©VEGALTA SENDAI
2日に敵地で行われたモンテディオ山形とのダービーマッチは完膚なきまでに負けてしまった。山形サポーターは我々を温かく迎え入れてくれた。去年このスタジアム(NDソフトスタジアム山形)で戦ったときは、まだコロナ禍で手拍子のみの応援だった。今回はものすごい声援の中でお互いが「ダービーで負けるわけにはいかない」と戦い、ベガルタが大敗したことを除けば盛り上がっていいイベントになったと思う。やっぱり、意地と意地がぶつかり合うダービーは特別だ。規模の大きさは関係ない。FC東京と川崎の「多摩川クラシコ」、ガンバとセレッソによる「大阪ダービー」、鹿島と浦和がしのぎを削る「レッドダービー」などいろいろなダービーがある。ベガルタと山形は、前身となる東北リーグの東北電力とNEC山形という約30年前のライバル関係から始まり、JFL、J2、J1とさまざまなカテゴリーで「東北ダービー」としてしのぎを削ってきたそうだ。それだけに、歴史ある両チームの「みちのくダービー」に勝ちたかった。
ダービーうんぬんは関係なく、戦力的にも勝たなきゃいけなかった。お互いに上位を伺い、何かを変えないとと思う中での戦い。開始早々失点して山形ペースになり、しんどい試合になった。ピッチに立っているときは孤立するなどしてやりづらくなるから、うまくいっていないというのが分かる。ベンチで試合を観ているとより具体的に、「運動量が足りない」「ラインずいぶん下がって間延びしている」「裏を全然狙っていない」など、問題点が分かりやすく、自分がピッチに立つときのイメージを膨らませて出番に備えることができる。ところが、山形戦は何が悪いのか分からなかった。こんなことは初めて。実際ピッチに立って感じたのは、パスに対しての受け手以外の2人目、3人目の絡みの少なさ。ゴワっと攻める感じがない。守る立場になって考えれば、後ろから何人もが飛び出てくることほど守りにくいことはない。ロスタイムに上げたクロスがゴール左上に行って相手キーパーにはじかれた。うまいこと狙ったように見えるけど実はミスキック。中にマサト(ベガルタ仙台FW、中山仁斗)1枚しかいなくて、「何かが起きれば」とマサトに託す気持ちで狙ったけど、ずれた。点を取らないといけない状況なのに、重心が後ろにあった。サッカーは負けているときにこそチームカラーが色濃く出ると思う。サイド攻撃主体のチームならこれでもかというぐらいサイドをえぐろうとする。高さが売りならパワープレーでとにかくロングボールを放り込む。でもベガルタは、決して選手層が薄くないのに「こういうとき、どこから攻めるの?」という迷いがいまだにある。戦う選手が一致団結するものがあれば、そうそう負けない。理由はなんでもいい。
勝負だから勝てないときもある。だからいつまでも引きずっているわけにはいかない。今回のダービーでは、アウェーでの惨敗を最後まで目の当たりにしながら声援を送り続け、試合後に拍手までしてくれたサポーターがMVPだよ。ブーイング浴びせてきたサポーターだって、最後までいてくれた。試合後、リャンさん(ベガルタ仙台MF、梁勇基)がサポーターの近くまで前進するよう他の選手に促していた。リャンさんなりにダービーで負けたことを重く受け止めていたんだろう。戦うのは選手で、鼓舞するのがサポーター。負けて悔しくてたまらなかったけど、前を向き拍手で応えてピッチを去った。サポーターもオレたちが下を向く姿を見たくはないだろうし、一番見せちゃいけないと思う。ベガルタはいろいろな人の思いで誕生したチーム。だから熱く、気持ちで勝つチーム。数字は大事だけど、数字だけで見ちゃいけない。そういうクラブカラーというか歴史があると思う。応援の気持ちに対して申し訳ないという姿ではなく、結果で応えるように努力するしかない。3日の練習後に選手だけで集まり、彰さん(ベガルタ仙台、伊藤彰監督)の考えをくみ取れるようにもっと努力していくことを確認した。グラウンドに入れるのは11人で、ボールは一つ。戦うのは選手だからグラウンドで解決していかないといけないこともたくさんあるよねという話にもなった。話し合いの中で試合に出られていない若手から「戦術はいろいろあるけれど、そもそも球際とか切り替えのところが足りていない気がする」と指摘されてはっとした。実際に試合に出ている選手やベテランを前に話すのは勇気がいっただろう。ありがたいひと言だった。自分たちが思っているほど当たり前のことができていないならば、練習からスタンダードを上げていかなければ勝てない。いま世界最高峰のクラブといえるのは、UEFAチャンピオンズリーグ、プレミアリーグ、FAカップと合わせて3冠を達成したマンチェスター・シティーだ。ペップ(ジョゼップ・グアルディオラ監督)の戦術があるからクオリティーの高いチームができているのはもちろんだが、それを支えているのは個人の力であり、仲間やサポーターとの絆の強さだ。オレたちも彰さんの戦術が輝く下地としての個の強さをもっと磨き、シーズンの終わりにどこにいるべきなのかを考えて戦う。そこにサポーターの後押しがあるとありがたい。
遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。