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Vol.14「相棒ダイゴくん」

  • 2023.10.26

    Vol.14「相棒ダイゴくん」

絶康調

©VEGALTA SENDAI

9月に鹿島時代の戦友であり相棒だったダイゴくん(いわてグルージャ盛岡DF・西大伍)と久しぶりに会った。というかダイゴくんがオフを利用して仙台に来て、対談っぽい感じで取材された。MF論や経験についてのこととか、クラブワールドカップなど、話の一部はダイゴくんのチャンネル(https://www.youtube.com/@DaigoNishi_YouTube)にうまいことまとめられている。

なぜダイゴくんだとこんなに深い話ができるのか、共感できるのかといえば、鹿島時代ともに右サイドで戦いながらタイトルをとったという、分かりやすい成功体験があるからだと思う。でも、ダイゴくんが鹿島に来た時、最初から相性が良かったわけじゃないんだよ。大まかな感覚はお互いに理解し合っていて、細かい感覚を合わせるのに時間が掛かったと記憶している。当時俺が鹿島でバリバリ試合に出ることができていたわけじゃなくて、まだまだチャレンジャーというか、若手でもっとやらなきゃという立場だったのもある。ダイゴくんとサッカーをしていて、自分一人の力だけじゃ無理だなというか、周りとのコンビネーションをうまく引き出した方が自分は生きるなって分かった。だからこうしたらああ動くよなって話をできるようになった。それまでは自分のパフォーマンスだけを考えていた。ボールを受けてシュートを打つとか、1人2人かわしてスルーパスという部分しか考えていなかったんだよね。それが年間通していいパフォーマンスを出せない、いいときと悪いときを繰り返す遠因になっていたと思う。そんなときに相棒ダイゴくんをゲットしてから一定のパフォーマンスを出せるようになったし、何よりもチームを勝たせられるようになったことがすごく大きかった。「手応えを感じた」ってやつ。それはもちろんダイゴくんのおかげだよね。プライベートでも仲良かったし。

俺が右サイドハーフでダイゴくんが右サイドバック。ずっと一緒だった。すごく賢い選手で、なんでも器用にできる。元はトップ下をやっているような前線の選手だった。ヘディングとか競り合いの守備も強い。考え方が中盤の選手でサイドバックっぽくないサイドバックだったな。やっぱり中盤の選手はディフェンスラインまで戻って守備したくないわけよ。攻撃したいし点も取りたいし。攻撃的な選手の考え方を理解しているダイゴくんはそこをくみ取ってくれていて、なるべく俺を後ろに下げないように守備をさせてくれたのでかなり助かった。おかげで攻撃面で結果を出しやすかった。半面、守備をサボっているように見られたのはあるけれど、別にうちらのサイドを崩されるわけでもないし。俺が攻撃に専念できる状況を2人でつくれていた。何か特別な試合の思い出があるのではなく、常に楽しくやれていた感じ。断定するのは難しいけれど、そういう相棒ってなかなかいないんじゃないかと思う。

そんなダイゴくんと、移籍における感覚のずれの話題になった。カルチャーの違うチームに移る以上、絶対について回るものだろう。移籍1回の俺でも分かる。ダイゴくんと一緒にやっていた感覚はうちらにしか分からないし、これを誰かにやらせようと考えるのはおこがましいと改めて思った。相手に求めすぎてもうまくいかないし、合わせなきゃいけない部分は合わせていくけど、全部合わせてしまうと自分の持ち味、遠藤康というプレーヤーを生かせなくなってしまう。結局はバランスを取りながらやっていくのが一番いいのかなって。いろいろと経験を積んでも、サッカーっていうのは正解がない中でどうにかしなきゃいけないからね、結局は。俺は鹿島で育ってベガルタ仙台が初めての移籍先。ダイゴくんは神戸でも優勝経験があるし、いろいろなチームを見ている。何かを比較するときの物差しがたくさんあるなと、会話していて感じた。今ベガルタにいる俺が持っている物差しは鹿島のものしかない。でも、ダイゴくんは札幌、神戸、浦和での経験もある。その経験があっても移籍のときは同じような悩みを持って、結局解決しないままサッカーを続けていくんだなって思った。いろいろ話したけど何も解決しないまま昔話をして「なんか楽しかったね」という会になった。

つらいシーズン、つらい試合も乗り越えてきているからこそ、こういうのが楽しかったとかよかったねって昔話ができるのはいいねと話した。そして、思い出は美化されるというか、つらいことは結構忘れているものだなと感じた。「昔はよかった」って口にする人が多いのもうなずける。ダイゴくんとも「また一緒にやりたいね」とよく話すけども、たぶん一緒にやることは俺の中ではないだろう。お互い人生において何かを得ようと思って移籍しているわけだから、逆戻りしちゃうとお互いがまたストップしてしまうよなって思う。俺にはベガルタでやることがある。ベガルタに来て真瀬(ベガルタ仙台DF・真瀬拓海)や大夢(ベガルタ仙台MF・鎌田大夢)たちがどんどん成長するの見てきた。身近で見ててすごいなと思うと同時に、もっともっと成長を後押ししなきゃいけないと思うし、ベガルタをJ1に上げて仲間がJ1で活躍できるようにできたらいいなと思っている。

  • 遠藤 康Yasushi Endo
  • Yasushi Endo

    1988年4月7日生まれ。
    仙台市出身。
    なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
    2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
    U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。

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