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Vol.11 尾張フットボールクラブレディース・ガールズ監督/山﨑由加

  • 2021.04.08

    Vol.11 尾張フットボールクラブレディース・ガールズ監督/山﨑由加

PASSION 彼女たちのフィールド

愛知県の北西部に位置し尾張地方に含まれる大口町をホームタウンとする尾張フットボールクラブは、地域に根ざした活動で町の活性化に一役買っている総合型地域スポーツクラブが母体となるサッカークラブである。人口約2万4千人の町で300名近いスクール生を抱える町の看板クラブで女子チームの監督を務める山﨑由加氏は、日本代表でのプレー経験や強豪チームでの指導経験を経て尾張FCで女子サッカーの普及と育成に力を入れている。
今回は、町の元気と健康を支えるクラブで活躍する山﨑氏にお話を伺った。

ー山﨑さんのこれまでの経歴を教えていただけますか?

山﨑 私はサッカーを始める前は野球がしたいと思っていて、小学生になる前から父親と軟式野球のボールでキャッチボールをする野球少女でした。チームに入ったらピッチャーやキャッチャーなどボールをたくさん触るポジションをしたいと思っていたのですが当時は女子が入れる野球チームがなく、近所のお兄ちゃん達が所属していたサッカーチームに入って一緒にやろうということで小学1年生の時にサッカーを始めました。そこから小学6年生まで男子と一緒にサッカーをしていたのですが、別のチームの年上の女子選手が現在の日テレ・東京ヴェルディベレーザの下部組織であるメニーナでプレーしているということを教えていただいて、6年生の時に練習生としてメニーナに通い始めました。その後にセレクションを受けて中学1年生からメニーナに入団し、中学3年生の時にベレーザに上がらせていただきました。その後大学を卒業と同時に岡山湯郷Belleに移籍して数年間プレーした後に指導者になりました。
元々引退後は指導者になりたいと思っていたのですが、現役時代にケガに悩まされることが多かったので指導者への思いも強くなっていきました。現役最後のシーズンの時に岡山県の作陽高校が女子サッカー部を立ち上げるということで、1年間現役としてプレーを続けながら作陽高校女子サッカー部のアシスタントコーチをさせていただいたのが指導者としてのスタートです。1年後に現役を引退して指導者に専念できるようになったタイミングで同部の監督に就任させていただきました。その後、奈良県の奈良育英高校に移って1年間指導をしてから三重県の伊賀FCくノ一三重のサテライトチームで数年指導しました。それから現在の尾張FCで指導をしていて、今年で6年目になります。現在指導するチームは中学生が多いのですが高校生もいるチームで普及と育成をメインとしています。登録としては一般登録をしているので社会人チームとも試合をしているのですが、極稀にゴールキーパーがいない時には私がゴールキーパーとして試合に出ることもあります。
現在私が指導しているのは女子のU-15年代がメインですが、同時にアシスタントとして男子のU-12チームにも携わっています。

ーゴールキーパーで試合に出られるというのはすごいですね。

山﨑 ゴールキーパーはやはり人数が少ないので仕方ない部分ではあります。私自身は選手を始めた頃はフォワードだったのですが、バブル絶頂期にはフォワードに外国人選手が多かったのと、チームの状況からディフェンダーに転向しました。試合に出られるならどこでもいいと思っていたのですが、この転向がきっかけで女子日本代表にも呼んでいただきました。

ー1日のスケジュールについてお聞かせください。

山﨑 クラブの拠点は愛知県の北西部で岐阜県にも近い位置にある大口町というところです。尾張FCの母体である特定非営利活動法人ウィル大口スポーツクラブは大口町の総合型地域スポーツクラブとして運営していて、スポーツ施設の施設管理をしています。ホームグラウンドがある施設は指定管理で運営しているところで、平日の午前から夕方まではグラウンドやテニスコートなどの貸し出しなど施設の業務をして夕方から練習というスケジュールです。
私は火曜日と木曜日はアシスタントとして男子のU-12や未就学児年代の指導をしていて、水曜日と金曜日に女子の練習をしています。女子チームは年代別に小学生のガールズと中学生以上のレディースという2つのカテゴリーに分かれていて、週末は練習や試合というスケジュールが基本的な内容です。練習はガールズが先に90分行なって、その後にレディースが90分練習する形をとっているので、基本的に朝から晩までクラブが管理する施設内にいることが多いです。

ー愛知県のチームに移籍された経緯をお聞かせください。

山﨑 伊賀のチームを退団するときに関係者の皆さんにご挨拶の連絡をしていたのですが、その際に今の事務局長からチームに誘っていただきました。事務局長とはB級ライセンスを取得する時からのご縁だったのですが、総合型スポーツクラブというところに魅力を感じてお世話になることを決めました。総合型スポーツクラブの良いところは、町のスポーツ施設を指定管理を受けて運営していることで地域に根ざした活動ができる面であったり、サッカーだけでなく水泳やバレーボールなどいろいろな競技の指導者の方と話や相談ができるところです。サッカーとは違った着眼点で選手へのアプローチができるので学びが多いと感じています。例えば水泳は個人競技という点がサッカーとは大きな違いかなと話をしています。その中で十人十色と言うように様々な指導者がいると選手へのアプローチも多種多様になるので、そうした様々なアプローチというところで選手への言葉のかけ方や指導方法といったものは非常に勉強になっています。
またスポーツに限らずいろいろなイベントをしているので、そういった企画をしたり自分が思っていることをやらせてもらったりと、いろいろなものにチャレンジできるのが大きな魅力だと感じています。
また、クラブではジュニアもジュニアユースも女子もサッカー選手としてはもちろん人としての成長というところに重きを置いているということで共感して、私も指導者として携わらせていただくことになりました。クラブは総合型地域スポーツクラブとして活動する前から事務局長が立ち上げていたので歴史もあり地域に根ざした活動をしています。当時の教え子数名が現在はジュニアユースの監督やアシスタントコーチとしてクラブに携わってくれています。2020年にはクラブとして初めて男子のジュニアユースチームが東海大会に出場しました。現在は各学年に30名近くのメンバーがいて、そういった中でやり続けているクラブです。それに女子も男子に負けじとがんばっていて、メンバーも増えてきてガールズで15名、レディースは19名がスクール生として所属しています。ガールズの子達もそのまま中学校でもやりたいといって残ってくれているので、今後もそういった場所として続けていけるようにしていきたいなと思っています。

ー施設はどういった方が利用されていますか?

山﨑 午前中はテニスの利用が特に多いのですが、主婦の方や長期休暇期間中の大学生などが利用されています。主婦の方のパワフルさには毎日驚かされていて、新型コロナウイルス感染症の影響で休館していた時期もあったのですが、再開後すぐに皆さん利用予約をしてくださったりして週末や祝日は予約枠が全て埋まってしまうほどです。本当に皆さん活動的な方々なので、そういった利用者の方からも元気をいただきながら毎日楽しく過ごしています。大口町は子育てのしやすい町と言われていてママも安心して子育てできるので町に子どもが多く、クラブにもサッカーだけで男女合わせて300名ほどの会員がいます。もちろん周辺の市や町からも利用に来られる方もいらっしゃいますが、とてものどかで過ごしやすい町だと思います。
選手の中には日によって違う競技をしに来ている子どもも何人もいます。水泳を続けながらサッカーもしていたりダンスも一緒にしていたりする子もいて、今日はサッカーで明日は水泳と毎日のようにクラブに来ている子もいます。

ー指導をする上で大切にしていることはありますか?

山﨑 これまで作陽高校や伊賀FCくノ一三重など、レベルの高い選手が集まるチームで指導者をさせていただき全国大会にも出場するなど貴重な経験をさせていただきました。そうした経験を経た上で、現在は育成や普及に重点を置いているところがあります。尾張FCでは小学校6年生からサッカーを始めたような子たちがそのまま中学校でも続けてくれているようなレベルのチームなのですが、選手は皆サッカーが好きで上手くなりたくてがんばっています。U-15のチームは愛知県の2部リーグにいるので勝ち負けも大切ですが、人としての成長というところを大切にしています。
指導者を始めたばかりの頃は根性論や勝利至上主義と言われるような、厳しく教えてチームの勝利や選手のレベルアップを目指すということに気持ちが強くありました。
それが尾張FCに来てからは、子どもたちがサッカーをやりたいけれど、始めるきっかけが無かったり遅かったりするということを知りました。「私もサッカーをやっていいんですか?」と子どもに聞かれた時に、サッカーを気軽に始められる環境や続けられるチーム作りは大切だなと思いました。もちろん強豪チームに行く子は応援も後押しもします。ただ、今の女子サッカー界もWEリーグも立ち上がっていますし、トップで活躍する選手やスタッフもたくさんいる中で、女子サッカーの根本の部分である入り口を閉ざしてはいけないなということで、より育成や普及への思いが強くなりました。
こうしたことはサッカーに限らず、バレーボールや水泳などいろいろな種目でも同様に始めるきっかけやプレーする機会が持てていないということがあると思います。そうした競技の1つとして、私も育ててもらった女子サッカーへの恩返しという意味でもサッカーを楽しんだり続ける子が増えて、将来的には生涯スポーツとして捉えられるサッカーのチームを作りたい、そういう場所にしていきたいという気持ちが強いです。
ただ指導者を始めた頃からぶれずに選手に教えてきたのは、人として挨拶や最低限の礼儀、マナーを大切にするということで、現在も子どもたちに伝えています。こうしたことを大切にしているのも、指導者のスタートとして高校の部活動に携わり学校の教員もしてきたということもあります。ただ、私自身は部活動ではなくクラブチームで育ってきた人間ですが、チームの先輩方を見て育ってきて、挨拶を含め自分が教えてもらってきた大切だと思っていることをそのまま選手に伝えているだけなので、大切にすべき部分は部活動でもクラブチームでも変わらないと思います。日本の女子サッカー界を牽引されている本田美登里さんや高倉麻子さんを目標とする指導者として思っているのですが、選手時代にはそうした方々と一緒にプレーをしながらサッカーの指導だけでなく人として大切なところも指導してきてもらったと思っていて、次の世代に伝えていくのが今の私の役割だと考えています。

ー女子サッカーでの繋がりが大きな財産になっているのですね。

山﨑 私がずっとサッカーをやり続けてこられたというのも、一緒にサッカーをしてきた仲間がいたからですし、引退した後でも先輩後輩や敵味方関係なく、ずっと繋がっているファミリーの様な感じがしています。どこかで先輩と会っても気さくに声をかけてくださいますし、逆に自分たちが後輩に対しても「久しぶり」という感じで話ができる関係というのはとても大切にしています。こうした人との繋がりは所属クラブの枠を超えて繋がっていて、この取材のきっかけとなったMIOびわこ滋賀レディースの大谷未央さんとは日本代表で一緒だったという縁で、同じクラブでプレーをしたことはありません。ただ代表の同期で遠征でも同部屋になった仲で一緒にいろいろな話をしました。他のチームでも皆仲が良くて連絡もとっています。大谷さんや以前コラムに掲載された小林弥生さんにもクラブのイベントに来てもらったりしました。そうして繋がりを持っているので、なんとなくファミリーという感覚を持っています。

ー将来の展望についてお聞かせください。

山﨑 私がこのチームに携わってから、自分の中で3年5年10年と長期で考えたりはしていますが、その中でまずは選手を増やすこと。そこから補欠ゼロと言いますか、それぞれのレベルにあった場所で試合に必ず出られる機会を提供できるようにすると考えています。それに加えて5年後10年後には、オーバー30やオーバー40というカテゴリーが全国にあるので、サッカーをしていたママさん世代の人たちもサッカーができたり、今の子どもたちが将来に渡ってずっとサッカーをできる環境を作っていきたいという漠然とした思いはあります。
実はママさんサッカーのイベントを企画していて、第一回は昨年に実施しています。クラブの保護者にイベントのチラシを配っていて、参加したメンバーで和気藹々とサッカーをするイベントです。サッカー未経験の保護者もいますが、経験の有無は関係なく皆で楽しく子どもたちが普段しているサッカーに触れてもらえる機会として行なっています。近年サッカー人口は増えてきましたが、30代40代のお母さん方の中に実はサッカーをしていましたという方もいらっしゃるので、ママさんバレーの様にママさんサッカーもあっても良いと思いこうした企画を始めました。
第一回は新型コロナウイルス感染症による1度目の緊急事態宣言が解除されてから開催したので定員を20名程度にしていたのですが、あっという間に定員が埋まってしまいました。定員を増やしても満員御礼になるほど大盛況の中開催して、参加してくださった方々が笑顔でプレーされているような活動ができましたし、楽しかったという意見をたくさんいただきました。また次もやりたいという声もいただいて2回目の開催を3月に実施しました。こういうイベントをすることで、チームの子どもたちがこれからもサッカーを続けていいんだとか、私も将来参加したいと思ってもらえたり、大学生になってプレーヤーを続けながらチームで未就学児や小学生に教えてサッカーに関われる環境も作っていけたら良いなと思っています。親子でキャッチボールや親子でパスをするというのも、父と息子というのはよくあると思いますが、母と娘がパスをするというのはすごく素敵だと思うのでそうした光景が当たり前にしていきたいですね。
また指導者としては理想の監督像という訳ではありませんが、ずっと思っているのはお手本になれる大人であるということは意識しています。というのも指導者という前にこういう大人になりたいという目標やお手本になれるような人間性を持った指導者になりたいと思っています。それが将来的には女性指導者の普及にも繋がると思っていて、女性の指導者がなかなか増えてこない中で、指導者ってこんなに楽しいんだよという魅力を発信できる指導者でありたいなと思っています。

ーありがとうございました。

<プロフィール>
山﨑 由加(やまさき・ゆか)
1980年東京都出身。
小学1年生からサッカーを始め、小学6年生の時に現在の日テレ・東京ヴェルディメニーナメニーナの練習生となり、セレクションを経て中学生から入団。中学3年生でベレーザに昇格し、19歳の時に女子日本代表に選出される。その後移籍した岡山湯郷Belleで現役を引退し指導者となり、作陽高校や伊賀FCくノ一三重などの強豪チームでの指導を経て尾張FCレディース、ガールズの監督に就任。女子サッカーの普及や選手育成に尽力している。

text by Satoshi Yamamura

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