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Vol.64 マツさんとともに掴み取ることができたJ1残留。

  • 2022.11.14

    Vol.64 マツさんとともに掴み取ることができたJ1残留。

発源力

©GAMBA OSAKA

今シーズンのJ1リーグが終了し、僕たちはJ1残留を決めることができました。
正直、僕にとってこれまでのサッカー人生で最も苦しく、しんどいシーズンで、それはガンバというクラブにとっても同じだったのではないかと思います。もしかしたら12年のJ2降格を経験している方は、当時の方がしんどかったと言われるかもしれませんが僕自身は、人生初の残留争いの中、過去に経験したことのない感情をたくさん味わいました。特に終盤は「次の試合に負けたら、降格してしまうかもしれない」という感情が日常生活にまで支障をきたすことも多く、何をしていても楽しいと思えない毎日でした。週頭のトレーニングが始まる時に「よし、今週も楽しくサッカーをしよう」と思うことはまずなくて、毎回「今週もまたこのプレッシャーを乗り越えなければいけないのか…」という感情に襲われたのも初めてでした。
今だから明かせますが、一番苦しかったのは30節・ヴィッセル神戸戦の敗戦で、あの時は誰もがとてつもない危機感を覚え、プレッシャーと戦っていました。2週間のインターバルを経て31節・柏レイソル戦に向かいましたが、口ではポジティブなことを言っていても、誰もが気持ちを切り替え切れずにめちゃめちゃ引きずってプレーしているように見えました。なんとか勝ち点1を掴めたことと、貴史(宇佐美)の戦列復帰が唯一の光になりましたが、だからと言って、苦境を乗り越えたという感覚は全くないまま試合を終えたのを覚えています。

ただ、そうした状況でも唯一胸を張れることがあるとするなら、自分たちを信じることを諦めなかったことです。柏戦の前にマツさん(松田浩監督)に言われた「他力を望むな。最後まで自分たちを信じて、自力で決めるんだという思いだけ持っていればいい」という言葉はそこから残りの試合を戦う上での心の支えになりました。33節・ジュビロ磐田戦に勝利し、最終節を前に自力で残留できる状況に持っていけたのも…結果としては他力も働いたとはいえ、プレッシャーを受け入れて、自分たちを信じて戦い抜けたから。鹿島アントラーズ戦も同じで、勝利こそできませんでしたが、自分たちを信じて戦い抜けたから運も微笑んでくれたのかなと思っています。
そして、そこにはいつも、僕たちを信じて一緒に戦ってくれた皆さんがいました。中には、僕らより先に諦めていた人もいたようで…実際にそういう声をスタンドから掛けられたこともありましたが(苦笑)、僕たちを信じて一緒に戦ってくれたファン・サポーターの方もたくさんいて、僕たちはそんなみなさんと共に、来年もまたJ1リーグを戦うチャンスを掴むことができました。ありがとうございます。

そして、マツさん。思えば、マツさんの元で戦ったこの約3ヶ月間、わずか10試合でしたが、たくさんの『言葉』をもらいました。
「どうしよう、負けたら降格だと考えたって、体が硬くなってしまうだけで何の得もないぞ。怖いものは何もない。ボールを奪われたら取り返せばいいし、シュートが決まらなかったらまた打てばいい」
「負けたからといって死ぬわけじゃない。降格したってガンバというチームがなくなるわけじゃない。だから思いっきり、挑んでこい」
「何かを心配したって、不安になったって何の意味もない。今を生きることだけに、全力で取り組めばいい」
僕らに何かを伝えるときにはいつも話し方に抑揚がなく、声を荒げることも、試合によってトーンが変わることもなく淡々と、必要なことを伝えてくれるマツさんでしたが、そのどこかに必ず響く言葉が潜んでいました。時に、サッカー選手として過ごしている今だけではなく、10年、20年後に思い出した時にも役立つような、人生の学びになるような言葉がたくさんあったのも印象的です。
また、天然なのか、わざとなのかはわかりませんが(笑)、時にチームを自然と笑顔にするようなコミュニケーションもたくさんありました。マツさんの話す格言のような言葉があまりにも難しくて、選手の誰かが「マツさん、例え話の意味がわかりません!」とツッコむことで笑いが生まれるとか、練習中にマツさんがデモンストレーションでボールを蹴ると、みんなが自分のおじいちゃんを慮るように、マツさんの肉離れを心配して和むこともありました(笑)。スタジアムに出発する直前のホテルでのミーティングで、ホワイトボードに書かれた選手の名前をマツさんが一人一人読み上げていく際に、なぜか悠樹(山本)の名前を呼び忘れていたこともあります。「マツさん、悠樹は?」って聞いたら「ああ、忘れてた!」と爆笑を誘い、リラックスムードが生まれたこともありました。監督によっては同じことが起きたとしても絶対にツッコめない人もいますが、マツさんの周りにはいつも遠慮なくツッコませてくれる雰囲気があり、それを一緒に笑ってくれる人でした。
今になって思えば、そうやってマツさんが作り出してくれた雰囲気が、ビリビリと緊張感が漂いまくっていた終盤戦のチームを明るくしてくれて、リラックスさせてくれて、いい空気に変えてくれていた。それによって僕らが背負いすぎているいろんなものを、1つ、2つと取り払い、軽くしてくれていたところもたくさんあったと思っています。

そう考えると、間違いなくマツさんという一人の人間に魅せられ、引っ張られて、みんなの気持ちが1つになれたことで実現できたJ1残留だと思っています。個人的にも、たくさんの影響を与えてもらいました。マツさんに出会えたことがこの苦しいばかりのシーズンを戦う上で、心の拠り所になっていたところもありました。いつか僕が引退したら、ぜひお酒を酌み交わしながらもっといろんな話を聞きたいです(笑)。

正直、まだ今は5日間のオフを過ごしながらも、残留争いの余韻を引きずっていて、もぬけの殻のような状態です。「よっしゃ、残留したし、来年はもっと頑張るぞ!」という気持ちにもまだなれていません。今年の経験を来年に活かそうなんて考えもさらさらなく、こんな経験は二度としたくないし、活かす場面がこの先2度とこないことを祈るばかりです(笑)。なので、今はもう少し自分の消耗し切った体と心をゆっくり取り戻しながら、今シーズン最後の、アイントラハト・フランクフルト戦に向かいたいと思います。

  • 昌子 源Gen Shoji
  • Gen Shoji

    1992年12月11日生まれ。
    兵庫県出身。
    11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
    18年12月に完全移籍が発表されたトゥールーズFCでもすぐさまレギュラーに定着したが、2シーズン目はケガに苦しみ、長きにわたり戦線離脱。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年2月にガンバ大阪への完全移籍が発表された。
    日本代表にも14年に初選出。18年のワールドカップ・ロシア大会でもレギュラーとして活躍した。

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