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Vol.29 Potential Support代表 鹿屋体育大学サッカー部トレーナー/北園 海

  • 2022.04.06

    Vol.29 Potential Support代表 鹿屋体育大学サッカー部トレーナー/北園 海

PASSION 彼女たちのフィールド

幼少期にJリーグの華やかな世界に憧れ、高校卒業後はサッカーの仕事をするためにトレーナーの道で努力してきた。鹿屋体育大学サッカー部の学生たちとの出会いにより、いつしか忘れかけていた思いを再燃させ、現在はサッカー現場の業務に尽力している。将来、Jリーガーになることを目指す学生をサポートしながら、北園海氏も自らの夢を追い続ける。

―まず、現在の活動内容について教えてください。

北園 今はフリーのトレーナーとして活動しています。2年ほど前までは病院に勤めていながら、休みの日にトレーナーの活動をしていましたが、やはり「100%の力をサッカーに注ぎたい」「常にサッカーの現場にいたい」という思いが強くありました。もともと抱いていた夢としてあったので、病院は退職することにして、個人事業主として開業して活動しています。

―一日のスケジュールはどのような流れでしょうか?

北園 学校が春休みや夏休みの時期はまた違ったりもするのですが、通常の平日は午前中に保育園の運動指導や障害児の施設の子どもたちの運動教室へ行っています。それが終わってお昼すぎの14時半ぐらいから鹿屋体育大学へ行って、16時からのサッカー部の活動の準備をします。そして、部員の学生たちと一緒にトレーニングをして、練習後にケアをして帰るという流れです。

―ご多忙ですね(笑)。

北園 そうですね(笑)。大学サッカー部の活動を中心に、その他の時間にいろいろな活動をうまく組み合わせながら取り組んでいる感じです。

―サッカーをプレーすることもありますか?

北園 今はトレーナーの仕事が第一ですが、なんだかんだ自分でサッカーをすることも大好きなので、今も鹿児島県の女子チームに選手登録して、オーバー30の大会に毎年参加しています。私の母校の神村学園高校のOGなどが集まるチームでサッカーをプレーすることを楽しんでいます(笑)。

―高校時代は名門の神村学園高校でプレーされていたのですね。

北園 はい。ポジションはサイドバックでした。試合には出たり、あまり出なかったり(笑)。私はあまりうまくはなくて、ただサッカーが好きな気持ちが強い選手でしたが、他のみんなは本当にうまくて。私たちの代は必ず全国大会に出場し、ベスト8やベスト16といった結果を残していました。なでしこジャパンに選出されていたゴールキーパーの福元美穂も同級生です。今でも現役を続けている彼女には尊敬の思いしかありません。「美穂がまだサッカーを頑張っている」と思うと、私自身にも刺激になります。

―北園さんが最初にサッカーと出会ったのはいつ頃だったのでしょうか?

北園 出会った時期は、うーん……、よく覚えていません(笑)。生まれたときからずっと家庭のなかにサッカーが必ずあるような状況でしたから。

―サッカーとの関わりがあったご家庭だったのですか?

北園 私の父は高校教師で、ずっとサッカー部で教えていたんです。私の2人の弟たちも幼稚園のときからサッカーをしていて、もう常に日常にサッカーがあるような環境でした。

―では、北園さん自身も自然とサッカーを好きになっていったと。

北園 私も一緒にボールを蹴ったりしていましたが、日常にサッカーがあることが当たり前すぎて好きとか考えたことはなかったです。実は最初はそんなにサッカーが好きではなかったんです。小学4年のときにサッカー少年団に入ったきっかけもあまり覚えていないくらいで……。ただ、ちょうどそのあとにJリーグが開幕して、そこからはよりサッカーを見たり、「サッカーが楽しいなあ」と思うことが増えてきました。どうしてですかね……(笑)。

―1993年のJリーグ開幕のインパクトが大きかったのですかね。

北園 すごかったですよね! サッカーをテレビで観る機会もそれまではあまりなかったので、衝撃的でした。なんか、本当にサッカー選手がキラキラと輝いていましたよね。私はヴェルディのラモス選手がめっちゃ好きで、毎週開催される試合を見るのがすごく楽しみでした。それに、あのようなすごくキラキラと輝いている世界に憧れましたね。遠い世界だとも感じていましたが、「私もいつかそこに立ちたい」という思いもどこかにずっとあって。

―Jリーガーになりたかったと。

北園 私は女性なので、男性と一緒にプレーできないことはわかっていたのですが、でもやっぱりJリーグへの憧れはずっとあります。ただ、自分が選手としてなでしこリーグなどでやっていけるとは思っていませんでした。ただ純粋にサッカーに関わりたいと思っていて、その思いから「選手をサポートする形でサッカーに関わりたい」って考えるようになりました。

―その思いからトレーナーを目指すのですね。

北園 はい。高校生のときにいろいろな進路を考えていて、そのときにコーチから「理学療法士っていう道もあるぞ」と教えていただきました。理学療法士という職業があることを、そのときに初めて知りました。それで理学療法を学べる専門学校を調べたら、福岡に新しく開校する学校があったんです。「新しい学校に行ってみたい」と思い、そこへの進学を決めました。

―専門学校を卒業してからは池田病院に就職されました。

北園 池田病院は鹿児島県鹿屋市にあり、主に高齢者や、一般のケガ人のリハビリを行っています。私は病院の仕事に一生懸命に取り組み、充実した日々を送っていました。急性期、回復期、慢性期と、すべての状況でのリハビリを診る病院だったこともあり、ありがたいことに訪問リハビリ、外来リハビリなど、いろいろな経験をさせてもらいました。さらに、病院が新しく始めた心臓リハビリにも関わることができたり、同じ病院にずっと勤めながら、いろいろな役割を任せていただいて、すごくやりがいを感じていたんです。その当時は、サッカーのことはあまり考えずに、病院の仕事に夢中になっていました。でも、よくよく考えると、「当初に考えていた理想と、そのときの現実は違っているなあ」って。そんな思いも抱き始めていました。

―それから、どのようにして鹿屋体育大学サッカー部と関わることになるのでしょうか?

北園 今から7、8年ほど前に、勤務していた池田病院が鹿屋体育大学のスポンサーになったことがきっかけでした。それでサッカー部に関われるようになったんです。鹿屋体育大学は近くにある大学でサッカー部が強いことも知っていましたが、それまでは遠い場所だというようにも感じていました。だけど、「練習に来ていいですよ」と言ってもらって見学に行ったのが始まりでした。それからケガ人が出たときに派遣されるようになりました。そのときにいろいろと話をしていくなかで、学生スタッフの人数を含めて、いろいろなことが足りていないと知り、「私のやれることはここにある。それは自分のやりたいことでもある」と思ったんです。実際にサッカー部に関わるようになってからも、「やっぱり、これが自分のやりたいことだったんだ」と実感しました。

―鹿屋体育大学のトレーナーになった当初は、池田病院の仕事とどのようにすみ分けていたのでしょうか?

北園 当初は病院にも許可をいただき、ボランティアでトレーナー活動を行っていました。病院が休みの日にいつも大学へ行って、チームをサポートしていた形です。また、全国大会のときはチームに帯同させてもらいました。今は個人事業主になったので、体育大サッカー部と契約を結んで活動しています。

―2020年に独立されてから、活動内容に変化はありましたか?

北園 病院に勤務しながら活動しているときよりもサッカーの現場にいる時間がすごく増えました。私自身、サッカーの現場にいることがすごく好きなので、とてもやりがいを感じています。日々、サッカー選手の近くにいることで、彼らの日々の違いや小さな変化にも気づくことができます。ケガをした選手と最初から最後までずっと関わることで、その選手の日々の変化を見ることができ、それが今の一番大きな喜びだと感じています。

―学生の日々の変化とは、具体的にどのようなことですか?

北園 例えば、それまでは何かをするときにずっと誰かに頼っていた選手が、自分一人でできるようになったり、いろいろなことに自分で気がついて、本気で頑張って取り組めるようになったり。大学生は大人になる一歩手前ぐらいのときで、自主性などを確立していく時期でもあるので、彼らがすごく変わったり、個人としての成長を感じたりすることができています。また、彼らと一緒にいる時間が長いぶん、信頼関係も生まれやすいんです。私はみんなと年齢が離れているので、いろいろな話もしてくれますよ。そういう関係性でいられるありがたみを感じると、やはりフリーになってよかったなと思います。

―ひたむきにサッカーに打ち込む選手たちと関わることで、北園さん自身が得るものもありますか?

北園 私自身、もちろんサッカーが好きで、仕事としてサッカーに関わりたいと思っていましたが、選手たちと接していてそれだけではないことに気づかせてもらいました。その選手の変化や成長、また、頑張って何かを達成したときに喜んだり、達成感を感じたりしている姿を見ると、サッカー云々よりも人として「よかったなあ」と思うことが多くなったんです。もともと私は「人と関わること自体が好きだったんだ」と感じさせてもらっています。あと、鹿屋体育大学サッカー部で頑張っている選手たちがプロの世界へ行くのを見て、すごく刺激をもらっています。やっぱり、私も一度はJリーグのクラブで、プロのトレーナーとして働きたい。それは遠い世界で、ずっと叶わないものだと思っていましたが、学生と一緒にいることでその思いが大きく変わりました。彼らと一緒に過ごす時間が増えてサポートをするなかで、彼らの本気でサッカーに取り組む姿勢や「プロ選手になりたい」という夢を追いかけて頑張る姿を身近で見ていて、「私も頑張れば、今からでもJリーグのクラブのトレーナーになれるかもしれない!」って希望を持てるようになったんです。なんかもう、すごく自分を変わったような気持ちにさせてもらいました。

―鹿屋体育大学に行くことになってから、北園さんのメンタリティーも変わったのですね。

北園 はい、すごく変わりました。病院勤務のときは日々の業務をきちんとこなすことを最重要視しながら働いていましたが、独立して鹿屋体育大学の活動を中心に生活するようになってからは、まずはなんでも挑戦してみるようになりましたね。チャンスはみんなに平等にあるのだから、自分もそれをつかめるようになりたい。そう思いながら過ごすようになりました。

―すごく充実した生活を送っている今、今後の展望はありますか?

北園 今は大学サッカー部のトレーナー活動だけが仕事ではないので、チームのトレーナーとしてずっとチームにつきたいというのが、まず一つの大きな目標です。また、現状ではなかなか難しい部分もありますが、さらにステップアップもしていきたいので、JFLのチームや、Jリーグのチーム、あるいは海外のチームでも行けるところがあれば全部行ってみたいです。でも、やっぱりJリーグのクラブで働いてみたい。それが一つの夢でもあるし、さらにトレーナーという形でワールドカップの舞台に立つことができれば最高です(笑)。サッカーは多くの人に感動を与えることができるスポーツだと思うので、その一番輝く舞台に行くことが最大の夢です。

―これからのご活躍も楽しみです。

北園 楽しみにしていてください(笑)。今はJリーグに女性のトレーナーがいないみたいなので、まずは私がやっていけたらという思いもあります。プロ野球では近年に初めての女性のアスレティックトレーナーがチームに入ったみたいだし、サッカーも女性の審判員がJリーグで笛を吹くようになったんですよね。ただ、「前例がないから」と言っていたら何も変わらないし、スポーツ界はどんどん変わってきているから、絶対にサッカーでもまた女性のトレーナーがチームに入れるときが訪れると思います。それを、まずは誰かがやらなければいけませんから。

―チャレンジャー精神がすごいですね。

北園 自分の目標に対してブレずに、一生懸命に努力する大切さを鹿屋体育大学サッカー部の選手たちが教えてくれました。彼らからすごく刺激をもらったし、“頑張れば夢は叶う”というように、継続して努力し続けていれば必ず目標にたどり着くことを、私自身も目の当たりにしてきました。だから私も「これをやりたいな」「このようになりたいな」ではなく、「このようになる」という強い思いを持つようにしています。『引き寄せの法則』と言われることもありますが、自分で限界を決めずにチャレンジし、口だけではなく行動することをやり続けたい。やっぱり、私自身がそういう姿を見せることで、いま関わっている選手たちにも何かを感じ取ってもらえると思うんです。

―鹿屋体育大学との縁が、北園さんの考え方を変えたのですね。

北園 本当にそうですよね。鹿屋体育大学サッカー部との出会いが、今の私をつくる一つの大きなきっかけだったと言えるかもしれません。自分でも「何かをやりたい」という思いがあっても、「何をどうすればいいのか」なんてまったくわかりませんでした。自分から行動することはほとんどなくて、私の胸の内ではどちらかといえば「どうせ、無理だろう」という思いのほうが勝っていたと思います。ただ、鹿屋体育大学サッカー部のおかげで「私にもやれることがたくさんある」と気づくことができたんです。「やっぱり本当はサッカーの世界でやりたいんだ」という私の本心が明確になったような気がしています。

―これから学生とどのように接していきますか?

北園 彼らはすごく頑張っているけれど、やっぱり楽しくやらないとうまくならないと思うんです。だから、まずはサッカーを楽しむことを忘れてほしくないから、私自身も好きなことを楽しむ姿を見せて、私からもそういう気持ちを伝えていきたいです。会話などのコミュニケーションを大事にしながら、選手一人ひとりに寄り添うトレーナーとして、これからも活動していきたいと思っています。

<プロフィール>
北園 海(きたぞの・うみ)

1983年宮崎県出身。小学4年生のときにサッカーを始め、高校時代は神村学園高校女子サッカー部に所属。卒業後は福岡リハビリテーション専門学校で理学療法を学んだ。その後、医療法人青仁会池田病院に勤務しながらトレーナーとして活動し、2014年から鹿屋体育大学サッカー部にも関わる。2020年2月には独立し、同大サッカー部のトレーナーを務める傍ら、「スポーツや運動を通して『自分のからだを「知り」、自分の伸びしろに「気づくことが出来る」選手を育て、可能性を最大限に引き出したい!』」という思いから『Potential Support』を開設した。

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