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Vol.23 岡山学芸館高等学校女子サッカー部 監督/和田敬

  • 2021.10.20

    Vol.23 岡山学芸館高等学校女子サッカー部 監督/和田敬

PASSION 彼女たちのフィールド

海と山に囲まれた自然豊かな岡山県の東部に位置し、男子サッカー部をはじめ多くの競技で全国的な活躍を見せる岡山学芸館高等学校。文武両道を実現する高校で英語科の教鞭を取りながら女子サッカー部の顧問を務める和田敬氏にサッカーに携わる仕事についてお話を伺った。

―現在のお仕事と、サッカーの経歴について教えてください。

和田  私は現在岡山学芸館高等学校で英語科の教員として勤務していて、女子サッカー部の顧問を務めていて、クラス担任を持ちながら英語の授業を週17コマほど受け持っています。教員は大学を卒業した年からしており、県立高校でも教員をしてきましたが2021年4月から岡山学芸館高校に赴任したので今年が1年目です。

―サッカーは大学で引退なさったのですか?

和田  いえ、サッカーは教員になってからもプレーを続けてきて、スクランブルFCキートスという地域のクラブに所属して中国リーグでプレーし、岡山代表として国体に出場するなど、41歳で引退するまで選手としてプレーしてきました。所属していたクラブは解散しているのですが、当時は岡山県にある就実大学の女子サッカー部を母体として地域リーグに参戦するクラブを作るということで誘っていただいて加入しました。

―サッカーとの出会いはどういったものだったのですか?

和田  大学生になってから友人に誘われて女子サッカーのクラブに入ったことがきっかけです。それまでは硬式テニスとアルペンスキーをしていました。大学生になってからもアルペンスキーを続けていて全国大会にも出場していたのですが、スキーの成績が伸び悩んでいたときに誘われたこともあって、スキーのオフシーズンにトレーニングになるかなと思ったのと、誘われて行ったときに意外とリフティングもできたり走るのも速かったりして周りの人にすごく褒められたこともあり、そのままサッカーにはまっていきました。チームも大学の強化部といったところではなかったと思いますが、練習場所もちゃんとあって練習機会には恵まれた環境でした。
大学卒業後に岡山理科大学附属高等学校に教員として就職したのですが、男子サッカー部が強い高校ということもあり、初めは指導者ではなく男子サッカー部のお手伝いとして、ケガをした選手のトレーニングやパスの相手をするような形でチームのサポートをさせていただいていました。そのサッカー部の先生とキートスの創設者の方が高校時代の先輩後輩という縁もあり、女子のクラブがあるからプレーできるうちはやった方がいいよと言っていただき、選手としてキートスでプレーさせていただくことになりました。初めはクラブのことを何も知らずにサッカーが楽しくできる程度の気楽な気持ちで行ったのですが、いざ合流すると当時の強豪大学から選手が集まっていたり、クラブの目標は皇后杯で勝つことだったり、クーパー走を測定してトレーニングをする本格的なチームだったので、すごいところに来てしまったなというのが最初の印象でした。それでも続けていくうちにチームの中心選手になって、長年プレーさせていただきました。
高校の教員をしながら選手としてプレーを続け、国体にも出場して仕事を休まないといけないことがあったりもしましたが、周りの人にも恵まれて女子サッカーを理解していただいたり応援していただいた中で長年やってこれたので、周りの人には本当に恵まれていたなと振り返って思います。
キートスでは最初に県リーグからスタートして、入れ替え戦も戦って中国リーグに参入しました。岡山県の女子サッカークラブと言えば岡山湯郷Belleをイメージされる方も多いと思いますが、私達は岡山湯郷Belleが創設される前に皇后杯中国大会で5連覇していて、皇后杯の県予選でもライバル関係でした。

―選手を引退されてから本格的に指導者になられたのですか?

和田  41歳で引退するまでは選手としてプレーをしながらも、高校では男子サッカー部の顧問をしていました。ですが自分が選手としてプレーをしているとどうしても顧問業が疎かになってしまうところもあったので、少しずつ指導者に移行していった形です。仕事をしながら指導者ライセンスを取得しに行ったりしたので、現役を引退した40代が転換期になったと思います。引退する前の国体では選手兼コーチもさせていただいたりして、その後には国体の監督も務めさせていただきました。引退後15年ほどは男子サッカー部のコーチと、女子のナショナルトレセンでコーチをするというような生活をしてきました。また岡山県の男女含めたサッカーの技術委員長とチーフインストラクターも務めさせていただいています。教員としては最初に勤めた岡山理大附高校から県立の高校で教員をしてきて、2021年から現在の学芸館高校に赴任しました。ここはサッカーだけでなく、野球やバスケット、硬式テニス部、吹奏楽など様々な部活動が全国大会に出場するなど部活動の盛んな学校です。そうした中で女子サッカー部も強くしていきたいということで、私に声をかけてくださって今年から女子サッカー部の顧問をさせていただいています。

―女子サッカー部に着任されて、チームの印象などはいかがでしたか?

和田  これまでナショナルトレセンで女子選手を指導してきましたが、そこは特殊な環境や条件のところですし非日常の場所なので私の言うことも選手は必ず聞いてくれます。そういった環境ではない高校の女子サッカー部ですので、これまでの顧問から代わった私のことを選手は受け入れてくれるのかなという不安もあり最初は手探りだったのですが、1週間ほどで本当に良い子たちだなと心から思いました。特に3年生は部員が3人しかいないのですが、3人ともサッカーも一生懸命だし勉強もきちんとするし人間性も優れている。そんな上級生がいるので、1,2年生にはサッカー経験者も多いのですがチームもまとまっていて非常に楽しくサッカーをしています。選手たちはまだまだサッカーに対する考え方が幼くて「そんなのアスリートの戦う姿勢じゃないよ」と厳しく言うことも多いのですが、それでも必死についてこようとしてくれるので指導者として日々楽しくて仕方ないですね。
春に行われた2021年度第60回岡山県高等学校総合体育大会サッカー競技女子の部では決勝戦で敗れて準優勝という結果だったのですが、選手たちはその試合が負けてしまったけれど楽しかった、今度は勝ちたいし勝てるチームになりたい、大学に進学してもサッカーを続けたいととても前向きな気持ちを持ってますます真剣にサッカーに向き合ってくれています。こうした選手の姿勢や結果を受けて学校もすごく応援してくれていて、強化部に認定して頂き、非常に良いチームづくりができていると思います。私自身これまで人に恵まれていると思っているのですが、岡山学芸館高校の女子サッカー部顧問になって部員にも恵まれているなと強く感じています。

―チームには和田さんの他にもスタッフがいらっしゃるのですか?

和田  男子部のゴールキーパーコーチを務める先生が女子部の部長を兼任してくださっていて、女子部でもゴールキーパーを指導してくださいます。また私が着任する前に女子部の監督をされていた方が現在はコーチとして指導してくださっています。その方は姉妹校の中等部の男子サッカー部で監督もなさっているので、男子中学生と練習ゲームをさせていただいたりもします。トレーナーも男子部と兼任で選手を見てくださっているので、スタッフにも恵まれていると思います。これからはより指導体制の充実を図るために女子部専任のコーチも迎えたいなと考えています。何よりサッカー部専用のグラウンドがあるので、男女兼用ではありますが毎日人工芝のピッチでボールを使った練習ができる環境があることがありがたいですね。

―普段のスケジュールについてお聞かせください。

和田  うちは遠くから通っている選手がいることもあり、朝練を決めてやっていなくて自主練という形にしています。なので私は7時50分頃に学校に着いて8時15分から朝礼、その後担任するクラスで朝のホームルームをして担当する授業をします。学校は6時間目まであり、掃除とホームルームを終えると15時45分になります。それから練習になりますが、グラウンドは校舎から電車で一駅先にあるので、移動時間や準備時間も考慮して16時40分には練習を開始できるように言っています。そこから練習をして終わるのが19時前。帰りの電車の時間を考えると遅くても19時には終わるようにしています。選手の中には進学コース所属の子が多いので、後片付けは他の子がカバーして早めの電車に乗って勉強時間が確保できるようにしたりもしています。練習後はそのまま帰宅して、20時頃に自宅に着いていますが、テストや成績など学校の仕事がある場合は練習後に学校に戻って仕事をすることもあります。

―英語の先生をされていると、科目の重要性も高くなると思うので授業準備や補習などお仕事の量も多いのではないですか?

和田  これまでいた県立の高校ではやはり英語科の特性上仕事量は多かったと思います。生徒は文系理系関わらず重要な教科になりますし、苦手な生徒も多い教科でもあるのでサッカー部を見たりトレセンや技術委員長の仕事と両立するのは大変でした。現在の岡山学芸館高校は一学年14クラス以上ある大きな学校で、教員も100名以上いる学校なので、私がサッカー部に専念して補習や進路指導などの仕事はあまり負担がかからないように配慮していただいています。それでも甘えすぎず、インターハイに出られない年の夏休みは補習も受け持つなどできる限りのことはさせていただいています。またクラス担任も男子サッカー部の先生と2人で受け持っているので、お互いにカバーし合いながらクラス経営をしていて、私もわからないことはどんどん質問して教えていただき、とても働きやすい環境で仕事をさせていただいています。

―理想の指導者像はありますか?

和田  自分の理想というよりは選手やチームが求める理想の監督、選手の目線に立てる監督になりたいなと思います。私がB級やA級ライセンスを取得する際に指導者養成でお世話になった眞藤邦彦さん(現日本サッカー協会インストラクター)が、とにかく相手の目線に合わせて話をされていてとても心に響いた経験があります。それは例えば私がナショナルトレセンで「元なでしこの選手はこういうことをしていたよ」ということを選手に言ったとして、彼女たちにとって憧れではあっても本当に響く話かというと必ずしも一致しません。中には一致する子もいると思いますがそうではない子もいるので、一般的なスタンダードというよりも目の前の選手を見て、その子たちを伸ばせる指導者になりたいですね。ただそのためには私は高い視座を持って高いところや遠くを見たうえで全体を見ないといけないと思いますが、一番は選手の目線に合わせられる指導者になりたいです。

―サッカーに携わる仕事のすばらしさはありますか。

和田  サッカーはパスをつないで皆で1つのボールを相手ゴールに向かって運んだり、自分たちのゴールを守ったりするスポーツなので、サッカーという競技自体が人生の縮図と言えると思っています。個人競技の場合、普段はコーチやトレーナー、親のおかげだと選手は言いますが実際にプレーしている間は1人です。でもサッカーはプレー中も皆がいて、1プレー1プレーが誰かのおかげだし誰かのためにと皆で気持ちを1つにしておこなうスポーツなので、サッカーのプレーを見ていれば人間がわかるというところもあると思います。もともと私自身もおてんばで礼儀も知らないワガママ娘だったと思うのですが、サッカーと出会えていろいろな人が私のことを見てくれて、人として成長させていただきました。もしサッカーに出会わなかったら味気ない人生だったんだろうなと思いますし、いち英語教師で主婦であり母として何気ない日々を過ごしていたかもしれません。それがサッカーと両立してするから、仕事も家のことも工夫して効率よくするようになりましたし、協力してくれている家族にもすごく感謝できていて、サッカーのおかげで自分も成長できたし豊かな人生を過ごせているなと思います。サッカーはなかなか得点が入らないスポーツなので、その1点の重みがあるから得点の喜びも失点の悔しさもひとしおですし、サッカーはそういう意味でも人との繋がりや競技の特異性を考えても得るものが大きかったなと思うので、今は少しでもそれを選手に伝えていきたいと思います。
また、このコラムを見ていて女性の指導者が増えているのを感じるのがすごく嬉しいです。女子選手は男子と比べるとどうしても引退後にサッカーに戻ってくる割合が低い。それは結婚して出産してと女性としての特性もあると思いますが、このコラムを見てサッカーに関わる女性が増えているんだなと感じています。男子サッカーに関わっている頃に恩師の方に「指導者の一番の勝利は、教えた選手が指導者になって再び帰ってきて共に戦うことだよ」と話しをしていただきました。そうして本当にサッカーを好きにしてサッカーに携わる人を1人でも増やすことが本当の勝利なんだと。だから今は教えている子やこれから教える子たちが1人でも多く女子サッカーに携わってほしいなと思っています。

―ありがとうございました。

<プロフィール>
和田 敬(わだ・けい)

1962年東京都出身。サッカーを始めるまでは硬式テニスとアルペンスキーの選手として活躍。大学入学後に友人の誘いでサッカーに出会う。大学卒業後も教員として仕事をしながらスクランブルFCキートスにて選手を続ける。岡山県代表として皇后杯や国体に出場するなど活躍し、41歳で現役を引退。女子ナショナルトレセンコーチや岡山県サッカー協会技術委員長、チーフインストラクターとして活躍し、2021年4月より岡山学芸館高等学校女子サッカー部の顧問を務める。

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