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岩政大樹×MF野沢拓也(FC TIAMO枚方)<前編>

  • 2019.06.17

    岩政大樹×MF野沢拓也(FC TIAMO枚方)<前編>

REIBOLAスペシャル対談

現役サッカー選手と元サッカー選手によるREIBOLAスペシャル対談。
第2回目は、J1リーグ史上初の3連覇を実現するなど、鹿島アントラーズの黄金期を共に支えた同世代の二人が、今だから明かせる鹿島時代の秘話やそれぞれのサッカー感を熱くぶつけ合いました。

(取材日/2019.04.28)

岩政大樹(以下、岩政) タクが鹿島アントラーズを離れて以来…会っていないよね?
野沢拓也(以下、野沢) 要所、要所では電話で話しているからそんな気もしないけど、会って話すのは久しぶりだな。っていうか、考えたら鹿島にいた時でさえ、こうして二人で飯を食べに行くことはほぼなかったよね?
岩政 鹿島の選手はみんな、プライベートは家族で、って感じだったしね。
野沢 でも、大樹は単身赴任だったじゃん(笑)。
岩政 確かに。家族は東京だったから俺はほぼ、ほぼ寮にいた。だからどちらかというと寮に住んでいる後輩と触れ合うことの方が多かったけど、そこにたまにタクがフラッとやって来て…っていうのはあったよね。
野沢 行ってた!今、思い出した。俺、過去のことはほぼ忘れているから(笑)。でも、俺たち、どうやって知り合ったんだ?同級生とはいえ、それまでほぼ接点はなかった気が…。
岩政 いやいや、俺が鹿島に加入したから知り合ったの!まぁ、俺は大学時代からタクの噂を聞いていたけどね。大学選抜などに入ると、必ずどこかのユースチーム出身の選手がいて、タクの噂が聞こえてきたから。
野沢 何それ?
岩政 鹿島ユースと試合をして、ペナルティエリア付近でフリーキックを与えたら鹿島ユースの選手が「ああ、君たち、俺らにこの辺りでフリーキックを取られたら終わりよ」的な顔でニヤニヤしていた、とかさ。で、タクがキッカーに立って、実際に決める、と。それを聞いて「そんなすげぇ奴が同級生にいるの?!」って思ってた。
野沢 それ、以前、大樹に言われた気がする。あ、でも、僕がトップチームに昇格した後も、一度、学芸大と練習試合をしてない?
岩政 大学3年生の夏に対戦したね。でもその時はほぼ話さなかったし…ってか、お前みたいなタイプは話し掛けにくいわ(笑)。
野沢 そこは話し掛けてよ!俺の性格、読んで!
岩政 (笑)。ちなみに、同年の天皇杯でも対戦したよ。2トップにヤナギさん(柳沢敦)がいたのは覚えているけどタクはいたかな…忘れたな。
野沢 俺らも、もう年だな。
岩政 15年以上も前だよ!さすがに覚えていないでしょ!
野沢 大樹が鹿島に入ってきた時のもことも…あまり印象にない。

岩政 大樹

岩政 俺は覚えてるよ。同級生にタクとハネ(羽田憲司/現・鹿島トップチームコーチ)がいて…ハネは同じセンターバックだったけど、鹿島のセンターバックって『3番』タイプと『4番』タイプに分かれていたじゃない?僕は秋田豊さんらの『3番』タイプで、ハネは大岩剛(現・鹿島監督)さんや奥野僚右さんらの『4番』タイプだったから、同じポジションとはいえ、そこまでライバル心もなく…。将来はハネと一緒にセンターバックを組めたらいいなって思っていたし、タクに対しても同じだった。あの頃はタクもまだ試合にあまり絡んでいなかったしさ。
野沢 俺は当時、間違いなく全員をライバルだと思っていたよ。とにかく試合に出たくて、ゴールキーパー以外ならどのポジションでもいい、って思っていた。といっても、センターバックやサイドバックをやれって言われたところでできなかったと思うけどね。でも気持ちとしてはトップチームに昇格した時からポジションはどこでもいいって思って……いや、いなかったわ(笑)。
岩政 いないんかい!
野沢 あの時は、単にプロの厳しさを味わった鼻をへし折られて、ぐったりしていた(笑)。一応、ユース所属の高校3年生の時に2種登録選手としてトップチームに登録されて、99年の4月には当時のクラブ最年少記録でJリーグデビューをしたけど、その年もそれっきりだったしね。以降もほとんど試合に絡めなかったから。『やっぱり、サッカーは記録じゃね〜わ!』って改めて思ったのを覚えてる。大樹はそういう感覚は味わってないでしょ?1年目から試合にも出ていたし…。
岩政 俺は大卒だったから、むしろ早く試合に絡まないとヤバいなと思っていたのは間違いないね。ただ最初のシーズンは、大学のアマチュアレベルとプロのレベルの違いを痛感したよ。『Jのスピード感』は想像通りだった一方で、『プロの世界は、読みで勝負しちゃいけないんだ』って知り、衝撃を受けた。これはある意味、タクがきっかけなんだけど…。
野沢 俺?何かした?
岩政 いや、そうじゃなくて(笑)。それまでの俺は、ディフェンスって相手チームの選手がどういうパスを出すのか、どういう動きをするのかを読んで勝負するポジションだと思っていたのね。少なくとも大学時代までは、それでだいたいの選手を抑えられてきた。でもプロになって、初めてタクと5対5のゲームをした時に…お前は無意識だろうけど、タクがパスを出す瞬間に俺が「あ、こっちだな」って読んで動いたら、最後の最後でパッとプレーを変えられたんだよね。俺の重心を見て、瞬間的に足首で逆をとった。それを見た時に「ああ、プロの世界ではプレーを読んだらダメなんだ」と。おかげで、それまでの守備の概念が一気に変わった。
野沢 そんなこと思ってたの?!俺は特に何も考えずにそれをやっていただけだけど…。
岩政 だろうね。でもその感覚ってアマチュアにはないから。と言っても、プロサッカー選手なら誰でも出来るってことでもないけど。タクはそういう技術をアカデミー時代に学んだ記憶はある?
野沢 いや、ない。あくまで感覚でやっていた…と思う。でも、サッカーって読めないから面白いんじゃないの?なんで読もうとしたの?
岩政 そういうことなんだよ!俺もそこに気づいてからは、読まずに向き合うことに面白さを感じるようになったけど、プロになって最初の半年くらいは「これじゃあ、守れない。どうすればいいんだ?」って毎日、考えていた。
野沢 大樹はいつも真面目だよな〜。要は、守備の選手だって最後の瞬間にプレーの選択を変えられるようにしたらいいんじゃないの?
岩政 その通り。悩んだ末にたどり着いたのが、相手のプレーを読まずにセオリー通りに守備をして、最後の瞬間に自分のプレーを変えられるように準備して、相手選手に一番成功の確率が低い選択をさせる守備をするってことだった。

野沢 拓也

野沢 それ、早く聞いてよ。そしたらきっと同じことを言ったと思うよ。俺、当時からほとんど『思考』の部分は変わっていないから(笑)。
岩政 でもそこにたどり着くまでの時間も、ある意味必要だったと思う。それを肌身で感じられたことは去年、指導をした際にもキーになったし。
野沢 その指導者としての能力を、俺にちょうだい(笑)。知らないと思うけど…俺、今は選手をしながら大阪のアサンプション国際中・高等学校サッカー部でコーチもやっているんだ。
岩政 知ってるよ!でも、タクはいいんだよ。「読み」でプレーしちゃいけないってことを感覚として備えていること自体が、指導に活きているはずだから。
野沢 そうなの?俺は、感覚を言葉に変えるのが難しくて日々、悩んでいるんだけど…。
岩政 ってか、さっきも雑談している時に思ったけど、やたらと指導の話が出るけど、まだ現役だよね?
野沢 そう、現役!関西サッカーリーグ(1部)のFC TIAMO枚方でサッカーをしてる!
岩政 それも知ってる(笑)。その割にタクから聞こえてくるのは、指導の話ばっかじゃん!
野沢 いやもうさ…子供たちが可愛いの。一生懸命で、まっすぐで、なんでも教えてあげたくなっちゃう。
岩政 ちょっと待って…その話から始めるとまた脱線するから、先にTIAMOのことを聞かせてよ。
野沢 待って。それより先に、大樹の引退でしょ!なんでやめたの?まだ出来るでしょ。引退するの、早くない?体型も全然変わっていないし…引退して2年?
岩政 いや、まだ半年だから!
野沢 (爆笑)。あれ?!俺の記憶はどこで止まってる?たまに電話で話しているよね?
岩政 話しているけど、記憶には残していないんじゃないか(笑)?16年までファジアーノ岡山にいて…おそらくタクの記憶はそこで止まっていると思うけど、17年から2年間は、今のタクと同じように東京ユナイテッドFCっていう社会人チームに在籍して、昨シーズンで引退したの。だからまだやめて半年しか経っていない。

野沢 そうだ、思い出した!それ聞いたわ!
岩政 でしょ?たぶん、引退の報告ではなく決断する前の段階で話したと思うよ。俺らはいつも「決まってからのことは報道で流れるから、報告するまでもないでしょ」って感じだしさ。
野沢 でも、まだ出来るでしょ?やめて半年なら、余裕で復帰できる。
岩政 いや、しない(笑)。未練も全くないし。
野沢 ちょっと待って。俺はまだ、大樹の引退を許していないし、まだやれると思ってる。だから、俺の中で大樹は引退していないことになっているんだと思うよ。…ってか、何となくこんな話をした覚えはあるな。いつも年末には「来年、どうするの?」的な話をしているけど、その時に聞いた気がする。なのに、勝手に大樹は現役を続けるとだと思い込んでた。なんでやめたの?後悔はしていない?
岩政 後悔はない。ってか、自分の人生に後悔をしたことがない。
野沢 それは、俺もそうだな。じゃあ、聞いていい?「はい、やめます」って決めた瞬間、何が降りてきたの?天の声があった?
岩政 いや、天の声はない。俺は17年に東京ユナイテッドにコーチ兼選手で加入する際に「サッカー以外の時間は他の仕事もやりますけどいいですか?」と確認して契約をしたんだよね。それはこの2年間を、次のキャリアで何をするのかを考える時間として有効に使いたい、と思ったから。でもそれで始めたとはいえ、最初の数ヶ月はやっぱりキツくて。当たり前だけど、現役選手としての時間に全力を注ぎながら、それ以外の時間でも働くんだから正直、身体もキツかった。
野沢 最初は特にそう感じるよね。
岩政 でも、試合を観てくれる人にとっては、俺が他の仕事をしているなんてことは関係ないわけで。「岩政のプレーが観たい!」と思って足を運んでくれる。相手チームの選手だって、俺らと対戦するとなると…例えば「岩政に1度、競り勝った!」ってだけで騒ぐし、東京ユナイテッドのサポーターにしてみれば「岩政が競り負けたのか?!」ってことになる。要するにJリーグでも、それ以外のステージでも、過去の栄光を込みで俺たちを見るから、期待値は下がらないんだよね。それに対して自分も当然、期待に応えようと思うわけで…っていう日々が続いた時に「これは相当な労力だな」と。一方、仕事だって、例え週末に試合があってもやらなきゃいけないことはあるわけで、試合のことを考えたら悪影響になるかも知れないけど、そこもおざなりには出来ない。その大変さに直面して、どう折り合いをつけるのかを考えた結果、2年という期限を決めようと。じゃなきゃ、続けられないなと思ったから。それを東京ユナイテッドでの1年目の夏前に自分の中で決めて、その2年間が終わったから引退した。
野沢 大樹ってやっぱ、すごいね。俺はそんな風に考えたことが一度もない…。自分の気持ちが赴くままに行動して、サッカーもやって、指導もやっているだけだ。
岩政 でも、俺はこういう考え方をしちゃうから終わっちゃうんだと思うよ。論理的に考えようとするが故に失ってしまうものは必ずある。タクみたいに、あまり先のことを考え過ぎずに…ある意味、真面目に考えすぎない方が突っ走れるってことはサッカー選手ではよくあるしね。でも、俺はこれでも、かなり柔軟に考えられるようになった方なんだよ。実際、大学までは何に対しても深いところまで考えて、論理的に答えを出そうとしていたから。〜でも鹿島に行ってタクを始め、満男さん(小笠原)とかモトさん(本山雅志/ギラヴァンツ北九州)のサッカー観に触れて変わったというか。もちろん、守備の人間だからもちろん論理的に考えることも必要だし、後ろからそういう動かし方をしなければいけないこともある。でも、タクたちのように天才肌の選手を気持ち良くプレーさせるには論理的に押し付けるのではなく、むしろ、自由にやらせて、それによって生まれる粗(アラ)みたいな部分を後ろにいる俺らが処理した方がいいと気がついた。実際、タクたちに最初から「これはダメだ、あれをやれ」って言っちゃうと、本来の良さが萎んでしまっていいプレーができないから。
野沢 確かに、当時の大樹って、DFラインとか1つ前のボランチには、めちゃめちゃ指示を出して、怒鳴りながらプレーしていたのに、俺らには殆ど何も言わなかったよな。
岩政 お前らには「あれもやれ、これもやれ」ではなく「こういう場面の時だけこれをしてくれたらいいから」って伝えると「わかった。それくらいならやるわ」って受け止めてくれたから、そこだけお願いしていた(笑)。
野沢 ごめんね。気を遣わせちゃったね。でも俺は間違いなく自由にさせてもらえないと、ダメになるからそうしてくれて良かった。

<PROFILE>
岩政大樹(いわまさ・だいき)
1982年1月30日生まれ。山口県出身。
東京学芸大学教育学部・数学科を卒業後、04年に鹿島アントラーズに加入。リーグ優勝3回、ヤマザキナビスコカップ優勝2回、天皇杯優勝2回に貢献し、自身もJリーグベストイレブンに3度輝いた。14年には、10年間在籍した鹿島を離れ、EECテロ・サーサナ(タイプレミアリーグ)へ完全移籍。15年には再び日本に戻り、ファジアーノ岡山に加入し、初年度からキャプテンを務めた。17年からは東京ユナイテッドに選手兼コーチとして在籍。2年間プレーしたのち、18年10月に同シーズン限りでの引退を発表した。日本代表としては09年10月に代表デビューを飾り、10年のワールドカップ・南アフリカ大会に出場。国際Aマッチ8試合出場。

<PROFILE>
野沢拓也(のざわ・たくや)
1982年8月12日生まれ。茨城県出身。
稲田サッカースポーツ少年団でサッカーを始め、94年に鹿島アントラーズジュニアユースに加入。97年にはユースチームに昇格すると、高校3年生だった99年に2種登録選手としてトップチームに登録され、クラブ史上最年少となる17歳7か月30日でJリーグデビューを飾る。そのトップチームでは06年頃からレギュラーに定着。Jリーグ史上初のJリーグ3連覇を始め数々のタイトル獲得に貢献した。12年にはヴィッセル神戸に完全移籍をするも、1年後には鹿島に復帰。その後14年8月にはベガルタ仙台へ完全移籍を果たし、18年からはオーストラリアのウーロンゴン・ウルブスでプレーした。今シーズンはFC TIAMO枚方でプレー。

text by Misa Takamura
photo by Hiroyuki Setsuda

取材協力/焼肉ミヤコヤ

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