緑豊かな山々に囲まれ中学高校年代では全国でもサッカー強豪チームがある岐阜県可児市で、NPO法人総合型地域スポーツクラブFCVの代表を務める野村次郎監督。一度はサッカーから離れたものの、再びサッカーの舞台に戻った野村監督に自身のサッカー観や現在の活動についてお話を伺った。
ー今回リレーのバトンを渡してくださった富士市立高等学校の杉山秀幸監督とはどのようなご縁なのでしょうか。
野村 杉山さんがNPO法人富士スポーツクラブの立ち上げに動かれていた約10年前からの付き合いなのですが、その当時にFC Fujiで指導されていた青山剛氏に、富士市立高校サッカー部との取り組みと杉山さんをご紹介していただいたのがきっかけです。富士市立高校とFCFujiはお互い近くで活動していて6年間での根気強い成長が考えられておりすごく良いサッカーをされている。僕は何度も富士市立高校の試合を観に行っているのですが、選手が自分で考えながらあれだけ選手がプレーすること、考えることを楽しんでサッカーをしているのはすごく理想で見ていて本当に素晴らしいです。富士市立高校の杉山監督とFC Fujiの池谷哲志監督の連携は本当にすごいと思います。
ジュニアユースのクラブと高校の連携は杉山監督の富士市立高校とFC Fujiの関係性と同様のモデルになりますが、私たちFCVでは昨年から近くにある学校法人美濃加茂学園美濃加茂高等学校と提携しています。クラブのコーチがサッカー部の指導にも行っており、今年は選手10名が進学しました。美濃加茂高校には地元美濃加茂市出身で元Jリーガーであり、昨年度まで帝京大学可児中学で指導されていた松田英樹さんが指導されているので、学校の生活面や勉強面だけでなくサッカーでも理想の高校です。クラブとして勝敗にはもちろんこだわりますが、次のステージに彼がいてくれるので高校サッカーの花形である全国高等学校サッカー選手権大会を目指してジュニアユースではじっくり指導できるというのはありがたく、美濃加茂高校には感謝しています。
ーチーム設立に至った経緯をお聞かせください。
野村 僕は大学4年生からサラリーマン2年目までの3年間、岐阜県の高校サッカーフェスティバルにオランダサッカー協会から招ねかれていたコーチの通訳として関わっていました。その時のオランダ人コーチがフェイエノールトの南アフリカにあるアカデミーで指導をされていたのですが、南アフリカまで観に来ないかと誘ってくださいました。当時はサラリーマンとして働いていたので迷いましたが、一度きりの人生だからチャレンジしようと決心して脱サラし、南アフリカまで行きました。そこでフェイエノールトやオランダはどういう考えでサッカーを教えているのかを学び、可児に戻ってきてからはジュニアチームのお手伝いをさせてもらっていました。当時可児市にはジュニアユースのクラブが無かったので、2005年にFCVを設立しました。始動時には22人の選手が集まってくれたのですが、その内半数が母体となるジュニアチーム以外のチームから来てくれた選手でした。今思えば実績のなかった26歳の僕が声をかけてよく協力してくれたなと特に1期生の選手と保護者の方には感謝しています。
FCVのⅤはオランダ語で「Volharding:粘り強い」という意味で、フェイエノールトのコーチがこの名前をつけてくれました。その人も負けず嫌いで何事も粘り強くされる方で、ぴったりなチーム名をいただいたので選手にもサッカーでも勉強など生活面や人間関係でも粘り強さの大切さを伝えたいと思っています。
ー今はどのようなクラブの運営ですか
野村 現在はNPOとして運営していて、総合型地域スポーツクラブFCVとして活動しています。ジュニアユースの他に幼児から小学生までのサッカースクールと、年に数回スポーツイベントを実施しています。またサッカー以外にも卓球やバスケットボール、ヨガ、ダンス、体操などを行なっていて、サッカー会員の兄弟や姉妹にはサッカー以外のスポーツを体験してもらったり、ナイター練習の間に親御さんには隣の体育館でヨガや卓球をして楽しんでもらえるように取り組んでいます。
ジュニアユースは各学年25人ずつ、3学年で75人在籍し、練習は火水木土日の週5日で活動しています。毎月最終水曜日はゲームデーとして中学生も小学生もゲームをしていて、スクールの小学生に「あのお兄ちゃんみたいになりたい」というような憧れを持たせてあげたいなと思って取り組んでいます。
今は新型コロナウイルス感染症の影響で全国的に活動が自粛していますが(4月15日現在)、本来であれば4月の中旬は高円宮杯JFAサッカーリーグ岐阜がU-13、U-14,U-15それぞれのカテゴリーで第6節くらいまで終わって、パロマカップ日本クラブユースサッカー選手権(U-15)岐阜県大会が始まる時期です。また3月の終わりには毎年奈良県で行われる奈良中学生サッカーフェスティバルまほろばカップにも参加させていただき、全国から集まる強豪チームとのゲームを通してレベルアップを図るのですが今年はそれもできませんでした。自分たちだけではないですが、子どもたちのことを考えると苦しいです。
ー選手を指導するときに大事にしている理念などありますか。
野村 チームには1年担当の柴田優と2年担当の小林邦充の2人の専属コーチがいてそれぞれの学年を任せているのですが、この2人がうちのチームにとって一番大事な存在です。2人が1、2年生をじっくり育成してくれるので3年生になってクラブユースや高円宮杯をチームで勝ちにこだわることができます。3年生になって僕が引き継ぐ時にこの子は何ができるのかな、こういう武器があって1年でどう引き延ばしてあげられるかな、高校になったらこういう風にならないかな、といったことを考えながら育てています。他にも各学年にクラブOBの篠原稔希、澤野航太、河田直也がアシスタントコーチとして1人ずつとキーパーコーチで林功治、鳥羽祐介の2人という体制で指導しています。このコーチングスタッフ全員で特に大事にしているのは長所を生かすということ。その選手の持っている武器は1人1人違うと思いますが、その武器を磨いていきます。OBが高校選抜に選ばれた際、普段高校では見せないプレースタイルも高校選抜では光っていて、そのことを記者に聞かれた時に「実は中学校の頃にこういうこともやっていました」と答えていたというエピソードがあるのですが、長所を伸ばす指導が実を結んだところです。
また、サッカーのプレーだけでなく性格やキャラクターも生かすということを大切にしています。各学年に選手が25人いますが、試合に出るのは11人で控え選手は7人。残りの7人はベンチメンバー外になります。けれどその中にも性格の良い子がいて、キャラによっては盛り上げ役であったりいじられ役といった子がいるので、サッカーはサッカーで評価しますし人は人として大事なところを見ています。例えば遠征でも皆の弁当のゴミを片付けたり、グラウンドに来たら真っ先に周りの仲間に声をかけて率先してゴールを動かす、グラウンド整備をいつもしてくれているといったところなどは気にして見ていて、1人1人のプレーの武器と性格の武器を見ながら居場所をつくってあげています。もちろん練習中は厳しいことも言いますが、練習が終わったらサッカー以外のことでも楽しい会話ができるというのは大事にしたい部分です。サッカークラブだけどサッカーだけじゃない、レギュラーも控えもベンチに入れない選手も皆それぞれに居場所があるからチームがうまくいくんだよということを伝えているつもりです。
そういった指導の想いが伝わっているかはわかりませんが、OBがプレーをしに来てくれたり、イベント運営の手伝いに来てくれたりと、チームを卒業してもOBが多く戻ってきてくれることも良さでありクラブのパワーだと思っています。総合型地域スポーツクラブの活動としてサッカーのイベントをすると、可児市教育委員会も後援してくれて幼児から中学3年生まで100人以上が参加してくれるのですが、それを我々スタッフだけでは回せないので声をかけると多くのOBが手伝いに来てくれます。マンパワーとしてもありがたいですが、それ以上にこちらの人間性で繋がっていた部分が伝わってくれていたのかなととても嬉しい気持ちになります。
ーご自身のサッカーと指導の基盤は高校時代にあるのでしょうか。
野村 そうですね。僕と柴田コーチと林キーパーコーチが岐阜県立可児高校出身で同じ恩師に育ててもらっていて、サッカーだけでなく人としての大事なキャラクターや補完性といったところを大切にするように教えられました。サッカーには11のポジションがあるんだからこいつができないところをお前がやればいいし、こいつのやれることは別にお前がやらなくていいというような、それぞれの個性を出してもらってという感じで、この教えが僕たちの指導のベースになっています。チームを立ち上げたばかりの頃は、困った時には「恩師だったらどう考えるだろうか、どう決断するだろうか」といったことを柴田コーチと話したりしていました。器の大きな、人としても男としても格好良い先生だったので、僕も子どもたちには背中は格好良く見せないといけないなと思っています。
僕は大学に入ってすぐにサッカー部を辞めてしまったのですが、その後悔もあって子どもたちには大学までサッカー続けろよと言っています。やはり大学で4年間プレーした選手と高校で終えてしまった選手では経験値やサッカーの理解度が違いますし、まだ先に見てほしい世界があります。また、大学までプレーしたOBにも指導者になってまた岐阜県に戻ってきてほしいなと思うのです。
また、僕は良い意味で生意気な選手は大好きです。2019年度キャプテンの柏木康介(矢板中央高校1年)も僕にどんどん意見を言ってくる子だったのですが、僕が納得いくことを言って来れば認めますし、ちょっとそれは自分勝手じゃないかという時は僕からはっきり言います。でも今は大人に対して自分の意見をちゃんと言える子はなかなかいませんし、そういう子はこの先サッカーだけでなく生きていく上でも人の上に立ってリーダーとして物事を動かしていくんじゃないかなと思って大切にしています。サッカーの指導者としてはキャラクター重視で追い求めてばかりではいけないかもしれませんが、サッカーを通じて多くの人と出会ってたくさん人生経験をして、人としての振る舞い方や考え方を大成してくれることを期待しています。
FCV出身のプロ選手はまだいませんが、いずれは皆社会人になるのでその時に色々な立場や役割があると思うので、人に指示されてうまく力を発揮する人や上に立って人を束ねて進めていける昭和な感じのリーダーなど、どんなキャラクターでも大事に育てていきたいなと思っています。その後高校でどういう変化を遂げるか分かりませんが、大人に認められるのは子どもにとって気持ちがいいと思うので、FCVにいる間は自己肯定感や自己の存在価値を持たせて次のカテゴリーに繋げていってあげたいですね。
ー目指すサッカーはどういったものですか
野村 僕らは奈良県のディアブロッサ高田FCから影響受けた部分があってまずはボールを扱えることが基本と重視していて、その上で勝つためにプレーを選ぶということを大切にしています。ボールは大事にしたいですが試合状況やプレーの場所によってはドリブルやショートパスが間違った選択になることもあるので、相反する部分もあると思いますがボールを大事にしながらも勝つ為に攻めの選択をするということを選手には話しています。
最後の大会あたりになるとベンチからはあまり声を出してコーチングをしていません。1つ1つのプレーにあれこれ言う時期もありますが中3の最後にはやめます。自分がプレーしていた時を考えても、指導者に全部言われてその通りにやろうとするよりも自分たちでイメージを持ってプレーした方が楽しいし思い切ってプレーできたので、選手にも気持ちよくプレーしてもらいたいと思っています。自分で考えてプレーしてうまくいくかいかないかというのが楽しいし、それを人と一緒にやるからサッカーは楽しいスポーツだと思うのでそこを奪いたくありません。そこに至るまでには色々奪っているものもあるとは思いますけど、最後は「お前がそうやって選んだならそれでいいよ」と言っています。自分に跳ね返ってくるのが一番身に沁みるので、それも含めてのスポーツの醍醐味だと思います。
その上でチームの目標としては高円宮杯JFA全日本U-15サッカー選手権大会出場です。去年は全国大会出場を賭けた試合でPK戦の末敗れてしまったので、今年こそは全国大会出場を果たすという目標を掲げてスタートしました。また毎年東海大会に出場して勝ちたいですし、その先の全国大会がどんな風景か見てみたいですね。上のリーグにいけばサッカーのレベルが上がるので、そのレベルの高さ、1プレーの重さを選手達に実感してもらいたい。そのためにも岐阜県リーグで1位になって高円宮杯JFAU-15サッカーリーグ東海参入プレーオフ(東海各県1位4チームの内、上位2チームが昇格)に勝って東海リーグに昇格し、今度はそこで残留できるように、高いハードルですが超えていきたいと思っています。もちろん勝つことだけが全てではなく、Aチームの試合に出ていない選手も含めたチーム全員が育つチームでありたいので、その葛藤もあります。
先の目標としては、卒業生が美濃加茂高校で活躍してくれればいいなと思っていて、美濃加茂高校が岐阜県代表として高校選手権に出場して、それをスタンドから全力で応援したいというのが3年後くらいの目標です。その為には中学校の間に高いレベルで勝負の経験をさせたいですし、時にはその機会を犠牲にしてでも中学年代でやらないといけないところも外さない。先々の目標に向かって1日1日コツコツやっていることがその先へ繋がっていけばと思っています。
これまでの指導を振り返っても、毎年「もっとこうしておけばよかったな」という思いはあります。2019年度が全国大会まであと一歩というこれまでで最も好成績を残しましたが、やはりもっとこうしておけばよかったなと思いますし、毎年今年はやったぞという思いは一切なく、僕の中では失敗したなという思いが強くあります。これはどこまでいってもそうだと思いますが、反対にそれが無くなったら指導者として止まってしまうように思います。それでもクラブを巣立った選手が高校で活躍して選手権に出場したり高校選抜に入ったりという姿を見ると嬉しく思います。高校や大学でも皆良い顔してやっている姿を見ると本当に嬉しいです。
ー今後の展望はどの様にお考えですか。
野村 将来的には可児市の坂戸地域にはFCVがあって、そこに行けばスポーツができるよねと市民にも行政にも認知されて多くの人が集まる、皆さんに必要とされる存在になっていきたいです。そのためにはサッカーももちろんですが、スポーツを通じて子どもから高齢者まで皆で一緒になれるようなイベントや運営を行ない、可児市の住み心地の良さをPRするなど、町おこしや地域の発展に貢献していきたいと思っています。
ー次の方をご紹介いただけますか。
野村 富士市立高校の杉山先生とも知り合うきっかけとなった、北海道コンサドーレ札幌アカデミーサブダイレクターの青山剛さんです。大変多くを学ばせていただき今もお世話になっていますが、僕が青山さんに受けた影響は計り知れない、本当に凄い指導者です。この方には日本のサッカーや今後色んなものを動かしていって欲しいなと心から思う大きな存在ですので、ぜひお話を聞いてみてください。
<プロフィール>
野村次郎(のむら・じろう)
1978年12月3日生まれ。
岐阜県可児市出身。
小学3年生までテニス、小学6年生まで野球チームに所属し、中学校からサッカーに転向し完全にのめり込む。県立可児高校を経て名古屋学院大学に進学後オランダ人コーチの通訳をきっかけにオランダサッカーに触れ、2005年にFCVを設立、総合型地域スポーツクラブの代表を務める。15年のジュニアユース育成で多くの選手を輩出し、高校サッカー選手権で主力として活躍する卒業生も多数。2019年には惜しくも全国大会出場を逃すも、その育成手腕には多くの指導者から熱視線を集めており、選手や保護者からの信頼も厚い。
text by Satoshi Yamamura