かったのですが、技術の高い子がいたので「フリーキックの練習をしようか?」と、一人の子と、毎日、自主練を続けていきました。その子も、最初は「えー?」という感じだったのですが、練習で身につけた技術を出して試合で結果を出せたりすると、チーム全体に「頑張ることっていいよね」という意識が生まれました。

ー全員を横並びに指導するのではなく「何名かの選手と自主練という方法で上に引き上げてあげて、それを見た他の選手が、本気の中で楽しむことに気づく」ということですか?

大谷 そうですね。あまり「頑張るのを見せたくないタイプの子」を引き上げて変えてあげると、周りの子も自主練の努力を見ているので「私もやってみたいな」「私も頑張れるかも」と周囲の子が思ってくれるようになります。だから、私は、個人能力の引き上げに着目して指導していました。

ー頑張りそうな選手が頑張っても、みんなが頑張る気持ちを育てるきっかけにはなりにくいのですね。

大谷 「あの子だから頑張れるんだよ」と片付けて終わってしまっては全体に意識が広がらないですね。「頑張るのを見せたくないタイプの子」と、最初は遊び感覚で始めて、徐々に本気にさせていくのが重要です。現役時代に受けた指導には、この指導方法に近いモデルはなかったです。ただ、TASAKIペルーレFCの最後のシーズンの河村優コーチ(現・神戸学院大学サッカー部監督)は良いことを褒めてくれる人でした。当時の日本の指導はダメなことを指摘して改善する指導が多かったのですが、河村優コーチは良いことを大袈裟なくらい褒めるのです。褒められて嫌な気分にはならないので、練習を前向きに捉える環境づくりをしてくれたことを覚えています。

ーそうした、過去の経験をいくつか組み合わせて、今の大谷さんの指導が生まれたのですね。現在は、MIOびわこ滋賀レディースU-15の指導をどのようにされているのですか?

大谷 現在は、私に小さな子どもがいるので育児をしながらアシスタントコーチをさせていただいています。選手と直接に関わるのは、基本的には週末だけです。夏休み等はフリーで動けるので、一緒に遠征もさせてもらっています。

ー育児と指導の両立は大変ですか?

大谷 毎日の指導の中には「今、褒めどき!」というタイミングがあります。でも、今、私の指導が週末だけなので、そのタイミングに選手と会えない(笑)。例えば、選手が悩んでいて相談に乗って解決の方法を話し合いながら決めるとします。ところが、私は、その次の月曜日に練習を見られない。そういう場合、私は、監督に連絡をとって様子を聞いたりします。その他、練習の情報はLINEで共有し報告も上がってきます。「私だけ知らなかった」ということは起きないですね。でも、選手の変化をできるだけ把握するために週末、指導に出るときは、選手一人一人に私から話しかけにいきますね。

ー今は、便利な情報共有手段があるので「何がなんでもフルタイムで働かなければ指導できない」というわけではないのですね。

大谷 そうですね。選手も理解してくれているので、会ったときに、その場で質問してくれたり、平日にLINEで質問を送ってくれたりします。この方法も慣れてくると、コミュニケーションの方法に工夫ができるようになってきました。チームの指導は、フルタイムや、自分の仕事をメインに据えなければできないと考えている人が多いのですが、私は「会ったときに、どれだけのパワーを込められるか」を意識すればできると思っています。あまり難しいと考えたことはないです。

ー今後の目標を教えてください。

大谷 近い目標はMIOびわこ滋賀レディースU-15を滋賀県でNO.1にすることです。やる以上は勝負です。選手には、一番を目指す楽しさを知ってほしいです。滋賀県でNO.1で、かつ、全国の舞台に出ることを目標にしています。5年後、10年後にはMIOびわこ滋賀のチームの規模を大きくしていきたいです。それに、女子サッカーを「滋賀県では子供から大人まで気軽に楽しめる女子のスポーツです」と定着させたいです。

<プロフィール>
大谷 未央(おおたに・みお)
1979年滋賀県出身。
TASAKIペルーレFCでプレーし、なでしこリーグ180試合出場150得点を記録。なでしこリーグ最優秀選手賞(2003年)、なでしこリーグ得点王4回(2001年/2002年/2003年/2005年)、なでしこリーグベストイレブン6回(2001年/2002年/2003年/2004年/2005年/2006年)。名実ともに日本の女子サッカーで最も優れたストライカーとしてプレーした。日本女子代表(なでしこジャパン)では73試合で31得点。現在はMIOびわこ滋賀レディースU-15のアシスタントコーチ。

text by 石井和裕(WE Love 女子サッカーマガジン)

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