©️JEFUNITED
現役時代はセンターバックとしてプレーした池田昇平さん。引退後は興味を持っていた指導者として第二のキャリアをスタート。様々なカテゴリーでの指導経験を経て、現在は現役時代にも所属したジェフユナイテッド市原・千葉のU-14監督を務める。10年前の“後悔”からも、クラブの価値を高めようと奔走。「育成と結果」を求め毎日の練習に臨む池田さんにお話をうかがった。
―ご紹介いただいた横浜FCアカデミーコーチの和田拓三さんとはどういったご関係か教えてください。
池田 同い年で、同じ静岡の浜松市出身です。小学校の時から実は試合とかやっていたんです。その時は仲良くはなかったけど、和田が清水エスパルスに入団して、僕は高卒で彼が大卒で入って来たから一緒に。ジェフでもチームメートになった。今でもご飯行ったりするもはや友達ですね、かなり仲良いです(笑い)。今は少し距離が離れているので簡単には会えないですけど、連絡は頻繁に取ります。
―小学生の時のことはお互い覚えていたのですか。
池田 小学校の全国大会の決勝で戦っていたので。全日本少年サッカー大会という大会で静岡から2チーム出て。彼が浜松のチームで、僕は清水FCと静岡から2チーム出て全国の決勝で当たったんです。かなり濃い思い出として残っていましたね。僕としては決勝で負けたので(笑い)。「当時はまったく話さなかったな」、とかよく振り返ります。
―現役時代から今になって、お互いの変化は感じますか。
池田 指導者仲間というより友人なので、特に変わらないかと思います。サッカーの話もするけど、やっぱり友達としての会話が多いかなって感じです。
―池田さんが2012年に現役を引退してから、今の仕事に就くまでのことを教えていただいても良いでしょうか。
池田 はい。引退してから、東京の「ファンルーツ」という会社に入りました。スクールコーチをやりながら「ファンルーツ」からの出航で関東学院大学のサッカー部コーチをやっていました。大学が朝練なので、大学の練習に出て午後はスクールコーチというような生活を送っていました。その後ジェフに帰ってきた感じです。
―ジェフに戻ってくる時はどのような経緯があったのでしょうか。
池田 元々齋藤大輔(ジェフ千葉アカデミースタッフ)さんとは連絡をこまめに取っていて、指導の話や近況報告をしていまして。その流れでタイミングが合ったときに誘っていただきました。
―やはり現役時代にプレーしたクラブで指導できることは喜びが大きかったですか。
池田 そうですね。まずは自分がお世話になったクラブ、プレーしたクラブで指導者としてやりたい気持ちはあったのでうれしかったです。あとは、自分は悔いを残していて。ジェフでは選手としてチームをJ2に落としてしまった(2009年)のもあったし、次の年もJ1に上がれずそのまま(愛媛へ)移籍してしまった。そこは自分の中で今も心残りとしてあります。プレーしたクラブで何かしたいということもあるけど、それ以上に選手としては難しかったけど指導者として何か恩返しがしたい思いがあった。誘っていただいた時はすごく嬉しかったですね。
―センターバックとしての現役時代はどんな選手だったのでしょうか。
池田 難しいですね……。とにかく最終ラインの選手としてやられちゃいけないって強烈な責任感を持ちながらやっていたつもりです。
―今のチーム作りでもやはり自然と守備への意識は高まりますか。
池田 やっぱり守備のところは自分がセンターバック、DFラインだったこともあって、すごく気になってしまいます。どちらかというと攻撃より守備のチェックやトレーニングが若干上回ってるかもしれない。どうしても気になってしまうことが多くて(笑い)。そこは自分がセンターバックだったからだなって思います。できるだけそうならないように意識はしていますが、守備の割合が多くなっていることは否めないです。
―もちろんそこは自信を持っていられるということですよね。
池田 経験している分、自信を持ってコーチングできている部分は多いと思います。
―元々指導者になりたい思いは現役時代からお持ちだったのですか。
池田 現役中から指導者にはすごく興味があって、引退してからは、選手としてやってきたことを還元したい思いはすごくありました。
―指導者としても前進している感覚はありますか。
池田 まだまだ全然です。最初はコーチでスタートして、去年から監督という立場でカテゴリーを任せてもらって。特に去年と今年はすごく初めての経験が多かったけど、少しずつ成長しているかなと。選手への接し方、トレーニングもなんとなくわかってきている部分も増えてきたので。ちょっとずつ、一歩ずつですけど自分の自信にはつながってきていると思います。
―特に大事にされていることはどんなことですか。
池田 トレーニングやコーチングもありますけど、一番大事にしているのはやっぱり練習の雰囲気です。いい雰囲気の練習ができているときは、どのチームもそうですけど、チームとしてもすごく成長していることが多い。毎日の練習の雰囲気一つ一つを意識している。それが僕のすごく大事にしていることです。
―池田監督の考えるいい雰囲気とは。
池田 いろんな見方があると思いますが、「選手がいい顔つきをしているか」。みんなでポジティブな声を出し合って、終わった後に本当に全員がやりきったときは、顔を見ればわかるんですよ。お互いが声を出し合って活気ある、みんなが集中できる練習の環境を作りたい。すべてを出し切れるようなトレーニングを心がけています。周りから見るとたまに、「今日は雰囲気が良くなかったのでは」「少し選手迷ってませんでしたか」などと言われることもあるので、その時は一番自分もへこみますね。みんなが練習の中で戦ってファイトして、声も出して。そういう時って内容もすごくいいので。言葉で表すのは難しいですけど、ピッチでの感じ方は大事にしたいです。
―ユース、トップチームへと選手を輩出していくことにつながる。今も櫻川ソロモン選手ら、トップチームで活躍したり世代別代表活動にも招集される選手がいますね。
池田 僕らの一番の仕事はトップや、もっと大きく言えば世界で活躍できる選手を育成すること。そこはものすごく意識しています。それと最近は、僕がジュニアユースで教えていた時の選手がユースで試合に出場するのを見るとうれしい。自分の教えた選手が上の舞台でピッチに立って活躍しているのを見ることは、一つの自分の中での楽しみややりがいですね。改めて育成組織で育った選手がプロで活躍することの意味の大きさは感じているので、楽しみながら自分もできることをやっていきたいです。
―そこにたどり着くための課題としては、今どんなことが挙げられますか。
池田 一番最近意識しているのは、あまり教えすぎないことです。「ああしてこうして」を言い過ぎないように。やっぱりプロになる選手や代表に入るほとんどの選手は、自分の特徴や武器がある。だからこそ上の世界で戦える。本人のやりたいことを抑えすぎないように、選手たちの特徴を消さないようにしようと。選手それぞれのプレー判断を尊重しながら指導していかないといけないと強く感じています。
―ついこないだも日本代表がカタールW杯出場権をつかみました。紆余曲折のあったアジア最終予選から選手たちに何か伝えたことはありましたか。
池田 そこはあまりですね。どちらかと言えば選手に伝えるのは自分が一緒にやってきた選手のことです。よくFWの選手には、アカデミーのOBでもある佐藤寿人の話とかはすごくよくします。自分が一緒にやってきた選手とか、成功してきた選手のやっていたことや意識して練習で取り組んでいたことを伝えるようにしています。現役時代こういう要求をしていて、こういうプレーをしていたからあれだけ点が取れたんだよ、というようなことは話します。
―選手がそういった話を聞く時の目の色はどうですか。
池田 話は真剣に聞いてくれています。ただ実際のプレーで表現しようとする時、意識はしてくれているのがわかるけど、まだまだできないことも多い。言われたことを行動に移せない選手はやっぱりまだ多いので。でも意識や行動を変えることは大事。そこが変わってない選手は正直いますし、そこが「変わった選手が上にいける選手」だよ、という話も選手にはします。プロになる選手は一握りで、変われる選手も一握りだと思います。言われても変わらない選手はどうしても少なくない中で、僕は指導者としてそこを変えていかないといけない。大学でもジュニアユースでも、変われる選手が上の舞台へと進んでいく。教えながら意識を変えることに対して、選手に刺激を入れられればと考えています。
―選手へのアプローチとしては意識改革が大切になるということですね。それでは、今後のご自身の目標を教えてください。
池田 選手の時から、目の前のこと目の前のことに必死でいっぱいだったので、今もそれは変わりません。今だったらジェフのアカデミーでU-14だけど、U-15やユースの監督をやっていきたい思いもあります。選手の育成はもちろん一番ですけど、やっぱりジェフのジュニアユース、ユースの価値を高めるために、リーグ戦や全国大会でも結果を残して、「育成と結果」、両方にこだわれるような指導者になりたい。U-15やユースの監督をやって、育成と結果両方を目指していく。トップに上がれる選手を育てると同時に、ジェフとして全国でトップを取れるようなチームをつくっていきたいです。
―貴重なお話をありがとうございます。最後に、次の指導者の方をご紹介いただけますでしょうか。
池田 はい。ラファーガフットボールクラブ、代表の小松原学さんです。
(当初は法政大学サッカー部監督の長山一也さんを予定していましたが、変更になりました。)
<プロフィール>
池田昇平(いけだ・しょうへい)
1981年4月27日生まれ。静岡・浜松市出身。清水FC、清水エスパルスジュニアユース、ユースを経て2000年に清水エスパルス入団。05.06年にサンフレッチェ広島、ベガルタ仙台への期限付き移籍。07年からジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍。10年に契約満了に伴い退団。11年愛媛FC、12年FC岐阜でプレーして現役引退。スクールコーチや関東学院大コーチを経て18年からジェフユナイテッドアカデミーコーチに。U-15コーチを3年務め、U-14監督2年目。