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Vol.30 日本代表で感じたこと。亡き親友とガンバ。

  • 2021.06.15

    Vol.30 日本代表で感じたこと。亡き親友とガンバ。

発源力

©GAMBA OSAKA

19年以来となる日本代表に選出され、5月31日に合流して約2週間が経ちました。
まず率直に、日本代表復帰は嬉しく受け止めました。昨年末に右足首のオペをした際は今シーズンの開幕に間に合うかどうか、という状況でしたが、なんとかJ1リーグ開幕戦を先発で戦うことができ、そこからコンスタントに出場してきた中での選出で…正直、試合によっていい時、悪い時の波はまだまだあるとはいえ、昨年の自分を思えば手応えを感じられる部分もあったので、それを評価してもらえたのは自信になりました。
もっとも、選出を知らされたのは自分も大きなミスをしてしまったJ1リーグ14節・浦和レッズ戦の直後だったので正直、100%で喜べたわけではありませんでした。ただ、日本代表は目先の1〜2試合で選考されるわけじゃないこと。また、ピッチで起きたミスは、ピッチで取り返すしかないと改めて胸に誓っていた最中の日本代表選出だったことから、身が引き締まる思いで受け止めました。

というわけで今回は、その約2年ぶりの代表活動を通して感じたことを書いてみようと思います。

まず、久しぶりに代表戦を戦って感じたのは、国を背負って戦うプレッシャーはやっぱり特別なものだということでした。残念ながら今回はリモートマッチ(無観客)でしたが、独特の緊張感を感じたし、改めて難しい場所だと再認識できました。また、この2年で日本代表の世代交代も進み、2018FIFAワールドカップロシア大会の時にはどちらかというと若手だった僕が、今は上の世代に近い、中堅的な立場になっている事実に、改めてサッカー界のスピードと変化の激しさを実感しました。
クラブチームも、監督によって多少なりともチームカラーは変化しますが、それ以上に、代表チームは変化が激しい場所です。監督が変わればチームカラーも大きく変わるし、選手の顔ぶれも変化します。その時々の調子に応じて入れ替わりも激しく、前回は試合に出ていた選手が、メンバーにさえ選ばれないとか、前の試合で完璧なプレーを表現しても、次の試合でパフォーマンスが悪ければ『この選手はダメ』という烙印を押されることも、当たり前のようにあります。

ということを踏まえても、改めて大事だと思ったのは『継続』です。目先の1試合に一喜一憂せず、自分に満足せず、その時々で必要だと感じたことをどれだけ波なくパフォーマンスとして表現できるか。時代やチームの変化に応じて、自分自身のプレーや立ち位置によるマインドを臨機応変に変えていけるか。それをできる選手にしか永嗣(川島/RCストラスブール)さんや佑都くん(長友/オリンピック・マルセイユ)らのように、長く日の丸を背負うことはできないと感じました。

また、日本代表を背負う限りは、『国内組』『海外組』は関係ないということも改めて感じたことの1つです。これは、自分が海外にいる時にも感じていましたが、昨今の世間の風潮として、サッカー界ではどことなく『海外組』が特別感を持って呼ばれる傾向にあります。もちろん、海外で得る経験値が日本のそれと違うことは僕も理解していますが、だからと言って、日本代表として選ばれることに『海外組』『国内組』は関係ありません。プレーしている場所が違うだけで、森保一監督に選出されたことに違いはないし、もっと言えば、日本代表でのパフォーマンスに対する評価も、海外組だから、国内組だから、は関係ありません。その肩書きがレギュラー争いに影響するものでもないと思います。いい選手を使う、結果を出した選手が評価されるというのは、チームでも、代表チームでも同じだと思うからです。
実際、応援してくれるファンの皆さんも『海外組』だから応援する、『国内組』だから応援する、ではなく、日本代表として応援してくださっています。実際、個人にフォーカスしても、僕のファンの皆さんは、僕が国内にいても海外にいても変わらずに、僕の成長を楽しみにしてくれているはずです。それを思っても、海外組や国内組の縛りに関係なく、『昌子源』として求められる選手になっていきたいと感じたし、そのプライドをしっかりと備えて戦い続けられるかどうかが、今後の自分のサッカー人生の明暗を分けるんじゃないか、とも感じました。

最後に…これは余談ですが、今回の代表活動を通して、ガンバ大阪にいる自分を改めて強く意識する出来事がありました。活動期間中、来日していたミャンマー代表スタッフの方が亡くなられたと聞いて「あの時も似たような状況だったな」と思い出したからです。
実は8年前の13年。僕は米子北高校時代の親友、道下稔晃を亡くしました。彼のお母さんによれば「前日まで元気にしていたのに、翌朝、起きてこなかった」そうです。突然の心臓発作でした。その知らせをキャンプ中に移動バスの中で聞いた時は、思わず堪えきれずに泣いてしまったのを覚えています。

大阪出身の稔晃は、米子北高校で最初に仲良くなった友だちでした。同じ関西出身ということで意気投合し、サッカー部ではもちろん寮生活でも常に一緒でした。彼もセンターバックで…僕がFWからセンターバックにコンバートされてからは同じポジションを争うライバルになりましたが、それが仲を隔てることもなく、プライベートでは本当にいろんな話をしたし、殴り合い寸前くらいの大げんかをして1週間くらい口をきかないこともありました(笑)。卒業式では「やっぱりお前は最高やったわ」と言い合ったのもいい思い出です。
その後、彼は大阪に戻って阪南大学に、僕は鹿島アントラーズにと進路が分かれ、物理的な距離もできて、なかなか会えなくなったけど、そんな彼と僕を唯一、結びつけてくれていたのがガンバでした。
というのも、彼は毎試合のようにゴール裏に足を運ぶ熱狂的なガンバファンだったからです。もっとも、高校時代は「大阪出身やからガンバが好きなんやろうな」程度にしか思っていなかったので、そこまで熱狂的だとは知らず…ゴール裏で応援していると聞いた時は驚いたのを覚えています。
それもあって、鹿島との対戦前には決まって稔晃から「お前には負けへんから」とLINEが届きました。しかも、僕が鹿島に加入してから彼が亡くなるまで、カシマスタジアムでのガンバ戦は必ず観に来ていました。というか…そのことを以前は「アウェイまで熱心やな」と思っていましたが、今回、稔晃のことを思い出していた中で、「もしかしたら、あれは単にガンバを応援するだけじゃなく、僕に対するエールでもあったんじゃないか」と考えるようになりました。というのも、よくよく考えてみれば、大学でサッカーをしていた彼が毎試合、ガンバのアウェイ戦に足を運べるはずはなく…。当時はまだ僕も試合に絡めていなかったとはいえ、一縷の望みにかけて大好きなガンバと僕との対戦を楽しみにカシマスタジアムに足を運んでくれていたんじゃないか、と。
もっとも、今となってはそれを本人に確かめられないのが寂しい限りですが、もしも彼が生きていたら、僕がガンバの一員になったことを大喜びしてくれたのは間違いないと思います。というより、ガンバへの加入が決まった時から僕の中にはいつも「稔晃が僕をガンバに導いてくれたんじゃないか」という思いがあります。稔晃が遠いところから僕にパワーを送ってくれているんじゃないか、とも。
また、ガンバサポーターの中には稔晃と一緒にガンバを応援してくれていた方もいるはずで、彼の魂は今も皆さんとともにあるんじゃないかとも思います。そんな皆さんとともに、また稔晃のためにも、ガンバを強くしていきたい。そんなことを考えながら16日から再び、ガンバでの戦いに戻ります。

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月に完全移籍が発表されたトゥールーズFCでもすぐさまレギュラーに定着したが、2シーズン目はケガに苦しみ、長きにわたり戦線離脱。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、今年2月にガンバ大阪への完全移籍が発表された。
    日本代表にも14年に初選出。18年のワールドカップ・ロシア大会でもレギュラーとして活躍した。

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サバ缶ぺぺロンチーノ/村田英理子