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Vol.24 山梨学院大サッカー部 監督/岩渕弘幹

  • 2020.09.03

    Vol.24 山梨学院大サッカー部 監督/岩渕弘幹

指導者リレーコラム

前身である富士通サッカー部を含めて長く川崎フロンターレに在籍して様々な経験を積みながらたどり着いた大学サッカー指導者という場所。専修大の関東大学1部リーグと全日本選手権の2冠、それから関東大学1部リーグ4連覇達成をコーチとしてサポートしながら、大学スポーツの意義、そこでの指導者の立ち位置、指導哲学の考察を続けた。そして2019年、山梨学院大サッカー部の監督に就任。新たなチャレンジをスタートさせた岩渕弘幹さんに、大学サッカーのこと、そこでの指導について、さまざまな角度からお話しをしていただきました。

ー高畠勉さんからのご紹介で今回ご登場していただいたわけですが、高畠さんのご関係について。

岩渕 富士通サッカー部でプレーしている時のチームメイトで、現役を引退するのも同じタイミングで、そのまま一緒にサッカー部のスタッフになったんです。ですから、私の方が2歳上ではあるのですが、良い相棒として長い時間を過ごしてきた仲間です。やりたいサッカーや、選手の育成方法を含めて、彼とはサッカー観も合う。ただ、合わないところが一つだけあるんです。それは高校生、大学生を指導しているときに、最上級生を試合で起用するかどうかという点です。高畠は優しいから最上級生を起用する。下級生は来年以降があるから最上級生を使う、という考え方ですね。僕は力が一緒であれば、チームと選手の将来を考えて若い選手を起用すべきだ、と。そこだけは違うんですよね。
 
ー岩渕さんが指導者の道に入られたきっかけは?

岩渕 現役を退いた翌年の96年、富士通サッカー部が「富士通川崎フットボールクラブ」に改称されて、そのチームに新監督になった城福浩さん(現・サンフレッチェ広島監督)が、僕と高畠をコーチとしてサポートしてくれないかと誘っていただいたんです。

ー川崎フロンターレにチーム名が変わってからトップチームのコーチのほかに、育成年代の指導や普及部の統括をされていたようですね。

岩渕 そうですね、2004年から育成普及部に所属して複数あるスクールの統括を任されていました。それと同時に、専修大サッカー部のコーチもするようになりました。いまの専修大学の源平貴平・総監督は富士通サッカー部時代からの後輩で、その源平が専修大のコーチだった時に、僕が育成から普及担当に代わったことを知って「専修大の練習は朝だけ。朝なら時間もあるでしょうからコーチとして見てくれませんか」という話を持ってきてくれて、源平自身がフロンターレと交渉して認められたんですよね。

ー15年間携わった専修大コーチから山梨学院大サッカー部監督に就任した経緯は?

岩渕 富士通時代に同期で入った上畑政博さんという非常に面倒見の良い方が、「富士通サッカー部出身のジョウちゃん(城福浩監督)、タケちゃん(大木武=現・ロアッソ熊本監督)が監督として頑張っている。そろそろお前の番だ」と言いながら、山梨学院サッカー部の総監督である横森巧先生が山梨学院大学サッカー部の監督を探しているという話を持ってきて下さったんです。最初は丁重にお断りしていたのですが、1度でいいから会って話を聞いてくれと。それで、横森先生に新宿でお会いして話を聞いてたら「この話は面白いかも」と思ったんです。

ーなぜ面白い、と思えたのでしょうか?

岩渕 実は横森先生にお会いさせていただく数カ月前の、2108年の正月に自分の将来を考えていたんです。そういうことはあまり考えないタイプなんですけど、その時に、流通経済大の中野雄二監督や東京国際大の前田秀樹監督のように、何もないところから自分の色でチームを育てて関東大学リーグを戦うところまで持っていったところや、両チームとも大所帯なのですが、そこをまとめ上げていくという仕事が自分もできたらいいな、と。そうした時に横森先生にお会いすることになって、大学チームの監督はやはり面白いかもと、思ったんですよね。一旦、話を持ち帰ったんでが、女房が「あなた、Jクラブから誘いがあったときはすぐにお断りしていたのに、今回はまんざらでもなさそうね」と言って、山梨の賃貸物件の情報を調べ始めたんです(笑)。それで19年の1月から山梨学院大でお世話になることになりました。

ー山梨学院大での指導のスタートはどんな感じでしたか?

岩渕 練習開始時刻まで選手がグラウンドに立たない、ウォーミングアップスーツを着たままベンチに座っている、練習終了後は10分以内にグラウンドから引き揚げる。まるで体育の授業に参加しているようでした。練習を“やらされている感”に、専修大との大きなギャップを感じました。

ーそのギャップに対して、どういう行動をとっていくのですか?

岩渕 確か、流通経済大の中野監督だったと思いますが、「ウチも部の強化に着手した当初は選手たちが変化を望んでいなかった。『なんで変える必要があるのか。いまのままで良いじゃないか』というムードが選手から感じられた」という話を聞いていたので、「ああ、こういうことか」と思いましたし、山梨に来る前にたくさんの知り合いから「3年は我慢しろ。その間に自分で選手を探して、一からチームをつくっていけばいい」と言われていたのですが、『そうもいかないでしょ』と。自分には時間がないと考え、3年も我慢できないなと思って、すぐにサッカーに取り組む姿勢、外見の問題から変えることから始めました。

ー選手の反応はどうでしたか?

岩渕 最初は、今まで許されてきたことをなぜ急にダメになるのかと感じる選手と衝突もしました。練習もかなりハードになりましたしね。

ーどういうふうに説得したのでしょうか。

岩渕 正面きって話をしただけです。大人として扱われてきたかもしれないけど、学生アスリートとして扱われていなかったと思う。それから、もっとサッカーに真剣に取り組んだらどうか、と。

ー選手たちに変化は表れましたか?

岩渕 日増しに、そういう環境でサッカーに取り組むべきだと考える選手が増えていったんですよね。ですから、選手たちが自分たちで動くようになりました。今でもそうですが、選手会長や副会長がみだしなみを厳しく言う、あるいは練習取り組む姿勢に関して、選手同士で高い意識を求めるようになりました。

ー自主的に、というところが大事なんでしょうね。

岩渕 大学の大会のほとんどは「大学連盟」が主体となって運営するもので、そもそも大学スポーツというものは学生自身が決め、動くべき場所だと思うので、そこの基本地点にようやく立った、ということに過ぎないんですけどね。

ー自主性が出てくると、サッカーにおいてどんな変化が出てきますか?

岩渕 勝ちたい、うまくなりたい、そういう意欲が強くなるように思えます。それから「卒業後にJリーガーになりたい」という希望を口にする選手も出てくるようになる。そういうふうに目標を明確にし、それを公言すると、責任と自覚が生まれるんでしょうね、日々の練習にも真剣に取り組むようになるんです。

ーいま、山梨学院大は東京都大学1部リーグを戦っています。

岩渕 山梨県のチームが少ないので、東京都のリーグに組み込まれている形です。そこで優勝したら、神奈川県や千葉県のリーグを制したチームと関東大学2部リーグへの参入戦を戦うことになり、そこで勝てば翌年度から関東大学2部リーグに参戦できるというわけです。この2年間は、その参入戦の最後のゲームで、1点差で負けています。

ーでは現在の目標は関東大学2部リーグへの昇格ですね。今年はどういうテーマでチームづくりを進めているのでしょうか?

岩渕 攻めて勝つ。そして、プレーしている選手が楽しい、それを見ている人も楽しいサッカーを展開したいと思っています。そこは指導者になった時から変わりません。そういうサッカーをするには、しっかりとした攻撃が不可欠。例えば今のJリーグの中で「フロンターレやマリノスのゲームが面白い」という人が結構、多いと思うんですよね。攻撃でワクワクさせる、そういう試合をしていきたい。

ー攻撃的なチームをつくるのは、なかなか難しいとお聞きしますが。

岩渕 僕が専修大でコーチをしているときに、関東大学1部リーグと2部リーグを2往復させています。そして、3度目の昇格をさせた時にフロンターレの元GMからも「3年間は何としてでも1部リーグにしがみつけ」と言われ、その言葉はいまも覚えているのですが、いまのJリーグを見ていても、上のカテゴリーに上がってもすぐに降格するチームが多いですよね。「何とか3年しがみつけば、チーム力も安定して上の順位を目指せるようになる。そのためには守備をもっと頑張らせろ」というのが、その方のアドバイスでした。その時に高畠と話しました。守備的なチームをつくって0-0の時間を長くして後半に1点を取って守り切る、ということは、もちろん必要な時もあるでしょうが、そのゲームプランだと最初に失点した時点でゲームが崩れるじゃないか、と。そうなって後悔するのなら最初から攻撃的に行くべき、それが難しいとしても自分がやりたいサッカーを貫くべきだと、高畠と意見が一致しました。

ーとはいうものの、守備も大事。

岩渕 もちろんです。でも、構えてゴールを守るというより、自分たちからボールをどんどん奪いに行くのも、守備なんですよね。僕は後者を選択したいと思っています。

ー専修大では2度の降格の後に3度目の昇格1年目で2冠、それから関東大学1部リーグの4連覇を達成しています。

岩渕 どうしたら1部にしがみつけるかというところを考えました。目標は『3年間残留』(笑)。それで見つけ出した答えが3トップです。当時は4-4-2のシステムを敷くチームが多かったのですが、攻撃時に両ウイングを、タッチラインを踏むくらいの位置に張らせる。そうすることで、中盤の配球役の選手には少なくとも二つのパスコースができるわけです。そのウイングがボールを持てれば後方の味方がポジションを上げる時間もつくれるはず。しかも相手の中盤の真ん中は2ボランチ、対して4-3-3で選手を配置する専修大の中盤の中央はトップ下1人と、ボランチ2人の計3人がいるので、ボールの回収率も上回れるはず。「これだ!」と思って実際にやるとうまく行ったんですよね。

ー今もそういう考え方ですか?

岩渕 今の4バックは相手がウイングを置いてきた時のポジショニングを考えるようになっているので、同じようには行きませんね。

ーいま、山梨学院大を指導する中で専修大での経験を話すことがありますか?

岩渕 たまにですけど。選手から聞いてきたから答えます。例えば、専修大時代の仲川輝人(横浜F・マリノス)、長澤和輝(浦和レッズ)、下田北斗(川崎フロンターレ)はどうだったんですかと、聞かれたらもちろん答えます。なぜ優勝できたんですか、という質問はさっき選手に聞かれましたけどね。

ーどう答えたんですか?

岩渕 素晴らしいマネジャーと素晴らしい選手に恵まれたと答えました。2011年のシーズンは前期終了時点では6位か7位。そこから終わってみれば優勝という珍しいケースでした。12チーム中の中位でも上出来だと思っていたのですが、少しでも上位にいくためにはボールを失ってから回収するまでの時間を短くすることが必要だと考えていました。でも夏場で気温37度くらいの中でトレーニングマッチをした時に、暑さも考慮して守備の時に少し構えた守備をしようと選手に話したんです。でも、それがうまくいかなくて、選手たちが「ブチさん、引いて守ろうとしたってオレたちにはできない。勝ちたいから、オレら暑くても前から行くよ」って。それを言った来たのが当時のキャプテンだった庄司悦大(京都サンガ)や、庄司の1年後輩で、いまホンダ(Honda FC)でキャプテンを務めている鈴木雄也あたり。選手自身の勝ちたい、強いチームになりたいという意欲に僕が逆に背中を押されたんです。ある時なんか女子マネジャーに「練習が軽すぎます。去年まではもっと厳しい練習していたじゃやないですかっ!」って、4連覇を成し遂げるシーズン、勝てなかった時期に怒られたこともあります。

ーいろいろと話を聞いていると、選手の自主性、能動的な姿勢を促すことを大事にしているように思えます。

岩渕 先日、過去に指導した選手と話した時に「当時はポジショニングについて細かく言われた記憶があります。特に2枚のボランチの立ち位置についてはうるさかった」と言われました。自主性を促そうと思っても、指導者が全体像をうまく伝えることができなかったら選手はプレーできないと思っています。例えば、パスをつなごうと思ったら、つなぐために不可欠な何かがあるだろうし、それを考えた時にポジショニングって選手がプレーする上での拠り所になるんじゃないか、と当時の私は考えたんだと思います。

ー大まかな約束事、やるべき役割、やらなくてはいけない仕事をある程度提示しないと選手も自主性を発揮しにくい、ということでしょうか?

岩渕 指導者からの「自由にプレーしていいよ」という言葉は、実は選手にとってとても難しいお題だと思うんですよね。自由にプレーしていいよ、の後に続くのはきっと「でも、結果は出してくれよ、活躍してくれよ」という言葉でしょ? すべてを選手任せにするというのが果たして指導と言えるのか、ということを考えると、やはり、自主的に行動する、考える、判断するためには、ある程度のベースを指導者が明確にして提示しておく必要があると思います。そこには最初に話した、身なりを含めた最低限の規律も含まれます。もちろん、一から十までを監督やコーチに指示されてやるサッカーがなんとつまらないものか、それも分かった上での、基本ベースの提示であるべきです。自分で判断して、実行して、それが成功につながる、それが選手にとって何よりの喜びであることを僕は常に忘れないようにしているつもりです。

ーそれでは、次の指導者の方をご紹介していただけますか?

岩渕 同じ大学サッカーを指導されている明治大の栗田大輔監督に、ぜひお話を聞いてみてください。去年すべての大学タイトルを取られていますし、きっといろいろな苦労をされていると思いますので、面白い話をしてくださると思いますよ。

<プロフィール>
岩渕 弘幹(いわぶち・ひろもと)
1966年7月3日生まれ。
岩手県出身。岩手県立遠野高等学校から富士通サッカー部に入団。1995年に引退し、翌年より富士通サッカー部のコーチに就任。以降、川崎フロンターレのコーチ、ユース監督などを務めた。その後、川崎フロンターレ育成普及担当・スクールグループ長・兼普及活動グループ長を務めながら2004年から専修大学サッカー部コーチとして指導にあたる。専修大では関東大学1部リーグ4連覇などの高い実績を残し、2019年1月より山梨学院大学サッカー部監督に就任した。

text by Toru Shimada

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