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Vol.21 スフィーダ世田谷FC コーチ/石田美穂子

  • 2021.09.15

    Vol.21 スフィーダ世田谷FC コーチ/石田美穂子

PASSION 彼女たちのフィールド

サッカーと音楽。その両方の世界で第一線に立って活躍した異色のキャリアを持つ。二足の草鞋を履くことで抱いた葛藤と向き合い、イングランドの名門クラブ・アーセナルで1年間を過ごしたことで自身の心の声に正直になった。指導者になってからは、その稀有な経験をもとに多くの選手をサポートしている。石田美穂子氏の思いは後進に脈々と受け継がれていく。

―武蔵丘短期大学卒業後、イングランドの名門であるアーセナルに所属しました。どのようなきっかけで加入したのですか?

石田 武蔵丘短期大学の2年生のときにチームでロンドン遠征を行ない、それでアーセナルとトレーニングマッチで対戦しました。その試合でゴールを決めたら、試合後にアーセナルの監督から「来年からうちに来ないか」とピッチ上で声を掛けてもらったんです。最初はとりあえずゴールを褒めてくれたのだろうくらいにしか思っていなかったのですが、帰国してから大学のほうに「ぜひ来てほしい」とアーセナルからコンタクトがあったようです。部活の先生に呼ばれて、そう告げられたときは驚きました。

―トレーニングマッチでの活躍から正式オファーに至ったのですね。

石田 イングランドやウェールズ、スコットランドなどの代表選手がいるチームからオファーが来ました(笑)。

―それから、武蔵丘短期大学を卒業して渡英したのですか?

石田 はい。1年間、ロンドンへ行きました。でも、当初はアーセナルからのオファーを断ろうと思っていたんです。

―なぜ、断ろうと?

石田 実は、私は17歳のときから音楽活動も行なっていて、短大を卒業したらサッカーをやめて、音楽活動に専念しようと考えていたんです。だから、最初は「私は音楽をやるからアーセナルには行きません。サッカーもやりません」って断っていました。でも、やっぱり心のどこかにサッカーが大好きな気持ちがあったんですよね。そんなときに、高校時代のバイト先の店長さんと会って、「実はアーセナルから話が来ているんだけど、音楽活動をやりたいから……」ってボソッと話したら、「いや、悩んでいるならロンドンへ行きなよ」って言ってくれたんです。その一言で「1年間、チャレンジしてみよう」という気持ちになりました。

―アーセナルではプロ契約?

石田 いえ、私は向こうの語学学校に通いながら学生ビザで滞在し、アーセナルに所属しました。たぶん、当時はアーセナルの他の選手もプロはいなかったと思います。幼稚園の先生やクラブの職員など、みんなそれぞれ仕事を持っていました。

―ロンドンでの生活はいかがでしたか?

石田 やっぱり言葉の問題が一番大変でした。最初は「ハロー」「ソーリー」くらいしかしゃべれなくて……。向こうの語学学校で英語を学んではいたのですが、もちろん授業はすべて英語で英語を教えるという形なので、正直よく分かりませんでした(苦笑)。

―海外でプレーする上で言葉の問題は避けて通れません。どのように適応していったのですか?

石田 アーセナルのチームメイトと話しているうちに、言葉をどんどん覚えていきました。

―チームメイトとは良好な関係を築いていたのですね。

石田 そうですね。なんかこうして話しているといろいろと思い出すのですが、チームに加わって最初の何週間かは、プレシーズンでもあったので毎日フィジカルトレーニングばかりやっていました。どこまでも走れるような大草原で走ってばかりで、一日目で「もう帰りたい」って思うくらい、きつかったです(笑)。そのときはまだ、他の選手ともすごく距離感があったと思います。競走ではいつも私が最下位。みんなも、日本人の私は「どんな感じなんだろう」と。それでも、私はとにかく最後まで頑張ったんです。そしたら、ある日突然、フィジカルトレーニングのゴール地点でみんなが待ってくれていて。私がゴールしたら、みんなはハグしてくれたりしてすごく喜んでくれました。それから一気にチームメイトとの距離が縮まりました。

―一生懸命にトレーニングに取り組む姿勢がチームメイトに受け入れられたのですね。

石田 それまでは、みんなが私を見極めていたのでしょうね。それからは練習中に監督の言っていることが分からないときは、手を挙げて「ストップ! 分かりません」って、分からないことを隠さずに伝えるようにしました。すると、そういった行動もみんなはうれしかったのか、今度は「あんた、ちゃんと英語を勉強しているんでしょ?」みたいに笑いながら冗談を言ってきて(笑)。まだ英語の言葉が出てこないことのほうが多かったけれど、他の選手とコミュニケーションを取るにつれて、まずは聞き取るほうからできるようになっていきました。

―サッカーを通じて英語を学んでいったのですね。

石田 サッカーの戦術に使うワードも覚えていきました。あとは、ボールを蹴れば、自分なりにだいたい「この選手はこうなんだな」って分かります。プレシーズンの遠征でみんなと一緒にスコットランドやスペインにも行き、そこで点を決めて、より信頼してくれるようになりました。オフのときには飲み会に誘ってもらえるようにもなって。チームメイトにはすごくよくしてもらいました。

―そんなアーセナルのチームメイトのサッカースキルはいかがでしたか?

石田 (ボールを)止めて、蹴ることとか、パスの正確性などは、日本人のほうが上だと感じました。もう20年くらい前の当時の印象ですけれど。でも、バチンとぶつかるときのフィジカル能力だったり、走るスピードの速さやサイドバックのオーバーラップの勢いだったりはすごかったです。チームで取り組んでいたスタイルも、パスをつなぐことより、ゴールに向かうサッカーだったので。私が丁寧につなごうとしてバックパスをしたら怒られるくらいでした(笑)。でも、「確かにそうだよな」って思い、チームのやり方にトライし続けました。

―そうして名門クラブに溶け込んでいったのですね。ロンドンに滞在した1年間をどのように振り返りますか?

石田 いま振り返ると、本当にものすごくいい経験をさせてもらいました。ホームステイ先がジャマイカ人ファミリーだったんですが、すごく親身になってくれて、「今日はどうだった?」って、いつも帰ってから話を聞いてくれるんです。私はあまり英語をうまくしゃべれないけれど、一生懸命に話を聞いてくれました。あと、その家庭の子どもたちと遊んだり、朝一で音楽を流してパジャマを着ながらみんなで踊ったり。「この音楽を知っているかい?」って曲を教えてくれたりもしました。また、あるときはロンドンでライブもやりましたね。日本人のコミュニティーに参加して、10人くらいで。すごく楽しい1年間でした。

―充実した1年間だったのですね。ロンドンでの滞在を延長しようとは思わなかったのですか?

石田 そのシーズン限りで契約更新になることはなかったと思うのですが、もう日本に帰って音楽をやりたかったので。帰国してからは、当時のなでしこリーグのチームから声をかけてもらいましたが、(帰国直後の)1年間は音楽活動に専念したかったので、契約しませんでした。曲を作ったり、あとは母校の武蔵丘短期大学に週に何回か行って、選手兼コーチという形でプレーしていました。それからは、サッカーと音楽活動を両立できるチームを探そうと、1年間準備しました。

―それで、イングランドから帰国して1年後にジェフユナイテッド市原・千葉レディースに加入するのですね。

石田 ジェフに行ったときに、監督に「私は音楽もやっているのですが、いいですか?」と聞いたら、「どんどんやって」と快く言ってくれました。それでジェフに入ることにしました。

―学生時代はサッカーか音楽活動かの選択を考えていたようですが、両立させようと思ったきっかけは?

石田 アーセナル所属時にロンドンで出会った人たちは、ダブルワークとかも普通だったんです。そういう文化なのだと思うんですけれど、バーテンダーをやりながら俳優を目指している人だったり、語学学校の先生でも夜はバーで働いている人がいました。それで私も「音楽をやっていたんだ」って言ったら、「続ければいいじゃん」って言われて……。それで私も両方やろうと思うようになりました。もともと自分の中に「夢は一つじゃなければいけない」みたいな考えがあって、音楽活動をしているときはサッカーをやめてみたり、逆に学生の最後2年間だけはサッカーをやりたかったから短大に行ったり、なんか私が勝手にどちらか一つだけにしていたんです。でも、本音は常にサッカーもやりたいし、音楽活動もしたい。だから、もう自分のやりたいことをやってみようと考えて、日本に帰ってきたというのもあるんです。

―それからは、音楽活動においてもご活躍されます。

石田 2008年の7月にはメジャーデビューもさせてもらいました。それまでの期間では1度、試合で90分間フル出場した後に、六本木のライブハウスで出演したことありました(笑)。体力的にきつかったけれど、チームメイトもみんな試合後に来てくれて、面白かったですね。

―サッカーと音楽活動を両立されていた当時はどのような生活を送っていたのですか?

石田 そのときは派遣のOLとしても働いていて、ジェフの練習にも通いやすい駅で家を探して、働いて、練習に行って、家に帰って、休みの日に音楽活動を行なう、という感じの生活を送っていました。

―サッカーと音楽活動、さらにはOLと、すごく多忙だったのではないですか?

石田 そうですね。性格的にどちらも手を抜けなかったので。いま振り返ると、ちょっと真面目すぎた感じもありますが、サッカーも音楽もどちらも100パーセントで一生懸命に向き合ってきました。メジャーデビューして音楽活動で生計を立てられるようになり、OLとして働く必要がなくなってからも、まるまる2年くらいは休んでいないと思います。土日はサッカーの試合があって、月曜日はオフだったけれど、そこで取材を受けたり、バンドのリハーサルをしたり、一日中、音楽活動にあてていました。

―音楽活動でご活躍されている傍ら、サッカー選手としては2009年を最後に第一線から退きます。

石田 その前年にチームがなでしこリーグの2部で優勝して、1部昇格という目標を達成できました。1部でも結構得点を決めることができて、なでしこジャパンの候補合宿にも何度か呼んでもらえたんです。でも、結果的には「候補」で終わってしまいます。やはり選手のときは代表チームに入ることを目標としてやっていたけれど、合宿に行ってまじまじとレベルの差を感じさせられました。目指していた景色を見る前に、「私はこの選手たちより上に行くのはちょっと無理だな」っていうような感覚も覚えて、完全に心が折れましたね……。そこで自分の中で食らいついていくパワーが、なぜか湧かなかったんです。そんなことは初めてでした。当時はまだ26歳でしたが、私は追うものがないと頑張れないタイプでもあったので、シーズン途中に引退することを決めました。

―現役引退後は、サッカーとはどのように関わってきたのでしょうか?

石田 音楽活動をメインで行ないつつ、木村和司さんプロデュースのスポーツジャングル10という施設で小学生の女の子だけのクラスを週に一回見ていたり、何カ月かに一回のペースで金田喜稔さんの小学生を対象にしたサッカークリニックを手伝わせてもらったりしていました。金田さんには娘のようにかわいがってもらっていて、「(サッカークリニックに)女子も増えてきたから、ちょっと手伝ってくれ」って言ってもらって。あと、当時の東京国際大学女子サッカー部監督の持田紀与美さんからも連絡をいただいて、コーチの仕事を任せてもらいました。私も短大で大学サッカーをやっていて、「その世代の選手に自分ができることってなんだろう?」って考えていたので。総監督の大竹七未さんからも「石田だったら大歓迎」って言ってもらいました。それが指導者になるきっかけでしたね。

―「自分ができること」とは?

石田 サッカーの楽しさや仲間の大切さというような、自分が経験してきたことを伝えられたらなと思いました。サッカーって奥が深いし、勝つためにやるけれど、やはり負けるチームのほうが多い。その中で一つの目標を目指す意義みたいなものも教えたかったんです。それに、大学生はこれからの世代でもあります。4年間でサッカーをやめる子もいれば、卒業後も続ける子もいるだろうし、実力の世界だから続けたくても続けられない子もいるでしょう。人にはいろいろな生き方があるし、それこそサッカーだけが人生でもありません。だから、どんな生き方も間違いではないということも伝えたかったです。私もサッカーから離れて、音楽をやっていた時期もあったから、そう考えるようになっていました。

―実際に東京国際大学でコーチとなってみて、いかがでしたか?

石田 監督の持田さんや総監督の大竹七未さんに「石田らしくやればいいよ」って言ってもらい、2人に見守られているような感じでした。でも、練習前後のミーティングなどで分からないことを聞いているうちに、「指導の基準って何なんだろう?」と自分で考えるようになっていって、それからC級ライセンスを取り、今から2年前にはB級を取得しました。現在もA級を受講しているのですが、学べば学ぶほど、また学びたくなってしまうんです。それで、クラブチームの活動についても勉強したいと思い、現在はスフィーダ世田谷FCのトップチームコーチを務めています。今も時間があればサッカーの映像を見たり、A級ライセンス講座の課題をやったり、そんな毎日です。

―スフィーダは昨季、なでしこリーグ2部で優勝し、今季は1部リーグで戦っています。どのようなクラブですか?

石田 スフィーダはプロの選手がいないチームです。選手はみんな、社会人として主にクラブのスポンサー企業で働いています。スポンサー企業の方々もサッカーにすごく協力的で、とてもありがたいです。練習時間以外はみんな仕事をしているので、選手の負担を考えて、週に2日はオフを取り入れています。例えば日曜日に公式戦があるならば、試合翌日の月曜日と、金曜日が休みです。

―週末の試合前の金曜日にオフを取り入れるチームはめずらしいのでは?

石田 金曜日など平日に1日多くオフを取り入れている点では、スフィーダは独特かもしれません。たぶん他のチームにはないことではないでしょうか。私の選手時代のように、週6日で練習するチームももちろんあると思います。ただ、私自身がイングランドでプレーしていたときは「試合に向けて疲労を溜めない」という考えのもとで活動していたので、オフについてはさまざまな考え方があっていいのかなと思っています。

―現在、音楽活動のほうはいかがですか?

石田 スフィーダに加わって3年目になりますが、この3年間はあまり音楽活動をしていません。今年1月くらいに久々にレコーディングをして、細々と配信もしていますが、今は趣味として、楽しみながら音楽に関わっている感じです。

―サッカーにおいての現在の楽しみは何でしょう?

石田 サッカーだと、なでしこリーグ1部でチームとしてどれくらい結果を出せるかを追究することです。チームの選手達がもっとうまくなるために時間を過ごす中で、一緒に試合を振り返って課題を見いだし、みんなで努力を重ねていくことをサポートするのが私の役目でもありますので。選手が思いっきりサッカーと向き合えるように、常にサポートすることが、楽しみの一つでもあります。

―では最後に、指導者として大切にしていることを教えてください。

石田 常に選手の目線になって、選手の感情をくむことを忘れることなく一緒に歩んでいく。そんな指導者でいたいです。自分が出会った選手とは、サッカーでの厳しさも、楽しさも、ピッチ外での交流も持ち合わせながら、大切に向き合っていきたいと思っています。あとは、まだまだ勉強中の身ではあるのですが(笑)、もっと説得力のある指導者になれるように頑張ります。

<プロフィール>
石田 美穂子(いしだ・みほこ)

1982年神奈川県出身。中学・高校時代は日テレ・メニーナに在籍し、武蔵丘短期大学卒業後の2003年に渡英してアーセナルに1シーズン所属した。帰国後は音楽活動も行ない、2006年からはジェフユナイテッド市原・千葉レディースでプレーしてサッカーと音楽活動を両立。2008年には「一番星」でメジャーデビューするとともに、なでしこリーグ・ディビジョン1(1部)昇格を果たした。引退後は指導者になり、東京国際大学女子サッカー部コーチを経て、2019年からスフィーダ世田谷FCのトップチームコーチを務める。

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