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Vol.53 London Japanese Junior FC・Club Manager/水野嘉輝

  • 2023.03.29

    Vol.53 London Japanese Junior FC・Club Manager/水野嘉輝

指導者リレーコラム

選手、スタッフ、“オールジャパン”で構成されたチームが、サッカーの母国であるイングランドの首都・ロンドンにある。その名も「London Japanese Junior FC」だ。この、世界で見ても珍しいと言えるチームを率いて10年になる水野嘉輝さんは、様々な縁や巡り合わせによってロンドンで指導をすることに。海外だからこそ見えた景色、そしてその景色を見た水野さんだからからこそ今後の指導にどう生かしていきたいか、描くクラブの未来とは―。考えをうかがった。

―高校を卒業してから指導者としてのキャリアをスタートさせたとのことですが、まずはロンドンでお仕事をすることに至った経緯を教えてください。

水野 31歳を目前にした頃、ワーキングホリデーのビザが当たったことを機に、こっちに来ました。それまでの道のりは少し話すと長いです(笑)。自分は大学生の頃に指導者になり、卒業して1年経った頃にイタリアに留学しています。指導者の道に進むことは決めていたけど、言語の問題もありつつ、自分自身もイタリアにずっと憧れていた気持ちがあったので、まずはレベル問わずそこでプレーをしてみたいと、9か月留学しました。イタリアではプレーヤーみたいな形で。その後1年経たずして宮崎県の綾町に行って、町立綾中学校のコーチとして、町の宿泊施設に勤務しながら1年半ちょっと指導しました。そこから兵庫の神戸市にあるFCライオス(現センアーノ神戸)のジュニアユースで10か月ほど教えました。一旦、僕自身も結婚があったので、27歳くらいで指導の現場から離れて2社企業勤めをしました。巡り巡って、ロンドンに今はいます。

―想像以上にいろんなご経験をされてきたのですね。企業勤めしていた間も、指導者への思いは抱き続けていたのでしょうか。

水野 それはずっと持っていたので、何らかの形で戻ってこようと。ワーキングホリデーのビザがもらえたこと、現職を務めさせていただくタイミングがうまくマッチしたことで、指導者にガッツリ戻ってこられました。

―現在のスケジュールはどういった感じですか。

水野 日中は幼稚園で働き、夕方サッカーの指導をする生活です。LJJは日本でいうスクールをイメージしてもらえれば。水、金、土曜日はいつでも通えて、日曜日は登録している選手の試合。火曜日は少し特化したレベルの高い選抜クラスを設けている。休みは土曜日に取るようにしていますが、木曜にはフットサルクラスがあったり、フットボール三昧です。

―指導者を目指したきっかけは。

水野 元々はプロサッカー選手になりたかったです。ただ、中学校の時にセレッソ大阪のジュニアユースでプレーしていたのですが、初めての対外試合でガンバ大阪と試合をしたんですね。その時に大黒雅志選手のうまさに心が折れて(笑)。プロはないなって思ってしまいました。それからサッカーを続けていく中で、やっぱりサッカーを仕事にしたいと思った時に、おぼろげに選手がダメならコーチだなと。ぼんやり思い始めたのが高校3年生くらいでした。

―当時から指導者の理想像はありましたか。

水野 正直あまりなかったですが、兵庫県立西宮南高校で部活をやっていた時の監督が、いろんなサッカーを、サッカー以外のことも教えてくれて。指導者の世界ってこういう世界があるんだと新しい世界を逆に見せてもらいました。それは根底にあるかもしれないです。あとは、セレッソの時に自分は3年間控えだったのですが、「ここで頑張っていけば先々こういう選手になれるぞ」とか、そういう言葉がけは今指導者になってすごくほしかったなと思っています。なので、選手たちの隠れている思いも敏感にくみ取って、言葉がけはしてあげたいなと心がけています。

―お話にある、高校時代の恩師が見せてくれた新しい世界とは。

水野 僕が考えていたフットボールが浅かったなと思いました。細部までいろんなことがつながっている。よく例えることがあるのですが、球体を見る時に、正面から見る人と反対から見る人では見え方が違う。地球儀だとそうだと思うんですけど、そういった感覚を得ました。選手から見る景色と、指導者から見るサッカーの景色は違うと。それを見ることがすごく面白かったです。

―イタリアに興味を持ったきっかけもサッカーですか。

水野 高校を卒業する時に、ミラノダービーを見に行ったことです。当時で言えば世界でレベルの高いリーグのトップの試合を見に行って、熱狂や雰囲気すべてに圧倒されて。ここでサッカーをしたいなと。高校を卒業したばかりでしたが、ここに住んで生活してみないとわからないことがあるなとふと思って、そこからイタリアに行きたい気持ちはありました。

―かなり本能的にイタリアへの意欲が芽生えたのですね。

水野 大学の頃は第二言語でイタリア語を勉強しました。縁だったと思うこともあります。自分は正直真面目な大学生ではなくて(笑)。母校に戻ってサッカーの指導ばかりだったので、その時も大学では何がやりたいとかはなく、海外研修がついているゼミが一つだけあって、そこに入りました。たまたまその研修の行き先もイタリアだったのでビックリです。行ったのはペルージャという場所なのですが、そのペルージャ外国人大学でつたない語学力ながら「イタリアでプレーしたい」と伝えたら、外国人でチームができるからって話をもらえたり。卒業するタイミングで自分の通っていた桃山学院大学とペルージャ外国人大学が提携を結んで、また1か月の交換留学が可能になった。思いを言葉にして、縁をつないでいけたって感じです。

―大学生の頃からいろんな景色を見てきたのですね。

水野 大学時代はイタリアに行った、指導者になりたいと思った高校の恩師の元で勉強する、あとはアルバイト、の3つしかなかったですね(笑)。でも本当に充実していました。

―指導者を始めた当時と比べて、今ご自身はどんな指導者になっていると感じますか。

水野 指導者を始めた時は高校生と向き合い、中学生、小学生と今は年齢が下がってきて、まずは指導する対象が違うこともあると思います。昔は自分の思ってるサッカー観、こうだっていうのがすごく強かったなと。そういうものもありつつ、今のサッカーやフットボールの世界の状況を子どもたちが自主的に持ってきたり、うまく引き出せるような形、引き出してあげようという姿勢が強くなったことは感じます。

―まさに世界のフットボール事情というお話ですが、実際ロンドンに渡った時の第一印象はいかがでしたか。

水野 一番に思ったのは、僕が働いている幼稚園もですが、芝生の公園や広場が至る所にあることです。みんなボールを蹴っていて、まずその風景が違うなと。でも、日本でイメージするようなグラウンドみたいなきれいな芝ではないんですね。この時期だと足元がけっこうゆるくてぬかるんだり、タフな環境だけど、気軽にどこでもサッカーできる環境があるのが一つ。あとは、育成年代の試合に限っては、対戦相手の監督や保護者が、いいプレーを褒めたり大人がサポートしようと、日本にいた時よりその空気は強いと感じました。チームよりも、そこでサッカーをする子どもたちの環境をよくしようってことにすごく衝撃を受けました。

―地域で子どもたちを育てるということですね。それは日本人とかも関係なく?

水野 僕自身初めてその光景を見た時はすごく温かい、幸せな気持ちでした。今うちはオールジャパンでスタッフも選手もハーフくらいまでしかいないですが、対戦相手からすると、日本人って気づいてる人もいればどこのチームかわからない人もいる。試合をする中で、子どもたちのプレーを認めてくれる人もたくさんいます。象徴的なことの一つとして、試合の時にピッチサイドでまったく関係ない人が観戦していることも多いです。おじいちゃんが試合後に自分のところに来て、「こんなチームあるんだね。試合は負けたけど、あなたたちのほうが自分は好きなサッカーしていたと思う」とか、「あの〇番の子いいね。昔のベッカムもあんな感じで小さかったから、頑張ってほしいね」みたいな。そんなことを言ってくれます。いい光景ですよね。

―伸び伸びとできる環境、素晴らしいですね。イングランドと日本のサッカーにおけるレベルの違いは当然あると思います。それを実際に味わって、指導で変えたことはありますか。

水野 例えばいろんな練習をした時、日本の子のほうがうまいとは思うんです。ただ試合になると、それが変わる。これは僕も言われていたことですが、日本人は練習はうまいけど試合になると途端に練習でできてることができないと。僕もこっちで指導を学んでいく中で、いかに練習の中にリアリティーを求めていくか、ゲームの要素の大切さを痛感しました。練習の構成や作り方、そこは変わったと思います。こっちの子を見ていても、試合に入った時の集中力や全力を出すこと、気持ちを前面に出す強さは日本人だとなかなか。出しにくい、出せないのかまだわからない部分ではあるけど、そこの差はすごく感じています。練習の中でも、子どもが本気になれる、いい意味で感情を出せるように、失敗しても大丈夫だとチャレンジを主体的にしていく環境を作ることには注意を払っています。

―おそらく日本人の性格的なことも関係しているのでしょう。これはかなり難しい課題でもあるとお話を聞いても感じます。ロンドンの子どもたちは、やはりプレミアリーグをよく見るのでしょうか。

水野 基本プレミアリーグです。テレビもですし、中にはクラブの年間パスを買って現地でユニホームを着てホーム戦を見に行く子もいる。試合を見ることに関しては、かなり見ている気がします。

―小学生年代からプレミアを見られる環境はぜいたくですよね。

水野 トップの試合はもちろんですが、ローカルな試合にも人が集まるのがイングランドです。イングランドでは大体土曜日の午後3時にメインの試合があるのですが、2時45分~5時15分は、サッカー中継ができない。どんなビッグマッチでもできないルール(The TV Football Blackout Law)が設けられています。同じ時間にローカルクラブの試合もあるので、応援に行ってほしいと、そこを発展させるために、と意味が込められてそうした決まりがあるようです。日本でいう関東リーグのような試合でも観客がしっかり入って、規模の大小はあるけれど、地元クラブの応援に行くような光景があちらこちらで広がっています。

―サッカーが文化として根付いている。そこは日本との大きな違いかもしれません。最近はカタールW杯で大活躍の三笘薫選手(ブライトン)に対する盛り上がりはすごいですか?

水野 ブライトンのユニホームを見ることが増えましたね(笑)。現地観戦に行ってる子どももいます。夢を与えてくださってると思うし、プレミアで今まで活躍されていた日本人も含めて、やはり日本人のユニホームを着ていた子どもは多いので。難しいプレミアリーグで活躍するっていうのは、ロンドンで頑張っている日本人の子どもたちにとっても本当に励みになることです。

―クラブの課題については、現状どうお考えでしょう。

水野 指導者をどうするかという問題が一番です。ビザがあって、働けるか働けないかの世界。私のように幼稚園でビザを出してもらって、永住権まで切り替えていけるといいのですが…。自分は実は、この4月に日本に帰国する予定です。なのでそういった意味でも、長くいられるコーチをつないでいくことは課題です。今でこそ自分は10年いましたけど、当初は1年のつもりだったので、ビザが運良く延長できて、といった環境でした。10年いてしまうとLJJ=僕みたいなところも正直0ではないと思っていて。クラブが中心にあって、周りに人がいるような運営をしていかないといけないし、皆さんにもそう思ってもらわないといけないと考えています。

―ちなみに、4月に帰国されてからはどういったことをされるのですか。

水野 大分シティーフットボールクラブを立ちあげることになりました。監督に就任することが決まっています。イングランドに10年行って、外から日本を見てきました。イングランドに日本の街クラブがあるような状態だったので、大きなことを言えば、誰よりも三笘選手のような「世界にいつか出ていく選手」の土台の部分で何が必要か知っている一人だと自負はあります。いろんな国で活躍されている指導者の方がいて、外から見ていうのは簡単ですが、日本の内側からもやっていきたい思いは持っていました。大分でお話をいただいて、このイングランドで培ったものと日本で学んだこと、そして今の日本の状況も融合させつつ、頑張っていきたいです。

―ズバリ、世界に選手が出ていくために必要なこととして、答えは一つではないですが、重要だと感じることは。

水野 指導者サイドでいくと、目指す先の基準を知ることだと思います。基準というと数値化されたものに捉えられるかもしれないですが、例えば体と体のぶつかり合い。どれくらいの強度で、どこからどこがファウルじゃないとか、絶対に日本とは違う。6年前くらいに初めてリーグ戦に出た時、うちのチームの子泣いてることありましたから。今は逆に相手チームの子たちがぶつかって泣いてるような光景を見る気がします。選手目線でいうと、自分の意見や考えを伝えることができる、自分のプレーに責任を持って決断できることが大事だと考えています。

―大分の地でもより重点的に伝えたい部分ですね。先ほどの日本人の性格にもつながってくるかと。

水野 もっと深くなると、その国の教育環境に関わると思います。イングランドでは個人が何をしたいか、個人で何を求めるか、そのためにどうサポートできるかを大事にしながらグループを作っている。10年離れているので、今の日本の実態はまだつかみきれていない部分があるかもしれないけれど、日本人は周りを気にしてしまう、組織としてこうするから、今はできないことはないけど辞めておこうとか。そういうところでのアプローチからいくと、サッカーの特性でいうと、難しくなりつつあるのかなとは思います。

―それでも、日本での久しぶりの指導はワクワクしていますか。

水野 ワクワクはあるけど、自分が10年間で日本に一時帰国したのは3回。延べ3か月くらいしかいなかったので、日本のことが正直わかってないと思います。日本の良さも絶対にあるので、そこをしっかりと把握した上でどんどんいいとこ取りをしていきたいです。

―ロンドン仕込みの指導者が日本でどういった新しい挑戦をしていくのか、非常に楽しみです。最後に、LJJがどんなクラブになってほしいか、また水野さんご自身がこの先どういった指導者になっていきたいかを教えてください。

水野 LJJとしては、クラブが「そこにあり続ける」ことが一番大事。選手に限らず、関わった人たちにとっての「ロンドンのふるさと」になれるよう、あり続けてほしい。大人の都合とは言え、意志がない中でやってきた日本人の子どもたちに、フットボールの機会を提供する場であり続けたい。僕もこの後チームを離れますが、しっかりとサポートはしていきたいです。日本で新しいチャレンジが始まりますが、僕の10年間の経験を大分に来てくれた子を中心に伝えることは一つですし、クラブの姿勢、活動のあり方を僕たちだけで終わるのではなく、そこからどんどん広げていきたいとは思っています。大きな挑戦になるけれど、日本のフットボール環境がよくなるために大分から発信していこうかなと。ローカルで活動している場所こそ、見てもらいたい思いはあります。

―貴重なお話をありがとうございます。次の指導者のご紹介をお願い致します。

水野 ミュンヘン日本人サッカー教室代表の石井直人さんです。

<プロフィール>
水野嘉輝(みずの・よしてる)
1981年2月15日、兵庫・西宮市出身。
兵庫県立西宮南高、桃山学院大卒。現役時代は主にFWやボランチ、サイドバックとしてプレー。18歳の時から指導の道に入り、宮崎・綾町立綾中学、FCライオスなどで指導。2012年より拠点をロンドンに移した。今年4月からは大分シティーフットボールクラブで監督を務める。

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