「ゴールキーパーで世の中を変える」というスローガンを掲げ、全国のGKに向けて指導に駆け回る太田渉さん。高校卒業後、単身ブラジルへ渡りプロ契約。サッカー人生を変えたブラジルのGKコーチとの出会いと経験をサッカーの枠組みを越えて発信しています。人間とは、ゴールキーパーとは、という問いに向き合いながら、選手と向き合い指導を続ける太田さんにお話をうかがいました。
―現在の活動内容について教えてください。
太田 大阪・京都・兵庫を活動拠点にして、フリーランスでゴールキーパー(GK)コーチをしています。主な活動場所は、京都橘高校とインテルナシオナルジャパン。中学生、高校生をメインに指導にあたってますが、西へ東へ、どこへでもサッカークリニックや講演会など呼んでいただいたところに行っています。
―現在に至るまでの経歴を教えてください。
太田 FC岐阜に在籍していた2020年、シーズンに入る頃にコロナが深刻化してきて、全てがストップしてしまいました。いつもならシーズンに入ったら「試合に勝つ」、そのことだけに集中しエネルギーを注いでいる時期だったはずが、、、緊急事態宣言などもあり3ヶ月くらいぽっかりと空きました。
あの時はライフラインに関わらない自分の仕事、スポーツ選手の価値とは何かと考えたのは僕だけではなかったと思います。エンターテイメントが1番この世の中で必要とされてないのではないかという思いから、サッカーやスポーツの枠組みを越えて、様々な職種の方と知り合い、情報交換するようになりました。
その中でチームに所属してサッカーだけで生きることに執着する必要はなく、生きる幅を広げてみようと思いはじめました。それから1年後のシーズン終了後に、JリーグのGKコーチを思い切って『脱藩』しました。(辞めました) そこからは新しく出会った、ご縁の繋がった方たちと仕事をしています。
―ゴールキーパコーチ ジャパンというのはどういった経緯で生まれたのですか?
太田 「ゴールキーパーで世の中を変える」というのを掲げています。共感してくれたのがインテルナシオナルの代表でした。サッカーに固執せず、いろんなところに行って、いろんな人に出会う、視野の広い指導者が増えて欲しいという思いや、個人でHP持っているGKコーチは面白いな、という想いに共感していただき立ち上げに協力してくれました。感謝です。
「GKコーチです」というコーチ陣の名前をただ連ねているのではなくて、今後やりたいことをしっかり持っている『志』のあるコーチばかりです。
―太田さんの選手時代はどのような経歴でしたか?
太田 小学3年生でサッカーを始めましたが、高校卒業までは無名でした。ブラジルへ渡り、2年目でプロになり、帰国後はヴァンフォーレ甲府へ。20歳の時には戦力外通告も経験しました。まだサッカーをしたい思いがあって、愛媛FCに移籍し、そこで3年プレーして24歳で選手を引退しました。
小学4年生からゴールキーパーをしています。正確にお伝えすると『やらされた』って感じですね。誰もやりたがらなかったんです。試合ごとにチーム内で順番にキーパー担当をしていて、僕がキーパーを担当したある大会の日、一生懸命やったらGK賞をもらってしまいました。
それがきっかけで「GK賞もらったんだから、キミはキーパーだよ」とポジションが定着。嫌なキーパーにさせられてしまった、という流れです。最初はどうしたら辞められるか、練習しなくて済むかばかり考えていました。笑
それが、忘れもしない1993年のJリーグが開幕した5月15日。その翌日の5月16日に友達の家でJリーグを観ていて「これや!」ってスイッチが入りました。
ここを目指すんだ!というよりは「僕はこうなる!」って思いました。それまでサッカーに対しても熱を持ってませんでしたが、初めて『夢』というものが自分の中にできて、そこから取り組み方や意識が変わりました。
僕にとってはJリーグ開幕の翌日、5月16日は自分の人生が大きく変わる瞬間だったとすごくよく覚えています。
―指導する上で1番大切にされていることは?
太田 「今日」出会う選手の人生を変えるっていうくらいの気持ちと熱で関わる、向き合う、ぶつかるというのを1番大切にしています。
と言うのも、僕が今関わっている中学生、高校生は人生で今この1回が勝負なんです!例えば、指導者にとってサッカーの大会は毎年挑戦できますが、中学生・高校生にとっての選手権や大会って、人生の中でその1回!たった1回!しか挑戦できないんです。その1回にかけられる熱量って君はそれでいいの?って面と向かって、本気の熱量で伝えることができる大人でありたいと思っています。
指導はキーパーがメインになりますが、チームに合流するとチーム全体を指導することもあります。100人いて100人全員をつぶさにみてあげられるわけではありませんが、フィールドの選手たちともコミュニケーションをとっていきます。
―キーパーというポジションへの特別な思いはありますか?
太田 ポジションとして特別といえば特別です、この競技で唯一手が使えますし。目立ちますが、さほど人気はない。ヨーロッパではFWかGKかっていうくらい人気のポジションですが、Jリーグが開幕して30年経っても、残念ながら日本ではこの状況があまり変わりません。
ただGKの指導をしているというだけではなくて、GKをやっていたらこういう人間になっていくんだよ、というGKの価値を再認識してもらうような、意識をココロを変えていきたいなと思ってます。
―今後の展望としてはどんなことを考えていますか?
太田 何か大きいことをして、すぐにGKが華々しく世に認知されることはないと思います。自分にできることは、GKを選んだ選手が少しでも楽しんで上達したり、人がやりたがらない嫌なことや苦しいことを乗り越えて、成長している実感を持ってもらいたいです。小中高を経て、いつか社会に出たときに「GKをやっていた人間って、どの業界・職業でも活躍してるな」と思われる人が増えている、そんな世の中に。
「サッカーやるならGKしたら?」と親が言葉にするような価値ある存在にしたい。
どんな仕事をしていても、どんな人生を送っていても、信頼できる、仕事を任せられると思わせる人間を多く輩出していきたいです。そうすることでサッカー界に遠巻きながら貢献できると思い描いています。
サッカーはゴールを期待して試合を観ますが、ゴールが入るということは裏を返せば『失点』をしているGKがいます。喜びの裏で真逆の感情を持つ人間がいるというわけです。
『失点』から立ち上がるメンタリティを持つのがGKにとっては大切な部分でもありますし、失敗した時、状況を跳ね返す次の案はなにかを考えられるスキル、これはどの仕事でも大事な能力です。
今の子どもたちは失敗したくない、できるなら失敗せずにうまく進みたい子が多いと感じています。でも、失敗しても大丈夫だし、失敗したからどうしていこうかを考えるスキルや図太さをゴールキーパーを通じて学んで欲しいです。GKはそれを学びんだり気付いたりしやすいポジジョンなんです。
―客観的にキーパーというポジションをみるようにしているのは昔からですか?
太田 子どもの時からそのような思考を持っていました。「なんで点決められたら全部僕のせいになるの?」って。人のせいにせず自分の非を認めて、次から入れられないように自分の心を整えることを意識していました。指導する中で子どもたちが人のせいにするとか、物に当たる場面に遭遇するときは、それをやっていたら何も変わらないと伝えるように指導しています。
―これだけは伝えておきたいことはありますか?
太田 日本全国サッカーをやっている子どもがたくさんいて、情報はインターネットで簡単に手に入ります。でも僕は1人でも多くのGKの子どもたちに直接関わりたい、成長したいと思う子どもたちと出会いたい。たった1回でもいいので指導をして、僕と出会えたことで、世界の見え方が変わることを知ってもらいたいです。
機会があればぜひ、僕と会ってもらいたいです。得かどうかはわからないけど、損はないよ!と。笑
僕が子どもの頃、日本にGKコーチはいませんでした。だからブラジルへ行き、そこで8人のGKコーチと出会い、それが僕の人生を変えました。今なら日本国内でも出会えます。ひとつの出会いでサッカーや人生は変わると思います。
―熱いお話にGKというポジションに対する見方がより鮮明なものになった気がします。貴重なお話をありがとうございました。次の指導者のご紹介をお願い致します。
太田 横浜F・マリノス アカデミーGKコーチの八巻 楽さんです。
<プロフィール>
太田 渉(おおた わたる)
1981年生まれ、大阪府出身。ゴールキーパー コーチジャパン代表。
高校卒業後、ブラジルに渡りプロ契約。帰国後は2001年ヴァンフォーレ甲府、2002年愛媛FCを経て指導者の道へ。いずれもGKコーチとして、2005〜2015年JAPANサッカーカレッジ、2015年大阪産業大学・大阪桐蔭高校。2019年までブラウブリッツ秋田、2020年〜2021年はFC岐阜を歴任。フリーとなってからもインテルナシオナルジャパン、京都橘高校サッカー部のGKコーチとして活躍中。2023年からU-17日本高校選抜GKコーチやウィザーズFC、FCデューミラン大阪のGK指導にもあたる。JFA公認ゴールキーパーライセンスLv3、JFA公認B級指導者ライセンス取得。