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Vol.35 ファジアーノ岡山U-15コーチ/大西容平

  • 2021.04.29

    Vol.35 ファジアーノ岡山U-15コーチ/大西容平

指導者リレーコラム

生まれ故郷である岡山に戻り、現在は中学生の指導に励む大西容平さん。一人でも多くの選手をトップチーム、日本代表、そして世界へと輩出したい―。時代の移り変わりとともに見える選手の変化、そして自身の現役時代にはなかった自分の中に押し寄せてくる感情についても、赤裸々に語ってくださいました。

ーヴァンフォーレ甲府U-15の津田琢磨監督よりご紹介いただきました。まずはお二人の関係を教えてください。

大西 僕が大学を卒業して甲府へ加入したときに、琢磨さんが2年先輩でした。ちょうど寮の部屋が隣だったので、食事にも連れて行っていただいたし、公私ともに仲良くさせてもらいました。お互いきれい好きで、感覚的にも合うなってところが多くて(笑)。良くしてもらった印象しかないです。

ー今でも連絡を取ることはあるのですか。

大西 今年はU-15の年代をお互い担当しているので、情報交換をしています。去年は琢磨さんが一つ上のU-18のカテゴリーにいたのですが、引退してすぐだったこともあり、連絡を取っていました。

ー大西さんがファジアーノ岡山で指導を始めたきっかけを教えてください。

大西 自分が岡山出身だったということもありますし、引退した後にサッカーの指導者としてやっていきたいという思いもあった中、ちょうどそのタイミングで声をかけていただきました。

ー指導者になりたい気持ちはいつ頃から芽生えてきたのですか。

大西 具体的ではないんですけど、30歳を過ぎたくらいから意識し始めました。精いっぱい現役としてやり通していたので、現役中にそこまで深く考えられませんでした。ただ30歳を過ぎたくらいから、実際に関わっている監督やコーチとのやりとりで、自分も将来そういう立場になれたらいいなって漠然とした思いを持ち始めたのがスタートでした。肉体的にも精神的にも続けられるかどうかという選択肢を持ったのが現役最後の年で、だんだんと指導者への気持ちが強まっていきました。

ー指導を始めるときはどんな心境でしたか。

大西 今までサッカーしかやってきていない中で、サッカーを教えることについてはそんなに不安はなかったです。でも引退したあとに、より一人の社会人としてやらなければいけないことが多かった。すごく勉強になりました。メール1通を送ること一つとってもそう。組織の一員として必要な要素が数多くありました。

ー実際に指導をしてみて、想像とのギャップはありましたか。

大西 自分が想像していることを選手に理解させる点は難しかったです。頭の中にある絵を言葉にして伝えることもそうだし、言葉をよりかみ砕いても、選手個人によって伝わり方が違った。言葉のチョイスや、しっかり論理的に伝える部分は自分が今までやってこなかったので、今でもそうですが、「相手に伝える難しさ」を1年目は特に痛感しました。

ー難しさを感じる中でも徐々に手応えはありましたか。

大西 勉強と一緒で、いろんな指導者の先輩から見て学んでいます。指導者講習会も含めて、自分の中でいろんなことにトライしながらやってきたつもりです。中学生を教えるようになってからは、吸収も早いし、短い言葉で理解してくれる選手も多い。ただ基本的な部分は「プロも小学生も変わらない」のかなと思います。自分本位で伝えたつもりでも、伝わらない。小学生相手に言ってわからないことは、基本的にはプロに言ってもわからない。なかなかうまくいかないこともありますが、かみ砕いて伝えるように挑戦しています。

ー他クラブの指導者の方とも積極的に交流していますか。

大西 同年代の方、現役の時のチームメートとはマメに連絡を取っています。自分と同じような時期に現役を引退して指導者になったスタッフもいるので、話す機会はありました。琢磨さんもそうです。まずはどんな環境でトレーニングや試合をしているか。自分たちは中国地方で、彼は関東地方。選手の質も変わってくるので、どんな選手がいるか、どんなトレーニングをしているか。取り入れるというよりは情報の一つとして聞きます。関東のクラブはあまり見る機会がないので、どういう選手がいて、どういう環境でやっているのかは意識しています。取り入れるものは取り入れて、トレーニングの内容も生かせるものは「今度やってみようか」ってなります。

ー指導するうえで最も大事にしていることはどんなことですか。

大西 プロの世界に入った当初、お世話になったコーチが、「“指導者として選手を教えるのはおこがましい”、“選手が持っているものをいかに気づかせるか”が、指導者として大事なこと」とよく言っていたんです。そこはすごく共感するところです。もちろん自分が上に立って教えることはあるかもしれないけれど、そこが本質ではないんです。選手が持っているものをいかにこっちが引き出してあげるか、気づかせてあげるかということを意識しています。僕はその言葉を聞いたとき、まだ指導者ではなく選手だったけれど、今でも記憶に残っています。

ーこれまでに大西さんが教わった指導者の影響を受けているのですね。理想とする指導者像はあるのでしょうか。

大西 今までともに戦った監督やコーチが、今の自分に影響を与えているのは間違いないです。でもその人になれるかと言ったらなかなか難しい。真似というよりは今まで見てきた指導者の方たちの生かせるところは生かして、自分なりの指導者像を確立できたらいいなと思っています。

ー大西さんが中高生だった20年前とは大きく時代も変わりました。感じている変化はありますか。

大西 だいぶ違いを感じます。今はJリーグの育成組織でやらせていただいていますが、僕は中体連高体連の出身なので、まずは環境面がまったく違う。コーチの数もすごく多いし、人工芝でやれていることも、ボールの数も、すべてにおいて改善されてきて、今の子たちは本当に何の不自由なくやれていると感じます。それは日頃から選手たちにも「当たり前ではない」と伝えています。同じ時間ですが違う環境でやっている選手もいる。そういった部分は大きく変わったと思います。

ー環境の変化とともに、今の選手たちは大西さんの目にどう映っていますか。

大西 技術面や戦術面、フィジカルなど、圧倒的に今の選手たちは、サッカーにおいてできることが増えていますし、レベルも上がっています。ただ、自分で考えて行動することに関しては、違いを感じています。多くのコーチがいる中で練習をする環境に置かれている。僕たちのときは監督一人に対して、僕たち選手は何十人もいました。メニューを考えたり、試合でどうすれば相手を攻略できるのか、試合に勝てるのか。自分たちで考えて行動していくことがメインでした。今はどちらかと言えば、言われたことへの反応は早いけれど、実際にやったことはありませんが、「練習メニューを考えて行動してみろ」と言ったときに選手たちはたぶん戸惑うと思うんです。試合中のピッチはもちろん、練習を含めていろんな状況がある中で、「ピッチの中で自分たちで解決していく力」はまだまだ弱いと思います。

ー「考える力」を身につけることを大事にしているんですね。

大西 そこは忘れずに、選手が判断して、実行できるような働きかけや材料を意識的に組み込んでいます。同時に、やらせることもときには必要。そのバランスはうまく取っていかなければと感じています。全部が全部、選手が判断するわけではなく、こちらの働きかけも必要になってきますね。

ー地元の岡山で指導するやりがいはどういったところに感じますか。

大西 自分が中学生のときに教わった指導者の方が今も健在で、よくお会いして話すこともあります。そういう人たちと指導者の立場になって仕事ができるのは本当に幸せなこと。また、中国地域の中の岡山で、なかなか関東や関西に比べると外の全国レベルを体感することは難しいです。しかしその中でも、僕は中学を卒業して東福岡高校に入学して、そこからは県外にいたので、自分が見てきた岡山以外の場所でやってきた経験を生かしたい。岡山のアカデミーで育った選手が、まずはファジアーノ岡山で1日も早くピッチに立って、そこから日本代表、世界で活躍できる選手を生み出していくことが自分たちの使命だと感じています。

ーファジアーノ岡山はどういうクラブだとお考えですか。

大西 本当に真面目だなと。上から偉そうに言うわけではなく、本当にU-15の選手も他のカテゴリーのアカデミー選手も真面目にやってくれている。トップチームで相手として戦ったときもそうだし、中に入ってもそれは変わらない感覚があった。クラブカラーとして「物事に対して真面目に100%で真剣に取り組む」部分は改めて感じました。

ーこれまでの5年間を振り返ってみて印象深いことはなんですか。

大西 まだ長いことやっているわけではないので、初めて見た子たちが高校3年の年代です。高校や大学を卒業して、その選手がピッチに立ってプレーするところを見ていないので、これから先、少しでもそういう選手が出るようにしたいし、それが自分のちょっとした基準になっていくのかなと思います。小さい頃に教えた選手がプロになって、じゃあその選手が小さい頃に何をしていたかというのは基準になっていくと思うんです。そこは楽しみにしていることです。印象に残っているのは、初めて担当を持った3年前の最後の試合です。選手たちの前で話したとき、こみ上げてくるものがあって……。僕はそんなに感情を大きく出すタイプではないので、自分自身が一番意外に思いました。自分でも思っていないうちに心境の変化があったのかなと。現役時代や学生時代を合わせても、3年前のあの試合が一番ぐっときたんじゃないかと思います。本当にびっくりしました。

ーご自身の苦労もあったからこその感情だったのでしょうか?

大西 苦労というよりは、目の前で選手がやってきたことを1年間通して見てきて、その頑張りに対して出てきたものだったのかなと思います。うまい下手とかではなく、一生懸命に100%で取り組んでいる選手に対して、こっちも「感情が高ぶる」というか。U-18へ昇格する選手や高体連へ進む選手、それぞれ次に進んでいく中で、一つのチーム活動としてすごく印象に残っています。

ー感情をあまり表に出さないとのことですが、現役時代はどんな選手でしたか。

大西 あまり考えたことなかったですね(笑)。子どもにも話すのですが、自分たちが思っている以上にうまい選手や能力の高い選手は全国にたくさんいる。ただ「覚悟や信念を持って最後までやり通す選手」は、そうたくさんいないと思うんです。メンタル的なところも含めて、自分の強みはそこだったので、そういった部分は大事にしてほしいと伝えています。

ー現役時代から今にかけての大西さんを知る人は、「努力を続けられる人」だと仰っていました。今もそうした強い気持ちを胸に指導にあたっているのだと感じます。

大西 そういう思いでやっていますが、折れることはもちろんあります。しょっちゅうトレーニングの中で、自分が思っていたこととは違うことが起こる。試合の結果というよりは、日頃のトレーニングでどう伝えるか迷ったり、うまく伝わらなかったりの葛藤の中にいます。

ーでは最後に、今後の目標を教えてください。

大西 目標は上のカテゴリーで監督をすることです。焦らず、自分のできることを精いっぱいやっていくと同時に、自分が生まれ育った岡山で、「一人でも多くCスタ(シティライトスタジアム)で選手がピッチに立つこと」を目標にしています。岡山という土地を大事にしながら、そこは自分もぶれずにやっていきたいと思っています。

ーありがとうございました。それでは、次の指導者の方の紹介をお願いします。

大西 中国地域の試合でもお世話になっているガイナーレ鳥取の畑野伸和さんです。アカデミーダイレクターをしながら兼任でU-15のコーチをしています。

<プロフィール>
大西 容平(おおにし・ようへい)
1982年10月30日生まれ。
岡山県倉敷市出身。東福岡高、阪南大を経て2005年にヴァンフォーレ甲府へ加入。11年からカターレ富山へ移籍し、15年に引退。その後ファジアーノ岡山のスクールコーチを務め、18年はU-15のアシスタントコーチも兼任。19年からU-15コーチとして指導にあたる。

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