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Vol.19 ポジショニングの重要性

  • 2021.02.25

    Vol.19 ポジショニングの重要性

BRAIN〜ズミの思考〜

チームが始動してちょうど1ヶ月が過ぎた。練習試合も5試合消化し、開幕に向けた準備は順調に進んでいる。
監督として迎える2年目だが、チームとして目指すサッカーは去年と変わらない。それは『ボールを支配すること』『スペースを支配すること』『ゲームを支配すること』。それらを実現するために最も重要なのが良いポジショニングで、それによってゲームを支配することができれば、勝つ確率も上がると僕は考えている。

サッカーにおいてポジショニングが重要だと考えるようになったのは最近ではない。コラムのVol.5でも書いた通り、遡ること14年前。プロ1年目に一緒に仕事をしたオランダ人のセフ・フェルフォーセン監督に「動きすぎることは間違っている。大切なのは良いポジショニングを取ることだ」と教えられたのがきっかけだ。
当時、右ウイングバックを任されることになった僕が、最初に言われたのは「まずは、タッチラインいっぱいまで開くこと。そして相手の左サイドハーフと左サイドバックのちょうど真ん中に立ちなさい」ということだった。それも1~2メートル単位で細かく、だ。理由も伝えられた。
「そのポジションを取っていれば、ボールを受けた時に、相手の左MFと左SBはどちらがプレッシャーにいけばいいのか迷いが生じる」
僕のサッカー人生では、初めて耳にするサッカー観だっただけにすごく新鮮で、頭にスッと入ってきたし、すぐに理解し、納得してプレーしたのを今でも覚えている。
ストイコビッチ監督時代にも、コーチのボスコ・ジュロブスキー氏には「自分たちがボールを持ったらまずSBとサイドMFはタッチラインを踏め」とまで言われていた。これも、しっかり幅を取れという意味だ。数メートルでも内側に立っていようものなら怒鳴りつけられるほど、ポジショニングは細かく指摘された。そうしてプロになって最初の7年間を、欧州出身の監督と仕事をしたことが、今の自分のサッカー観にも大きな影響を与えることになった。

また、近年では2018年の横浜F・マリノスの戦術に衝撃を受けた。今までのSBの常識を覆すポジショニングだったからだ。なぜSBがアウトサイドではなくインサイドに存在するのか。そのサッカーを経験した選手に聞いたこともなければ、アンジェ・ポステコグルー監督に直接尋ねたこともない。ただ、外からあのサッカーを観て、自分なりに理由を考えた時に、率直にとても理に叶っている面白い戦術だと感じた。
それがきっかけとなり、それまであまり観ることのなかった、ジョゼップ・グラウディオラ監督が率いるマンチェスター・シティのサッカーに興味を持つようになり、同じスタイルで相手を圧倒し、ゲームを支配するサッカーに魅せられるようになった。「もし自分が監督になったらこんなサッカーがしたい」と描き始めたのもこの時期で、実際に監督となった今もポジショニングの重要性は選手に伝え続けている。単にそこにポジションを取りなさいと言うだけでなく、そのポジションを取ることでどんな効果があるのか、ボールを支配したい自分たちになぜ優位に働くのかを説明しながら、だ。
さらに大事なのは、プレーする選手に試合中、相手を見て、それに応じた正しいポジションを取り続けられるように、普段の練習から身につけさせること。試合に向けた準備段階では当然、相手を分析し、それに対する良いポジショニングを説きながらチームづくりを進めるが、試合となれば相手が予想していた通りに戦ってくるとも限らない。試合中やハーフタイムに戦術を変えてくることもある。そうなった時に監督が外から細かくポジショニングを修正するには限界があるだけに、日々の練習から、選手自ら理解を深め、習得できるような練習内容を工夫していかなければいけないと感じている。

と言っても、監督としての僕自身の引き出しはまだまだ少ない。であればこそ、選手の成長を追い求めるだけではなく、僕自身もいろんなサッカーを観たり、いろんな指導者との会話や書籍からヒントを得るなどして、自分の引き出しを増やす作業も続けていかなければいけないと自覚している。その両方がなければチームとしての結果も、進化も求められないはずだから。

  • 小川 佳純Yoshizumi Ogawa
  • Yoshizumi Ogawa

    1984年8月25日生まれ。
    東京都出身。
    07年に明治大学より名古屋グランパスに加入。
    08年に新監督に就任したドラガン・ストイコビッチにより中盤の右サイドのレギュラーに抜擢され、11得点11アシストを記録。Jリーグベストイレブンと新人王を獲得した。09年には、かつてストイコビッチも背負った背番号『10』を背負い、2010年のリーグ優勝に貢献。17年にはサガン鳥栖に、同年夏にアルビレックス新潟に移籍し、J1通算300試合出場を達成した。
    20年1月に現役引退とFC TIAMO枚方の監督就任を発表し、指導者としてのキャリアをスタートさせた。

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