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Vol.73 情けなさと悔しさ。

  • 2023.04.04

    Vol.73 情けなさと悔しさ。

発源力

©KASHIMA ANTLERS

J1リーグ6節・サンフレッチェ広島戦は、悔しい敗戦に終わりました。直近のルヴァンカップグループステージ2節・アルビレックス新潟戦も黒星を喫していたこと。J1リーグではここ2試合、白星がないことを踏まえ、上位争いに追随していくには是が非でも勝ちが欲しい試合でしたが、試合の締めくくり方を含めて課題が残る敗戦になりました。特に広島戦での2失点目は、センターバックを預かる一人として、情けないの一言に尽きます。
PKによって同点ゴールを許したことでチームとして、ホームで負けるわけにはいかないという気持ちがより強くなるのは当たり前だと思います。アディショナルタイムを含めても10分ほどしか残り時間がなかった状況を思えば、なおさらです。ただし「追いつかれた鹿島」と「追いついた広島」という構図を考えると、サッカーでは当然、後者の方がメンタル面を含めて勢いを増します。であればこそ、追いつかれてすぐの時間帯はまず、簡単に長いボールを蹴ることで、勢いを増してくる広島の出鼻を挫くような展開に持ち込んだ上で追加点を取りに行くのが理想だと考えていました。僕自身、ラインを上げながら周りに対して「落ち着け。全然、問題ないぞ。ここからもう一回押し込んでいこう」とリマインドしていたのもその考えからです。ですが、結果的にチームとして統一感を持って試合を進められずに相手の勢いを受けることになってしまい、決勝ゴールを許してしまいました。

繰り返しますが、勝ちたいが故に攻めたいと思うのも当たり前だし、少しでも早くプレーを始めたくなる気持ちもわかります。そして時間帯によってはもちろん、それも必要です。でも、それはあくまで展開、流れを感じた上でのことで同点に追いつかれたあの時間帯では2-1にすること以上に、まずは1-2にさせないことを考えるべきでした。にもかかわらず、瞬時にそれをチームに伝えて意思統一を図れなかったことは本当に情けない限りです。そういう展開にしないために僕や直通(植田)といったベテランの存在意義があると考えても自分の甘さを突きつけられた気もしています。

とはいえ、終わった試合を取り戻すことはできません。このシーンについては試合翌日に他の選手とも話をして、互いの考えを伝え、自分たちはあの時どうすべきだったかをリマインドしましたが、大事なのはこの経験を今後に活かすこと、チームのプラスに変えていくことです。広島戦に限らずこの序盤戦は本当にいろんなことが起きていて…PKで3度も失点していることや、退場者を3回も出してしまっていることも含め、少し不運に感じるところもありますがそれも含めてサッカーです。運を勝ちに転じられないのも自分たちの実力だとも思います。そして、見方を変えれば、この序盤戦であらゆる膿が出ていることは、この先はそれらを教訓に上がっていくだけだとも思います。だからこそ、一緒に苦しんでくれているサポーターの皆さんに「やっぱり鹿島を信じて応援してよかった」と言ってもらえる日がくるように、その瞬間を共に喜ぶために、今は結果を変えるのは自分たちだけだと信じてやり続けたいと思います。

もう1つ、広島戦の話とは別に、この場を借りて皆さんに伝えておきたいことがあります。ルヴァンカップ・新潟戦のあと、僕がスタンドに向かって怒りを露わにしたことについてです。
以前この発源力でも書いたように、僕はいつも試合後には決まってスタンドに一番近い場所を通って皆さんに挨拶をするようにしています。敗れた時などは「堂々と歩くな!」というような批判の声を浴びせられることもありますが、試合の勝敗と、観戦のためにスタジアムに足を運んでくださった方に感謝の気持ちを伝えることは全く別の話だと考えているからです。

だからこそ新潟戦後も、サポーターの皆さんに挨拶を済ませた後、スタンドに一番近い場所を歩いてロッカールームに引き上げるつもりでした。大雨にもかかわらずアウェイの地まで足を運んでくれた皆さんの気持ちを思えば、ブーイングを受けることも覚悟していましたし、実際、厳しい声も飛んできました。
「タイトルを獲る気はあるのか!」
「やる気はあんのか!」
そうした叱咤も、皆さんから投げかけられるブーイングも、僕は皆さんが同じチームの一員として戦ってくれているからこその悔しさだと受け止めています。だから、この日に限らず、先に書いた広島戦を含めた過去の試合でも、一度たりともスタンドに向かって声を荒げたことはありません。これは、いい時も悪い時も同じチームの一員として戦ってくれる皆さんへのリスペクトがあってこそでもあります。
ですが、新潟戦後はそのブーイングに混じって鹿島サポーターのいるゴール裏から、選手である以前に一人の人間として聞き捨てならない言葉を投げられました。13年目を迎えているプロサッカー生活でも初めてのことで、瞬時に悲しみが怒りに変わり、ああいった態度に繋がりました。その言葉が、同じチームの一員が仲間に対して投げかける言葉とは到底、思えなかったし、今シーズン初めて100%の声出し応援の中でピッチに立っている若い選手たちに、あんな心ないヤジが鹿島サポーターの応援だとは思ってもらいたくなかったからというのもありました。

僕は鹿島の30年以上もの歴史の全てを知っているわけではないですが、少なからず自分が在籍した時間を通して、また先輩たちから語り、受け継がれてきた話をもとに、チームとサポーターとの間には揺るぎない信頼があると思っています。Jクラブで最も多い『20冠』もその関係性の中で共に獲得したものだと受け止めています。
ですが、仲間であれば何を言ってもいいのかと言えばそれは違います。そもそも、相手に対するリスペクトがなくなった時点で信頼が一瞬にして崩れ去ることは、皆さんも学校や職場で理解されているはずです。今回、僕たち選手に侮辱的な発言をされた方からはクラブスタッフを通して謝罪の言葉をいただきましたし、言うまでもなく、限られた方の発言を鹿島サポーターの総意だとは思っていません。実際、広島戦の翌日も練習場に足を運んでくださった旧知のサポーターの方から「こんな辛い経験も僕らはいっぱいしてきたじゃないですか! 僕たちは全く心配していません。1つ勝てば良くなると信じています」というような言葉をかけてもらってすごく嬉しかったです。
でも、そういう声を聞けばなおさら、僕の声はきちんと皆さんに伝わるだろうと信じ、自分の考えをここでしっかり伝えておこうと思いました。改めて言います。僕は鹿島が鹿島であるために、皆さんと共に互いへのリスペクトを持って前に進んでいきたいと思っています。

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
    14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。

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